宮庭佳人





 小五郎の案内のもと、新一たちは午後五時頃には港を回り終えた。
 朝廷との関わりが薄い割に、新一や白馬が思う以上に咲浦の港は非常によく機能しており、二人は感心した。きっちりと整備された防波堤、個人に合った無理のない仕事の振り分け、ここで働く者から取引先、ここ数十年分の売り上げまでよく管理されている。平蔵の能力はもちろん、ここで働く者ひとりひとりの協力がなければこうはいかないだろう。様相こそ違うが、ここでは朝廷さながらの組織的機能がきちんと成り立っているのだ。
「さすがは花処の誇る港ですね」
「せやろ!俺らはみんなこの仕事に自信と誇りを持っとんねん」
 どうやらなかなかに馬の合うらしい白馬と平次は、年が近いということもあってすっかり馴染んでいた。何より礼節を重んじる都で生まれ育った白馬と、都の者、特に朝廷の人間に対してあまりいい感情を持っていない下町暮らしの彼らでは、下手をすれば衝突を起こしかねないと警戒していたのだが、どうやら新一の杞憂で済みそうだ。
「私たちが助力することで、この港は更なる発展を遂げてくれるでしょう」
「お?ちゅーことは…」
「ええ。朝廷は、責任を持って此度の件を引き受けたく存じます。ついてはあなた方にも咲浦の代表として朝廷会議に参加して頂きたいのですが」
 不意に改まった口調で丁寧に礼をしてみせた白馬に、平次は一も二もなくぶんぶんと首を縦に振った。
「もっちろんや!会議でもなんでも任しとき!」
 すると、再び平次の後頭部に拳が飛んできた。無礼な息子に変わり、平蔵が「宜しくお願いします」と言って頭を下げる。何やら恨みがましい目で平蔵を睨む平次を、白馬は込み上げる笑いを堪えながら見ていた。
 その様子を白馬の背後でひっそりと眺めていた新一は、不思議な男だなと思った。
 今までにもこうして身分を偽って朝廷と下町の交渉を見てきた新一だが、下町の人間は決まってふたつの人種に分かれるのだ。朝廷の人間にあからさまな嫌悪を抱く連中か、或いは利益のために仕方なく腰を折る連中か。
 だが、この服部平次という男はそのどちらにも属さなかった。
 気に入らないことははっきり気に入らないと言うかと思えば、まるで旧知の友人のように屈託なく話しかけてくる。都だの下町だの、そんなしがらみなどまるで知らぬとでも言いたげに。だが、先日偶然世話になった時の様子を思い起こせば、都の人間に対して無条件で寛容になれるというわけでもないのだろう。つまり彼は両者のしがらみを理解した上で、それに囚われずに人と付き合えるということだ。簡単に見えるが誰にでもできることではない。
(礼節に関しちゃ大いに難有りだが、こういう人材が朝廷にももっと欲しいもんだ)
 頭の凝り固まった朝廷の古参連中を思い浮かべ、新一はなんとも苦い表情になった。
 そうこうする内に話がまとまり、そろそろ暇を告げようかという時、平蔵がひとつ提案を出した。
「ほな話もまとまったことやし、一緒にご夕食でも如何ですか、白馬さん」
「いえ、そこまでお世話になるわけには…」
「遠慮せんといて下さい。わざわざご足労頂いたお礼ですわ」
「せや、せや。俺ら下町のもんは何より繋がりを大事にするんや。晩飯をご馳走するんはここでの礼儀みたいなもんやねん」
 せっかくの御縁や、遠慮せんと食うて行き!
