宮庭佳人





「――さて」
 椅子にどっかりと腰を落ち着かせた快斗は、豪奢な部屋の内装など気にも留めず、どことなく横柄な態度で新一にも座るよう手で椅子を示した。それが気に障らないでもなかったが、話を進めるために新一は大人しく空いているもう一方の椅子に腰掛けた。
 湯気の立つ茶器から慣れた仕草で茶を煎れながら快斗が言う。
「それで、行政府の参議殿はいったいどんな話を聞かせてくれるんだ?」
 新一はす…と目を細めた。
 参議≠ニは、分かりやすく言えば宰相≠フことである。公的な文書では未だに参議と署名するが、実際には宰相と呼ばれることの方が多く、朝廷に勤める者でも宰相の別称が参議であることを知らない者も多い。それをなぜこの男が知っているのか甚だ疑問だが、徽章を見ただけでなぜ役職まで分かるのかもまた疑問だった。
 そう言えば先ほども、アルバトロス子爵の身なりを見ただけでケスタドールの賓客だと言い当てていた。もしかしたらこの男は朝廷の事情に明るいのかも知れない。だとしたら皇帝陛下のご病気を知っていたことにも頷ける。しかし、それが正しい手段で手に入れた情報でないなら、新一にとっては彼が粛正すべき災いの種であることに変わりなかった。
「誤解がないよう言っておくが、俺は参議でも白馬の部下でもない」
「ま、そりゃそーだろうな。部下に呼び捨てにされる上司ってのも締まらねえ」
 新一は既に先ほど「工藤さま」と白馬から敬称で呼ばれてしまっている。今更隠す意味はないだろう。
 本来なら、ただの宮廷舞師である新一の身分は、白馬や佐藤より低くもなければ高くもない。同等だ。それでも新一の名を呼ぶ時に敬称を付ける者がいるのは、皇帝陛下の寵愛を賜っているがゆえである。宮廷近衛兵である佐藤などにとって、言ってしまえば、新一は護衛すべき側室の方々と変わらない存在なのだ。
 だが、もちろん、白馬はそういう意味で敬称を付けたのではない。皇帝陛下が新一の指示に従えと命じた以上、白馬の実際の上司は新一である。だからこそ彼は大人しく新一の指示に従っているのだ。
 しかし、そこまで馬鹿正直に話してやる義理はない。
「…俺が賊を追っていたのは知っているだろう」
「ああ、俺を賊と勘違いして襲ってくれたおかげで」
 熱い茶をごくりと飲み下しながら、目の前の男は笑いを含んだ声で皮肉めいた言葉を返す。が、新一も負けじとさらりと流した。
「あの時おまえは、陛下の命が狙われたのかと聞いたな」
 新一の前では快斗がついでに煎れた茶が湯気を立てている。透き通ったような白磁に紅梅が描かれたそれは、優れた名匠が拵えた一級品なのだろうが、残念なことにそれに手がつけられることはなさそうだった。
 と、不意に視線を外したかと思うと、快斗は壁に掛けられた獅子の絵をじっと見つめたきり頷きひとつ返さずに黙り込んでしまった。自分から話せと言ってきたくせに、興味があるのかないのか。
 だが、どちらであろうと関係ないと新一は構わず続けた。
「狙われているのは皇帝陛下ではない。皇子殿下だ」
 瞬間、振り向いた快斗の眼差しの烈しさに新一は思わず息を呑んだ。
「…なるほど?つまり、この間の傷はその皇子さんを庇って負った勲章ってわけだ」
 殊更ゆっくりと振り向いた彼はただ静かに視線を投げているだけだと言うのに、その目はまるで彼の向こうに見える獅子のそれに似て、揺らぐことなくこちらを真っ直ぐ射すくめていた。触れれば切れんばかりの危うさはすぐに払拭されたものの、快斗の回りを包む空気はじりじりと新一の腹を刺激する。
 …危険だ。
 この男は何かとんでもないものを身のうちに飼っている。そう、たとえるならまさしく、彼の背後にひっそりと佇むあの獅子のような。
「確か皇帝陛下には正妻がいなかったな。と言うことは、正当な皇位継承者がいないわけだ。まあ順当にいきゃ年長者である皇子が継承すべきなんだろうが、それじゃ他の皇子…その母親が黙っちゃいないだろう。となれば当然、醜い御家騒動になる。そこへ都合よく現れた賊がその騒動と無関係であるはずがない。つまり、犯人は側室の誰かかも知れねえってわけだ」
 宮廷内でそんな不祥事が起きてるとあっちゃあ、賊の出現を公にするわけにもいかねえはずだよな。
 淀みなくさらりとそんなことを宣った男に、新一は驚くどころか驚駭した。快斗が今言ったこと、それはまさしく新一が考えていたことと寸分違わぬ見解だったのだ。
