「昨日の今日で随分と元気になったみたいね」

「おかげさまで。有り難う、宮野サン」

「お礼なら私より彼に言う事ね。早く治してお礼してあげるんでしょ?私はあなたになんて興味ないから構わないけれど…探偵の彼があなたを匿うような真似するなんて、よっぽどのはずだわ」

「………もしかしなくても、やっぱりわかっちゃってる訳ね、俺の正体」

「ふふ、悪いけどバレバレよ」

「良かったらなんでわかったのか教えてくれない?」

「簡単よ………連日、工藤君が目の下にクマができるほど誰のことを気にかけていたのか…。そのうえいつも冷静な彼が来るなり泣きながら大声で叫んだのよ」

「………なんて?」

「『宮野、お願いだ!!あいつが、……俺の大事な友達が、死にかけてるんだ!!病院には連れて行けない…でも、どうしても助けたい。死なせたくないっ。だから、お願いだ……あいつを助けてくれ!!』」

「………」

「大事な友達なんて、名前を言えない理由は何かしら?病院に行けない理由は?泣くほど、必死になりたい相手は?……簡単でしょう。」

「……あいつ、そんなこと言ったの……」

「そうよ」

「………それじゃバレちゃっても仕方ないね…」

「あら。あなたもそれで隠してるつもりなのかしら」

「なにが?」

「顔、緩んでるわよ。隠してるつもりでしょうけど、喜んでるのがまるわかりね」

「………宮野サン。あんた、鋭すぎだよ」










K.I.D.










 時計の針が2時を少し過ぎた頃、ドアの開く音が階下から聞こえてきた。
 それは家主の帰宅を知らせる音。
 やがて、トントン、と階段をのぼる音がして、キッドのいる新一の寝室の扉が開かれた。


「………おかえり、遅かったな」

「……おう。まだ起きてたのか…」

「昼間、嫌と言うほど寝てるからね」


 そっか、と気のない返事を返して、新一はバタンとベッドに倒れ込む。


「…ちょっと頑張り過ぎなんじゃねえの?」

「ん、でも…気になるし……警部たちのがもっと忙しいはずだし……」


 目暮からの呼び出しから三日たった今日、なかなか前進しない捜査に新一の体は疲れ切っていた。
 連日、早朝から出かけては深夜に帰ってくる、という生活を繰り返している。
 頼りない警察を指揮しながら推理もこなし捜査にまで加わっていれば、新一の疲労もピークのはず。
 隣りに寝ているキッドに、新一はすまなさそうな顔を向けた。


「宮野に頼みっぱなしで悪ィな、快斗…」

「バカ、これ以上心配ゴト増やしてんじゃねえよ。俺は志保ちゃんのおかげで順調だから。良いからさっさと風呂入って着替えて寝ろ」

「風呂……しんどい……」

「しんどいから入るんだよ。」


 布団の中でうーうー唸る新一をどうにか納得させて、風呂へと向かわせる。
 キッドは、夜中、新一が自分のことを気にかけてあまり熟睡出来てないことを知っている。
 だから余計に心配だった。
 朝から晩まで事件を追い、帰ってきても人の心配をしたりして。
 これでは彼がまともに休む時間がない……。


「情けねぇな……さっさと治れよ、俺の体……」


 でも、治ったら。完治したら。
 ここでの生活は終わり。名探偵とのこの不思議な生活は終わり。
 それでも、彼の体がこのまま疲労で潰れてしまうよりはずっとマシ。


『志保ちゃん、俺、どれぐらいで治るの?』

『そうね。通常なら一ヶ月はかかる怪我でしょうけど、あなたの場合、3週間か…もっと良ければ2週間といったところかしら』


 少なくとも2週間は彼に迷惑をかけてしまう、と溜息をついた時、風呂から上がってきた新一がふらつきながら入ってきた。
 のそのそと布団に入り込む。


「おやすみ、新一」

「………うん……」


 掛け布団をぎゅっと掴みながら、蒼い瞳でじっと見つめてくる新一に苦笑が漏れる。
 いつも、キッドが目を閉じるまでは新一は眠ろうとしなかった。
 キッドは不意にその手を新一の目に覆い被せるように乗せる。


