宮庭佳人





「工藤!」
 診療所の門を潜ったところで新一は早々に快斗に捕まった。
「もういいのか?」
「ああ、悪いな。俺から顔を見せに行くことなんて滅多にないから、偶に行くとああいうことになるんだ」
 そう言って快斗は不快げに顔を歪ませる。なるほど、先ほどの「面倒くさい」とはこういう意味だったのかと新一は納得した。いくら弟と言っても、もう十七にもなる男があんな抱擁をされて嬉しいわけがない。彼の溺愛ぶりが逆に弟に敬遠されてしまう理由であることは明白だった。
「彼は寺井さんの御子息なのか?」
 寺井と言えば、先日賊に襲われ腹に傷を負った際、世話になった老人の名だ。不覚にも自分が華族であることを知られてしまい、けれどその秘密を決して口外しないと約してくれた。あれ以来沙汰していないが、もし機会があるなら、一度改めて礼を述べなければならないだろうと思っていた新一だ。あまり似ているとは思わなかったが、もし徹が寺井の縁者であるなら、無碍に扱うこともできない。
 しかし快斗は首を横に振った。
「いや、寺井ちゃんは独り身だよ。孤児だった徹を寺井ちゃんが引き取ったんだ」
 つまり養子のようなものだと、快斗は何でもないことのように言った。血は繋がっていないが、徹にとって寺井は父親同然なのだ、と。
 孤児と言っても、下町では別段珍しいことではないのだ。軒先に赤ん坊が捨てられていることなどはよくあることで、そしてどこの誰とも知れないその子供を、血も繋がっていない大人が引き取ることもまたよくあることだった。なぜなら下町の人々にとって大事なのは血の繋がりではなく、神のもたらし賜うた縁だからである。この下町に生きる全ての者は皆家族、その考え方が根底にあるから、育てる力はなくとも、この世に生きる権利を赤子から奪わなかった母親は、我が子が飢えずに生きていけるよう、力ある者に預けることを許されているのだ。
 現に、花街の妓楼や娼館などで小間使いをしている幼い子供たちの大半は孤児である。新一が今朝廟の前で稽古をつけた子供たちにしても、生みの親の顔を知らない子の方が多いくらいだ。それでも彼らの顔から笑顔が消えないのは、確かな愛情を注がれて育ってきたからだろう。
 神の庭ではとても考えられないことだと、新一は微かに唇を歪めた。
「俺も父親はいないけど、昔から世話になってるおじさんがすげーいい人でさ。寂しいと思ったことなんてなかった。それに俺が生まれた時、母さんが徹に、俺が寂しくないよう兄貴になってあげてとか言ったらしくて」
 以来、実の母にも負けないほどの愛情を注がれるようになってしまったのだと、快斗は呆れたように溜息を吐いた。
「まあ見てくれはあんなだけど、腕は確かだぜ」
「…ああ」
 彼に握られた右手を見遣り、新一はこくりと頷いた。あの人当たりの良さそうな笑顔の下で、狡猾な双眸が値踏みをするようにこちらを窺っていた。いくら快斗が彼の弟であり、その弟が認めた相手だからと言って、おそらくそれを無条件に信じる男ではないだろう。
「彼は…おまえと同等か、限りなくそれに近い力を持っているように感じた」
「へえ、やっぱ分かるか?流石だな」
 そんな軽口を飛ばしながら口笛を吹いてみせる相手を、新一は軽く睨み付ける。
「徹は白南風の先代の頭領だ。俺は徹に武術のいろはを習った。だから俺とあいつの型はちょっと似てるところがある」
 とは言え、快斗が徹を負かして頭領を名乗る頃にはお互い自己流の武術を身につけていたため、今ではかなり違った型になっているけれど。
「工藤と徹が手合わせしたら、どっちが勝つかは俺にも分かんねーな」
 傍から聞くと失礼な話だが、彼と直に接触してみて同じ結論に達した新一も、確かに、と認めざるを得なった。

 と、漸く二人が紅梅楼近くの界隈に差し掛かった時、前方が何やら騒がしいことに気付き、二人は互いに眉をひそめた。
「…なんだ?」
「さあ…紅梅楼の門前に人集りができてるな」
