−逆さ吊りの神− |
「工藤?」 聞き慣れない名前を呼ばれ、快斗は不思議そうに首を傾げた。 工藤なんて名前はざらにあるが、生憎快斗の回りに工藤さんはいなかったし、そんな名前で呼ばれたこともない。 どうやら目の前の男は自分を誰かと間違えているようだ。 「よかった…みんなすごく心配してたんだよ。いったい今までどうしてたんだい?」 「俺、そんな名前じゃないよ。あなたのことも知らないし。人違いじゃない?」 「え、そんなっ。僕だよ、高木だよ! 忘れちゃったかな…」 忘れたもなにも、そんな名前じゃないと言っているのに、高木と名乗った彼はすっかり快斗のことを工藤なにがし君だと思いこんでいるらしく、全く話を聞いていない。 そんなに似ているのだろうかと思うと、ほんのちょっとだけ興味が湧いた。 と言うか、WGOの人間とバッティングした者は大抵驚いてびびるか端から疑うことしかしないのだが、やはりびびっていた彼がその驚きを払拭してしまう程の人間と言うものに興味が湧いたのだ。 余程信じられない相手なのだろうか。 困り切った様子で佇む高木に声を掛ければ、途端にぱっと顔が晴れる。 思わず漏れる笑いを堪えながら、快斗は懐からIDを取り出した。 「俺、WGOの特別機動隊副隊長の黒羽快斗って言います。高木さんの言う工藤君とは全く別人ですよ」 「え…黒羽…?」 訝りながらもIDを見た高木は、そこにしっかり「黒羽快斗」の名前と「世界政府機関機動班特別機動隊」の所属名、WGOのロゴが押印されているのを確認した。 日本の警察手帳よりはFBIのIDに近いそれは、黒皮の小さな手帳だった。 それが本物か確認する術は高木にはないが、WGOの存在を知り、しかもあからさまに超常の力を持った男をあっさり逮捕したことから、彼が本物のWGOの能力者であることは疑うべくもなかった。 「じゃあきみは…ほんとに工藤君じゃないんだね…」 漸く理解してくれたらしい高木は、けれど見るからに落胆したように呟いた。 その姿があまりにも憔悴して見えたからだろうか、不意にむくむくと膨らんだ好奇心を抑えることなく、快斗は思ったままに聞いていた。 「その、工藤君って誰なんですか? なんだか随分気にしてるみたいだけど」 本来なら、WGOの関係者――特に能力者と呼ばれる者は、非能力者との接触は極力避けなければならない。たとえ捜査でバッティングしても、犯人を確保次第、秘密厳守の法令を唱和させ、即刻立ち去る決まりになっている。 けれど快斗にとってそんなことはどうでも良かった。 施設に閉じ込められることを嫌うように、快斗はその法令も嫌っているのだ。 「そんなに俺と似てる?」 見た目よりやや幼く見える仕草で小首を傾げる快斗に、高木は複雑な笑みを浮かべながら躊躇いがちに頷いた。 そんな仕草までも彼とよく似ている。 「似てると言うより、瓜二つだよ。今でも別人だなんて信じられないくらいに」 「へえ…」 そんなにも自分に似た人がいるなんて驚きだが、それよりも快斗には気になることがあった。 「それで、その工藤君はどうしたの?」 言われ、高木はあからさまな動揺を示した。 ビンゴ、と心の中で快斗は指を鳴らす。 快斗を工藤少年と見間違えた時の高木の反応は尋常でなかった。 まるで、そう――死んだはずの人間にでも会ったような。 「高木さんのあの態度、久しぶりに会った知り合いにするものとは全く違うよね。すごい必死だったし。でもお兄さんが高木でその子が工藤なら、身内ってわけでもなさそうだし…」 警戒心を抱かれぬよう、なるべく他意のない口調で話しながらも、快斗は巧みに話題を運ぶ。 見た目が知人と似ているためか、高木は躊躇いながらも警戒はしていなかった。 「工藤君は僕の身内じゃないよ。彼とは…なんて言うか、特殊な関係でね」 「ふーん。それでそんなに驚いてたんだ?」 「ああ、いや…その…」 そんなはずがあるわけないと思いながらも素直に返せば、高木は言いにくそうにその先を濁した。 余程口にしづらい事情でもあるのか。 けれど、わざとらしく逸らされていた視線をはっと上げたかと思うと、彼は唐突に態度を豹変した。 「そ、そうだ! 君、WGOの人なんだろう? それなら、五年前に起こった航空機失踪事件について何か知らないかな?」 「航空機失踪事件?」 快斗は出来の良すぎる脳内に刻んだ記憶のページを探った。 航空機失踪事件。その言葉には、確かに聞き覚えがあった。 