宮庭佳人





「…もう昼じゃないか」
 どこから聞きつけたのか、どこからともなくわらわらと集まってきた子供たちの相手をしている内に、気付けば五時間も経っていた。
 愕然とする新一に、ずっとそこにいたらしい快斗が声を掛けてきた。
「ご苦労さん。腹減っただろ?どっか飯食いに行こうぜ」
「黒羽…」
 気付けば平次の姿がない。
「平次なら帰ったよ。あれでも一応社会人だし、港や親父さんの手伝いで忙しいんだ。あんたの付き添いなら俺で十分だしな」
 彷徨わせた視線の動きだけで察したらしい快斗の説明に、新一も納得したように頷く。花処では満十八の齢を迎えた者は成人と見なされるため、まだ十七歳という新一や快斗ならまだしも、平次のように成人した大人は仕事に就くのが普通だ。都に住む一部の人間には、官僚である父親の収入を頼りにいつまでも遊びほうけている者もいるらしいが。そう考えると、成人すればしっかり手に職を持つという下町の人間の方が余程しっかりしていると言えるだろう。
「それで、工藤はどこ行きたい?」
 どこでも好きな場所に案内するぞ、とうそぶく快斗を軽く睨み付ける。
「決まってる。落ち着いて話せる場所ならどこでもいい」
 すると、意外にもあっさり「ついてきな」と言って快斗は新一に背を向けた。新一は大人しくその後に続きながら、再び通り過ぎていく風景や人の姿を熱心に観察した。
 昼を過ぎ、下町はいよいよ勢いを見せ始めている。夕方の開店にそなえて料理の仕込みを始める飲み屋から漂う芳しい香り。朝は洗濯に勤しんでいた女たちは、今度は店の掃除にてんてこ舞いだ。きっと掃除が終われば湯浴みでもして、化粧だ着付けだと忙しくなるのだろう。そして夜になれば漁に出ていた男たちが帰ってきて一層賑やかになるのだ。
「ここらの店は夕刻からが本番なんだ。少し港の方に行けば昼でもやってるうまい店がある」
 快斗の案内で訪れた店は、昨日の妓楼とはうってかわって、その佇まいからしてとても素朴な木造の飯店だった。なんでも地元の人間にも評判の良い、昔ながらの花処の味に拘った料理を食べさせてくれるらしい。他国から訪れた客人を迎えるような店ではないが、意外にこういうところの方が何世代にも渡って経営してきた老舗だったりするのだ。
「こんにちはー」
「あらまあ、頭領!久しぶりやないですか!」
 引き戸を開けて中に入れば、萌葱色の着物を着た中年女性が、何とも人当たりの良さそうな顔を更に綻ばせてこちらへとやって来た。厨房に立っている職人からは「よぉ来たな!」だの、食事をしている客からは「珍しいな、頭領」だのと、あちらこちらから声を掛けられている。快斗と言い平次と言い、どこに行っても笑顔で迎え入れられるその人望の厚さは全く舌を巻くほどだ。
「新入りにウマイもん食わせてやろうと思ってさ。喜一さんとこの料理が一番うまいんだもん」
「ははっ嬉しいこと言ってくれるねえ」
「新入りって、もしかしてこちらのお兄さんも白南風なんですか?」
「うん。言っとくけど、平次より強いよ」
 あらまあ!と言って口を押さえながら驚く女性に、新一は何とも言えない表情で軽く頭を下げる。捜査のためとは言え、一時の肩書きでしかない白南風の小兄≠こんなにも堂々と宣言してどうするつもりなのかと、新一はちらりと快斗を睨んだ。快斗の方はそんなものどこ吹く風で、さくさくと料理の注文を始めている。
「それから、悪いけど二階借りてもいい?」
「勿論ですよ。好きに使うたって下さい」
 こんな若くて素敵な方々やったらいつでも歓迎しますさかい、と言って彼女はころころ笑った。
 二階は客室ではないらしく、六畳ほどの畳部屋の真ん中に食卓があり、端には箪笥やら鏡台やらと、何やらひどく誰かの生活臭のするものばかりが並んでいた。先ほど快斗が断りをいれていたことから察しても、ここは普通の客ならまず通さない彼らの生活の場なのだろう。
「ここの窓、すごく見晴らしがいいだろう」