 新一は犯人が下町の人間だと目星をつけている。だがそれはあくまで実行犯であり、実際に皇子の命を狙う不届き者はおそらく宮廷に住む皇帝陛下の側室の誰かだろうと思っていた。なぜなら正妻のいない陛下の後を次ぐ権利は、母親である側室の身分の差はあれど、十八人の皇子全てにほぼ平等に与えられているからだ。誰を次期皇帝陛下とするのか、それは全て陛下の一存に掛かっている。
 それら全てを、皇子が賊に狙われていると言うたったのひと言で一瞬にして見抜いた男に、新一は感心ではなく警戒心を抱いた。
「…おまえ、何者だ?」
「何者でもねーよ。この下町を預かる男だ」
 快斗は口角をニッ、と吊り上げる。
 確かに、大人子供に拘わらず、大勢の人間を纏め率いていくことはとても難しい。それを如才なくこなしてしまう時点で、この男はただ者でないと言えるだろう。
 だが、それだけではない何かを隠しているように思えて仕方ないのだ。じりじりと腹を刺激し続けるこの落ち着かない感覚はいったい何なのか。
「つまり、そう言うことだ。俺はここの連中を守らなきゃならねえ。あんたが参議だろうが兵士だろうが何だって構わねえが、俺の縄張りで勝手な真似はしてくれるなよ」
 肘をつき、足を組み、くいと顎を上げた男がこちらを見下ろす様は高圧的なのに、この男は妙にそれが様になっている。まるで人の上に立つために生まれてきたような男だ。彼に逆らえば、間違いなく新一は下町の人間全てを敵に回すことになるだろう。
 けれど。
「それは、俺の邪魔をすると言うことか」
 たとえ相手が国を両断する下町の頭だろうと、自分の邪魔をするなら容赦しないと、新一は声も低く言った。
 新一の前に立ちはだかることは、即ち陛下の前に立ちはだかるも同じこと。陛下の邪魔をする者は、それがたとえ一国の国王であろうと、新一にとっては邪魔な雑草でしかないのだ。大切な花を守り育てるためなら自分は容赦なくその雑草を薙ぎ払う。それはこの男も例外ではない。
 脅迫には脅迫で返そうとする新一に、けれど快斗はくくと喉を鳴らしただけだった。
「誰もそんなことは言っちゃいねーよ。それに、止めて止まる男でもねーだろ」
「なら、どういうつもりだ」
 新一が怪訝そうに眉を寄せれば、快斗は待ってましたとばかりに身を起こし、組んだ両手に顎を乗せながら尊大に言った。
「俺を使え」
 あまりに端的な言葉に新一の眉が更に寄る。
「あんたがこの妓楼に目を付け、尚かつ盗人まがいの潜入捜査をしてたってことは、下町の人間を疑ってんだろ。それも、おそらく朝廷の連中と癒着してるような奴をな。自分の身内を疑われんのは気にくわねーが、濡れ衣なら晴らすべきだし、それが事実なら尚更放っておくわけにはいかねえ。身内の悪行を見逃すようじゃ頭失格だ」
 そうだろ?と視線で問う男に、新一はただ沈黙を返す。
 要するにこの男が言ってることは、犯人確保に協力する、と言うことだ。だがもちろん、部外者である彼を無闇に巻き込むことなどできるはずもなかった。
 新一は今、白馬や佐藤、阿笠の手を借りているが、それもあくまで新一の力の及ばないところや干渉すべきでないところの補助をしてもらうためであり、犯人確保に協力してもらっているわけではない。彼らには必要なことしか話していないし、それ以上のことは話す気もない。彼らの能力を当てにしていないのではなく、この任務は新一が陛下より賜ったのだから、自分が遂行しなければならないのだ。
 だが、この男は既に必要以上のことを知ってしまった。自分でも言うように、賊が下町の人間である可能性を新一が捨てない限り――否、疑っていると気付かれた時点で、おそらくこの件の始末がつくまでは問答無用で関わってくるに違いない。このままこの男を野放しにして中途半端に介入されても困る。それならいっそ、「協力させる」と言う名目で彼の動きを把握しておいた方が賢明か。
 数秒の逡巡の末、新一が出した答えは。
「おまえ、何ができる?」
 それに快斗は如何にも愉しげににやりと笑った。
「あんたにできることは大抵俺にもできるだろうな」
 確かに、人の気配に聡い新一の背後を取ってみせたのだから十分即戦力だ。しかも相手は白南風の頭領、武術についても申し分ない。頭の切れはたった今見せつけられたばかりだ。はっきり言って、これほど強力な戦力もないだろう。
(…陛下の御身を思うなら、なるべく早く賊は捕らえるべきだ)
 陛下の病状は刻々と重くなっていく。新一は少しでも早く陛下の心労を取り除き、少しでも早く陛下の側に戻って、何でもいいから力になって差し上げたかった。