五年前と言えばまだ快斗が特別機動隊の一隊員であった頃の話だが、その事件は一般のニュースでもかなり大きく取り上げられていた。 なぜなら――飛行中の飛行機が乗客を乗せたまま機体ごと忽然と姿を消すなど、前代未聞の大事件だったからだ。 乗っていたのはパイロットと客室乗務員を含む乗客二四七名。 うち、現在までに消息が掴めた人は皆無。 当時にしては異例の大捜査が行われたにも拘わらず、失踪した航空機は機体の一部でさえ未だ発見されていない。 事件から五年が経った今でも墜落説や遭難説、魔の三角海域で言われるようなブラックホール説までと、色々な説を唱える者が後を絶たない。 だが、超常の力が存在することを知るWGOの人間から見れば、これは明らかな能力犯罪だった。 それも、力の弱い下級能力者ではまず不可能な、複数の上級能力者による犯罪だ。 そうした上級能力者が複数集まった犯罪組織は、現在のところひとつしか確認されていない。 そしてそれこそが、WGOの存在理由とも言うべき敵対組織、ベラクルスと十二使徒だった。 しかしWGOで掴んでいる情報としてもそれだけだった。 ベラクルスはその全てが謎に包まれた組織で、彼らが何のために存在し、何のために罪を犯すのか、未だに解明されていないのだ。 (なるほどね) こちらの答えを必死の形相で待っている高木を見て、快斗は納得したように頷いた。 「その飛行機に乗ってたんだ――工藤君も」 核心を突かれたからか、それとも現実を突きつけられたからか、高木は一瞬傷ついたように瞳を揺らした。 つまり、その飛行機に乗っていた工藤少年は機体ごと行方不明になり、現在も行方が分からない状況にあるということなのだろう。 だから工藤少年とそっくりな快斗の顔を見て高木は驚いたのだ。 「でも、ごめんね。これでも副隊長の肩書きを背負う身だから、たとえ知っていても事件の詳細を一般人に教えるわけにはいかないんだ」 「あ…そ、そうだよね…」 刑事である自分を一般人≠ニ称されることにやや抵抗は感じるが、目の前の彼にしてみれば力≠持たない自分は確かに一般人≠ナしかないのだろうと、高木は俯いた。 国家公務員の端くれである高木も、仕事に関わる事柄への守秘義務については当然理解できる。WGOのような極秘機関なら、尚更その義務は厳しくなるだろうことも。 だけど――それでも。 「工藤君は、何度も僕らを助けてくれたんだ。だから、彼のためにできることがあるなら、してあげたくて…っ」 そう言って高木が悔しそうに唇を噛んだ時。 快斗とともに犯人を追跡していたキッドが、上空から甲高い鳴き声を上げて警告を発した。 それは、近くに能力者がいることを知らせる合図だ。それが光彦のように一般人に紛れて暮らしている能力者なのか、それとも――組織の能力者なのかは、定かではないが。 一気に戦闘態勢に入った快斗は低く身構え、高木を庇うように腕を回しながら辺りを見渡した。 「志保ちゃん!」 呼びかければ、すぐに志保の応答が返る。 「近くに別の能力者がいるみたいなんだ。こっちには加賀と一般人が一名いる。もし奴らだとしたら、二人を庇いながらはさすがにきつい。服部経由で誰か援護送って!」 『分かったわ。一分、堪えてちょうだい』 組織の能力者かも知れない人間相手に、一分という時間はあまりに長すぎる。そう思ったものの、文句を言う隙もなく回線を切られ、快斗は苦笑いを浮かべた。 「憑いてないね、高木さん。今、この近くにもうひとり能力者がいる。向こうがこっちに気付いてなければいいけど、もしこっちに気付いた上で俺たちに接触しようって奴なら…」 突然の事態に狼狽える高木に、快斗は手短に状況を説明する。 けれど、その説明が終わるより前に自分たちの前に姿を現した男を見て、快斗は苦笑いを引っ込めざるを得なかった。 「…それは俺たちの敵だから、俺の背後から絶対出ないでね」 目の眩むような明るい金色の髪が、月明かりを弾きぎらぎらと輝く。 夜の闇よりも尚暗いスーツを着込んだ、長身の西洋人。 そのスーツの袖から覗く左手の甲に刻まれた逆さ十字は、男がベラクルスの十二使徒である証だった。 「敵=Aねえ…WGOの飼い犬が好きに言ってくれるものだ」 くつくつと喉の奥を震わせながら、男は獰猛な笑みを浮かべる。 金髪に飴色の瞳をした西洋人であるにも拘わらず、男の口から紡がれるのは流暢な日本語だった。 「その飼い犬≠ノ、ベラクルスの十二使徒がわざわざ何の用だ?」 