なぁ名探偵、勝負をしよう。
 お前は俺を追い、俺はお前から逃げる。
 捕まったら俺の負け、逃げ切れたなら俺の勝ち。
 お前といる時間は愉しいから。
 だから、真剣勝負を俺としよう。



 なぁ、キッド。
 それなら、その勝負が終わったら。
 片が付いたら。
 俺たちは、どうなるんだろう?
 お前は監獄に入るのか。
 それとも目的のモノを見つけ、キッドをやめるのか。

 なぁ、キッド。
 俺たちは。
 俺は。

 どうなるんだろう――?










K.I.D.










 ぴらぴらと大して興味のない雑誌を、読んでもいないのに捲り続ける。
 新一はどこか落ち着かない。
 先日のキッドとの対決から、何かが胸の端で燻っていて。
 何をしても集中出来ずにいた。
 ことある毎に考えにふけり、けれど何を考えて良いのかわからず、それにまた悩む。

 キッドはあれ以来、なぜか姿を現さない。
 多いときは連日、犯行を続けていたのに。
 疑問はもちろんあったけれど、神出鬼没な彼のこと。
 気まぐれに出てこないだけかも知れない。
 けれど不安はそんな考えとは裏腹に積もるばかりだ。


「………」


 誰もいない部屋の静寂の中、機械の正確さで刻まれる時計の音に苛つく。
 なにかが壊れそうな、そんな雰囲気。
 静寂が嫌で、布団の中で何度も寝返りを打った。
 それでも聞こえてくるのは布の擦れ合う音だけだ。
 新一は思わず声に出してぞんざいな溜息をつく。


「あーもう、事件でもなんでも起きねーかなっ」

「随分と物騒なことを、言うものですね…」


 その声に、がばりと音が聞こえてくるんじゃないかという勢いで、新一は飛び起きた。
 誰でもない、キッドの声だ。
 振り向けば、寝室の外に作られたバルコニーに面する窓の、内側に佇む白い影がある。


「キッド!?」

「こんばんわ名探偵、夜分に失礼しますよ…」

「お前なぁ、鍵かけてる意味なくなるだろ。…っつっても玄関から入ってくる怪盗ってのも格好悪いか」

「ああ、大丈夫、鍵に傷は付けてませんから…」


 意外な来客は、新一にとって内心嬉しいものだった。
 しばらく見なかったキッドの姿を見れたことにも少し安堵する。
 窓に寄りかかったまま佇むキッドに、少し文句でも言ってやろうと近づいた。
 けれど、新一の体はギクリと立ち止まる。


「………キッ、ド…?」

「…すみません…ここ以外に、思い浮かばなくて…。気付いたら、このバルコニーまで来てしまっていた…」

「お前…っ」


 なんだか涙が浮きそうになる。
 でも理由はわからなくて、泣いてしまうのも情けなくて、必死で堪えた。


「なんなんだよ、この傷は…ッ!!」


 白いスーツには、花が咲いたような赤色が、寒気がするほどこびりついていた。



 新一はすぐに隣の家へと駆け込もうとした。
 けれど、ふらつく足で追いかけてきたキッドに掴まれて、止められる。


「名探偵、どこに…」

「…ッカヤロォ!お前の傷、手当してもらうんだよっ!!」

「いけない………」

「なんで!?」

「病院は、まずいんだ…俺を連れて行けば、お前も…危ない……」


 キッドの吐く息は熱い。
 その熱い息が新一の顔にかかる。
 涙が、堪えきれずに瞳を潤す。
 けれど下唇をぐっと噛んで、意地で堪えた。


「何が危ないんだ!?…お前、何やってんだよ!?」

「………言えません…」

「危ないから…?お前がそんな血だらけになってるってのに、お前は人の心配してんのかよ…!?」


 キッドは俯く。
 それは、言外に伝えられる拒絶。
 新一は、話して貰えないことに腹が立つやら悔しいやらで、胸がいっぱいになる。
 でも今はそれどころじゃない。
 一刻も早く傷を見せなきゃ。
 まだ止まらない血が、痛々しく滴る姿とか。
 浅く短い呼吸を繰り返すキッドの、痛いほどに力のこもった腕だとか。
 そんなのを見せつけ続けられていると、苦しくて。


「隣りに医学をかじってるやつがいるから…っそいつにだったら構わないだろう?」

「でも俺…犯罪者、だよ…?」

「そんなこと気にする奴じゃねえ!お前が気になるんなら、その服脱いじまえ、俺の貸すからっ」

「血が…」

「バカ!!そんなことがなんだっていうんだ!!良いから、…やく、手当…っ…」

「名探偵…?」


 唇が切れる。
 口内に甘いような苦いような、鉄の味が広がった。
 瞳からは堪えきれなかった滴がこぼれる。
 新一は泣いていた。


「…っ、くそ…っ」

「名探偵…なんで、泣いてるんだ…?」

「うるさ、い…っ」


 止まらない。
 必死で堪えていた涙は、一度こぼれてしまえば堰を切ったようにとめどなく溢れた。
 不思議そうに揺れるキッドの瞳を見て、さらに心臓が痛くなった。
 気持ちがどんどん高ぶって、しゃくりあげる涙のために肩が忙しなく動く。
 堪えられるはずもない。

 なんで、わからない!?


「――お前が、死んだり、したらっ…、…!」

「…ぇ………」

「……死ぬなよ、…キッド………手当、…うけろよ…っ」


 驚いたキッドは目を瞠っている。
 そんなキッドに新一の胸はまた痛んだ。


 ほんとに何も、わかってねぇんだな………。


 キッドは血に染まったマントの、まだ白い部分で新一の涙を拭った。
 そしてそのまま新一の肩に頭を預けると、


「うん、わかった…お前の、その…お隣さん?連れてきて…着替えとくから…」

「わ、わかった!!」


 首を何度も縦に振って、全体で肯定を示す。
 そんな新一にクスリと痛々しい微笑を漏らしたキッド。


「……ありがとう……」

「そんな礼なんかじゃ済まさねぇ…ッ。後で…傷が治ったらたっぷり礼はして貰う!だから、……早く、治して…ッ」

「……うん」


 新一はクローゼットから自分のシャツとズボンとを引っ張り出す。
 ぱっとシルクハットに手を伸ばした。
 けれど躊躇して、一旦手を引いてしまう。
 視線がキッドとかちあうと、決意したようにシルクハットを取った。


「名探偵…良い、自分で出来る…」

「出来ない。ベッドに座って」


 強い口調の新一に、キッドはそれ以上逆らおうとはしなかった。
 小さな軋む音がなって、ベッドへと腰掛ける。
 シルクハット、マント、スーツ…
 何もかも白いはずの赤いそれらを脱がすと、クロゼーットの中に乱暴に押し込んだ。
 シャツのボタンをはずし、自分のシャツを着せてやる。


「それじゃ俺、呼んで来るから。ベッドに横になっとけよ。…血がどーとか、気にしたら怒るからなっ」

「…ああ…」


 新一の去った扉に、キッドは嬉しげな笑みを向けた。





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