 言われ、眉をひそめながら新一は窓の外に広がる景色を見た。確かに見晴らしはいいが、特に沿岸に面しているわけでもなく、ただ人の行き来が見えるばかりで景色としての面白味はない。
 彼が何を言いたいのか呑み込めずに訝っていると、快斗はあの挑戦的な笑みを浮かべた。
「以前、咲浦で不審火が続いたことがあってな。その犯人を見つけたのがこの場所だ。通りに面してるし、簾でもかけちまえば向こうからは見えないしな」
 おかげで、火付け犯確保に一役買ったことを誉れに感じたらしい女将さんに、いつでも好きな時に使ってくれと言われているのだ、と快斗は続けた。
 なるほど、と新一は頷いた。賊の手引きをしている者を探す場所は限られているが、賊自体を探す場所に限りはない。相手は下町の人間だ。人通りが多く、尚かつ人目を気にせず張り込むには、ここは確かに打ってつけの場所だった。
「…助かる」
 賊と接触したことのある新一なら、或いは賊自体を見つけられるかも知れないと踏んでの提案だろう。素直に、とは言い難いが、それでも精一杯の譲歩で新一はそう返した。
「それで、紅梅楼の張り込みはどうするつもり?」
 料理が運ばれもしない内からいきなり本題に入った快斗に、けれど当然聞かれるだろうと、既に新一も答えを用意していた。
「夕刻の開店時間から深夜の閉店時間まで、一分の隙もないよう、毎日張り込む」
「…予想しちゃいたけど、無茶言うなぁ」
「これについて、紅梅楼主人へ黒羽から断りを入れて貰いたい」
 ああいう個室を持つ妓楼は、直接客の内情に関わることも多い。もちろん目的以外の情報を外部に持ち出すつもりはないが、妓楼を営む者の立場からすれば当然目を瞑れることではない。しかし、彼女の顔なじみである快斗ならうまく説得することもできるだろう。
 けれど予想に反して、快斗は思い切り嫌そうに顔を歪めた。
「…別に、断る必要はないんじゃねーの?」
「そうはいかない。極秘とは言え、これは皇帝陛下より勅命を承った正式な捜査だ。無断で踏み荒らせば、遺恨を残しかねない」
 要するに、断りを入れると言ってもそれはあくまで建前なのだ。陛下の御名に傷を付けることがないよう、儀を通しているにすぎない。ただ「都の役人が頭ごなしに協力を命じる」よりは、「馴染みの客が協力を請う」ほうが、店側としても快く協力態勢を取れるだろうというだけの話なのだ。
 快斗としてもそれは分かっているのだが、それでもそれを拒むのは、単に。
「あいつに頼み事すると後が怖ぇ…」
 顔をしかめながらそう言った快斗に、新一はそう言えば、と思い出す。老若男女の関わりなく誰にでも愛想の良い男が、あの女主人にだけは終始邪険な態度を取っていた。だが、心底忌み嫌う者への態度と言うよりは、親しい者だからこその素っ気なさにも見えた。
「あいつ、昔っから謎めいたことばっか言ってくる奴でさ。本人は占術≠ニか言ってるけど」
 ほら、歯車がどうとか言ってただろ?と言われ、新一も頷いた。
「しかもそれが強ち外れてねえんだ」
 過去の苦い経験でも思い出しているのか、快斗の眉間には更にしわが寄っている。
 けれど新一は逆に納得していた。
 占術≠ニは、宮廷書庫の文献によれば占い学のひとつで、かつての政治や神事には欠かせないものだった。時代の流れとともに昨今ではほぼ潰えてしまったが、占術を極めた者は国王陛下や皇帝陛下と並び称され、常に国政の中心にいたらしい。それは花処においても同様で、かつては「猊下」と称された占術師が政の重鎮を担っていた。
 彼女が占術師であるというのなら、花君≠ニいう言葉を知っていたことや、それが新一であると見抜いたことにも頷ける。
「…なんにしても、それなら尚のこと彼女に断りを入れないわけにはいかない」
 彼女の腕がどれほどのものかは知らないが、仮にその占術とやらでこちらの情報が筒抜けだとすれば、下手に隠し立てする方が角が立つ。
 それに漸く快斗が渋々ながらも了承した頃、階下から料理が運ばれてきた。二人は箸を進めながら今後の予定について本格的に計画を立て始める。
