−逆さ吊りの神−




















「えーっ! 閲覧禁止指定文書!?」

 日本一広大と言われる書庫の隅々まで響き渡りそうな勢いで素っ頓狂な声を張り上げた快斗に、錬金術師の異名を誇る鑑識斑班長・阿笠博士は大慌ててで快斗の口を塞いだ。

「こ、これっ、あまり大声を出しちゃいかんよ、快斗君。書庫は静かに使わんと…」

 管理班所属の頭の固そうな女性監視員がぎろりと睨みをきかせるのへ愛想笑いを返し、阿笠は改めて快斗に向き直った。
 快斗はあちこちから視線が集まっていることも気にせず、しかめっ面で阿笠に詰め寄った。

「閲覧禁止ってどういうことだよ、博士」
「じゃから、五年前の航空機失踪事件の資料については、一切の閲覧を禁じられておるんじゃよ」
「だからなんで?」
「それはわしにも分からんよ」

 あれだけ大規模な事件だったのだ。
 当然、資料室に行けば何かしら手掛かりがあるだろうと思ったのだが……
 快斗の予想に反し、航空機失踪事件に関する資料は何ひとつ見つけられなかった。
 これはおかしいと、たまたま――もとい一日の大半を書庫で過ごしているため、近くにいた阿笠を捕まえて問い質してみたところ、その事件に関する資料は「閲覧禁止指定文書」と言うではないか。

(…怪しすぎる)

 閲覧禁止指定文書。
 それは支部長以上の者、要するに各支部と長官六名以外の閲覧が禁止されている文書のことだ。
 いわば、各支部における最高責任者しか知ることを許されない最高機密と言うことである。
 しかも資料の一部ではなく全ての閲覧が禁止されていると言うことは、航空機失踪事件そのものが最高機密扱いと言うことになる。
 下位の職員には知らされないと言うことは、機関として余程重要な機密が関わっているのか、或いは上の者にとって都合の悪い何かが関わっているのか。
 どちらにしろ、閲覧禁止指定文書となっては到底手が出せない。

(――なーんて、引き下がる快斗君じゃありませんよ、と)

 閲覧禁止指定文書は最高責任者の監視のもと、厳重に保護されている。
 ホストコンピュータの管理を行っている数名の能力者と、最新式のセキュリティシステムを搭載したコンピュータによって何重にも掛けられたこのプロテクトを突破することは、普通のハッカーは勿論、能力者のハッカーであっても不可能である。
 だが、快斗にだけはそれが可能なのだ。
 以前志保が言っていたように、あらゆる力を無効化することのできる快斗の能力を持ってすれば、コンピュータも人の目も欺くことができる。
 ただ、以前はこの能力をうまくコントロールできなかったし、そうまでして誰かの目を欺く必要がなかったから使わなかっただけのことだ。
 以前よりコントロールも格段に上達した今、快斗は必要とあらば遠慮なくこの力を使わせてもらうつもりだった。



「快斗!」
「お待たせ、コナン」

 自室へ戻るなり、快斗はキッドと大人しく留守番をしていたコナンに飛びつかれた。
 快斗が出掛けている間が余程暇だったのか、ベッドの上には快斗の私物であるカードやらゲームやらが散乱している。
 しかし勉学とスポーツ面においては万能と言っても過言ではないコナンだが、意外にも手先の器用さを要求されるカードやテレビゲームの類は苦手らしく、暇つぶしにもならなかったようだ。
 と言うのも、何故か唐突に「自室待機」の命令を志保より言い渡されてしまったコナンは、日課だった光彦との護身術の稽古も書庫での読書もできず、現在軟禁状態にあった。
 おかげで資料漁りに行った快斗についていくこともできなかったのだ。

「探しものは見つかったのか?」
「いや、閲覧禁止指定の文書らしくて、資料室には置いてなかった」
「そっか。残念だったな」

 もっとあっさり分かるかと思っていたのに、案外この事件は奥が深いのかも知れない。
 となると、その事件に関わっていた工藤なにがし君が存命している確率は、残念ながら零に等しいだろう。
 あの人の好い刑事の悲しむ顔が頭に浮かび、快斗は浅く息を吐いた。
 しかし、ここで諦めるわけにはいかなかった。
 コナンの記憶に「くどう」という名前が残っている以上、快斗は全国の工藤さんを徹底的に調べ上げるつもりだ。
 それは航空機失踪事件の関係者である工藤なにがし君も決して例外ではない。
 そのためにはまず――ホストコンピュータへの、侵入。