 行くぞ、と視線を交わし、二人は同時に駆け出す。新一は野次馬を掻き分ける快斗の後に続いて、何食わぬ顔で騒ぎの中心へ入っていった。野次馬たちは突然割り込んできた闖入者に顔をしかめるが、その闖入者が誰か気付くと安堵の表情を浮かべた。他ならぬ白南風の頭領の登場となればどんな問題もすぐに解決されるはず。その信頼を裏切らぬ年若き頭領は、騒ぎの中心にいるのが見知った顔であることに僅かに顔をしかめた。
「和葉ちゃん、それに…千賀鈴姉さん。何があった?」
「あ、頭領!」
 白南風のひとりである和葉が今にも泣きそうな顔で声を上げる。その腕の中では、綺麗な衣装を振り乱し、全身を土埃で汚してしまった千賀鈴が真っ青な顔で震えていた。それだけで既に尋常な事態でないことが分かる。
 頭領の声に気付いた千賀鈴は恐る恐る顔を上げ、綺麗な顔をくしゃりと歪めたかと思うと、わあっ、と声を上げて泣きながら快斗に抱きついた。それまで堪えていたものが頭領の顔を見た途端溢れてしまったのだろう。
 快斗は千賀鈴を抱き締めたまま、すぐ傍に立っていた新一に視線で合図を送る。新一は静かに頷いた。
「すみませんが、客間をひとつ貸して下さい」
「え…?て、あんた、昨日の…」
 軽く混乱していた和葉は、その時になって漸く頭領とともに現れたのが昨日自分を助けてくれた役人であることに気付いた。彼は咲浦の貿易に関する交渉をするために下町に来た役人のはずが、実はケスタドールのお偉いさんを撃退してしまえるほど凄い人物で、しかもその後何やら頭領とややこしい話をしていた男である。頭領の「他言無用」の命に従って口を噤んだ和葉だが、なぜ未だ頭領とともに行動しているのかと首を傾げる。
「――牡丹の間へ、お通ししなさい」
 和葉が逡巡していると、彼女の背後からあの女主人の声が聞こえた。
「主人…」
「彼らを牡丹の間へお通ししなさい」
「せ、せやけど、あの部屋は…」
「いいのよ。それより早く千賀鈴を連れて行っておあげなさい。このような姿を衆目に曝されるなど、芸妓にとっては屈辱なことよ」
 分かるでしょう、と静かに告げる紅子に、和葉ははっと息を呑んだ。
 そうだ、今はああだこうだと考えている場合ではない。大事な仕事仲間が、友人が、理由はわからずともこうして辛い思いをしているのだ。そして彼は正しく状況を理解し、いち早く千賀鈴をこの場から遠ざけようとしてくれている。
「二人とも、案内するからついてきて!」
 勢いよく立ち上がった和葉は、非常事態だと普段なら許されない小走りで店の中へと駆け込んだ。その後を千賀鈴を抱き上げた快斗が続き、そして新一も続こうとして。
「彼女を、お願い致します、我が君」
 沈んだ表情で頭を下げる紅子に、新一は思わず立ち止まっていた。
 集まってしまった野次馬の相手は、紅子の連れてきた芸妓たちが四苦八苦しながらも請け負っている。二人の会話に耳を峙てる者はいない。新一は真っ直ぐに紅子を見据えると、彼女にだけ聞こえるよう、静かに言った。
「何を、知っておられるのです?」
 新一を花君と呼び、けれど華族だと言い触れることもせず、役人と謀っている事実を知りながらも黙認する。そして先ほどの言動から察するに、おそらく彼女は千賀鈴が今どういう状況に陥っているのかも分かっているのだろう。
 知りながら、沈黙する。その目的はいったい何なのか。
 すると紅子は怯むことなく新一の目を見返し、告げた。
「――真実を。」
 やがて散り始めた野次馬たちの喧騒が遠のいていく。
 紅子の声はしっかりと新一の耳に届いた。
「神に選ばれし者だけが知ることを許された神の叡智、それが真実。
 わたくしはご自身でさえご存じでない貴方さまの真実を知る者ですわ」
 そうして紅子は華やかに微笑んだ。まるでこうして言葉を交わすことが、声を聞けることが、顔を見ることが嬉しくて仕方がないとでも言うように。いったい何が彼女をそうさせるのか。
「さあ、彼が貴方を待っております。どうぞわたくしのことなどお気になさらず、彼のもとへいらっしゃって」
