宮庭佳人





 やると明言した通り、佐藤は二日後には見事に宮廷近衛兵の異動をやってのけた。阿笠はもともとの性格のためかなり心苦しそうではあったが、標的が下町出身者に限定されていることもあり、普段より彼らとともにいることでどうにか警戒を続けているようだった。
 そして、白馬はと言うと。
「白馬さま、今日はどちらに?」
「咲浦の港まで」
「ああ、例の貿易の…」
 手元の手帳になにやら書き込みながらふむふむと頷く青年、小林芳雄に、白馬は心中の複雑さなど一切見せずに「そうです」と頷いた。ちなみにこの小林青年はお茶汲みから書類の代筆までこなす、白馬の優秀な副官である。
「でも、港の男は気性が荒いと有名ですし、気をつけて下さいよ」
「大丈夫ですよ。彼らの要望を聞きに出向くのだし、それに…」
 ちら、と部屋の片隅へと視線を送る。それに気付いた小林が同じく視線を送る。二人の視線に気付いたらしい人物は、けれど眉ひとつ動かさずに直立不動で部屋の隅に佇んでいる。
「…用心棒殿も、いらっしゃいますしね」
 思わず漏れそうになるため息を寸ででかみ殺し、白馬はさっさと上着を羽織った。
 皇帝陛下付きの宮廷舞師である新一が白馬の用心棒となって今日で一週間。初めはなんのために用心棒などと言い出したのか見当もつかなかった白馬だが、こうも毎日あちらへこちらへと出向かされれば嫌でも気付く。
 この舞師は政務官である白馬をダシに、行く先々で行方を眩ましては、独自に調査を行っているらしいのだ。
 らしい、と言うのは、何を尋ねても彼はまともに答えない上に、どれほど注意していてもいつも気付いたら視界から消えているからだ。そして暫くすると何事もなかったかのようにひっそりと傍らに控えている。それだけで、この少年が見た目通りのただの舞師でないと言う証拠には十分だった。
 しかし何より腑に落ちないのは、この舞師がやたらと朝廷の内情に精通しているということだ。この連日、白馬は全て彼の指示によって様々な場所へ出向かされているのだが、いくらなんでも仕事に関わりないことで職場を抜けるわけにはいかないと言った白馬を、彼は軽く一蹴した。
 曰く、
「全て朝廷に提出されている陳情書に基づく外交ですから、問題ありません」
 確かに、これらの書状は全て朝廷に提出されていた。しかも多くは下町関連のものばかりで、あまり下町と関わり合いになりたくないと言う理由から先送りにされてきたものばかりだった。行政府の中でも総務省に務める白馬は、普段は執務室に籠もって政務処理に没頭しているのだが、嫌な仕事をやってくれると言うのなら喜んでとばかりに、訝るどころか仕舞いには仕事を押しつけられる始末。今ではすっかり外務官と呼ばれても遜色ないほどだった。
 次から次へと指定される場所と、それに基づく陳情書。これらの情報を彼はいったいどこから入手しているのか、一度ならず疑問を口にしたことのある白馬だが、彼はただの一度もその問いに答えてくれることはなかった。
 はっきり言って怪しすぎる。けれど、陛下が「彼の言葉は私の言葉である」と申された以上、彼は限りなく黒に近い白なのだ。白馬はただ黙って彼に従う他なかった。
「しっかり白馬さまをお守りするんだぞ、用心棒」
「…御意」
 無表情でこくりと頷く新一を従え、白馬は朝廷を後にした。
 新一は今、白馬と同じ深緑の制服――つまり文官の制服を着ている。朝廷内における新一の立場は用心棒であるが、今回の外交において、新一は白馬の部下として下町に赴くことになっていた。本来なら正しい副官である小林が従うべきなのだが、生憎彼には武道の嗜みがない。大臣にもなれば、文武を兼ねた、言わば上司の護衛も司る副官が宛われるのだが、総務省内における白馬の位はそれほど高くはなかった。とは言え、副官を持つだけでも十分有能と言えるだろう。
 だが、ひとりの護衛もなしに出向くには、下町は朝廷の者にとって危険な場所だった。しかしだからと言って、朝廷の使者が表立って用心棒を連れ歩くわけにもいかない。これが宰相や大臣という高位の官僚、或いは外国との交渉であれば護衛の者を従えるのも当然のことなのだが、今回の交渉はあくまで一政務官によって国内で行われるものである。度を超した警戒は争いの元にしかならない。外交とは極めて繊細な問題なのだ。