「なあコナン。おまえ、ルールを破るヤツって許せないと思うか?」

 奥の机の上に置かれたパソコンを立ち上げ、素早くキーを叩きながら快斗が問う。
 コナンは唐突な質問の意味を吟味しているのか、しばらく考え込んだ後、言った。

「ルールは守るためのものだけど、そのルールに縛られて守るべきものが守られないのなら、意味がないと思う」

 そうだ。
 ルールは何かを守るために作られるものだが、そのルールのために自分の本当に守りたいものが犠牲になると言うなら、快斗は迷わずそれをぶち破るだろう。
 そしておそらく、コナンも迷わずぶち破れてしまう人種なのだ。
 自分たちはどこか似ているなと、快斗は笑った。

「俺は今からホストコンピュータに潜る。その間体が留守になるんだけど、おまえに任せていいか?」
「いいけど…」

 それが禁じられた行為であることは話の流れで分かったのだろう、言葉を濁すコナンを振り返り、快斗は軽く息を飲んだ。
 群青色だったはずのコナンの瞳が透き通るような空色に変化している。

「俺が、見つけようか?」
「コナン…?」
「快斗の捜し物、俺ならきっと見つけられるよ」

 はたと、昨日コナンが言っていたことを思い出す。
 音の意味を聞く≠フではなく見る≠アとができる、と。
 と言うことは、おそらくコナンは物を見る力が優れているのだろう。
 その、仮に眼力と称するこの力を以てすれば、或いは厳重に守られた最高機密でさえいとも容易く暴いてしまえるのかも知れない。
 だとすれば、ホストコンピュータに侵入するなどという危険な行為も犯さなくて済む。
 ――だが。

「…やめとけ。人と違うものってのは、リスクがある場合が多い。もしそれでまたおまえが喋れなくなったりしたら嫌だし」

 それに、だ。
 志保の態度が豹変したことも気になる。
 もしもコナンのこの目が理由なのだとしたら、あまり使わない方がいいだろう。
 快斗だとてコナンが普通≠ナないことなど百も承知だ。
 だが、そんなことは関係なしに、側にいたいから側にいるのだ。
 万が一にも引き離されることになどなったら――冗談ではない。

「おまえも、どうしても必要な時以外はなるべく使うなよ」

 そう言ってコナンの真っ直ぐな髪の毛をくしゃくしゃと撫でてやれば、コナンははにかみながら俯いてしまった。

「快斗は…変わってるな」
「そうか?」
「支部長は俺の目を怖がってた。俺が迂闊にあの人を見た≠ゥら、怖がらせたんだ。なのに、快斗は俺を怖がらないんだな」

 自分でも戸惑っているのだろう、コナンの呟くような声はまるで自信のなさを表しているかのようだった。
 コナンは――あまり自分のことについて話さない。
 当然だ。話せるだけの記憶を持たないのだから。
 以前よりずっと笑うようになったとは言え、未だ失感情症が完全に治ったわけでもない。
 まだ時折ぎこちない反応を返すことがままある。
 そんなコナンだからついつい見落としてしまいがちだが、それでも彼なりに自分自身のことについて考えているのだ。
 コナンもまた、他人と自分との違いに戸惑っていた。