返す言葉は強気なものだが、快斗の額には冷や汗が浮かんでいた。 まだ相手がどんな能力者か分からないが、ただ話しているだけだというのに、快斗はわけの分からないプレッシャーを掛けられていた。 睨まれているわけでもないのに、ただ見つめられているだけで怯みそうになる。それでも援軍が到着するまでは何とか持ち堪えなければならない。 すると、男が大仰に肩を竦めながら尊大に言い放った。 「応援は期待しない方がいい。一キロ四方は既に私の支配下にある。ここでは一切の能力は使えないから、影師による空間移動も不可能だ」 その言葉に続くように、志保から「どうしても空間が繋がらないから、服部君と赤井君に移動可能範囲から直接応援に向かってもらってるわ」との連絡が入り、快斗は険しい表情で歯を噛み締めた。 空間支配とはかなり厄介な能力だ。しかも能力が使えないということは、たとえ援護が来たところで役に立つかどうか。 能力者に対する非能力者とは、それほどに非力な存在なのだ。 「…今まで姿さえ見せずに引き籠もってた十二使徒が、最近じゃ随分外向的になったもんだな。いったい何を企んでる?」 「くく…死ぬかも知れない場面だというのに、仕事熱心な奴だな」 こつ、と歩み寄る男を警戒し、快斗も高木を背後に庇いながら後退する。 能力の使えない今、彼を守りきれる保証は全くないが、展開についていけずに狼狽える高木を落ち着かせるように、快斗はちらりと背後を振り返って微笑んだ。 もしもここを無事に切り抜けることができても、彼の記憶は消去されてしまうため、今感じている恐怖や困惑も忘れてしまうのだけれど。今感じているそれらの感情が本物であることには変わりない。 そうしてすぐ背後に壁が迫るほどまで後退した時、不意に足を止めた男が口を開いた。 「おまえが、黒羽盗一の息子だな?」 「!」 その名前に、快斗の周りを取り巻いていた空気が一気にざわめく。 まるで肌に感じる気温さえも下がったような気がして高木は身を竦ませたが、男は平然と快斗を見返しながら言った。 「なるほど、よく似ている」 「…親父を知ってるのか?」 「そりゃあ知ってるさ。なぜならこの私が…」 ――奴を葬ったのだから。 言うが早いか、一気に男の間合いに入り込んだ快斗が、男の鳩尾目掛けて拳を放った。 だが予想していたかのように男はそれを軽くいなす。 それでも快斗の勢いは止まらず、まるで獣のように目を剥きながら男に襲いかかった。 快斗は、かつてWGOの最高位である長官だった父が、殺された事実を知っていた。そして、父を殺したのがベラクルスの十二使徒のひとりである事実も掴んでいた。 だが、十二使徒の誰が殺したのかまでは分からなかった。だから、父を殺した敵を捜していた。 それが、目の前にいるこの男なのだ。 今まで抑圧していたあらゆるものが、まるで噴き上げるように溢れだした。 「私を殺したくて仕方ないみたいだな。だがそう焦らなくていい」 言いながら翳した男の手に従い、背後にそびえていたビルががらがらと音を立てながら崩れ始める。 その瓦礫の全てが、容赦なく快斗の頭上に降り注いだ。 「――私も、おまえを殺しに来たのだ」 あっと言う間に快斗を飲み込んだ瓦礫の山を、高木は茫然と見つめることしかできなかった。 何が起きたのか。男が左手を翳した瞬間、何の前触れもなくビルが崩れ、その瓦礫が不自然な動きで快斗の上へと落ちてきた。 それは明らかに自然の力を逸脱した、超常の力だった。 「あ、あ…黒羽君…!」 呆けたのも一瞬で、高木はすぐに瓦礫に駆け寄ると、無謀と知りつつも素手で瓦礫を掻き分け始めた。 だが、小さなものは動かすことができても、大きな固まりになると素手ではびくともしない。 「そんなことをしても無駄だぞ。それだけの瓦礫の下敷きになればまず即死だ」 それでも必死に足掻く高木を男が鼻で嗤う。 けれど、びくともしなかったはずの瓦礫が動き、あまつさえ持ち上げられた時、男の表情に笑みはなかった。 「…ほう。さすがは、と誉めておこうか。私の領域の中に在りながら、力を使うとは」 「そいつはどーも」 瓦礫の中からすっくと立ち上がった快斗は、驚くことに傷ひとつ負っていなかった。 男の力がうまく作用していなかったのか、それとも快斗の力が男を上回っていたのか。瓦礫に飲まれる瞬間、快斗の周囲を覆うように発揮された力の無効化≠ノよって、快斗は即死を免れたのだ。 