 促すように右手で妓楼を示す紅子に、けれど新一は躊躇った。自分でさえ知らない自分の真実、それが何を指すのか分からないが、それを自分以外の誰かに知られていると言う状況を果たして許していいものか。
 けれどそれすら承知しているらしい紅子は、安心させるように頷いた。
「ご安心下さいまし。先ほど申し上げましたように、真実とは選ばれし者にのみ許された神の叡智。人が人に与えるものではございません。貴方さまの御心に背くことはないと、今ここで神と、我らが花君の名に掛けて誓います」
 そうして衣装が地に擦れるのも構わず優雅に跪いた紅子に新一はますます困惑する。しかし背後から和葉の「工藤さん!」という呼び声が聞こえ、これ以上話を続けることは無理だと、後ろ髪を引かれながらもその場を後にした。
 新一の姿が見えなくなるまで跪いていた紅子は、彼の気配が消えて漸く立ち上がった。その顔は未だ歓喜に彩られている。
「そう…わたくしが語らずとも、神に選ばれたる者はいずれ自ずと真実へ辿り着くでしょう」
 その日が早く訪れんことを、ただただお祈り申しております。



 和葉に連れられて新一が牡丹の間に上がった時、千賀鈴は大分落ち着きを取り戻していた。衣装も土埃もそのままだったけれど、彼女の前でゆらゆらと湯気を立てる茶器が、彼女の萎縮した心と体をほぐしてくれたようだ。向かいの席に腰掛けていた快斗は、なかなか現れなかった新一に何か言いたげな視線を投げていたけれど、新一はそれを無視した。
「取り乱してもうて…すみませんでした、頭領」
 蚊の鳴くような細い声で千賀鈴が漸く重い口を開いた。
「気にしないで。何かあったんだろ?ゆっくりでいいから、話せるようなら教えてくれる?」
 はい、と答えた千賀鈴はとても平気そうには見えなかったけれど、それでもぽつぽつと話し出した。
「うち、今日の買い出し当番やったんどす。そやからお店の準備は他の子ぉらに任して、買い出しに出掛けたんやけど…」
 そこで一旦口を噤んだ千賀鈴の顔が見るからに青ざめた。和葉が宥めるように「無理せんでええよ」と声を掛け、快斗が落ち着けるように千賀鈴の手を握る。それでもまだぎこちない表情を見せていた千賀鈴は、けれど突然ふわりと掛けられた羽織に驚いたように顔を上げた。見れば、いつの間にか背後に新一が立っていて、自分の肩には彼が着ていた羽織が掛けられている。
「お、おおきに…」
「いえ、かなり無理をして下さっているようでしたので…でも、僕らは誰も貴方を急かしてなどいませんよ。話すのも辛いようなら、まずはゆっくり体を休めてあげて下さい」
 そう言ってそっとお茶を差し出され、千賀鈴は微かに頬を朱に染めた。向かいでは和葉も同じように赤い顔で目を瞬き、快斗は呆れたような顔をしている。新一は突然黙り込んでしまった彼らを不思議そうに見遣った。
 彼女たち花街の芸妓は、海の荒くれ者や下町の闊達な親父を相手にすることが多いため、都の礼儀正しさや品の良さにやや不慣れなところがある。しかし、都の役人でさえ客として受け入れるこの妓楼の芸妓は、他と比べると彼らと接触する機会も多いため些かの免疫がある。それでも、新一のような客はまず以て見たことがなかった。
 都の客は、ひと言で言うなら高慢だ。下町の人間より自分たちの方が優れていると思っており、しかもそれを隠そうともしない。都の人間として一応の礼儀は尽くすが、それはあくまで格下の者に対する言動なのだ。たとえどれ程丁寧な言葉で飾ってみせても、その裏にある感情を読みとることは容易かった。
 それがこの少年ときたら、彼女たちが今まで受けたこともないような扱いを当然のようにするものだから、不慣れな彼女たちは思わず言葉を失ってしまったのだ。新一にしてみれば志保に叩き込まれた礼儀を完璧に尽くしているだけなのだが。
(そういやこいつ、世間知らずのお坊ちゃんだっけ)