 そしてこれらの問題を解決するために雇われたのが、この用心棒だった。
 人相をごまかすためか、新一は帽子を目深に被り、更に顔の半分を布で覆っている。それが用心棒らしさを醸しているからか、それともただ単に彼の身の振り方が巧妙なのか、特別咎められることもなく新一はあっさり白馬の用心棒に成り果せた。ただ、実際に窮地に陥ったとき、この華奢な少年が本当に自分の身を守ってくれるとは、白馬にはとても思えなかったけれど。
 二人は門前に用意された馬車に乗り込み、車夫には「咲浦に向かってくれ」とだけ告げた。
 ゆるく動き出す馬車の中、白馬は無駄と知りながらももう何度目になるか知れない問いを繰り返す。
「それで、今日は港で何をしようと言うんです?」
 けれど、いつも通り黙りを決め込むだろうと思った相手は、予想外に口を開いた。
「今日の交渉は諸外国との貿易についてでしたね。咲浦の港は花処の水脈です。なるべく彼らの要求を受け入れつつも、諸外国に決して弱みを見せないよう、彼らをうまく説得して下さい」
「…僕としても、そのつもりですが」
「なら良かった」
 それきり口を閉ざしてしまった相手に、白馬は顔をしかめた。
「…失礼を承知で申し上げますが、なぜ、宮廷舞師である貴公が政に口を出されるのですか?」
 咲浦より届け出された陳情書は、確かに今までのものとは違い、今後の花処に大きく関わってくるだろう重要なものだった。だからこそ今日の視察では決して気を抜けないと意気込んでいた白馬だ。それを、なぜこの舞師がわざわざ指摘してみせるのか。
 けれど。
「この件の交渉に貴方があたって下さるなら、私が口を出すことは何もありません」
 にこりと愛想笑いを浮かべた相手に、まるで答えになっていない答えであしらわれ、白馬はそれ以上の詮索は諦める他なかった。

 黙り込んだ白馬をちらりと見やり、新一はこっそりと口角を吊り上げる。彼はまだ二十歳と、政務官にしては随分と若いが、やはり新一が思ったとおりの優秀な男だった。
 今、花処國は、皇帝陛下のご病気とお世継ぎ問題という重大な問題を抱えている。辛うじて国外には漏れていないものの、ここで下手な政策を執っては陛下の不調を自ら露呈するようなものだ。そうなれば、今まで築いてきた国家間の均衡を崩すことにもなりかねない。そうさせないためにも、諸外国との貿易に関する交渉には一分の隙もなく当たりたかった。
 その点、新一はこの年若い政務官の能力を買っていた。若さ故もあるのだろうが、彼は周囲の言葉に惑わされず、自分の中の正義を貫き通す実直さを持っている。下町との諍いで眼の曇った頭の固い連中より、曇りのない眼で何が国のためになるかを見定めることができるだろう。
 皇帝陛下が表に出ることのできない今、新一は宮廷を騒がせる賊を捕らえる一方で、陛下の周囲をより優秀で信頼のおける人員で固めなければならなかった。所詮は一介の舞師でしかない新一が自分で動ける範囲は思いの外狭い。それゆえ、こんなまどろっこしいまねをしているのだ。
 馬車はやがて都を抜け、都と下町を繋ぐ一本の石道にさしかかった。延々と続く石道はところどころ舗装が剥がれていたが、都と下町の繋がりに心を割く者がいないように、この道を整備しようなどと言う者は都にも下町にもいない。それは、かつて自分が閉じこめられていた、あの神の庭の離れへと続く道を思い起こさせた。
 色とりどりの花々が咲き誇る、神の慈愛に満ちたあの美しい庭園の最奥。道も橋もきっちりと舗装された中、ぽつりぽつりと気持ち程度に並ぶ形も大きさも不揃いな石で作られた、道と呼ぶのも謀れるような粗末な道。その道を歩く度、自分の中の何かが死んでいくような気がした。花も咲かないその砂利道は、まるで色とりどりの世界から切り離された、色あせた黒白の世界のようで。簡素な部屋よりも、独りきりの食事よりも、そんなどうでもいい些細なことがどれほどこの心を傷つけただろう。
 さびれた道を馬車の窓から見下ろしながら、そんなつまらないことを考えていた新一は、つい十日ほど前に出逢った少年のことをふと思い出した。