「せっかく小兄の名をやったんだ。紅梅楼の張り込みはこっちに任せて、あんたは賊捜しに専念するといい」
「そうはいかない。昼間はそうだとしても、夕刻以降はそちらに張り込む」
「妓楼の営業時間なめんなよ。何時までやってると思ってんだ」
 客にもよるが、朝方近くまで店に居座る客もいる。翌日漁に出る漁師などは遅くとも深夜二時頃には帰っていくが、長期の漁空けの漁師などは打ち上げとばかりにいつまでも居座っているのだ。閉店時間は一応設けてあるが、客商売でそれが厳守されることは少ない。宿泊設備はないので一晩中張り込む必要はないが、毎晩明け方まで張り込んだ翌日に市中まで見回っていたのでは、まず身体が保たないだろう。
 それでも「問題ない」の一点張りで一向に首を振らない新一に、快斗は呆れたように言った。
「じゃ、こうしよう。平日は俺も張り込むが、週末は市中廻りがあるからお前に任せる。お前は平日も来たけりゃ来たらいい。その代わり、日中の賊捜しは身体に少しでも異常を感じたら中止すること。顔もわかんねえ賊捜しに時間を割くより、確実な内部犯の割り出しに徹した方が利口だからな。あくまで張り込み中心で、賊捜しは補助的なものとする」
 確かに、と新一は頷いた。
 賊捜しと言っても、それはあくまで賊の目星を付けるだけに過ぎない。仮に疑わしき人物を見つけたとしても、それを証明するだけの証拠を集めるのには多少なりと時間がかかるし、過てば時間の浪費となる。それだけで済めばまだいいが、それが原因で本命である内部犯の割り出しが疎かになれば元も子もない。あれもこれも、と言うのはそうするだけの人手があって初めて成立するのだ。
 黒羽快斗という戦力を手に入れた新一だが、白馬や佐藤と違い、その手腕の程を把握できていない今、どこまでが許容範囲かまだ計れていなかった。
「…分かった。当面はその方向で行こう」
 新一は昨日書き加えられたばかりの地図を脳内に広げる。紅梅楼の中で都の人間と下町の人間が密約を交わすとすれば、おそらくこの部屋だろうという検討を既につけてあった。頭領のために常に空けてあるという部屋は真っ先に除外されるし、昨夜借りた部屋が使われることは――と言うよりは、あの部屋を主人が他の客に使わせることは――まずないだろう。縁側の部屋は盗聴を考えれば使うのを控えるだろうし、かと言ってあまり高価な部屋を借りれば従業員に印象付けてしまう。そう考えていけば、自然使われる可能性のある部屋は絞られる。
 新一は怪しいと思われる部屋を逐一教え、快斗はひとつ残らずそれを脳裏に書き留めた。それから張り込み可能と思われる場所を伝え、或いは客になりすまし、でなければ従業員になりすますための諸々の手配について話し合い、漸く大まかな予定が決まった頃には午後三時を回っていた。
「あーあ、結構長居しちまったな」
 話し合いの間中ずっと組んでいた腕を伸ばし、快斗はうんと伸びをする。さっさと立ち上がった新一を見上げ、快斗も立ち上がりながら「さーて」と口角を吊り上げた。
「それじゃ、工藤、次はどこ行きたい?」
 それに新一は不思議そうに首を傾げた。
「どこって…まだ何か用事があるのか?」
 話し合いは終わったが、まだ紅梅楼が開くまでには時間がある。確かに快斗は平次の代わりの付き人だが、それはあくまで平蔵氏への建前で、事情を知る快斗がずっと新一に付いている必要はないはずだ。
 けれど快斗は意地悪く右の眉を吊り上げたかと思うと、
「綺麗なもん、たくさん見るんだろ?」
 新一は吃驚して僅かに瞠目した。
「ここは俺の街で、俺の庭だ。お前の言う綺麗な世界、俺が案内してやるよ」



 それから快斗は、実に様々な場所へ新一を連れ回した。外国からの旅人が訪れるような観光名所から、地元の人間しか知らないような穴場まで。けれど何より新一の目を楽しませたのは、文献にも載らないような、人々の何気ない生活風景だった。
 料理を作り、洗濯物を干し、花に水を遣り、壁を舗装する。道ばたに溜まった木の葉を掃く人の姿。廟に集まって必死に机に向かう子供たち。出会い頭に挨拶を交わしそのまま噂話に端を咲かせるご婦人方…
