「あ、う…っ」
意味のない言葉が零れる度に、俺の中のあいつが熱く脈打つ。
光すら見えない暗闇の中、それでもこんなに安心できるのは、抱き締める背中がこの世の誰よりよく知っている男のものだからだ。
大きさ、肌触り、体温、匂い。
全てはこの頭の中に鮮明に記憶されている。
「しんいち…」
耳元で低く囁くその声が堪らない。
目が見えなくなって敏感になったそこに差し込まれた舌が、数ある性感帯の中でも弱い部分を執拗に愛撫している。
湿った音を響かせながら我が物顔で這い回るそれに思わず背を逸らせば、空いた透き間に手を差し込んで、またもや弱い腰から背筋のラインを撫で上げられた。
「んん…っ、…も、しつこい…!」
「いいだろ、一年ぶりなんだから…いや、組織戦で控えてた分を加算したら、一年半ぶりか」
そう言って今にも弾けそうな俺をきつく戒める。
ほとんど悲鳴みたいな声を上げた俺に、けれど快斗は素知らぬ顔で言うのだ。
「まだダメ。まだまだおまえと繋がってたい」
普段はこれ以上ないくらいに甘やかしてくるくせに、快斗はたまに手が付けられないほど我が侭になる。
それをついつい許してしまう俺も俺だが、何もこんな時にならなくたっていいじゃないか、と思う。
でも、そうは思っても、今日も俺は許してしまうのだ。
こいつの我が侭は、俺にはどこまでも甘く、甘い。
「バーロ…これからずっと、一緒にいるんだろ。欲しいのは俺も一緒だ」
「しんいち…」
そうして快斗は違うことなく俺の意志を読み取って、啄むような優しい口づけをくれた。
灼熱に焼かれるようなセックスも快斗となら悪くないが、こうしてお互いの存在を確かめ合うように交わす口づけが、実は結構好きだったりする。
快楽に逸る鼓動を宥めるように繰り返されるキスの合間、いつの間にか意志を持って動き出した指が頸椎を辿って、最も弱い腰のくぼみを触られ、俺は堪らず息を呑んで快斗を締め上げた。
その瞬間、小さな呻きとともに笑い声が零れる。
…人の体で遊びやがって。
お返しとばかりに快斗の弱い首筋、それも動脈の真上に噛み付いてやれば、珍しく快斗の焦ったような喘ぎが聞こえた。
それに満足した俺は歯形の付いた首筋をひと舐めしてから解放してやった。
「やってくれるね…」
「ふん。ヤられてばっかだと思うなよ」
「イッちまったらどーすんだよ」
「そんな早漏野郎に用は――アッ!」
言い終わらぬうちにグッ、と腰を引いた快斗が、容赦なく俺の弱い場所へと打ち付けた。
腹の奥から頸椎を通って脳天を突き抜けるように、言い様のない痺れが駆け抜ける。
逸らした喉仏に噛み付かれ、吸い上げられ、憎まれ口はまたもや意味不明の喘ぎへと変わっていた。
最早遠慮のなくなった快斗はすぐに何も考えられない白濁とした世界へと俺を誘い、自身も同じ場所へ辿り着こうと無我夢中で追い掛ける。
それでも、無意識にも、互いに囁き合う。
――愛してる、と。
とんだ茶番だと、馬鹿げた遊びだと嗤われても構わない。
俺と快斗は知っている。
この思いが本物で、この瞬間が本物なのだと。
「ああ、かいと…!」
「ん、しんいち…!」
乗り上げられた体の奥に熱い迸りを感じながら、二人同時に熱を放った。
* * *
快斗に連れられるままに家を飛び出して、そろそろ一月が経つ。
その間、俺は一切の情報を遮断した。
テレビもラジオも付けないし、もちろんネットもしない。新聞は快斗が取っているが、目の見えない俺に自力でそれを読む術はない。
今世界で何が起き、どうなっているのか、まるまる一ヶ月分の時が俺の中で止まっている。
別に快斗に禁じられたわけではない。
それどころか、快斗は俺を外に出すことに積極的だ。
積極的になれないのはむしろ俺の方なのだ。
父さんはきっと居なくなった俺を捜すだろう。
それも、普通の人なら考えつかないような手段を用いて。
一度死にかけた息子だ。今度はまたいつどこで血まみれになって倒れているとも知れない。
だが、分かっていながら、俺はこの一月、一切の連絡を取らなかった。
快斗とともに居るこの場所は俺にとって世界一安全な場所だ。
たとえるなら、天変地異が起きて世界が海の底に沈んだとしても、快斗なら俺を抱えエベレストにでも飛んで行くに違いない。
俺としては、快斗となら海に沈んで溺れ死んだって構わないが、快斗は命を懸けて俺を守ろうとするだろう。
現に今をこうして生きていられるのは、快斗が守ってくれたからに他ならない。
それでも、父さんは決して認めないだろう。
今にも爆発に呑まれそうだった俺を突き飛ばし、自分が爆風に呑まれながらも俺を庇ったにも関わらず、致命傷は避けられたものの血まみれになって意識を飛ばしてしまった俺を、致命傷を負って仮死状態にまで陥ったために助けることができなかった快斗を、父さんは決して認めない。
