治療が済んで一段落が着いた頃。
 どうしても気になって一晩中キッドの側にいた。
 もし何かあった時にすぐに気づけるように。
 すぐに志保に知らせに行けるように。
 けれど連日の睡眠不足が祟って、どうしても重い瞼を開けておくことが出来なくて。


「ベッド占領しちゃってごめん。平気だから寝て来いよ」


 痛みのためになかなか眠れなかったキッドは、そんな俺に気付いて苦笑しながら言った。
 半分意地になっていたから、それでも寝に行こうとはしなかった。
 仕方ないと思ったキッドに、血ィとか嫌じゃなかったら一緒に寝る?と聞かれて。
 それでもしばらくは椅子に座って睡魔と格闘していたけど、どうしても眠気に勝てずに結局はひとつベッドの中で夜を明かした。

 シーツは血の匂いがした。
 そしてそれに混じってキッドの匂いがした。
 眠りにはついていないのだろうけれど、規則正しい呼吸を繰り返していることで、生きてる、という実感が沸く。
 いつも掴み所のない彼が、だけど今こうしてちゃんとここにいる。
 普段なら冷たいだけの布団が、隣にある温もりのおかげで暖かくて。
 布団に入るなり堕ちるように眠りについた。










K.I.D.










 ピーピーピー。。


 携帯の目覚まし音が、二人分の寝息のする部屋の中に響く。
 枕の近くに放置された携帯が、新一の毎朝の目覚ましとなっていた。
 いつものようにごそごそと手で携帯を探してみるけれど、なかなか見つからない。


「………朝、弱いの?」

「んー……?」

「……寝ぼけてやがる。」


 すぐ近くで誰かの笑う声がする。
 けれどまだ眠くて、目を開けるのが億劫で。


「探してるモンならここだよ、新一」

「………わぁっ!!」


 がばりと飛び起きた。
 目の前には吹き出して笑い、その笑いが腹の傷に響いて痛がっているキッドがいる。


「あは…っ愉しすぎ…っ…ぃて…」

「悪ィ、キッド!びっくりして…」

「いや良いけどね、俺が勝手に笑っただけだし」


 一通り笑いがおさまると、血の滲んだ包帯にそっと触れながら笑顔で言った。
 『黒羽快斗』の顔で『キッド』の笑顔を浮かべている。


「それよりも、私のことをキッドと呼ぶのは違反ですよ…?」

「あ…まだ慣れなくて」

「まあ昨日の今日だしな。取り敢えず携帯止めたら?」


 まだ鳴ってたのか、と言って新一は携帯を切る。
 なんだか朝起きて隣りに人がいるっていうのは変な気分だな、と思った。
 しかもそれが世間を騒がすあの怪盗キッドなのだから尚更。
 妙な縁があって彼と勝負をすることになり、重症の彼を療養させることになり…。
 そして今、期間限定の仮初めの生活のため、『新一』と『快斗』と呼び合っている。


「お前とこんなことになるとは思わなかったな…」

「そりゃーお互い様」

「さっさと治せばさっさと捕まえてやるのにな」


 にっこり笑顔付きで「捕まえてやる」とか言われては、キッドはもう笑うしかない。
 痛みと発熱によって意識が朦朧とする中、捕まるかも知れないのに何故かここへ来た。
 どこかで、彼なら助けてくれるかも…と思ったのかも知れない。
 もしあれが最期の夜になるのなら、ただ名探偵の顔が見たかっただけかもしれない…。


「それは暗に、早く元気になれと言ってるんだと思って良いのかな…?」

「…解釈の仕方は自由だぜ?」

「つれないね」

「ああ、そう簡単につられてたまるか」


 意地悪く笑った新一の顔には、昨日の涙の後は見られない。
 軽い冗談を飛ばせるほどに意識のはっきりしたキッドが側にいることで、言葉に出来ないほど安堵していた。


「とりあえずメシ。俺、普段あんまり大したモン作らないから…なんか欲しいもんあったら買ってくるけど?」

「あるモンで良いよ。朝から買い物になんて行かせられるか…」

「……味の保証は出来ないぜ」


 苦笑を残して部屋を後にした。
 キッチンへと入り込んで、冷蔵庫を開けて溜息を一つ。
 本当になにもない………。


「……生活感ゼロだな、これじゃ…」


 なんとか残っていた玉子を焼いて、トーストを焼いて。
 キュウリとレタス、ハムを切って皿に盛りつける。
 少し大きめのトレーにそれらと、コーヒーカップをふたつ乗せた。


「そういえばあいつ…甘党かな。あんとき、チョコ食ってたし…」


 初めてキッドの素顔を見たときのことを思い出す。
 自分を抱きかかえながら、呑気に顔をさらけ出し、チョコレートポッキーを食べていた。
 あの頃から、新一の中でのキッドのイメージは非現実的で妙に現実的なものとなっている。
 新一はトレーにミルクも乗せると、快斗のもとへと急いだ。