 宮廷で皇子を襲った賊を追ってこんな場所まで来てしまった新一の視界に不意に割り込んできた人影。今思えば、刀傷による発熱のせいもあったのだろう。ただ、その人影が、新一にはなぜかほんの刹那、かつて自分を神の庭から救い上げて下さった皇帝陛下の姿とだぶって見えたのだ。
 流れる雲に隠されていた月がゆらりと姿を現し、遮られていた光が煌々と降り注ぐ。その月光に浮かび上がった姿に、新一は束の間、呼吸を忘れた。
 この寂れた石道で仄白い月明かりを背負うその姿は、いつかの夜、純白の衣を纏いあの粗末な砂利道に立っていた皇帝陛下の御姿を思い起こさせた。
 その瞬間、身体を走り抜けた何か。
 だが幻に囚われたのも一瞬で、すぐに我に返った新一は、どこか恐怖にも似たわけのわからない衝動に突き動かされるがまま彼へと襲いかかった。
 それは、ぎしりと、錆び付いていた何かが動き出す感覚に似ていた。重く悲鳴を上げながら、それでも抗いようのない何か大きな力に引きずられるように動き出したもの。
 それに名前をつけるとすれば、それは――…
「着きましたよ」
 はっと振り向けば、怪訝そうな白馬の顔。気付けば石道など疾うに通り抜け、馬車は咲浦の港へと停車していた。
 用心棒より先んじて下車する主人などそういない。新一は素早く下車した。
 何か言いたそうな白馬はあえて気付かぬ振りで、新一は初めて見る港町をぐるりと見渡す。
 港には大小の船がずらりと並んでいた。石造りの防波堤には舫綱が伸び、入港したばかりの貿易船の船首が積み荷の振り分けを手際よく船員たちに指示している。たゆたう波にゆらゆらと揺れ動く船の上では、慣れた男たちがふらつくことなく積み荷を積み込んだり降ろしたりと大忙しだ。処狭しと並んだ倉庫は木箱で埋め尽くされ、いっそ慌ただしいくらいの忙しなさで行ったり来たりを繰り返す。海の男たちは皆揃って色黒で、なるほど、空から照りつける陽光は水面に反射して倍の強さで男たちの肌を焼いているのだろうと思わせた。
 ここは活気に溢れていた。
 文官のような品格も武官のような厳格さも欠片もないが、ここにそんなものは必要ない。働けば働いた分だけ金になるという、非常に明解な仕組みのもと、誰もが生きるためにせっせと働いている。
 飛び交う罵声、揶揄、怒号、笑い。都の連中が聞けば「うるさい」のひと言で切り捨ててしまいそうなものも、新一にとっては何もかもが新鮮で、とても興味深かった。ここには宮廷書庫の資料でしか見たことのない世界が広がっている。長い月日を外界から隔離されていたためか、或いは元来の性質か、新一は非常に好奇心旺盛だった。だが、そう浮かれてばかりもいられない。
 朝廷の紋をつけた馬車が停車したことに気付いたらしい迎えの一行が三人、仕事を他の者に預けて駆け寄ってくる。仮にも朝廷の使者に迎えがたったの三人ということにやや憮然としているものの、白馬は不満をそのまま口にするような浅はかな真似はしなかった。
 海の荒くれどもを従える、いかにも強面の壮年男性と、同じ年頃のもうひとりの男性、そしてかなり若いがやはり海の男らしく逞しい体躯に色黒の青年。
 新一は微かに瞠目すると、目を伏せて白馬の背後へと退いた。
 確か名前を服部と言ったか。その青年は、十日前に賊と誤って襲った少年とともにいた白南風の大兄だった。
「どうも、わざわざご足労頂いてすんませんなぁ」
 かっきりした眉に狐のようにつり上がった糸目、そして口元にはひげを生やした強面の男はそう言って手を差し出した。
「この港の船主組合の組合長をしとる、服部平蔵です」
「初めまして。朝廷の使いで参りました、白馬探と申します。彼は部下の工藤です」
「後ろのふたりはそれぞれ漁船と貿易船の船主をまとめとるもんで、こっちが毛利小五郎、こっちが倅の平次いいます」
 どうも、と言って愛想笑いを浮かべながら頭を下げる平次を、白馬の影から新一はそっとのぞき見る。こちらとしては彼にそれほど悪い印象を持っていないのだが、彼にしてみれば新一への第一印象は最悪だろう。なにせ、彼らの大事な頭領に正面切って喧嘩を売ったのだ。面倒なことにならなければいいけれどと、まだこちらに気付いていないらしい平次に新一はこっそりため息した。
