−逆さ吊りの神− |
「――え? コナンが喋った?」 援護に駆けつけた赤井と服部と合流し、高木を連れてWGO本部に戻った快斗は、萩原から受けたその報告に信じられないと目を見開いた。 「ああ。さっき急に暴れ出したかと思ったら、おまえの名前を叫び出してな」 「俺の名前を…?」 何でも、無理に声を出そうとした上に掻きむしったため、喉の中も外もかなり痛めてしまったらしい。 それ程までして、快斗の名前を叫んだ。 それ程までして、コナンは自分を求めていたのだ。 なのに快斗は任務で地上に上がっていて、しかも十二使徒などと対峙していたばかりに、彼の呼びかけに答えるどころか気付くこともできなかった。 そんな大事な時に傍にいてやれなかったなんて、と快斗は唇を噛んだ。 「それで、コナンは今どこに?」 萩原は奥の部屋を右の親指で示した。 「今は心身治療室の例のVIPルームで眠ってる。あんまり暴れるから、智明に鎮静剤を打ってもらったんだ」 なあ、と同意を求めて萩原は新出に向き直るが、それを聞くや否や快斗は部屋を飛び出してしまった。 そのあまりの勢いに萩原は呆れた溜息を吐くものの、半ば予想していただけにすぐにそれを苦笑に変えた。 同じ部屋の中でその一部始終を見ていた高木は、そんなところはどこにでもいる普通の学生と変わらないな、と思う。 よもやその彼が超常の力を操る能力者であり、その上若干十七歳にして世界政府公認の極秘機関で副隊長を務める凄腕捜査官などとは、誰も夢にも思わないだろう。 「慌ただしくってすみませんねえ、刑事さん」 快斗の上司だと言う萩原は、まるで出来の悪い息子か弟を持った父親や兄のような顔で頭を下げた。 「あ、いえ、こちらこそ、助けてもらった上にわざわざ手当までしてもらっちゃって…」 とは言え、非能力者である高木に治癒治療を行うことは禁じられているため、彼に施されたのはあくまで薬的治療だ。 そんな普通の病院でもできるような治療のためにわざわざ高木を本部まで連れてきた理由は、他でもない。 「…すみませんが、僕たちと関わった記憶は消去させて頂きますね」 心底済まなさそうに謝る新出に、とんでもない、と高木は首を振った。 「いえ、自分のことは気にしないで下さい。そういう規則だってことは分かってますし、これも任務の内だと思ってますので」 せっかく知り合えた快斗や目の前の彼らのことを忘れてしまうのは確かに哀しい。けれど、多分自分なんかよりも彼らの方がずっと哀しいのだろうと、高木は思った。 どれ程の人と関わろうと、能力者の存在を闇に留まらせておかなければならない彼らは、誰の記憶にも残ることを許されないのだ。 それは、記憶を消されてしまう自分などより、きっとずっと苦しい。 「でも、たとえ忘れてしまっても、また会えたら嬉しいです」 僕は刑事だから、きっとまた会える機会はあると思いますし。あ、それとも、既に会ったことがあったりして? そう言って頭を掻きながら笑う高木につられ、萩原と新出も思わず笑った。 全ての人が彼のような人なら、能力者が自分の存在を隠して生きる必要などなくなるだろうに。 だが現実はそんなに甘くない。 超常の力はどうしても非能力者にとっては脅威だし、その力を用いて悪事を働く者がいる限り、能力者たちが日の光のもとで大手を振って歩ける日は来ないだろう。 だから、双方が幸福に安全に暮らすためには、自分たちは決して知られてはいけない存在なのだ、と。 高木に手を翳す新出の表情は、ひどく哀しげなものだった。 「――コナン!」 ばたばたと喧しく足音を立てながら部屋に飛び込んできた快斗に、志保は「静かにしなさい」と言って睨み付けた。 けれどその声も今の彼には届いていないらしく、快斗はコナンの眠るベッドの脇まで駆け寄ると、落ち着いた呼吸を繰り返しているコナンを見て、漸く安堵したように深く息を吐いた。 まったく、普段なら足音どころか衣擦れの音ひとつさせずに歩くことだってできるくせに、と呆れる志保は、けれどそれ程までに必死になれるものを見つけた快斗に安心してもいた。 「…傷、ひどいの?」 コナンの喉に巻かれた包帯を見て、快斗が泣きそうな声を上げる。 志保は「いいえ」と首を振った。 「爪痕はしっかり残ってしまったけど、傷は深くないわ。松田君がすぐに気付いて止めてくれたから」 「そっか…よかった…」 「鎮静剤も直に切れるから、貴方はここにいなさい。目が覚めた時、貴方がいた方が彼も安心するでしょう」 「ありがと、志保ちゃん」 本当は、加賀確保の報告書の提出やら十二使徒と接触した報告、本部に連れ帰った高木の処置など、やらなければならないことはたくさんあるのだけれど。 コナンと、そして快斗のために時間を与えてくれると言う志保に、快斗は心底感謝した。 「いいのよ。それに、新出君から聞いたわ。貴方、怪我した刑事さんの血止めをしたんですってね。いつの間にそんな高等技術身につけたのかしら」 「…相変わらず情報早いね」 「ふふ。今後の副隊長さんの活躍を期待してるわ」 そう笑って志保は部屋を去った。 快斗はコナンと二人きりになってしまった部屋で、近くにあった椅子をベッドの脇まで引き寄せて腰掛けると、眠るコナンの髪を優しく梳いた。 なんだかコナンが眠り続けていたあの時に戻ったような気分だ。 