−逆さ吊りの神− |
「おまえの名前は?」 「コナン」 「年齢は?」 「たぶん、七歳」 「国籍は?」 「たぶん、日本人」 「住んでる場所は?」 「たぶん、東都」 「両親は?」 「たぶん…」 「――もういいわ…」 そのあまりに不毛な問答に、志保は疲れきった顔で溜息を吐いた。 眠りから覚めたコナンを早速呼び出した志保は、今まで散々堪えてきた疑問を解消すべく、快斗に尋問するよう命じたのだが。 何度聞こうが終始この調子で、語頭にことごとく「たぶん」がついていたのでは何の解決にもならなかった。 「だから言ったじゃん。言葉を取り戻したからって、記憶を取り戻したわけじゃないんだから」 「煩いわね。それで上が納得するなら、私だってこんな無駄なことに時間を費やしたりしないわよ」 上からの重圧か、相当苛立っている志保は「いっそ一度頭でも開けば思い出すかしら」などと、少々マッドな呟きを漏らしていたりなんかして。 本能的に危険を察知したのか、コナンは怯えた表情で同じく怯えている快斗の腕に抱きついた。 「貴方、本当に何も覚えていないの?」 「う…ん、たぶん…」 「じゃあ、これはなんて読むか分かるかしら?」 「…All's right with the world=H」 「これは?」 「…Fugit irreparabile tempus=v これは?これは?とディスプレイに映し出される文字を、コナンは戸惑いながらも答えていく。 優に三十は読み上げたかと言う時、志保どころか快斗までもが驚いた顔を見せていることにコナンは首を傾げた。 自分は何かおかしなことをしただろうか。 そこに映し出されたのは、全て異なった言語だった。 英語、フランス語、中国語はもちろん、ギリシャ語やヘブライ語、果ては古代ケルト語のオガム文字から古代インドのカロシュティ文字まで。 その全てを、コナンは淀みなく読み上げて見せたのだ。 これを驚くなという方が無理な話だろう。 ずば抜けた頭脳を持つ快斗は言語能力にも優れているため、現在広く使われている主な言語は概ね操ることができる、俗に言うマルチリンガルだ。 志保から見れば、生身でありながらそれだけの言語を操れる快斗も充分普通の域を逸脱している。 体の半分を機械で補っている彼女だからこそ、蓄積してきた情報をコンピューターのように出力できるのだ。 そうでなければ今の半分も理解することはできなかっただろう。 だが、コナンはそれをやってのけたのだ。 たった今。 「貴方、今の言葉の意味が全て分かったの?」 「…? うん、そうだけど」 まるで当然のことのように頷くコナンに志保は眉を寄せた。 有り得ない。 子供だからとか、そんな次元の話ではない。 人間はたった二つの言語を操ることだってとても難しいのだ。それを、軽く三十を超す言語を操れるなんて。 しかも、今見せた文字の全てを理解していると言うなら、もしかせずとも彼はもっと多くの言語を操れるに違いない。 (十二使徒がこの子を狙う理由は、これ…?) だが、志保はすぐに首を振った。 言語を操るだけなら、インプットさえすれば志保にだってできる。そもそも人に頼らずとも機械に頼れば済む話だ。 つまり、この才能をも凌駕する何かをこの子供は持っているのだ。 命を狙われているということは、組織にとって都合の悪い何かを。 「コナン君。貴方は分かってないみたいだけど、普通の人はひとつの言葉か、多くてもふたつかみっつの言葉しか喋れないのよ」 「え…?」 でも、と言って快斗を振り返ったコナンは戸惑った視線を投げる。 コナンとともに図書室に入り浸っていた快斗は、色んな言葉で書かれた本を読んでいた。 だからコナンは自分が人と違うなんて思わなかったのだが。 「黒羽君は特別よ。私も例外ね」 仮にコナンがそういう能力を持った能力者であったならまだ納得もできたのだが、彼が眠っていた時から何度か行われている検査の結果は、依然として彼が非能力者であることを示している。 大体、年に一度行われる健康診断には、能力者か非能力者かを調べるための検査が世界的に行われているのだ。そこで能力者が発見されれば、その資料はすぐにWGOの管理班に送られ、彼らのもとで管理される。 光彦のように突然覚醒する能力者もいるから絶対とは言えないが、コナンが能力者であればその検査に引っかかっているはずだ。能力者と非能力者とでは、脳波の数値がそれほど明らかに異なっていた。 しかし、真っ先に管理班で管理されている能力者リストを洗った志保は、その中にコナンに該当する人物を見つけることができなかった。 つまりコナンは今まで一度も能力者との判定を受けたことのない、まったくのノーマルということになる。 だからこそおかしいのだ。 「貴方はそのたくさんの言葉をどうやって覚えたの? そもそも、貴方の母語は日本語なの?」 「どうやってって…そんなの分かんないよ。俺はただ、音にしなきゃみんな分かってくれないからそうしてるだけで…」 その発言に、志保は更に眉を寄せた。 