 強引な誘いに戸惑う白馬を余所に、新一はくいと口角を吊り上げる。そう、他でもない、これこそが新一の狙いだったのだ。
 新一はもちろん、この視察の後に彼らが自分たちを夕食に誘うことを予期していた。訪れたことがなくとも、下町の人々の習慣は書物が語っていたし、下町を訪れたことがある官僚たちの報告書にも度々そのようなことが書かれていた。しかも今回の視察は初めから彼らの要望を受け入れるつもりで来ていたのだから、要望の通った彼らが朝廷の使者を食事に誘うことは、新一の組み立てた計画の中では既に決定事項だったのだ。
「このお誘い、受けて下さい」
「!」
 白馬にだけ聞こえるよう、新一はぼそりと耳元に囁く。それだけで新一が何か企んでいるらしいと気付いた白馬は、やや不審がりながらも、
「…分かりました。では、部下ともども、ご馳走にならせて頂きます」
 と言って彼らに頭を下げたのだった。



 それから一行は港から花街へと場所を移した。
 花街と言えば歌と踊りで癒してくれる芸妓や娼妓、と言う印象が強いが、別に娼館ばかりが立ち並ぶわけではなく、輸入物の衣類を格安で売っている店や女性向けの小物を扱っている店、持ち歩きながら店先を冷やかせるような、飲茶のような軽食を売っている店も多い。平次などは娼館や妓楼にしけこむよりも、こうして食べ歩く方が意外に好きなのだそうだ。
「そうは言うても、大事な客を食べ歩かすわけにもいかんからな」
 どうやら花街一と言われる妓楼に連れて行ってくれるらしい。
 根っからの都育ちである白馬は「妓楼」というものにかなりの抵抗を感じていたのだが、平次のみならず小五郎や平蔵まで「大丈夫」との太鼓判を押してくれた。
「妓楼言うたかて、ソウユウことする店とちゃうねん。俺らにしたらちょっと品がよすぎるくらいやけど、あんたら朝廷の人にはちょうどええんちゃうかなぁ」
「宮廷でも、賓客をもてなすために楽師や舞師を呼ぶことがありますやろ?あそこはそういう店なんですわ」
「しかも料理は逸品、給仕も美女ぞろい!なにより、そこの主人がもう、この世のものとは思えねえくらいの美人なんだ!」
 何やら思い出しているらしい小五郎が締まりのない口元に不気味な笑みを浮かべている。そんな小五郎にも慣れたものらしい二人は無視を決め込んでいるが、白馬は引き笑いを浮かべながら彼から少し距離を取った。
 そんな彼らを横目に、新一は深く被った帽子の奥から花街を見渡している。
 右へ左へ、流れていく人の波。それは都の市中通りに見られる人の流れに似ていたけれど、そこよりもずっと多くの人で賑わっている。元来人混みの苦手な新一だが、その雰囲気はそんな彼をも楽しませてくれた。
 色鮮やかな衣装を纏い、客の目を引いているのは夜の華、花街の美姫たち。彼女たちの衣装には桜や梅、菊や桃など、思い思いの華が描かれている。綺麗に結い上げられた髪は白く細い項を惜しげもなく晒し、仄かな香りが夢幻の世へと男たちを甘く誘っている。
 そうかと思えば、店先に構えた屋台から流れてくる魚や肉の焼ける芳ばしい香りが鼻孔をくすぐった。通りにはみ出るほどの行列ができる店もあれば、そんな喧騒など知らぬ気にひっそりと佇む店もある。
 更に進めば、喧騒の中、胡弓が奏でる幽玄の音楽がどこからともなく聞こえてきた。その音に乗り、まだ幼い少女の、けれどしっかりとした歌声が響いている。
 新一は静かに目を閉じた。目を閉じ、この光景を深く記憶の中に刻み込む。
 今回の下町訪問はもちろん、陛下の命である賊探しと貿易に関する視察が目的だった。
 今、新一の手元にある手札は二枚。ひとつは賊が宮廷内の誰かと内通しているらしいということ、そしてもうひとつは実行犯である賊は宮廷及び朝廷の人間ではないということだった。
 先日新一を襲った賊は、都の近衛兵が使う刀とは異なった獲物を持っていた。直刃を好む都にはない、大きく弓なりに刀身が反った刀。資料でしか知らないが、あれは下町で好んで使われるものだ。よもや皇子を狙おうという賊を相手に、それだけを理由に「賊は下町の人間だ」と決めつけるほど浅薄ではないが、新一がそう考えるにはもうひとつ別の理由があった。
 それは、賊の動き。