あの時、新出の能力による治癒が行われてから三日ほどは、観察の意味もあってICUさながらの数々の装置が設置されていた。 その後もコナンが目覚めるまではずっと点滴を行っていた。 今のコナンは装置こそつけていないものの、あの時と同じ部屋で同じように目を閉じ眠っている。 快斗はコナンの手を取り、祈るように額に宛った。 「大事な時に傍にいてやれなくてごめんな…」 快斗は特別機動隊副隊長の任を負う特務捜査官だが、まだ十七歳の子供だ。この若さでこれほどの階級に就く者はまずいない。 いくら能力者と言っても、義務教育も終えていない子供を任務に就かせることは規則違反なのだ。 快斗と同い年である服部や白馬にしても義務教育が終了する十五歳までは任務に就くことを許されなかった。 だが、快斗は十歳をすぎた頃にはもう任務に就いていたし、十四歳で既に副隊長を任されていた。 なぜならそれが本人の強い希望であり、彼がそれに見合うだけの高度な能力を持つ者――ベラクルスと十二使徒に対抗しうる、数少ない上級能力者のひとりだったからだ。 しかし、快斗の能力は封環で封じなければ使いものにならない、非常に危ういものだ。 快斗の他にこの封環をしている者は、日本支部内においてはただのひとり、機動班班長である赤井秀一だけだ。 その彼にしても、快斗のように己の能力に呑まれないために封環を嵌めているのではなく、制御しなければ一撃で標的を粉砕してしまうからという理由から封環を嵌めているに過ぎない。 萩原や松田、そして鬼と恐れられている服部平蔵でさえも、封環なしで自己の強大な能力をコントロールしている。 しかし言い換えれば、それが彼らの能力の限界ということだ。つまり快斗の能力は未だ発展途上中なのだ。 WGOにとってこれほど頼もしく、そして末恐ろしい能力者はいない。 だからこそ特別機動隊副隊長という責任ある任務を与え、今後の成長を心身ともに観察している。 そしてそうしたWGOの意志を快斗は聡く理解していた。 はっきり言って、これまでの快斗の成長は著しくなかった。 と言うのも、快斗はWGOに対する反感を隠そうとしなかったし、だからと言って非能力者のように地上で穏やかに生きることを望んでもいなかった。 父親を殺した者に執着する一方、そんな自分すらも冷めた目で見ているような、どこか破滅的なところのある子供だった。 死に執着する一方で、生にまるで興味のない子供。 だが、コナンに会って快斗は変わった。 コナンは快斗の世界を変えてくれたのだ。 それなのに、彼の必死の呼びかけに答えることができなかったことが悔しい。 悔しくて堪らない。 「かい…と…」 はっ、と顔を上げれば、微かに瞼を持ち上げたコナンと目が合う。 快斗は喜びに顔を歪めた。 やっと聞けた声。 掠れた声が喉の傷み具合を示しているようで痛々しいが、それでも。 確かにコナンの口から漏れた言葉。 ずっと呼んでくれていただろう――快斗の、名前。 「…なか、…いで、かいと…」 「え…?」 途切れ途切れに言葉を紡ぎながらも小さな手をうんと伸ばし、コナンが快斗の頬に触れた。 そこで初めて、快斗は自分が泣いていたことに気付いた。 なぜ気付かなかったのか不思議なくらい頬はしとどに濡れている。 だが、気付けばもう止められなかった。 なぜか分からないが、ひどく胸が苦しくて、無性に哀しくて。 まるで何年も何十年も溜め込んできた苦しみを吐き出すように、次から次へと涙が溢れて止まらない。 拭っても拭っても、それでもまだ足りないのだと零れ出す、何か。 「ごめ…、でも、止まらない…っ」 やっとコナンが言葉を取り戻したと言うのに、本当はもっと話したいことがたくさんあるのに、これではまともに話もできないではないかと、快斗は何度も袖で目元を拭いながら嗚咽を零す。 そんな快斗を、コナンは抱き締めた。 小さな手を懸命に広げ、ベッドの上に膝立ちになりながら、しっかりと快斗の背中に腕を回している。 快斗は吃驚して目を瞬いた。 「コナン?」 「ずっと…よんでた…でも、とどかなくて…」 「コナン…」 「…っと、言える…」 ――ありがとう、かいと。 そしてそのまま快斗にぐったりと体を預けると、コナンは再び落ちるように眠りに就いた。 どうしたのかと慌てかけた快斗は、けれどコナンがただ眠っているだけだと気付き、ほっと溜息を吐きながらそっとその体をベッドに横たえた。 布団をかけ直し、コナンの髪を優しく梳く。 涙は、いつの間にか止まっていた。 あんなに苦しかった痛みや哀しみも消えている。 それは多分コナンが消してくれたのだと、理由もなくぼんやりと思った。きっと小さい体で精一杯抱き締めてくれたコナンが取り去ってくれたのだ、と。 「…ありがとう、なんて。…こっちの台詞だよ」 こんなに小さいのに、時々コナンはひどく大人びて見えた。 子供のように泣きじゃくり、その上慰められるなんて、これではどっちが子供か分からないなと快斗は苦笑する。 そしてそれは、久しく見ることのなかった随分と穏やかな笑みだった。 |
B / T / N |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ …あんまり喋らせられなかった。苦。 ま、まあ次からコナンはばんばん普通に喋りますので! 07.05.06. |