Double
- Second contact -















 快斗が工藤邸に食事を作りに来るようになって数日が経った。
 初めは快斗が阿笠邸に泊まるという週末だけの約束が、来る度に様子見と称して工藤邸を覗くようになり、いつの間にかほぼ毎日工藤邸へと顔を出すようになっている。

 新一にしてみれば有り得ないことだった。
 キッドはもちろん快斗とも馴れ合うつもりはなかったと言うのに、知り合ってしまったばかりか今では家政夫状態だ。
 快斗は無遠慮にも新一のテリトリーに踏み込み、そのまま居着いてしまったのだ。
 しかも困ったことに新一はそれを心底から拒めない。
 快斗と深く関わっていくことでたくさんのリスクを背負い込んでしまうと知りながら、それをも凌駕するわけのわからない感情が新一にそれをさせなかった。
 近くにいればいるほどに魅せられていく、黒羽快斗という男。
 その上なぜか快斗といると灰姫の「声」が少しも聞こえなくなり、ひどかった頭痛もその時ばかりは形を潜めるのだ。
 どんどん傾いていく己の心を知りながらどうすることもできない。

 新一は焦っていた。
 側にある温もりはあまりに暖かすぎる。
 手放さなければと思う反面、嫌だと首を振るどうしようもない己が存在する。

 けれど、そんな過去の誓いと現在とに葛藤する新一に、ひとつの転換期が訪れた。





 街頭や月明かりの届かない薄暗い路地裏も新一にとって何ら苦にならなかった。
 顔の半分を覆い隠してしまいそうなサングラスは、ボタン操作ひとつであらゆる機能を発揮する。
 今は暗闇でも移動しやすいようにと暗視モードに設定されているため、暗闇を自由自在に動き回ることができる。
 怪盗Rが猫≠ニ呼ばれる所以はこれだった。

 新一は今、不法所持者から宝石を奪い返すためRとして仕事に出ている。
 突如として脳裏にその声が響いたのはいつものことで、その宝石が数日後に闇市で売買されることを知った新一は直ぐさま行動に移った。
 Rは怪盗キッドのように予告状を出すような面倒な真似はしないため、好きな時に好きなように動ける。
 ただひとつ注意すべきは不法所持者に対してだけだ。

 左腕のコートの中には細いワイヤーが仕込まれている。
 主に高層ビルからの脱出時に使用されるそれは最大百メートルまで伸ばすことができた。
 腰のホルダーには拳銃――麻酔針が内蔵された特殊な拳銃があり、特殊な形をした尻ポケットには閃光弾や煙幕の類が仕込まれている。
 右足のブーツの中にはもうひとつ殺傷能力の低い小型の拳銃があるが、こちらは滅多に使われることはない。
 あくまで相手に気取られることも血を流すこともなく獲物を狩る。それが猫≠セ。

 けれど、この日の仕事はそう巧くいかなかった。

 所持者はひとり暮らしであるはずが、彼の部屋には予想外に何人もの男がいた。
 どれも新一よりずっと屈強で、それでいて狡賢そうな連中である。
 本来ならこの場は見送って翌日にでも出直すのが利口であっただろう。
 けれど獲物であるはずの宝石が闇市へ搬送されようとしていたためそうも言ってられなくなったのだ。

 新一はすぐに飛び出し、明らかに不利な状況でありながらも見事宝石を奪い取った。
 激怒して追跡してくる男たちを翻弄し、閃光や煙幕を巧みに用いて彼らの目を欺いて。
 そうしてそのしなやかな肢体と冴え渡る頭脳をもって見事追跡を振り切った。
 ……はず、だったのだ。

 左手に仕込んだワイヤーを使って躊躇い無く地上へと飛び降りた新一に、男のひとりが発砲した。
 建物の側面を蹴ることでなんとか弾を避けた新一だったが、逸れた弾は運悪く唯一の命綱であったワイヤーを断ち切ってしまった。
 そして、重力から己を守ってくれるものを失った新一の体は――墜落した。



「……、ぅ…」


 ずきずきとした鈍痛が絶え間なく襲ってくるが、悲鳴を上げる体を叱咤して新一は無理矢理上体を起こした。
 不幸中の幸いか、墜落したのは丈の短い草が群生した芝生だったため、致命傷となる怪我は負わなかったようだ。
 しかし骨折こそないが打撲と擦過傷の度合いは凄まじい。
 特に左膝はズボンも破れ、覗いた素肌は無惨にも裂けている。
 出血の量も目が眩むほどだ。

 けれど新一はさほど気に留めた様子もなくもくもくと応急処置を施した。
 こんな怪我、言ってしまえば慣れている。
 死を覚悟したことも一度や二度ではないが、なぜかその度に運よく――新一は決してそれを幸運とは思わなかったが、誰かの手によって助けられてきた。
 そしてやはり今回もそうであるようで。

