死ぬなよ、キッド。
 そんな血まみれで。
 白いはずの体を赤く染めて。
 死んだりするなよ。


 考えただけで涙が出た。
 お前が死ぬということ。
 怪盗キッドが消えるということ。
 俺の前からいなくなる。

 そんなのは、嫌だ。


 お前が消えてしまうのは。死んでしまうのは。
 頭が。瞳が。心が。胸が。全て。
 熱くなって、どうにかなってしまいそうなほど。
 ひどく、こわい。


 ――ああ、そうか。

 この間感じたあの痛みは……
 胸の奥が灼けるようなあのチリとした痛みは……



 こういう、ことか。










K.I.D.










「………一体、どういうことをしたらこんな怪我ができるのかしらね」


 ふーと息をつく志保。
 その手はもくもくと治療を続けている。
 寝室のベッドを赤く染めているその人は、麻酔もしていない状態での治療にも、方眉を上げる程度にしか反応を返さない。


「銃創、切り傷、打撲、打ち身、擦り傷まで………。工藤君以外にもこんな傷うける人がいるなんて」

「それで……どうなんだ、こいつ。大丈夫そう?」

「まだなんとも言えないけど…。こんな状態でも意識を保てているんですもの。多分大丈夫じゃないかしら…ねぇ?えぇと……誰、だったかしら?」

「あ、こいつは…」

「黒羽。黒羽、快斗って…名前だよ…新一の友達……」


 そう、と軽く流して。
 新一はドキリとした。
 名前を聞かれて冷や冷やしたのもあるけれど、それよりも。
 新一と呼ばれたことに、心臓が鳴った。
 怪盗キッドは名探偵としか呼ばない。
 まるでいつも一定の距離を保っているかのように、ずっとそう呼ばれ続けていた。
 別に不満を持ったこともないけれど。

 なんだか呼んでみたくなって。
 本名かどうかもわからないけれど、そうしたくなって。


「……快、斗…」

「………なに?…新一」

「いや…。頑張れよ……くたばったら承知しねぇ…」

「うん…治ったら、もっとちゃんと、礼を言え…なんだろ…?」

「ああそうだ」


 だから絶対に直せ。
 声にはしないで、ずっとその蒼い瞳をキッドに向けていた。
 キッドも自分から逸らそうとはしない。
 蒼と蒼がかちあった。

 きっともう大丈夫だと思う。
 どこか蒼白だったキッドの顔に、赤みが、生気が、浮かんできたような。そんな感じ。
 キッドが重症を負って、ここへ来てくれたことに安堵する。
 彼が辛いときに、自分は安穏と気怠い平和を貪っていたくないから。
 他の誰でもなくここへと意識を向けられていたこと。
 ただなんとなく。理由もないけど。……嬉しい。


「弾は全て貫通しているわ。出血はしているけど主要器官に傷を負っていないし。開いた傷は縫合して置いたから、後日、改めて病院へ行くことね。わかったら、工藤君も安心して寝なさい。来るなりあんな声で叫んでるようじゃ、あなたまともに夜寝てないんでしょ」

「ああ…そういやここんとこ考え事してて…」

「フフ…なかなか現われない誰かさんを気に病んでたのよね?でももう一安心でしょ。それじゃあ、何かあったらまた言って来なさい。おやすみ」


 サンキュ、と礼を言った後、新一はあれ?と思う。
 けれどもうすでに志保は扉を閉めて階下へと降りている。
 新一の疑問をキッドがかわりに言葉にした。


「…名探偵…俺の正体、言ったの?」

「………いや。言ってない。」


 冷や汗がだらりと垂れる。
 宮野志保は、それはもう、とてもとても勘が鋭かった。





 しばらくしてポツリとキッドがこぼす。


「…やっぱ血、ついちまったなぁ」


 その言葉にムッとして、新一はベッドの横にぴたりととまると、上から見下ろして怒った。


「だぁーかぁーらぁ、気にしたら怒るって言っただろ!」

「ああ、そうだっけ…」

「言った。約束やぶりやがって」

「約束って」


 苦笑を漏らすキッドに、けれど真剣な顔で言った。


「約束破った罰として!!………傷が治るまで、…ここにいろよ…」

「えっ」

「他に、家とか。友達んとことか。いくらでもあるのに、それでも……俺んトコに来たんだろ?だったら………いろ」

「名探偵…」

「どーなんだよ」

「………うん。わかった」


 新一は笑った。
 俯いていたし、月明かりしかない部屋の中だったけれど。
 人のそれより優れた五感を持つキッドには見えた。
 とても綺麗に、嬉しそうに笑った新一の笑顔が。

 キッドも嬉しくなって、けれどその嬉しさを隠すためにからかいを含めて聞く。


「――ところで名探偵?俺のこと気に病んで、夜あんまり寝れてないってどーゆーこと?」

「えっあ…っそれ、は……」


 ぱっと向けた顔がほんのり赤くて、しどろもどろとしている新一がどうにも可愛くて軽く吹き出す。
 けれど新一はフォローに必死でそんなキッドには気付かなかった。
 あれこれ考えた後、言い訳も無用か、と思って、


「お前が。最近。…全然予告状出さないから。なんかあったのかと思った」

「あらら、心配かけちゃったかぁー」

「心配かけちゃったなんて、それどころじゃないだろ?やっと出てきたと思ったら、お前………こんなだし………」

「ごめん。理由は言えないけどさ。そんで、ありがとう」

「いいよもう…ちゃんと来たし、もう許す…」

「うん。さんきゅ、名探偵v」


 新一がちらりと一瞥を送る。


「あ――あと。もうひとつ」

「なに?」

「しばらくこにいるんなら……その間は、名探偵っての、やめろよな」

「え、じゃあ…なんて、呼ぶ?」

「バーロ、聞くなよ!それ以外ならなんでも良いっ」


 新一は顔が熱くなるのを感じる。
 そうと悟られまいとそっぽを向いた。
 ほんとは呼んで欲しいのはひとつだけだけど。
 そうと言うのは恥ずかしすぎる。


「工藤………」

「………」

「ってのはしっくりこねーし、どっかの関西人みたいだからぁ」

「………え?」

「やっぱ、新一。だよな」

「………うん」

「おっけ、新一v」


 新一。
 呼ばれると、なんでか嬉しくなる名前。
 新一はやわらかい笑みを浮かべた。


「そんで?お前はなんて呼んでくれるのー?」

「ぇ、あー…そーだな…てか、黒羽快斗で良いのか?」

「うん、それで良い。で、で?」

「そんじゃ………快斗、かな……」

「おっけーvじゃあ新一くんと、快斗くんねv」

「なんかお前、愉しそうだな…」

「なんで?愉しくない?なんか新しい生活って感じで」

「――あっそ」


 なんだかキッドの時とは随分と印象の違うその”黒羽快斗”だったけれど、不思議と嫌じゃなかった。
 嬉しそうにニコニコしてるその怪我人との、怪我が治るまでという短い、期限付きの生活が、始まる。
 確かに少し――結構。
 楽しみかも知れない。
 新一はそう思って、暗闇に笑顔を送った。





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