驚きと安堵の入り交じった顔をしながら茫然と座り込んでしまった高木を、快斗はすまなさそうに眉を下げながら助け起こす。 その手からは痛々しくも血が流れていた。 「ごめんね、高木さん。痛かったよね。後で新出先生に治してもらうから…」 今は我慢して、と言って快斗は男の前へ立ちはだかった。 その目は相変わらず剣呑な光を湛えている。 父の命を奪った敵への憎しみが揺らいでいる。 「…力が使えたぐらいで、勝ち誇ったつもりか?」 先ほどまでの余裕ぶった表情を改め、男は声も低く唸るように喉を鳴らした。その金色の髪がざわざわと逆立ち、指先の爪が太く鋭く変化する。 十二使徒はその肉体を獣化して初めて実力を発揮するのだ。 男が獣化しようとしていることに気付き、快斗はその前に叩こうと足を踏み出した――が。 「そこまでだ」 声がしたと感じた瞬間、快斗の喉元にはぴたりと銀の刃が突きつけられていた。そして、男の喉元にも。 現れたのは、ジンという名の銀髪の男だった。 「何のつもりだ、ジン」 「そいつは殺すな」 「私は誰の指図も受けない」 急所を取られているにも拘わらず、男は尊大に言い放つ。 おそらく十二使徒の中でもかなりの実力者なのだろう。 仲間同士だと言うのに彼らは一触即発と言った空気を漂わせている。 しかし。 「…あの方が、悲しむ」 ジンのその言葉に、男はぴくりと肩を揺らした。 そして深く息を吐くと、それまでの殺気はどこへやら、獣化を解いて身なりを整え、そのままくるりと踵を返した。 その後に、刀を引っ込めたジンも続く。 「ま…待てっ!」 立ち去ろうとする彼らを慌てて追いかける快斗に、男が言った。 「父を奪った私が憎いだろう。だが、今はまだその憎しみは取っておけ。そうすれば―― おまえに抱く、私のこの焼け付くような憎しみも、今は忘れておいてやろう」 そして、彼らは姿を消した。忽然と。 追いかける術を持たない快斗は、ただ悔しさに唇を噛むことしかできなかった。 結局、彼らは何のために姿を現したのか。 快斗を殺しにきたのだと、金髪の男は言っていた。そして、快斗を憎んでいるとも。 父親を殺された快斗が彼を憎むならまだしも、なぜ彼に憎まれなければならないのか。 そして、ジンの言っていたあの方≠ニは、もしかせずともあの蒼い目の人――ベラクルスなのだろうか。 「黒羽君!」 と、足手まといになってはいけないからと、少し離れたところで状況を見ていた高木が駆け寄ってきた。 「黒羽君、大丈夫かい?」 「高木さんこそ、無茶するから手が血だらけじゃんか」 「あはは…てっきり瓦礫に埋もれちゃったと思って、必死だったから…」 「うん。ありがとう」 礼を言うと、快斗は傷ついた高木の両手に手を翳した。すると、ぴたりと血の流れが止まった。 驚いたように目を瞬く高木に、快斗は悪戯に片目を瞑ってみせる。 「便利でしょ。今、高木さんの血の流れ出す力を無効化してるんだ」 「す、凄いね。そんなことまでできるんだ」 「本部に行けば、傷を完璧に治癒できる能力者もいるよ」 まるで何でもないことのように快斗は言うが、本当はここまでできるようになるまでにかなりの時間と労力を費やした。 あの日、コナンが十二使徒のひとりに目の前で撃たれた時、快斗は自らの能力を使って止血を試みたが、その結果は散々だった。 快斗の無効化能力は常にオートで発動する。だから今まではわざわざ意識してコントロールする必要がなかった。 だが、誰かを守る戦いにおいて、それではあまりに無力すぎる。 それを痛感させられた。 だから、快斗はあれから多くの時間と労力を、能力をコントロールするためのトレーニングに費やした。 そして漸く、ここまでコントロールできるようになったのだ。 その努力があったから、あの男の力にも対抗できたのかも知れない。 けれど。 「…本当は、こんな力はない方がいいんだけどね」 そう言って笑う快斗の心は、非能力者である高木にはとても理解できないけれど。 それでも、こんな風にどこか哀しい笑い方しかできなくなるなら、確かにその通りなのだろうと高木は思った。 |
B / T / N |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ またも名前不明のオリキャラさん登場。 すみません、そのうち名前も出てきますんで!名前が出たら設定にも書きますんで! それにしても高木刑事は何でこんなに書きやすいんだろう…。 愛すべきキャラです。 07.05.03. |