−逆さ吊りの神− |
薄暗い室内に六つの人影が浮かび上がる。 時折ノイズを交えるその人影は、まるでモニターに映し出されたデジタル画像のようだ。 事実、この空間に実在する者は誰ひとりとしていなかった。 ここはネット上に存在するデジタル空間であり、何重にもプロテクトを掛けられたこの場所でのみ、WGOの首脳会議は行われるのだ。 円卓に腰かけているのはそれぞれイギリス支部、フランス支部、ロシア支部、中国支部の支部長と、日本支部支部長である志保、そしてアメリカ本部の本部長にしてWGOの現長官を務める男、ジェームズ・ブラックだ。 ジェームズは眼鏡の奥の眼光も鋭く、親子ほどにも年の離れた志保を見据えながら言った。 「緊急の招集ということだが、いったい何事かね?」 緊急時の招集権限は全ての支部長に与えられているが、彼らがその権限を行使したことはまだ一度もない。 と言うのも、世俗から完璧に隔絶された機密組織であるがゆえに外部からの支援を一切持たないWGOは、指揮官クラスともなればかなりの激務となる。 その上有能な能力者が不足している現在、事実上班長と支部長を兼任せざるを得ない状況だ。 そのため、各支部の支部長と長官が顔を突き合わせての会議が毎週決められた時間に行われている中、あえて時間を割いてまで招集を掛けようと思う者はいなかった。 だが、今度ばかりはそうも言っていられないだろう。 「お忙しい中、お集まり頂いて有り難う御座います」 志保はおもむろに立ち上がると、まずは五人に向かって深く頭を下げた。 ここにいる者たちは、さすがに一支部を担うだけあり、一筋縄ではいかない食わせ者ばかりだ。 だが、それを言うなら志保とてさほど大差はない。 志保は手元のキーボードに何事か打ち込むと、円卓の中央にスクリーンを浮かび上がらせた。 そこに映っているのは――コナン。 「先日より、日本における十二使徒の活動が活発化していることはすでに皆さんご存知かと思います。同様に、その要因のひとつと考えられるとして、先より報告しておりました、現在我が支部で保護監察中である身元不明のこの少年についてもご存知ですね」 そこで言葉を止めた志保に、焦れったそうな声が挙がった。 「能書きはいいから、さっさと本題に入ってよ。それで結局、そのお子サマがなんだってーの?」 特有の人を小馬鹿にした物言いが相変わらず鼻につくが、何を言ったところでこの男が今更改めるわけもないからと、志保はフランス支部の支部長であるサイモン・クローの発言を無視して先を続けた。 「昨日、失語症から回復した少年に改めて尋問したところ、追想障害による全生活史健忘は相変わらず回復していなかったのですが…、とても興味深いことを言っていました」 「…何と言っていたのかな?」 台詞の途中に空けた僅かな間からこちらの躊躇いを嗅ぎ取ったのか、穏やかだが有無を言わせぬジェームズの問い掛けに、志保は覚悟を決めたようにぐっと顎を引いた。 「彼は言葉の音の意味を、聞く≠フではなく見る≠アとができる、と」 途端、一瞬にしてその場の空気が張りつめるのを肌に感じた。 円卓を囲む面々の表情が明らかに引き締まる。 どこか気の抜けた態度を崩すことのないサイモンでさえも、軽く眇めた瞼の奥の双眸を鈍く光らせている。 当然だ。 志保だとて、それを聞いた時には鳥肌が立った。 コナンが何の気なしに言っただろうその言葉がどれほど異常なことか、この場にいる者たちは皆理解していた。 「…詳しくお聞きしたいわ」 「子供の戯れ言にしては面白すぎるね」 「口を慎め、サイモン。遊びじゃないんだぞ」 気を張りつめたまま、それぞれが反応を返す。 サイモンのふざけた態度が余程気にくわないのか、彼とはまるで水と油の関係であるイギリス支部支部長のゲイリー・シモンズは、サイモンを叱咤したその口で「続きを話せ」と志保に向き直った。 「一通りの尋問を終えた後、彼に言葉遊びをさせました。と言うのも、彼が複数の言語を理解するかも知れないという報告を受けていたからです。或いはそれで彼の出生地を推測することも可能ではないかと思いました」 理解できる言語に僅かな偏りを見つけられれば、それをもとに地域を限定することができるし、理解できない言語体系を用いている地域を項目から消去することもできる。 だが、結果は志保の予想を遥かに凌駕していた。 「私は三十を超える全く体系の異なった言語をモニターに映し、それを読めるかと彼に聞きました。中にはすでに死滅した言語や少数部族の間でしか使われていなかった象形文字もありました。