黒羽快斗は大学に入ってから知り合った友人だった。
高校時代に巻き込まれた――というか自分で飛び込んでいったとある事件をすったもんだの末になんとか片づけた新一は、東都大学の心理学部に進んだ。なぜ心理学部を選んだかと言えば、例の事件の影響だった。
犯罪者の心理を理解することは、新一には難しい。ほんの些細な言動でも殺人の動機となりうることは理解できても、なぜ人を殺そうとするのかが理解できない。人を殺すことに恐れを感じていると言うよりは、一時の感情に流されて人を殺したとしても、結局は何も変わらないと分かっているからだ。もし殺人という手段で真の幸福と安寧を手に入れられるなら、誰もそれを禁じたりしないだろう。しかしそうでないと分かっているから、人は口を揃えて言うのだ。人を殺してはいけない、と。
だが、あれは新一がこれまで生きてきた中で最も大きく、最も複雑で、最も理解し難い事件だった。「分からない」の一言で終わらせてしまうにはあまりに苦く、あまりに多くの犠牲者を出しすぎた。
――もし自分に彼らの殺人衝動の根源が少しでも理解できていたなら、こんなにもたくさんの犠牲者を出さずに済んだのだろうか?
そんな仮定に意味がないことは分かっている。けれど可能性に気づいてしまったら、試みないわけにはいかなかった。推理で追いつめて犯人を自殺に追い込むことが罪なら、防げたはずの犯罪を見過ごすことも同等に、罪。犯罪者の心理を知ることで犯罪を未然に防ぐことができるかも知れないというなら、何もしないわけにはいかなかった。だから人間の心理を学ぼうと思った。
そして、黒羽快斗もやはり心理学部の学生だった。
得意分野は理工学だと自ら宣言していながら、心理学部という全く方向性の違う学部を選んだ理由は、彼が人間心理のプロフェッショナル――プロマジシャンを目指しているかららしい。しかし新一はこの短い付き合いの中で、黒羽快斗という男の本質がどういうものかを見抜いていた。
そもそも彼に「得意分野」というものは存在しない。強いて名前をつけるなら「好きな分野」か「興味のある分野」だ。なぜなら、およそ人が修得しうる学問において彼に理解できないものがないからである。もっと正確に言うなら、修得する上で苦手と感じさせるものがひとつもないのだ。彼はそれほど人間離れした知能指数の持ち主だった。
だから新一は、彼が心理学部を選んだ理由はそれが「興味のある分野」だからだと考えている。
その彼と知り合ったのは、大学に入学したその日のことだった。
「――新入生総代が二人、ですか?」
申し訳なさそうに眉を下げながら右手で落ち着きなく自分の顎髭を弄っているのは、東都大学の学長だ。初老の男性で、人は好さそうだが気の弱そうな目をしている。きっとアクシデントに弱いタイプだ。そして多分、今がそのアクシデントの起きた非常事態なのだろう。
「そうなんだよ。総代は入試で最高得点を取った者がするものだろう? それが今年は二人いてね。前例がないので私たちも戸惑ってるんだけど、やはり伝統に則るなら、権利は平等に与えるべきだと思ってね」
「はあ…」
東都大の入学式で総代を務めるという名誉にもあまりこだわりを持っていない新一は、嘆息ひとつで学長の提案を受け入れた。正直なところその権利とやらをもう一人の最高得点者に譲ってしまっても全く構わなかったのだが、学長らが総代を二人にすると決めたのならそれに従うまでだ。
ただ少しだけ、自分と同じ最高得点を取ったという相手のことが気になった。なにせ新一の入試の点数は、歴代初の全教科満点である。つまり、国内最難関の大学入試で全教科満点という快挙を成し遂げた学生が一度に二人も現れたのである。
新一は学長から受け取った総代の挨拶文にぼんやりと目を通した。天下の東都大とは言え、実に代わり映えのない無個性な文字が並んでいる。記憶力には自信のある新一だが、こういう十把一絡げの内容は逆に凡庸すぎて頭に入ってこない。
「ステージには二人一緒に上がってもらうつもりだけど、挨拶は工藤君が先に読んでくれるかな」
「分かりました」
「約半分、印がつけてあるところまで読んだら、もう一人に渡してあげて」
「はい」
頷きながら、そもそももう一人の総代はどこにいるのかと疑問に思った。もう式が開会するまで十分もない。新一は指定された座席に座っていたところをスタッフに呼ばれてこの控え室まで連れ出された。総代の打ち合わせなら、普通二人同時に呼び出すものじゃないのか。
「あの…もう一人の学生は来ないんですか?」
疑問をそのまま口にすれば、学長はただでさえ下がっていた眉を限界まで引き下げた。さり気なく腹を押さえているところを見ると、胃でも痛めているのかも知れない。
「彼は、その、たぶん間に合うと思うんだけどね…もしかしたら間に合わないかも知れないんだ。そうなったら、挨拶文は全部工藤君に読んでもらうことになるんだけど…」
「間に合わないって、入学式にですか?」
「うん。予定では間に合うはずだったんだけど、なんでも離陸が遅れてしまったそうでね…」
どうにも要領を得ない。
離陸ということは県外にでもいたのだろうか。なにも入学式前日に、それも新入生総代を任された者が行かなくてもいいと思うのだが。まあ身内に突然の不幸があったとか、どうしても抜けられない用事があったのかも知れない。
しかし学長の話は更に突拍子のないものだった。
「昨日フランスから国際電話が掛かってきた時はびっくりしたよ…」
「――フランスっ?」
予想外の真相に思わず声を上げる。
県外どころか、国外とは。
「工藤君も知ってるんじゃないかな。黒羽快斗君といってね、日本でも割と有名なマジシャンの卵だよ。冬休み中はフランスでマジックの武者修行をしてたらしい」
学長はまるで息子を自慢するように嬉しそうに話した。そりゃあ将来超一流のマジシャンになろうかという若者が、自分が学長を務める大学に通おうというのだから自慢もしたくなるだろう。
黒羽快斗の名を、もちろん新一は知っていた。ここ一年ばかり何度か新聞の一面を賑わせていた若手マジシャンである。毎日数社の新聞をチェックしている新一が目にしないはずもない。
――そうか、彼がもう一人の総代なのか。確かに彼なら入試で満点くらい取りそうだ。
新聞や雑誌の写真でしか知らない相手だが、愛想よく笑った顔の中で瞳だけが悪戯っぽく光っているのが印象的だった。それだけで彼が特別製の猫を着こなしているのが分かった。きっと幼い頃は印象通りの悪戯小僧だったのだろうが、頭の回転の速さで大人のお叱りを逃れてきたクチだろう。要するに、新一と同類である。
あの時はまさか同じ大学に通うことになるなんて思わなかったし、二人で新入生総代を担うことになるなどとはもっと考えていなかったけれど、新一はなんだか不思議な縁を感じた。
しかし、開会のブザーが鳴っても彼が姿を現すことはなかった。どうやら総代の挨拶は一人で読み上げることになりそうだと思いながら、新一は退屈な式を聞くともなく聞いていた。
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