 この妓楼を見張るにしても、新一ひとりでは限界がある。だが、地元の人間や地理にも詳しい者がいるなら、その限界も大幅に引き延ばせる。
 この男が協力してくれるなら、内通者と賊捜しは白馬の力を借りずとも新一ひとりで何とかなるだろう。そうすれば彼を朝廷から引っ張り出す必要もないから、自分がいない間の政の穴は宰相閣下と白馬、そして心苦しいが陛下が埋めて下さる。宮廷内の警備は佐藤と志保に任せるとして、阿笠には万が一に備えて朝廷にて内通者と賊捜しをして貰う。これでも十分ぎりぎりな分担だが、これだけ揃えばたとえ無茶でも決して不可能ではない。
 新一に選択肢はなかった。陛下のために使えるものは塵となるまで全て使う主義である新一にとって、最早この男の力は使えると分かった時点で当然の如く戦力のひとつに数えられていたのだった。
「…やると言ったからには最後までやってもらうぞ。途中で投げ出すことは絶対に許さない。それができるなら、おまえの力、是非にも使わせてもらおう」
 そう言って差し出された手を、誰に向かって言っているんだと快斗は躊躇いなく握り返す。
「おう。賊を捕らえるまでの共同戦線だ。宜しくな、参議殿」
 それまでの獣めいた双眸を引っ込めると、快斗はにこりと愛想のいい笑みを浮かべた。こうして見るとまるでどこにでもいる普通の少年だったが、繋がった手の先から這い昇ってくる得も言えぬ感覚に、新一は軽い畏れを覚えた。
 いつの間にか腹の底でじりじりと燻っていた何かは全身に広がっている。だが、それがどうにも心地いいのだ。もしかしたら身の内に猛る炎が風に煽られ勢いを増すうちに、とうとう頭まで侵されてしまったのかも知れない。
 新一はふと笑みを浮かべると、
「俺は参議なんて名前じゃない。――工藤新一だ」
 そう言って、温くなった茶を一気に飲み干した。



 下町からの帰り道、白馬は朝廷へと向かう馬車にひとり揺られながら、納得いかない顔で黙り込んでいた。
 あの後、どうやらうまく話を付けたらしい舞師は、そのまま下町に留まることになった。彼がそこで何をするつもりなのか、彼があの男とどんな話をしたのか、白馬にはまるで分からない。だが、宴席に戻った平次が言うには、あの男が白南風の頭領なのだと言う。
 まさかと、思った。あんな子供が下町を守る自警団の頭だなんて、と。
 けれど、舞師と並んで宴席に姿を現した男は、事情を知りたがった白馬に向かって言ったのだ。
「悪いが、あんたは首を突っ込まない方が身のためだぜ。命が惜しけりゃ大人しくお山で政でもしてるんだな」
 そう言った男の、有無を言わさぬ鋭い目。それを言うならそちらの方が部外者だろうと反論しかけた白馬は、けれど何も言えずに口を噤んだのだった。
 高圧的で、それでいて刃向かう気力さえ奪ってしまう不思議な力を持った眼差し。年齢も体格も明らかに自分より劣っているのに、そのどこか横柄な態度はそんなことなど少しも感じさせないほど豪胆で雄々しい空気を漂わせていた。生涯皇帝陛下ただひとりに付き従うと誓っ白馬だが、気高く誇り高いその眼差しの前には服従せずにいられなかった。
 あんな目を持つ者はそうそういない。あの謎めいた舞師でさえ、あんな目はできないだろう。
 ひっそりと進んでいく馬車の中、白馬は舞師がしようとしていることよりも、舞師があの男と話した内容よりも、あの男が何者なのかと言うことが気になっていた。
 舞師は白馬に、朝廷に戻って陛下と宰相閣下を手伝うようにと言った。つまり、この先の捜査から自分は外されたと言うことだろう。
 だが、よくよく考えてみれば、初めから白馬は捜査と言う捜査をさせられていたわけではない。自分はただいつものように仕事をこなし、それについて回る傍らであの舞師がこそこそと調べ回っていたのだから、今更朝廷に戻されたところで、白馬にしてみればただ外交じみた仕事からいつもの政務処理に戻るだけのことだった。
 ならば、と白馬は思う。
(少し、調べてみましょうか)
 どうせ賊の捜査はあの舞師が行っているのだ。独自に調べようとしたところで、こちらには一切の情報を流さないだろう。それならばご病気の陛下の政務をお手伝いすることに精一杯尽力するべきだ。その合間にひょんなことが分かったとしても、誰も文句は言うまい。
 取り敢えずは、あの舞師が暫く宮を空けることを陛下に報告しなければならないと、白馬は苦い顔で流れていく景色に目を遣った。





B / N