 都に務める近衛兵は皆、上官により厳しい武術と剣術を叩き込まれる。骨の髄まで叩き込まれたそれはどんなに誤魔化そうとしてもどこかに必ず癖が現れるものだ。だが、あの賊にはその癖がなかった。つまり、賊は下町の人間と見て間違いないだろう。不可能なものを取り除き、残ったものこそが真実。だからこそ新一は連日下町へと探りに出ていたのだ。あっさり宮廷内まで侵入しておきながらこんなボロを見せるあたり、あまり緻密性のない計画頼みの犯行とも言えるだろう。
 だが、それとは別に、書物や文献でしか知ることのない世界を、新一はその目で見てみたかったのだ。
 港も花街も、今回のようなことがなければ一生訪れることのない場所だ。できることなら皇帝陛下の側から一時も離れたくはないし、考えたくもないが、陛下が今生での大任を全うされた暁には、自分もまた人知れず陛下の後を追いたいと新一は思っている。もちろんそんなことは志保が許さないだろうし、陛下も望まないのだろう。けれど、唯一自分を受け入れてくれた陛下が亡くなれば、新一はまたあの神の庭の離れに幽閉されるのだ。そうなれば、この先新一が「外の世界」を見る機会など皆無である。たとえ神の庭を抜け出したところで、陛下のいない世界に新一の居場所はどこにもなかった。
「ここや、ここや!」
 と、どうやら目的地に着いたらしい平次がにわかに騒ぐ。
 漆黒に塗られた横長の木に深紅の文字で「紅梅楼」と書かれた看板。入り口には左右に二本の柱が立ち、どちらも深紅の下地に金や黒で細やかな装飾が描かれている。ぽつぽつと灯る電飾はおそらくケスタドールから輸入されたものだろう、異国風でありながら、それでいて雰囲気を壊すことなくひっそりと「紅梅楼」の文字を照らしている。それは華美になりすぎないまでも、しっかりとその存在を主張していた。
 なるほど、確かにこの雰囲気は、華やかさの中にも品格と厳格を求める都の人間向けと言えるだろう。新一は看板を見上げ、心中で緩く頷いた。
 新一がこの一週間探していたのは、下町と都の人間が最も自然に接触できる場所だった。
 下町の人間が都に来るととにかく目立つが、都の人間が下町に行くことはそれほど不自然なことではない。なにせ「お役目」という大義名分があるのだ。彼らは時にその大義名分を理由に、羽目を外しに下町まで足を伸ばす。
 だが、いくら羽目を外すと言っても限界がある。人の口に戸は立てられぬと言うように、下手な噂が立っては自らの首を絞めかねない。だからこそそういう者たちが来てもおかしくない、更に言うなら誰に姿を見られても困らない決まった場所があると新一は踏んでいた。
 そうして見つけたのが――「紅梅楼」という名の妓楼。
 先導して入っていく平次に続き、新一も紅梅楼の門を潜った。
「いらっしゃいませ」
 戸口に控えて客の来訪を待っていた給仕の女性がおっとりとした動作で深々と頭を下げる。「紅梅楼」との名の通りここでは梅が重宝されているのか、彼女の衣装にも梅の花が美しく咲いていた。
「よお、お客連れてきたで。和葉か主人、いてへん?」
 と、やって来た客が馴染みの青年だと気付くと、彼女はぱっと花が咲いたように顔を綻ばせた。
「あら、平次さんのお客やったん。平蔵さんや毛利さんまで…」
「やっ、どもども、千賀鈴ちゃん♪」
「すまんなぁ。今日は都からのお客を連れて来てんのや。わしら入れて五人席、用意してもらえるやろか?」
「ええ、そらもちろん」
 ころころと愛想良く笑う彼女――千賀鈴は、すぐ後ろに控えていた少女に二言三言告げると、丁寧な仕草で急ぐわけでもなく平次たちを先導した。
「主人は今ケスタドールからの賓客をもてなしてはるし、和葉さんもそちらの席に出てはるわ。呼んだ方がよろしおすか?」
「はあ?大丈夫かいな、そんな大事な席に和葉なんか引っ張り込んで」
「何言うてますの。和葉さんは紅梅楼一の舞姫なんよ」
「舞姫なんてガラとちゃうやろ…」
 いつも好き放題に振り回してくれる幼馴染みの姿を思い起こし、平次はうんざりとため息を吐く。
「まぁええわ。手ぇ空いとったら酌でもさせたろ思ってんけど、客がおるんやったらしゃあないな」
「うちで宜しければお酌ぐらいさせてもらいますけど」
 途端に、いいねぇ、千賀鈴ちゃんのお酌!と小五郎のはしゃいだ声が挙がった。
 宴席用の大広間を通り過ぎれば、襖の向こうから胡弓の静かな音楽と緩やかな歌声が聞こえてくる。さすがにこの雰囲気の中馬鹿騒ぎする者はいないのだろう。
 彼らは店の奥にある五人掛けの円卓が備え付けられた個室へと案内された。
「窮屈ですみませんけど、今、個室はここしか空きがないんどす。この時期は外国からのお客さんも多くてなぁ。この部屋だけはいつも平次さんと頭領のために空けとるんやけど」