 一度も外に出たことのない世間知らず。しかし知識だけはやたらと無駄に持っているらしく、たまにこうしてずれたことをしでかしてくれる新一に、快斗は呆れるしかなかった。とは言え、嬉しそうに顔を綻ばせる千賀鈴を見る限り、偏に無駄とも言い切れないが。
「ふふ…変わったお人どすな、工藤さん。そやけど、おおきに。おかげで気分も大分良ぉなりました」
 もう大丈夫、と言って千賀鈴は静かに息を吐いた。そして顔を上げた時には、先ほどまで震えていた女性とは思えぬほど気丈に言った。
「買い出しに行った帰り、いつものように川原の近くの細道を通っとったら、突然誰かに襲われたんどす」
 快斗と新一、そして和葉の顔までもがきっと引き締まる。和葉は単に友人を襲った者に対して怒りを覚えたのだろうが、二人は違った。千賀鈴を襲った――賊。彼らの探し人と結びつけるのは早計だが、全く無関係とするには時期が怪しい。
「川原の細道って、あの人通りの少ない通りだろ?いつもそんな危ないとこ通ってるの?」
「はい。そこを通った方が近道やし、うちら芸妓はあまり大通りは歩かん方がええさかい…」
 なんせ高級妓楼紅梅楼≠フ芸妓ともなれば、彼女たちひとりひとりに顧客がつくほどの人気ぶりなのだ。下手に大通りを歩けば、勘違いした客に誘拐まがいのことを仕掛けられることさえある。
「でも、じゃあ、その賊は鈴ちゃんがそこ通るん知っとって待ち伏せしとったんか、それともたまたま歩いとった鈴ちゃんが目についたんか、どっちやろ?」
「それはまだ分からないな。でも、一度襲われたからには次があると思ってた方がいい」
 確かに、と和葉が顔をしかめる。千賀鈴だけを狙った犯行でなければ、他の芸妓、いや、それどころか下町の人間の誰もに狙われる可能性があるということになる。そうなればもちろん白南風の猛者五百余名が黙ってはいないが、万が一にも最悪の事態が起こらないとも限らない。
 けれど、その可能性はすぐに否定された。それも――千賀鈴本人から。
「たぶん、賊の狙いはうちやと思います」
「ええっ!」
 うそぉっ、と和葉が素っ頓狂な声を上げる。
 鋭く切り返したのは新一だった。
「何か、思い当たることがあるんですね?」
「…はい」
「話して頂けますか?」
 千賀鈴は、射抜くように真っ直ぐこちらを見る新一の双眸に軽く息を呑んだ。漆黒の瞳が心の中にまで入り込んでくる。まるで心を見透かされているようだ。目が、逸らせない。
「千賀鈴さん」
 促すように名前を呼ばれ、千賀鈴はこくりと喉を鳴らした。
「…近頃、いつも視線を感じるんどす。最初の内はお客の誰かやろ思て、気にもしてへんかったんやけど…」
 奇妙な贈り物が届けられるようになってからはそうも言っていられなくなったのだと、千賀鈴は言った。
「贈り物とは?」
「はい…」
 これです、と言って差し出されたものに新一は眉を寄せた。千賀鈴の手の中にあったのは、少し緑がかった黄色の羽根だった。
「鳥の羽根?」
「はい。たぶん、金糸雀の羽根やと思います」
「ちょ、ちょお待ってぇな!金糸雀って、ほな、まさかそれ…!」
 あからさまに動揺する和葉に、千賀鈴はすまなさそうに目を伏せた。
「黙っとって堪忍や。これ、うちで飼うとった子ぉの羽根やて…主人も間違いないて…」
 そうして静かに涙を流す千賀鈴に、その場は再び静まりかえった。
 和葉によれば、飼っていた金糸雀のうちの一羽が消えたのは二週間ほど前だと言う。そしてその日から今日までの二週間、毎日一本ずつ羽根が届けられていたらしい。だが、千賀鈴はそのことを主人にしか告げず、誰にも気付かれぬよう普段通りに振る舞い続けたのだ。二週間もよく堪えられたものだと新一は思った。
 普通に考えて、毎日一本ずつ羽根を贈るという行為が意味するところは脅迫≠セ。そこに込められた感情が好意なのか悪意なのかは分からないが、賊は千賀鈴に羽根を贈ることで何らかの信号を送っている。だが、その信号に対して彼女が何の行動も起こさなかったため、今回のような強行に出たのだろう。では、賊が送っていた信号とは何なのか。