 快斗は行く先々で出会う人々に新一を紹介してまわった。口八丁手八丁で組み立てられていく「工藤新一像」は、気付けば凄いことになっていた。なんでも、花処と交流の深いケスタドールの商家の息子で、父親の仕事について花処に来る内にその国風に魅せられ、家出同然に国を飛び出してきたのだとか。はたまた、幼少の頃から不届き者に命を脅かされてきたため、それを気に病んだ両親が武道の達人を招いてはあらゆる武術を叩き込んだのだとか。よくもそれだけ出鱈目を並べられるものだと、逆に感心してしまった程だ。おかげですっかり「咲浦の小兄」に成り果せた新一は、おそらくもうどこへ行っても疑われることなく、白南風のひとりとして彼らに歓迎されることだろう。それさえ計算の上だと言うのだから、そのあまりの有能ぶりには全く以て舌を巻く。
「そろそろ紅梅楼に向かった方がいいんじゃないか?」
 放っておけばいつまでも連れ回されかねないと、先を歩く彼に声を掛ければ、快斗は時刻を確かめ「うーん」と唸った。
「五時半…あと三十分か。じゃあ、悪いけどあと一カ所だけ付き合ってくれる?」
「どこに?」
「平次の落ち度とは言え、黙っとくわけにもいかないしな」
 まるで答えになってないことを呟きながら面倒くせぇ、とひとりごちる快斗に、新一はわけも分からずただ後について歩いた。愛想のいいこの男をして「面倒くさい」と言わせしむるものが何なのか、多少の興味を惹かれたのだ。
 訪れたのは、紅梅楼からさほど離れていない場所にある小さな家だった。壁には「寺井診療所」という表札が出ている。
「寺井…?寺井さんの家か?」
 問いかける新一を無言で制し、快斗は断りもなく突然扉を開けた。
「邪魔するぞー」
 勝手知ったる何とやら、快斗は遠慮無く家に上がり込むと、戸惑う新一の腕を無理矢理掴んで引っ張り込んだ。礼節に煩い環境で育った新一は、所構わず忍び込むのは得意だが、断りもなしに堂々と上がり込むことには妙な罪悪感を覚えるのだ。
 そんな新一には構わず居間まで上がり込んだ快斗は、辺り一面大小様々な瓶に囲まれながら座り込んでいる青年に「よぉ」と声を掛け肩を叩いた。そうされるまで気付かなかったのか、吃驚したように振り返った青年は、そこに立っていた快斗を見てあからさまに破顔した。
「快斗!珍しいな、おまえがここに顔を出すなんて」
 後ろに立つ新一など目に入ってもいないのか、慌ただしく立ち上がると、床に並べられた瓶が散乱するのも構わずに快斗を抱き締めた。突然の熱烈な抱擁に新一は狼狽するが、予想していたらしい快斗は嫌そうに顔を歪めながらも享受している。
 ひとしきり来訪を歓喜した後、漸く自分の招いた惨事に気付いたらしい青年は「うわっ、しまった!」などと叫びながら転がった瓶を拾い始めた。
(なんだ、この男は…)
 これが自分に会わせたかった相手なのだろうか。新一は胡乱な目つきで男を見つめた。
 日に焼けていない白い肌に黒い髪。海の男というよりは屋内で仕事をすることが多いのだろう、瓶の中に入った様々な薬草を見る辺り、薬の調合師といったところか。その割には袖の下から覗く腕が意外にも逞しい。新一たちよりやや背が高く、印象的な黒縁眼鏡を掛けた、何とも人の良さそうな青年だった。
 青年はころころ転がって新一の足下までやって来た瓶を拾おうと手を伸ばし、そこで漸く快斗以外にも人がいることに気が付いた。
「あれ?お客さん?」
 ずり落ちた眼鏡の端を持ち上げながら青年が顔を上げる。その様子に快斗は盛大な溜息を零した。
「新入りだよ。一応おまえにも紹介しとかなきゃなんねーだろ?ま、平次と俺が認めてるんだから待ったはなしだぜ」
「へえ!平次はともかく、快斗に認められるとは将来有望だな」
 そう言ってからかうように笑った青年は、改めて新一に向き直ると右手を差し出した。
「初めまして、寺井徹です。これでも白南風の大兄を任されてるんだ。宜しくね」