「音にしなきゃ分からないからそうしてる」? 「音、って…」 「だって音が違うだけで意味は変わらないだろ?」 「それは…確かにその通りだけど…」 だが、人間はその音≠セけでは意味をなさないから、意味を持たせるために言葉≠生み出したのだ。 それが世界共通じゃないから、様々な言語が溢れているのだ。 それを、意味が同じなら音の違いは関係ないなどと言い切れる人間は、まずいない。 (この子は、言葉の音ではなく意味を聞いていると言うの?) いや、そもそも。 「音にしなければ伝わらない」と言うことは、音にしなくても伝える術を持っていると言うのか。そして、聞く術も。 そんなのは、それこそ昔から世に溢れていた精神感応者ではないか。 しかし非能力者である彼にそんなことができるはずは… 「――正確には、聞く≠じゃなくて見る≠だよ」 じっとこちらを見据える双眸が鮮やかな色彩を放つ。 群青色だった瞳が、その瞬間、まるで宝石のように美しく透明なターコイズブルーへと変化する。 志保は鳥肌を立てた。 相手の伝えたいことを見る=H 信じられない、と疑いながらも、志保は目の前で起きている現象を認めざるを得なかった。 静かにこちらを見据えるその目の輝きは、まるで大海のうねりのように抗いようもなく心の中へと入り込み、思考を浚ってゆく。 彼は今、確かに志保の思考を見て答えを返したのだ。 これで能力者でない、それこそが特異である証だった。 非能力者でありながら、人が持ち得ない力を持った存在。 人を超越した力を持ちながら、能力者でない存在。 そして、その子供を殺そうと付け狙う十二使徒。 そこから導き出される答えは――? 「貴方…まさか…」 志保は、自ら導き出した答えがとても信じられなかった。 だが、考えれば考えるほどそうとしか思えなかった。 かつて世界を混沌に貶めた大罪人、ベラクルス。 その強大な力を砕き、世界を終焉より救った神の使徒。 それこそが、この子供だとしたら。 (人を超越した能力を有することも、十二使徒に命を狙われることにも説明がつく…!) 何と言うことだろう。 かつてこの世を救った救世主がこの子供だとすれば、それはもう、一介の支部長が判断を下していいレベルの話ではなかった。 「…黒羽君。急用ができたから、今日はもう上がっていいわ」 「え? 仕事は?」 「いいから、貴方は彼の傍にいなさい。絶対に目を離しては駄目よ」 突然態度を変えた志保に、コナンが不安げな視線を向ける。 その目はもうあの寒気のするターコイズブルーの瞳ではなかったが、志保はあの目の輝きを忘れることはできなかった。 なんと美しく、なんと神秘的で、なんと――恐ろしい。 志保は「いいわね」と念を押すと、そのまま返事も待たずに部屋を出ていってしまった。 何だったんだろう?と首を傾げる快斗は、あ、と思い出したように声を上げた。 「そういや、高木さんが言ってた工藤≠フこと聞こうと思ってたのに、忘れてた」 とは言え、いくらあの事件にベラクルスの十二使徒が関わっていたと言っても、二四七名もいる行方不明者の中のたったひとりの少年の名を志保が知っているかどうかは怪しいところである。 けれどあの人の好い刑事の必死な様子を思えば、まあ調べてあげてもいいかなと思うくらいには、快斗は彼のことが気に入っていた。 たとえ調べたところで、それを彼に伝える機会があるとも思えないが。 「…くどう?」 くい、と裾を引かれて振り返れば、首を傾げながらコナンがこちらを見上げていた。 「くどうって、誰?」 「ん? 俺もよく知らないけど、昨日会った刑事さんの知り合いで、その人がそいつのこと探してるらしいからさ。分かったら教えてあげようかなあ、って」 「くどう…」 そのまま何度も「くどう」と繰り返し呟くコナンに、快斗も首を傾げる。 「なに? その名前がどうかした?」 「…よく、分かんないけど。なんか気になる」 そうしてコナンは黙り込んでしまった。 快斗は初めて過去の記憶らしい言葉を口にしたコナンに、逸る鼓動を止められなかった。 名前も、年も、国籍も。住んでる場所も、両親の存在さえ忘れてしまったコナンが、初めて記憶に残るものを見つけたのだ。 これに喜ばずして何に喜べと言うのか。 「よっしゃ、俄然やる気出た! 全国の工藤さんを虱潰しに調べてやるぜ!」 そしたらおまえの記憶も取り戻せるかもな、と言って笑う快斗に、コナンも嬉しそうに頷いた。 |
B / T / N |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 短いですが、キリがいいので。 コナンさん、素晴らしい天才っぷりです!かなりドリーム入ってますね(笑) でもコナンさんには有り得ないくらい外国語に堪能でいて欲しい。 オフィシャルで青山センセも「たくさん喋れる」って言ってるしv でもほんとは、快斗には更にその上をいってもらいたいのです。この話では無理だけど。 07.06.02. |