「何か思い当たることはありませんか?特に、金糸雀のいなくなった日の前後で」
 別に特別なことでなくとも、事件が起きる前と後では何かがいつもと違っているはずだ。
「そう言えば…!」
 はっ、と千賀鈴が顔を上げた。
「金糸雀がいなくなる前の日やったと思いますけど…お客のひとりがなんや物騒なこと仰ってはって、たまたま通りかかったうちが聞いとったんに気ぃついて、えらい驚いてはりました」
 今の話は聞かなかったことにしてくれと半ば強引に金を掴まされ、結局断り切れなかった千賀鈴は主人に相談して金を処分してもらったのだ。今まですっかり忘れていたが、今にして思えばあの時の客の態度はかなり怪しかった。もしかせずとも、その時に何か聞いてはならない会話を聞いてしまったのだろうか。
「もしかしてそれって、皇帝陛下が病気で世継ぎを決めるって話?」
「えっ?ご存知やったんどすか、頭領?」
「ああ、紅子から聞いた」
 驚く千賀鈴へそれだけ答え、快斗はちらと新一へ視線を投げた。それを受ける新一の双眸には剣呑な光が浮かんでいる。
 ここで漸く話が繋がった。新一の読み通り、やはりこの妓楼が密談の場として使われていたのだ。そしてそうとは知らずにうっかり密談を耳にしてしまった千賀鈴は、秘密を知った者として、本人も知らぬ内に賊の標的とされてしまったのだ。
「その、話をしていた客がどのような人物か覚えておられますか?」
 焦らぬよう、新一はあえて穏やかな声で訊ねた。記憶とは曖昧で朧気なものだ。無理に思い出そうとすれば別の記憶と混同してしまうこともままある。しかし、その心配は杞憂だった。
「はい。都のお役人さまでした」
 ――当たり。
 新一の口角が微かに持ち上がる。目敏くもそれを見ていた快斗だけが小さく吐息した。
「つまり、こういうことですね。都における秘密、或いは何らかの企みを聞かれたと思ったその役人が、貴方の口を塞ぐために賊を差し向けた。始めはここで飼われていた金糸雀を使って脅迫を行うも、貴方から何の反応もなかったため、遂に痺れを切らして強硬手段に出た」
 相手はたったひとりの芸妓を脅すため、罪のない小鳥を殺めその羽根を脅迫の道具にするような輩だ。次に何をしでかすか知れたものではない。改めて自分の置かれている状況を理解し、千賀鈴は目に見えて顔色を失った。
「そんな…うち、どないしたら…」
 茫然と呟く彼女を宥めようと口を開きかけた快斗を制し、新一が言った。
「私が、貴方を守ります」
 え?、とその場の視線が新一へと集まる。
 急に口調を改めた新一は三人から一歩距離を置くと、静かにその場に片膝をついて頭を垂れた。それは、都の人間が使う最敬礼だった。
「皆さんご存知かと思いますが、私は都の人間です。しかし理由あって今は白南風の小兄と名乗ることを頭領より許して頂いております。その理由とは――千賀鈴さん。今貴方を狙っている賊を捕らえるために、こうして都より使わされたのです」
 垂れていた頭を持ち上げれば、奥深い漆黒の双眸が真っ直ぐに見据えている。
「賊は、この国に災いを起こそうとしている。その賊を捕らえ、平穏を取り戻すためにも、私が貴方を守ります」
 新一は、肝心なことはひとつも言っていない。けれどその目には、有無を言わさず相手に信じさせるだけの力があった。
 都の人間だから何だというのだ。この少年は、最初からずっと真摯な態度で接してくれていたではないか。都の人間でありながら下町の、それも彼らが毛嫌いするような花街の芸妓相手に、彼は同等の敬意を払ってくれている。その彼が守ってくれると言うのなら、この身を預けることに躊躇う必要などないではないか、と。
「うちの方こそ、お願い致します」
 そう言って深く頭を下げた千賀鈴に、新一は「分かりました」と不敵に微笑んだ。





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