「初めまして。工藤新一です」
 軽く会釈をして徹の手を取った新一はにこりと愛想のいい外面を貼り付けているものの、内心はちょっとばかりでなく驚いていた。まさかこの気の抜けた男が白南風の大兄だとは思わなかった。人の気配に疎く、どこか鈍くさい。体格的には平次にも引けを取らないが、白衣を引っ掛けた姿は肉体派とは言い難いものがある。
 けれど、握手を交わすその手を介し、新一は相手がただのぼんくらでないことを悟った。
 大抵のことは相手の目を見るだけで分かってしまう。その人が真実を語っているのか、それとも偽りを吐いているのか。信用に足る人物か、疑わしい人物か。
 そして大抵のことは、相手の手を握るだけで分かってしまう。その人が普段何をしているのか、どんな感情を持って自分と対峙しているのか。握手はそれを知る最も簡単な方法だ。
 彼はまだ、浮かべるその笑顔ほどには、新一のことを信用していなかった。
(…腐っても大兄、か)
 おそらく実力は平次より上。それにどこか快斗に似た危うさを持っていた。
「じゃ、仕事頑張れよ、徹」
 用事は済んだとばかりにさっさと立ち去ろうとする快斗の手首を、すかさず徹の手が捕まえる。
「こらこら。久しぶりに会ったっていうのに、それはちょっと冷たいんじゃないか?」
「…週末には会ってんだろ」
「週末なんて、三日も四日も先の話じゃないか!」
 そう言って徹は大仰に天を仰いだ。それを見た快斗がげんなりと肩を落とす。
 新一は、快斗を相手にこれほど強引に振る舞える徹を物珍しそうに見ていた。
「うるせーな、俺は忙しいんだよ!おまえも仕事しろ、仕事!」
「酷い子だねえ。昔はあんなにお兄ちゃん子だったのに、いつからそんな子になったんだ?」
「さあ?俺、一人っ子だもん」
 そんな下らない言い合いをしている二人に、新一は遠慮がちに問いかけた。
「黒羽の兄君なのか?」
 それに快斗は「まさか!」と叫び、徹は「もちろん!」と頷いた。全く正反対の反応に、新一はどう解釈するべきか迷う。
「おい、大法螺吹いてんじゃねーよ。一滴の血も繋がってねーくせに」
「血がなんだって言うんだ。俺はおまえが生まれた時から面倒見てきたんだぞ」
 要するに、血は繋がっていないが幼い頃からともに育ってきたため、兄弟も同然だということなのだろう。それを認めるか認めないかは当人次第だ。
 この下らない状況にそう結論付けると、解けた疑問に興味の失せた新一はくるりと背を向けた。
「あ、おい、工藤!」
「あれ、もうお帰り?」
 新一は徹に向き直ると軽く頭を下げた。
「お邪魔しました。用事があるので俺はこれで失礼しますが、ふたりはどうぞごゆっくり」
 それからはもう一度も振り返ることなくさっさと出ていってしまった。
 快斗の腕を掴んだままその後ろ姿を見送った徹が、感嘆の溜息を漏らす。
「はあ…なんか白南風なんかにゃ勿体ないくらい礼儀正しいと言うか、品があるというか。あんな血統書付きの猫、どこで拾って来たんだ?」
 兄君≠ネんて初めて言われたぞ、と呟く徹の腕から抜け出すと、快斗は得意げにふんと鼻を鳴らした。
「教えてやんねーよ」
 それに徹は苦笑を返すしかない。
「そんなに彼を気に入ってるのか」
 さあね、と快斗は曖昧な答えしか返さないが、徹にはよく分かっていた。快斗は昔から自分の気に入ったものは誰にも見つからないところに隠しておくような子供だった。誰にも触れさせない。それどころか、誰にも見せない。そしてぼろぼろになるまで、ぼろぼろになっても決して手放さないのだ。それほど強い執着を見せる子供だった。
 けれど、そんな執着を人間相手に見せたのは初めてだった。
 否…限りなく近いものならば、かつて彼の母親相手に示していたけれど。
「ちょっとどころじゃなく妬けるね」
 冗談のように告げられた本音に、快斗は「ばーか」と言って笑った。





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