「構へん、構へん。ちょうど五人や、うまい酒とうまい飯が食えれば文句あれへん!」
 なぁ、とすっかり雰囲気に呑まれている白馬に平次が親しげに声を掛ける。勝手の全くわからない白馬は曖昧な笑みを浮かべながらも頷きを返した。
 新一は、唐突に千賀鈴の口から発せられた「頭領」の名称にどきりとしつつも、何事もなかったかのように勧められた席に腰を落ち着けた。さすがの新一も、まさかここが白南風の頭領や大兄の行きつけの妓楼だとは知らなかった。
 給仕の少女たちによって料理と酒が次々と運ばれてくる。港で取れた活魚を捌いた魚料理から、鳥や牛の肉を使った肉料理まで、今が旬の食材をふんだんに使った料理はとても豪勢だ。酒も地元でも有名な酒造が作った逸品で、すっきりとした飲み心地がこれらの料理と非常によく合う。
 円卓はたちまちいっぱいになった。こんなに食べられるのかと思わず心配になる白馬だが、慣れた海の男たちは早速とばかりに箸を進めていった。
 半刻もすれば、宴席も随分と盛り上がりを見せていた。
 白馬が少し突っ込んだ政治的な話題を振っても、頭の回転が速いらしい平蔵や平次は難なく受け答えを返す。打てば響くような会話が新鮮なのか、白馬は料理よりも二人を相手にする会話の方が余程楽しそうだ。
 難しい話題が苦手らしい小五郎は延々と千賀鈴に話を振り続け、慣れた彼女も嫌な顔ひとつせずに終始笑顔で彼の話に耳を傾けている。千賀鈴に勧められるまま盃を煽る小五郎はひとり顔を真っ赤にして既に微酔い状態だが、同じだけ呑んでいるはずの平次と平蔵は余程の酒豪なのか、酔いなどまるで感じさせない顔で料理を楽しんでいた。宴席も任務の一端だと考えている白馬は自制しつつも、軽く顔を染めている。
 そして、新一はと言うと。
 やはり礼儀として勧められれば酌を受けるし、盃を空ける度にその頬に朱が差していくけれど、その理知的な瞳に酒による揺らぎは一切見られなかった。
 新一は特別酒に強いと言うわけではない。しかし、仕事中に酒に飲まれるような馬鹿でもない。
 新一は、たとえば眠っている時でさえ、あらゆる危機に対応できるよう感覚の一部を全開にすることのできる、ある特殊な人種だった。
「…すみません、少し酔いが回ってしまったようです。夜風にあたってきても宜しいでしょうか」
 遠慮がちに掛けられた声に、酒瓶を片手に持った千賀鈴は申し訳なさそうに頷いた。
「そら気ぃつかんとすみませんでした。縁側までご案内しましょか」
「いいえ。どうぞお気になさらず、皆様にお酌して差し上げて下さい」
 すみません、と一言その場にいる者に断りを入れ、新一は部屋を後にする。その背中を白馬は眉をひそめながらじっと見つめていた。
 もちろん「酔った」なんて言葉をそのまま鵜呑みにするつもりはない。どこで何をする気か知らないが、いつもの「調査」に向かったのだろう。本当なら今すぐ追いかけて尋問したいところだが、残念ながら白馬にはそうする権利も資格もなかった。ここで下手に動いて彼らの反感を買い、今回の交渉が決裂してしまうようなことになっては皇帝陛下に顔向けできない。その上新一の調査を邪魔して賊を野放しにするようなことになっては大問題だ。
 白馬は自分の役目を理解していた。だからこそ今は何も言わずにこの接待を受けることに徹した。
「工藤さん、大丈夫やろか…」
 と、付き添いはいらないと断られたものの、やはりついて行くべきだったかと戸惑う千賀鈴に、平次は「気にすんな」と請け負った。
「本人がええ言うてんねんから、放っといたり」
「せやけど…」
「ほな、そない心配やったら俺が見て来たるから、あんたは客人に酌したってや」
「何言うてんの、平次さんかてお客やないの」
「いつも美味いもん食わしてもろてる礼や」
 言うなり平次は千賀鈴の止める声も無視して部屋を出ていってしまった。
 残された男三人は何となく酔いが冷めてしまったような心地だったが、気を取り直した平蔵が仕切直すように千賀鈴に盃を差し出した。給仕である彼女に気を遣ってのことだろう。
「平次のアホは気にせんとき、千賀鈴さん。むさい親父ばかりですまんが、若い娘が酌してくれるから酒も美味いんや」
「まぁ、平蔵さんたら…静華さんが聞きはったらまた怒られますよ」
「ええんや、あいつは怒っても美人やからな」
 そう言ってくつくつと笑う平蔵に宥められ、千賀鈴は持っていた酒瓶を静かに傾けた。





B / N