 かさっ、と聞こえてきた草を踏みしめる足音は、墜落した新一を追っていた男たちのものとは明らかに違っていた。
 ひとり分の足音と、そしてひどく微弱ではあるけれどもうひとり分の足音。
 ここまで気配を殺せる者もそうそういないだろう。

 新一は僅かに身を固くした。
 全身の毛が逆立つように新一の周りに殺気がみなぎっていく。

 けれど、そこに現れたのは。


「――キッド…?」

「な…っ、R!」


 ふと暗闇の中から姿を現したのは新一のよく知る人物――快斗と、彼を手伝っているという探偵の白馬だった。
 互いの表情に驚愕の色が浮かぶ。
 それもそのはずで、両者が両者ともこんなところに現れるとは思っていなかったのだから仕方ない。
 快斗はあの白い目立つ装束ではなく、暗闇に熔けるような漆黒の装束を纏っていた。


「…こんなところで仲よくお散歩か。」


 突然の登場には驚いた新一だが、すぐその理由に思い当たって口許を笑みに歪めた。
 今夜の獲物は闇市で売買される予定の宝石だ。
 怪盗キッドがそれを嗅ぎ付け、私怨のある組織が関わっていないかと探っていたとしても何ら不思議はない。

 けれど、新一の皮肉に反論してくるだろうと思った白馬は押し黙って新一を凝視したまま動かなかった。
 訝しがってサングラスの奧の瞳をすっと細めた新一だったが。


「黒羽君。彼を車まで運んでくれますか?」

「…OK。」

「――え?」


 次の瞬間、目を瞠っていた。


「なにしやがるっ」

「黙れ。」


 新一が動けないのをいいことに快斗は腹立たしくも軽々と新一を抱き上げると、足が痛むのも無視して暴れた新一を難なく抑え込み、少し離れた場所に駐車していた車へと足早に乗り込んだ。
 三人がそこを去るのと男たちが降りてきたのはほぼ同時だった。
 おそらくふたりに見つかっていなければ新一は間違いなく更なる窮地に立たされていたことだろう。
 それでも新一はふたりに感謝する気になど到底なれなかった。


「…なんのつもりだ。」


 不機嫌を顕わに声を掛けるが、そんな新一を白馬は睨み付けるようにして言う。


「こんな杜撰な応急処置がありますか。歩けなくなりますよ。」


 そのあまりに意外な言葉に新一は二の句が継げなくなった。
 新一がRとしてふたりと接触した日、新一は捨て台詞にこの探偵へと悪辣な言葉を投げつけた。
 当然、新一の言葉にあれほど激昂していた白馬がそれを忘れているはずがない。
 だと、いうのに。


「…あなたもやはり、命の危険な使命をもってるんですね。」


 そんな顔で、そんなことを言うものだから。


「…この、お人好し…っ」


 新一は自分の顔が歪んでいくのを感じた。
 唇をきつく噛みしめて喉元をせり上がってくる何かをぐっと堪える。
 今口を開けば己にとってよからぬことを言ってしまうのは明白だった。

 白馬は快斗のことを言っているのだ。
 快斗が何のためにわざわざ危険の中へと飛び込むのか、その理由を知っているのだろう。
 永遠を望む愚者どもが求めて止まない灰姫を壊すため、敵対している組織を壊滅させるため、そして――父親を奪った憎い仇を潰す、ため。
 自らに課したその使命を果たすためならどれほどの危険がつきまとおうが快斗は諦めない。
 たとえそれが己の命をも脅かすものだとしても……

 新一が黙り込んでしまうと白馬はダッシュボードから救急箱のようなものを取り出し、断わりもなしに治療をしていった。
 免許など持っているはずもないのに快斗は当然のように運転している。
 剥き出しになった左膝に消毒液が染みこんできたけれど、それよりもなぜか心臓が疼くような錯覚に陥る。
 新一は不意に治療を続ける白馬の腕を掴んで止めた。
 白馬が迷惑そうに顔を上げる。
 新一が言った。


「俺はRであることをやめることはできない。死ぬまで、このままだ。」

「死ぬまで…?」

「こんな怪我、日常茶飯事なんだよ。もう痛みも感じない。それがどういうことか判るだろ?
 いつ死んでもおかしくない。死ぬほどの傷にも何も感じない。死ぬことが怖いと、思えない…」


 別に、背負った重荷を嘆くつもりはない。
 きっとそれは自分にしかできないことで、だからこそこうして生まれてきたのだ。
 新一はその全てを受け入れる。
 運命を、灰姫を、宝石たちを、そして――死でさえも。