「味の保証も何も、こんな簡単なモンしかなかった」

「あ、俺パン食だから平気」

「あそ…」


 不用意にも好みを教えたりして良いのだろうかと思う。
 信用されてるのか、なめられてるのか…。


「でもこれで食材何もなくなっちまった」

「これだけって……普段どんな生活してんの」

「ヒトコトで言うなら不健康?」


 トーストを一枚差し出してくるキッドにいらないと断わる。


「なんで?」

「俺、朝とらない人。コーヒーだけで良い」

「体に悪いだろ!?」

「いや…不規則な生活してたら体が拒否るようになったんだよ」

「不規則な生活って…」

「探偵なんてやってたら規則的な生活なんて送れねんだよ」


 キッドは眉間に皺を寄せる。
 少し唇を尖らせて、


「あのなぁ…お前こそ無理すんなよ。ただでさえ探偵一筋じゃないんだろ?学校行って事件解決して俺まで追って。いつか倒れるぜ」

「そういうお前はどうなんだよ。夜中ほっつき歩いてたら完璧夜行性だろ?」

「あー、俺は良いの。昼間寝てるし。怪盗やってる時以外は暇なんだよ。新一は睡眠時間削るから駄目。」

「………ま、そこそこ。…気を付ける」


 頼りない返事だなぁ、とキッドは苦笑する。


「ま、嫌でも俺はしばーらく暇だけど…」

「なんか暇つぶしに持ってきてやろうか?本なら腐るほどあるぜ、俺ん家には」

「良いねぇ、世界屈指の推理小説家の本棚から書物を拝借出来るとは」

「どういうのが良い?」

「そうだな…推理小説は管轄外だから遠慮しとこう。親父さんの、ナイトバロンシリーズが読みてぇな」

「はっ、どこまでいっても怪盗だな、お前も…」

「お前に人のことが言えんのかよ?」


 悪戯な笑みを交わしあう。
 新一はクスクス笑ったまま部屋を出て、本をごっそりと持ち出してきた。
 ベッドの横のデスクの上に、寝ながらでも手の届くように無造作に積み重ねる。
 そのうちの一冊を取り出してキッドに手渡す。


「一応、一冊目から持ってきた。父さんのだからちょっと頭使うかもしんねぇけど」

「お前にも難しいんだ?」

「いや、あいつの考えたトリックぐらい解ける」

「随分な自信だね、名探偵」

「俺は迷宮なしの名探偵だぜ?」

「その名探偵殿は未だに世紀の大怪盗を捕まえられずにおられるようですが…?」

「うるさい。」


 半眼でちらりと睨み適当にあしらっていると、再び携帯から振動が伝わってきた。
 画面を見てみれば『目暮警部』と出ている。
 この人が用もなくかけてくるはずのないことを知っている新一は、気分を改めて電話に出た。


「工藤です」

『工藤君、目暮だ。悪いんだが…。』

「いえ。そちらに向かったら良いんでしょうか?」

『いや、高木を向かわせるから待っていてくれ。』

「わかりました」


 簡潔な内容のみで電話を切ってしまう。


「……事件?」

「ん、そう。ちょっと俺行ってくるけど…宮野、呼ぼうか」

「俺なら大丈夫だって。大人しくしてるから」

「………信用ならねぇ。やっぱ呼んどく。丁度良い、怪我の具合見て貰え」


 言うだけ言って、すでに推理モードに突入している新一は準備を始めた。
 昨日の今日で怪我の具合もなにも…と思ったけれど、こうなった彼に何を言っても上の空なのは承知済み。
 鋭い科学者さんと二人きりの時間を過ごすはめになるキッドだった。

 出掛けに、扉に立って一度キッドを振り返った新一は、


「……勝手に起きるなよ。帰ってきていなかったら…警察に突きだしてやる」


 新一の捨てぜりふがまたキッドの笑みを誘う。
 逃げられたら、捕まえられないんだぜ、名探偵。
 ぱたんと扉が閉められると、車のエンジン音とともに新一は現場へと出かけていった。





 新一の言葉。
 自分を心配してくれてるのだと思うと嬉しさが込み上げる。
 彼が家にいろと言ってくれた時、心臓が止まるほど驚いて、抱き締めたいほど嬉しかった。
 理由も何も言わずにふらりと立ち寄ったこんな自分を、受け入れてくれた。
 泣きながら、死ぬなと言ってくれた。
 本当は息が詰まりそうな夜の中、一晩中側にいてくれた。
 偶然だとはいえ、ひとつのベッドで眠りについて。
 手を伸ばさなくても届く場所にいる彼に、引きずられるように眠りに堕ちた。
 傷の痛みも、何もかも全てを忘れられるくらい、深い眠りについた。
 それこそ、自分が怪盗であることをも忘れるほどに。






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