結果は――その全てを、彼は淀みなく読み上げました」 円卓の中央に映し出された子供は、今や彼らの目には何か異形のものに見えていた。 頭がいいとか、そんな低レベルな話ではない。 彼が人に許された能力を遥かに超越していることは明らかだった。 「それから、彼に護身術を指導している警衛班班長補佐である松田と、特別機動隊隊長である萩原の両名によると、彼の体術のセンスはずば抜けていると……ずば抜けすぎていて不自然だとの報告を受けています。体力こそ年相応ですが、技術面においてはこの年ですでに松田・萩原両名と肩を並べるかも知れません。おそらくは指導による上達ではなく、指導を切っ掛けに忘れていた動きを思い出した、と言った印象を受けたそうです」 「ほぉ…あの萩原がそう言ったのか?」 「ええ。実際、松田は何度か本気で打ち込んでしまったこともあったらしけど、彼は平然としていたそうよ」 同じ特別機動隊の隊長として何度か彼と共闘したことのあるゲイリーは、萩原という男が如何に他人の評価に厳しいか、よく知っている。 その萩原をしてそう言わせしめる何かが確かにあるのだろうと、彼はスクリーンに映る子供を鋭く見据えた。 「それだけではありません。…これは、実際に体験しなければ理解し難いでしょうが…彼は確かに私の思考≠見て≠「ました」 あの、言葉にし難い感覚を、いったいどう表現すればいいのか。 後にも先にも、あんな感覚を覚えたのはあの時だけだ。 有無を言わさず己の意識の中に入り込み、何をするでもなくただこちらの思考を見て=Aするりと通り過ぎていった。 荒々しいわけではなく、それでいて決して拭うことのできない凄まじい存在感があった。 その瞬間、自分とは意識を別とする生命が確かに己の中に存在し、共生するでも相反するでもなく、ただ消えていった。 あの時感じたのは、未知への恐怖と奇妙な一体感、彼が消えた後の安堵、そして最後に残ったのは――言い様のない寂寥感。 その瞬間、志保は直感したのだ。 コレは人ではないのだと。 己と同じ次元に存在する生命ではないのだと。 もっと高貴でずっと尊い存在なのだと、確信した。 「――かつて最初の終焉より世界を救った、神の使徒」 束の間の沈黙を破るように呟かれたジェームズの言葉に、志保ははっ、と息を飲んだ。 それはまさに自分が出した結論と同じ答えだ。 ジェームズは難しげに眉を寄せ、重苦しそうに口を開いた。 「我々能力者の力が決して及ばないもの。それは生命を成す三大要素である思考∞存在∞真理≠セ。 生命の礎たる思考=B 思考°yびそれを包む肉体の存在=B 存在≠構築する神の叡智、真理=B 真理≠ヘ何人も改竄することのできない万物の核であり、それによって構築された存在≠ヘ変化を許しても消失は許さない。従って、存在≠フ礎たる思考≠ヨの干渉は不可能だ」 たとえば万物の核たる真理≠組み替えることによって物質を変化させることはできても、無から有を生み出したり有を無にすることはできない。 同様に、人間の五感に働きかける錯覚は許されても、直接思考を改竄することは許されない。 生命の礎たる思考≠ヨの干渉を許せば、それはすでに個別の生命として成り立たなくなり、存在°yび真理≠ヨの干渉にも値する。 そのため、思考≠ヨの干渉も不可能とされているのだ。 いわば、錬金術の大原則である「等価交換」と似たようなものだろう。 「その大原則を超越するということは、彼は人≠超越した存在である可能性がある。つまり――神の使徒である、と」 皆まで言わずとも理解していたらしいジェームズに、志保は静かに頷いた。 それはまさしく、志保がコナンに思考をさらわれた時に考えたことだ。 「確かに、彼が神の使徒だとすれば、十二使徒に狙われる理由としては十分すぎるな」 「お待ちなさい。仮にその子供が神の使徒だとして、十二使徒はどのようにして彼を見つけたと言うの」 「それはわからんが…考えてもみろ。そもそも身元不明の子供なんだ。突然空から降ってきたとしても不思議じゃないだろう」 「…本気でそう言っているのなら、早々に口を閉じて二度と開かないことね」 歯に衣着せない辛辣さで言えば志保を遥かに上回る女、ロシア支部支部長のオリガ・ストラヴィンスキーの悪口に、さすがのゲイリーも黙りと口を噤んだ。 「…その子、自分が何者かまだ知らされてないんですよね」 と、終始無言を貫いていた中国支部支部長の青年、黄静冬が静かに口を開いた。 常に物静かであまり発言することのない黄の問いに、志保は気後れしつつも頷いた。 「ええ。まずはあなた方にと思い、このことは支部の誰にも話してないわ」 「そうですか…」 ふ、と微かな苦笑を浮かべた黄は、悲しげに呟いた。 