「けど、お前は違うだろ――怪盗キッド。お前は独りじゃない。待ってる家族も友人もいる。支えてくれる仲間だっているじゃないか。
 姫に関わろうとするな。俺にも構うな。自分から危険に飛び込むような真似はやめろ。」


 手を取られたきり白馬は探るような視線を向けてくる。
 それもそのはずだろう。
 この間は勝手にしろなどと言いながら、今は関わるなと牽制している。
 言っていることが支離滅裂だ。
 新一だとて判ってる。よく、判ってる。
 判っているけど――仕方ないじゃないか。

 ただ、なんとしても守りたいだけ。

 けれど快斗は振り返りもせずに拒絶の言葉を投げつける。


「悪いけど、諦める気はねぇよ。」


 新一は緩く口許を綻ばせただけでそれ以上は言わなかった。
 聞き入れてもらえないことなど初めから判っている。
 それでも、どうしても、これだけは新一も譲れないから。


「あんた…白馬探偵だっけ。この間は悪かったな。それに治療も。」

「え?」

「あの言葉は嘘だ。俺はキッドを死なせたくない。バケモノになんかしたくない。だから、関わって欲しくない。」

「…R?」

「お前らは勝手にしたらいい。だから俺も…勝手に守らせてもらう。」


 予想もしなかった言葉が出たからだろう、バックミラーに映る快斗の目が僅かに見開かれている。
 目の前も白馬も同様だ。
 新一はくすりと笑みを零した。


「無茶すんなよ、キッド。…大事な命だろ?」


 後ろ手に掴んだ扉のレバーを押し、走行中の車から飛び出した。
 生憎きちんと閉めてやる余裕はなかったけれど、これ以上あの車に乗っているわけにはいかない。
 正体がばれることももちろん頂けないのだが、それよりいつ己を追ってあの男≠ェ現れるか判らない。
 組織に雇われたあの男はもう何年も前からRを追い続けている。
 既にRが日本にいるという情報は掴んでいるに違いない。

 新一は左膝を庇って道路を転がると、怪我をしているとはとても思えない身軽な動きでその場から姿を消した。





 Rが車を飛び出した後、快斗は大急ぎで急ブレーキをかけた。
 タイヤが耳障りな音を響かせながら急停車する。
 慌てて振り返るがそこにRの姿はなく、後部座席に座っていた白馬が急ブレーキに耐えきれず体を前のシートにぶつけていた。

 周囲に目を凝らしてみても、夜遅いこともあって人の姿はひとつとして見えない。
 それでも快斗は車から降りると目を凝らすようにして必死に探した。
 開けっ放しでは危ないと白馬がドアを閉める。
 快斗はたった今Rが残していった言葉を何度も反芻していた。

 ――大事な命だろ?

 似たフレーズをつい最近聞いた。
 否、それだけじゃない。
 その言葉を聞いた瞬間に既視感を感じた。
 耳元を掠めていったあの笑みと声、そして見ている方が切なくなるような表情……

 なぜだか判らないけれど、Rのあの言葉を聞いた瞬間に快斗の脳裏を掠めていったのは、阿笠邸の隣に住んでいる少年――新一だった。
 数日前、快斗の不注意で左手に火傷を負った。
 とは言っても非常に軽度のものだったから大したことはなかったのだけれど、それでもあの時の新一もまるで自分自身のことのように辛そうな顔をしていた。

 そして今、危険な真似はするなと忠告してきたRを拒んだというのに。
 Rはそれでも笑った。
 それはまるであの瞬間の新一のように、笑っているのか泣いているのか判らない曖昧な笑顔を連想させた。
 新一と似たような笑みで、新一と似たようなことを言う。

 不意に快斗の中にある疑問が浮かぶ。
 そんなはずがないと思おうとして、己にはそれを否定するだけの材料がないことに気付く。
 それどころか、考えれば考えるほどその疑問が確信に変わっていくのだ。

 いつまで待っても戻ってこない快斗に痺れを切らしたのか、白馬が小さく黒羽君、と声を掛けてくる。
 けれど快斗は動くことができなかった。
 天才と言われた頭脳が恨めしいほどに目まぐるしく働いている。


(新一…お前なのか…?)


 怪盗Rと工藤新一。
 ふたりが同一人物ではないのかという疑問は、確実に快斗の中で強い確信へと変わっていった。





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新一は頭がいい。だけどそれに劣らず快斗も頭がいい。
新一があーだこーだ悩んでる分、ぼろが出る。
そーなると快斗にはやっぱりバレるんじゃないかなー、と。
展開が急だって?涙
でもサクサク進まないと面白くないかと思って…!てゆーか私がつまらなk…!(自主規制/笑)