「――俺がこの世で一番怖いもの、知ってる?」

 突然の話題転換についてこれなかったコナンが怪訝な顔をしている。
 滅多に見られないレアな表情に内心手を叩き、快斗は声を潜めて囁いた。

「ここだけの話、俺は魚が死ぬほど怖いんだ」
「魚ぁ!?」

 どうしてこの話の流れで魚に行き着くのか。
 思わず奇声を上げたコナンを、快斗は悪戯が成功して喜ぶ子供のように声を上げて笑った。

「あいつらに比べたらおまえなんか可愛いもんだぜ。俺を怖がらせたかったら魚でも釣ってくるんだな」

 そう言ってにやけた笑みを浮かべる快斗をしばし呆然と見つめていたコナンは、やがて破顔した。
 これが快斗なりの励まし方なのだろう。
 おまえの悩みなど魚にも劣るのだと貶されたとあっては、そんなつまらないことでいつまでも悩んでいるわけにもいかない。
 コナンは快斗の隣に椅子を移動させると、そこにちょこんと腰かけた。

「ほら、潜るんならさっさと潜れよ。快斗の悪戯がばれないよう、見張っといてやるからよ」

 ほんのり紅潮した頬が生意気な言葉を裏切っていたが、せっかく浮上した気分を下降させるのは勿体ないからと、快斗は素直に礼を言ってコンピュータへと向き直った。





 モニターに表示される映像をただ見るだけのサーフィン≠ニ、自分の意識を直接ネットに接続して行われるダイブ≠ニでは、根本的な概念が全く異なる。
 情報技術が発達した現代において、大手企業や政府の主要機関などでは、従来のただネットの波に乗るだけだったサーフィン≠ヘ既に時代遅れだと言われており、ネットの海に潜るダイブ≠アそが現代のスタイルだと言われている。
 事実、サーフィン≠謔閧熈ダイブ≠フ方がより多く、より正確で、より貴重な情報が得られる場合が多い。
 そのため世界政府公認の極秘機関であるWGOのようなホストコンピュータに侵入しようともなると、ネットの海に潜らなければ入り口に辿り着くことすらできないのだ。
 快斗は何の変哲もない単調な通路を、時折右に折れたり下に飛び込んだりしながら、飛ぶように突き進んだ。

(相変わらずややこしい道だな)

 何度か任務の一環としてホストコンピュータまで潜ったことのある快斗だが、自分でなければあんなややこしい道を覚えられる者はいないのではないかと、いつも思う。
 ネットの海は、現実にある海とはまるで違う。
 そこは砂原や岩山を一望できる見晴らしのいい場所などではなく、喩えるなら蟻の巣のようなものだ。
 細長い通路の壁一面に、どこへともなく繋がっている入り口がびっしりと連なっているため、ひとつ間違えればとんでもないところへ出てしまうのだ。
 しかも、いつでも好きな時にネットから抜け出せるサーフィン≠ニは違い、ダイブ≠ヘ自分が潜った場所まで戻らなければネットから抜け出せないため、下手をしたら命取りにもなる。
 そのため、通常なら自分が辿った足跡を必ずコンピュータに記憶させておくのだが――ルール違反の不法侵入でそんなものを残せるはずがない。
 だからこそそんな危険を冒してまでハッキングを行う者はそうそういないのだが、ずば抜けた記憶力と特殊な能力を持った快斗には、そのどれも違法行為を踏み止まるための障害には成り得なかった。
 この変哲のない通路にも、何千何万という監視システムが働いている。
 その全てを無効化しつつ、足跡も残さずに、快斗はホストコンピュータへとひたすら潜った。

 やがて見えてきた入り口を潜れば、五人の女性が背中合わせに五角形を描くように座っていた。
 一様にシールドをつけているため顔立ちは定かではないが、いずれも本部に属する管理班の者たちだろう。
 自分の存在を認識する力を無効化させている快斗は、彼女たちの誰ひとりとして気付かれることなく、コンピュータ内への侵入を果たした。
 だが、問題はここからだ。
 この広大なネット空間の中でも、特に膨大な情報が書き込まれたこの資料保管室の中から、どこにあるとも知れないたったひとつの資料を見つけなければならないのだ。
 果たしてどれほどの時間が掛かることか。
 とは言え、どこかからは調べてみなければ始まらないのだからと、すぐ近くにあった資料に手を伸ばした快斗は――

「捜し物はそれじゃないよ」

 と言う声に、ぎくりと動きを止めた。










B / /
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なんか長くなりそうなので次に持ち越しです。
声の主は誰カナ!
勢いに乗っているうちにサクサクいきましょう。
08.02.17.