「だったら、彼にはこのまま何も知らずに平穏に過ごさせてあげたいですね」 黄の突飛な意見に思わず呆気に取られる一同だったが、志保には彼の言いたいことが分かるような気がした。 コナンが真に神の使徒であるのなら、WGOはこの戦いで確実に優位に立てるだろう。 そのためには何としてでも彼に力を貸して貰いたいと思うのが当然だ。 志保だって、もしコナンを知らなければ、他の者たちと同じように感じたかも知れない。 けれどコナンと、彼と楽しそうに過ごしている快斗を見ていると…… 戦いなどない静かな世界で平穏に暮らさせてあげたいと、本気で思った。 だって、彼らは本当に楽しそうに笑うのだ。 まるで本物の兄弟のように、大事に大事にコナンを守る快斗と、一心に快斗を必要としているコナン。 笑うことを忘れてしまったコナンが、笑えるようになったのだ。 作り笑顔に馴れてしまった快斗が、心の底から笑っているのだ。 幾多の血を流してきた快斗と、その彼の支えとなってくれたコナンを、誰よりも側近くで見てきた志保が、どうしてそれを壊すことなどできようか。 「これは僕たちの戦いです。たとえこの子供が神が使わして下さった使徒だったとしても、僕たちは僕たちの力でこの戦いを乗り越えられるよう、努力しなければならないんじゃないですか?」 かつて、神の使徒が救ってくれた世界。 しかし、世界を滅びに導いたのは他ならぬ人間だ。 その尻ぬぐいを使徒にさせておきながら、この上我々能力者同士の醜い争い事の不始末まで彼に委ねたのでは、あまりにも不甲斐ない。 思わず押し黙ってしまった一同を余所に、同じく何も言えずにいる志保ににこりと笑いかけると、黄は言うべきことは言ったとでも言うように、組んだ手の上に顎を載せて静かに目を閉じた。 「だがな、黄。そうは言っても、現実として十二使徒が動き始めた以上、彼の力は必要になるかも知れんだろう」 「たとえその子供が本物の使徒であったとしても、肝心な時に力が覚醒していなければ、取り返しがつかない事態を招くことになるでしょうね」 現実主義者の二人が異を唱えるのに対し、意外にも黄派だったらしいサイモンがにやけながら軽口を飛ばした。 「へー。君ら二人とも負ける気満々ってわけ。いい大人が情けないねぇ」 「…口を慎めと言ってるだろう、サイモン」 「見たとこ女史も黄派みたいだってのに、年長二人がこのザマじゃなぁ」 「サイモンっ!」 いちいち食ってかかるゲイリーとは違い、何を言われようと意見の変わらないらしいオリガは、最終的な決定権を持つジェームズの采配を待っていた。 放っておけばいつまでも啀み合っている二人を窘め、ジェームズは静かに口火を切った。 「黄の意見は道徳的に当然のことだし、ゲイリーとオリガの言い分もよく分かる。しかし、ここはまず現実に即した対処を優先すべきだろう」 「具体的にどうされるおつもりですの」 まず、と言ってジェームズはスクリーンに映るコナンを見遣った。 「この子には記憶がない。身元を知るにしろ、力を覚醒させるにしろ、この霧に覆われた部分を明らかにすることで何らかの進展となる可能性は高いだろう」 無理に力を覚醒させることが道徳に反するとしても、もともとあったはずの記憶を取り戻すことで力が覚醒するのであれば問題はないはずだ。 それに失った記憶を取り戻させることも、生活の向上にこそなれ無駄となることはないだろう。 「私の部下に高い催眠技術を持つ者がいる。まずは彼女を日本支部に派遣し、記憶の復元に協力させよう。それなら君らも構わないだろう?」 無言で肯定を示す黄に倣い、志保も頷いた。 サイモンは特に興味がないのか、好きにしてくれとでも言うように手を振った。 「では宮野君、今夜にでも影師を送ってくれ。彼女には詳しい事情は伏せ、ただ彼の記憶を復元するよう言っておく。君たちも、この件は他言無用だ。 ――それでは、解散」 その言葉を合図に、薄暗い室内から一瞬にして人影が消えた。 |
B / T / N |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あああ…なんだかドツボに嵌っていく感じ…。 あの、組織もの、それもWGO・ベラクルス・警察の三大勢力を描こうとしているので、 どうしてもキャラが多くなります。 その全てを「コナン」の中から捻出することは不可能なので(未熟モンです)、 オリキャラばんばん出ててすみません! あ、でも、サイモンもゲイリーもオリガも黄(ホアン)も、覚えなくていいんで(笑) 08.02.13. |