「…?なに、快斗?」

「………たまには熟睡しろよ。俺なら心配いらない…」

「え?なに…」

「眠れ」


 パチンと指を鳴らすと、新一の瞼はかたく閉じられていた。
 眠りに堕ちる瞬間に、何かを呟いていたようだけれど、それが何かはわからない。
 彼はすでに深い眠りの中だ。
 けれどその手はしっかりと、キッドの袖を掴んでいる。
 キッドの口からは悲痛の笑みがこぼれる。


「はは……名探偵。…いや、新一。あなたはどこまで私を………惹きつけるつもりですか……」


 決して手に入らないと理解しながら、それでも惹かれて仕方がないというのに。
 欲しいと願って仕方がないというのに。
 そんなに無防備なところを見せていると、何時奪ってしまうかわかりませんよ………。
 私はどこまでいっても、怪盗なのだから。










 目覚ましが鳴り、深い眠りの底でそれが目覚ましだと気付いた途端、新一は飛び起きた。
 時計を見れば7時10分。
 10分間も目覚ましが鳴りっぱなしだったことに気付く。


「やば………」

「ようやく起きた?新一」

「快斗。起きてたんなら起こしてくれれば良いのに…」

「嫌だね。本当なら一日ベッドに張り付けててやりたいぐらいだぜ、いい加減な休養しかとらない探偵さんにはな」

「仕方ないだろ…」

「………とりあえず、手、そろそろ痛いんだケド?」


 キッドが腕を軽く持ち上げれば、新一の腕も一緒に持ち上がった。
 見れば自分の手がしっかりとキッドの手首を握っている。
 新一は弾かれたように手を離すと、耳まで真っ赤な顔になった。
 強く握られすぎて手首の赤くなってしまったキッドは、その手で新一の頭をぽんぽん、と撫でる。


「わかってるよ、お前が事件を途中で放ったり出来ないってことは」

「快斗…」

「だから休憩と睡眠ぐらいはちゃんと取れよ」

「………うん」

「俺が言いたいのはそんだけ。あとは志保ちゃんにしてもらうから……行けよ」


 新一は、ふい、とはずされたキッドの視線がなんとなく気に掛かった。
 いつもなら笑みで行って来いと言ってくれるキッドが、今日はそうじゃなくて。
 けれどたったそれだけのことでどうかしたのかと聞くのは可笑しくて、新一は無言のままベッドから離れた。
 遅れた時間を短縮させるために早々と準備を済ませ、家を出ていく。



 工藤邸から人気がなくなる。
 こんな広い家に、今更だけど、一人で住んでいたのかと思う。
 彼が事件にあれほどまでに没頭するようになったのは、或いは一人の寂しさを紛らわすためだったのかも知れない。
 漏らした先から息が白くなって消えていきそうな雰囲気。
 一種寒々しく見える家の中、右手首に残る痺れるような熱さ。


「あんな強く掴りやがって……」


 痺れているのか痛いのかわからない。
 そしてその中に紛れもなくある愛しさ。

 惹かれたのは、いつ……。
 そんなのはもう忘れた。
 とっくに、怪盗の心は探偵に盗まれたまま。
 自覚もなく奪ってしまうのだから、余計に質が悪い。

 一緒に、近くに、一秒でも長くいるために、勝負を持ちかけた。
 退屈させないと約して名探偵との特別な時間を手に入れた。
 それだけでも良かったのに、心は何処までも欲張りで、それが満たされたのならば次の望みを、と貪欲に求めていく。


「こんなトコにまで来ちまったら……次は何を望むか、知れない……」





 なぁ名探偵。

 あまり俺を喜ばすなよ。

 あまり俺を信用するなよ。

 じゃないと。

 じゃないと………





 俺はお前を、泣かせたくはないんだ………。





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