あの時あれ以上の何をいったい誰ができたか、そんなことは関係ないのだ。
息子が死にかけた。
その痛みを、苦しみを、辛さを、和らげるための犠牲の羊。
それが――怪盗キッドである黒羽快斗を憎むことなのだ。
だから、父さんとは連絡を取らない。
不肖の息子と、親不孝者と罵られてもいい。
それでも俺は、快斗と居たい。
「なに考えてんの…?」
一年前と少しも変わらない仕草で快斗が髪を撫でている。
既に体も清めたし服も着てしまったけれど、それでも離れがたくて、快斗の胸に顔を埋めるようにして抱かれている。
再会してからの俺たちはずっとこんな感じだ。
まるで離れていた時間を埋め合わせるかのように、少しも離れていられない。
そんな状況で、どうしてこいつ以外のことが考えられるだろう。
だと言うのにこの男ときたら、更にも狭量な言葉でもって俺の心を縛り付けるのだ。
「俺はおまえしか見てないのに、おまえのその目はすぐに浮気するんだから。狡いよな…」
勝手なことをほざく男に軽く顔をしかめる。
「おまえの方こそ、俺に黙ってこそこそ動いてるくせに」
「ああ…別に隠してたわけじゃないんだけど。おまえ、外のことはあんまり知りたくないんだろ?」
「…俺に関わることなら、知っておきたい」
俺が情報を遮断したのは、俺を捜す父さんの名前を聞きたくないからだ。
快斗に頼るためではない。
快斗が俺のために何かをするなら、当然、それを知っておきたかった。
本当に俺の力が必要になれば快斗の方から切り出してくれるだろうが、何よりも俺の意志を優先する彼は、もし俺が「知りたくない」と望めば、それが最後の手段となるまで絶対に口を開かないだろう。
事実、昨夜抱き合った快斗の体に残るぴりぴりと張りつめた僅かな気配を感じ取らなければ、彼の異変に気付けなかったほどだ。
「ちょっとね、組織の残党の動きを見てたんだ。新一も知ってるだろうけど、FBIも動き始めたみたいだから、状況は把握しておいた方がいいと思って」
「ああ。対組織チームのブレインとして、プロジェクトに参加してくれと頼まれたよ」
どうしたい?と尋ねる快斗に、分かり切ったことを聞くなと、彼の腹を肘で小突いた。
一ヶ月前、わざわざ俺のもとにまで尋ねてきたFBIの要請を断ったのは、自分の身の安全を保証できなかったからだ。
だが、あの時とは状況が変わった。
今は快斗がいる。
誰よりも近い思考を持ち、無理難題をやり遂げる力と度胸を持ち、何より、命を預けられるほどに信頼しているこの男さえいれば、怖いものなど何もない。
「でも、どうする? 工藤新一の名前がばれるとまずいだろ?」
快斗としても、俺との仲が引き裂かれると分かっていて、俺の居場所を突き止められるような真似はしない。
怪盗時代に培ったあらゆるスキルを存分に駆使し、細心の注意を払って逃亡生活を送っている。
だが、ひと度世間に姿を見せようものなら、その情報はあっと言う間に父さんのもとへと届いてしまうだろう。
そうなれば、下手をすれば快斗は監獄行きだ。
探偵顔負けの手腕で徹底的に証拠を固めるだろう男を相手に、たとえ法曹界のクイーンと呼ばれた未だ負けなしの敏腕弁護士である蘭の母、妃英理に弁護を頼んだところで、彼女の経歴に初の黒星を付けることになるだけだ。
そんな危険な橋はなるべく渡りたくない、と言うのが快斗の本音だろう。
――でも。
「ただ真実を見つけるのに、何も姿や名前は必要ないんだぜ?」
江戸川コナンと言う架空の人物に成り済ましていた頃に、俺は真に「探偵」と呼ばれる存在がどういうものかを知った。
毛利小五郎を媒介に数え切れない真実を解き明かしてきた日々が、それを克明に知らしめている。
真実は、何ものにも隠されず、ただそこに在る。
それを見つけられる者と見つけられない者がいることは確かだが、大事なのは、それを見つける人間ではない。
見つけられた真実、それこそが大事なのだ。
探偵は、言うなればただその真実に至るまでの道標に過ぎない。
真実はたったひとつでも、道標がひとつとは限らないのだから。
「快斗。ひとつ、頼みがあるんだ」
「…そうくると思った」
くす、と笑った唇が額に押し当てられる。
くすぐったいその感触に、腹の底から笑みが込み上げる。
まるで全身の血が沸騰するかのように、昂揚する心に比例して体が火照る。
そうしてまたひとつ、俺の世界に光が灯った。
視覚とともに失われた多くのものが、快斗が傍にいる時には、変わらずこの手の中にある。
ようやく探偵の顔を取り戻した俺を誰より喜んでくれているのが快斗だと、俺は信じて疑わない。
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