「では、早速ですが、港を見て回っても宜しいでしょうか?今日はあくまで視察と言うことで、実際に現場を見た上で、あなた方から頂いた陳情書について検討したいと思います」
「もちろん、構いませんよ。こちらとしてもそのつもりですわ」
 平蔵氏はなかなかに食えない人物らしく、あまり腹の内を見せない顔でにっこりと笑った。
 もっと低脳な連中が出てくるかと思っていたが、案外に朝廷の使者を警戒していたらしい。これではまだ若輩の白馬ではやや荷が重いかも知れないと思う新一だったが、だからと言って新一が唯一有能と認めている男――陛下の右腕である宰相閣下をこのような場所まで引っ張り出すわけにもいかないのだから、頭ばかりの無能な古参連中よりは、やはり若くとも白馬を使った方がまだ有益だろうと思い直した。
「まずは貿易港から案内しましょか」
「今朝入港した船が五隻もあってなぁ。ちょっと慌ただしいけど堪忍してや!」
 ニカッ、と白い歯を見せながら笑う平次に先導され、その後に平蔵、小五郎、白馬、新一、と続いた。
 港の現状はもちろん朝廷に報告されているし、交渉前の予備知識として資料にも目を通し、頭に叩き込んできた新一だが、それでも資料を読むのと実際に見るのとでは多かれ少なかれ差違がある。まさに一見は十聞に如かず、だ。案内の合間に簡単な説明をいれる平次に、いちいち「なるほど」と頷きたくなる。
「現在はケスタドールとの貿易が最も盛んだと聞いておりますが」
「せや。あそこはあらゆる文化の集大成やからな。花処の独特な工芸品は、物珍しさもあるんやろけど、一番の売れ筋らしいわ」
 だからこそ、ケスタドールとの貿易に現在若干の摩擦が起こっているのだ。
 この数年、花処國は大幅な貿易黒字を続けている。これだけ聞くと国の財政状況がよくなるのだから構わないではないか、と思う者もいるだろうが、これは非常に複雑かつ深刻な問題だった。他国と直接関わりを持つ貿易の場において、あるひとつの国が利益を独占することは国と国との均衡を崩すも同じことなのだ。当然、黒字に見合うだけの輸入をしろと、他国からは不満の声が挙がる。しかし、花処國は人口十万にも満たない小国であるため、下手に輸入を拡大しても需要と供給の釣り合いが取れないのだ。これらの問題を解決するため、朝廷でも輸出税を下げたり輸入税を上げたりといろいろ手を尽くしてはみたのだが、そうすると今度は個人による貿易が難しくなる。今はまだ膠着状態が続いているが、この件はなるべく早急に解決しなければならないと新一も思っていた。
「とにかく今は、私らの船主組合が咲浦での貿易全てを仕切っとります。おかげで高い関税にもなんとか耐えてるわけですが…」
「あいつら、ちょっと甘い顔したらすぅぐ調子に乗りおんねん」
「漁船で獲った魚も結局は組合を通らにゃ運べないからな。これ以上無茶な関税かけられたら、咲浦の港で働く者全員失業ってことにもなりかねねえ」
「…確かに、現在朝廷で定められている関税は、船主組合という大きな門をかかげてようやく通るというものですからね。個人での貿易などとても成り立たないでしょう」
「せやろ。港の連中にはいい加減朝廷に不満を隠せないモンも出てきとるしなぁ」
 そう言った平次の後頭部に、平蔵の容赦ない拳が炸裂する。「朝廷の使者さんの前で、失礼やろ」という平蔵に、白馬は苦笑いだ。まあ確かに失礼な話ではあるが、こうまであけすけに言われると怒る気にもならない、と言ったところだろう。そういう意味では、平次は実に不思議な雰囲気を持った男だった。
「まあまあ、平蔵さん。じゃあ、次は漁港を案内しますよ」
 その場を取り持つように小五郎が進み出た。まだやいやい言っている服部親子の後に白馬と新一も続く。先刻から度々ちらと振り返る白馬にはもちろん気付いていたが、新一はただひっそりと最後尾を歩いた。
 いつも気付けば消えている用心棒がまだいるかを確認したのだろうが、生憎今日は初めから消える気などないのだ。この視察が終わった後、それこそが新一の目的なのだから。





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