今時の学生らしく、カジュアルながらも周囲を意識したファッションは、流石は新進気鋭のマジシャンというべきか。ただ立っているだけなのにまるでモデルさながらの迫力がある。
服部はすぐにその男が件の人物――黒羽快斗であることに気がついた。そもそもテレビや雑誌に引っ張りだこのこの顔を知らない者はそういないだろう。
「おまえ……黒羽やな?」
「そうだよ。新一の世話、ご苦労さん。もうお役御免だから服部クンは帰っていいよ」
わざとだろう、しれっと大層失礼なことをほざきながら、満面の笑みを向けられる。いっそ幻聴かと疑いたくなるほどの見事な笑みだ。
服部は思わず感心してしまった。これまで工藤新一ほど不遜で独尊な男はこの世にいまい、と思っていた服部だが、この黒羽快斗はその彼を軽く上回っている。
ただの身の程知らずか、それとも工藤新一に見合う人物なのか――その答えは、少なくとも前者では有り得なかった。
「自分、確信犯やな。今まで酔ったフリで工藤のこと騙しとったんやろ」
「人聞きが悪いな。俺は人前で酔ったことなんか一度もないよ。だから『酔ったフリ』だってしてない」
「ほーォ。フリやなくてもそう思い込ませたんやろが」
「新一がそう思ったんなら、そうかもね」
のらりくらりと攻撃を交わす相手に、なぜだか楽しくなってくる。
ここは普通、友人を誑かした悪人として糾弾すべきシーンなのだろうが、彼の口舌を聞いていると、なぜか自分の中の競争心や探求心といったものをくすぐられ、思わず探偵としての食指が動いてしまうのだ。隠されたものを暴きたくなるのは最早探偵の性だが、彼はその探偵である自分から言葉ひとつで巧みに真実を隠している。やはり、ただ者ではない。
「まあそういうことにしといたるわ。それより俺が聞きたいんは、なんでアンタがそんなまどろっこしい真似したんか、や」
ま、大体予想はついとるけどな、とかまをかければ、黒羽は嫌そうに眉を寄せた。
「要するに、アンタは慣らしとったんやろ。工藤の中に欠片も存在せえへん同性への意識が生まれるように、『酒』に託けてぐっだぐだに口説いとったんや。そうやろ?」
同性からの本気の告白は理解できなくても、酔って(新一曰く)女と間違われての告白なら新一も認識できるのだ。『告白』そのものを認識できないのと、人違いでも認識できるのとでは全く違う。そうして徐々に慣らしていくことで同性という垣根を崩し、『黒羽快斗』という個人を恋愛対象として認識させた。現に、新一にとっての黒羽は既に恋愛対象である。本人に自覚がないだけで、黒羽の恋人にまで嫉妬するほどの独占欲を抱くということは、そういうことだ。
考えてみれば、なんと狡猾なことか。工藤新一という人物を理解し、かつ、手に入れるためになにをすればいいのかを的確に分析し、それを実行してきたのだ。今日までずっと。
「ほんま、ワルイ男やで。どこまで狙ってやってるんや」
相手がおそろしく頭の切れる男であることはもう分かっている。そもそも日本の最高学府に通う身で、その上プロのマジシャンで、あの新一すら手玉に取るような男だ。なにを言われたところでちょっとやそっとのことでは驚くまい、と思っていた服部だったが。
「――全部。なにもかも、新一に惚れて振られてからの行動全てが、新一を口説きおとすためのものだ」
その返答には、思わず唖然とした。
「東都大に入ったのも、同じ学部を選んだのも。それどころかマジシャンになったのだって、全部新一を手に入れるためだ」
「う、うそやろ…? 工藤のためにマジシャンになったやて?」
「そうだ。もとからの夢でもあったんだけどな。マジシャンになること自体諦めかけた時期もあったし、なれてももっとずっと先のことだろうと思ってた。だから今俺がこうしてマジシャンでいられるのは、新一の言葉があったからだ」
そんな馬鹿な。世界のクロバが、この激鈍探偵の言葉ひとつで生まれたなんて。世界中のファンが聞いたらショックのあまり卒倒しそうだ。
服部はもう呆れ返った。呆れ返ったが、納得もした。工藤新一を口説き落とすなら、この男ぐらいぶっ飛んでいなければとても成せることではないのだろう。毛利蘭は確かによくできた幼馴染みだったが、よくできすぎて、新一にはきっと勿体なかったのだ。そう思えば、破れ鍋に綴じ蓋というか、これ以上似合いの二人もそういないように思えてくるから不思議だった。
「ほんま、よォやるわ。自分、趣味悪いて言われへんか?」
こんな面倒くさい男のどこがいいのかと、工藤新一という男の数え切れない欠点を知りながら、同時に誰よりも彼の魅力をよく知る親友は嘯く。
けれど相手の方がやはり上手だった。
「新一の魅力は俺だけが知ってればいいんだよ。他の奴になんか、勿体なくて教えられるか」
そう言って微笑みながら睨みつけてくるマジシャンに、服部が敵うはずもなかった。
黒羽は話している間も全く起きる気配のなかった新一を抱え直すと、もう話は済んだとばかりに踵を返した。
特に引き留める理由のない服部も黙って見送ろうとしたのだが、ふと黒羽が振り返ったかと思うと。
「そうだ、服部クン。『親友』の間は我慢してきたけど、『恋人』になったら遠慮しないから、俺」
そんなことを言われ、服部は思わず半眼になって温い笑みを零した。
「へーへー。アンタがおらんとこで二人きりで会わんかったらええねんやろ」
「ご理解頂けてなにより」
器用にも優雅に一礼して、今度こそ黒羽は店を出ていく。しっかりと釘を差すことを忘れないあたり、今日のこの二人きりでの飲み会にはかなり不満を感じていたのだろう。いや、あの独占欲を見る限り、きっと新一と会う人全てに嫉妬していたに違いない。
「工藤もエラい男に引っかかったもんや。いや、ちゃうか。エラい男を引っかけたんか」
魅了されたのは明らかに黒羽の方だ。その黒羽に振り回されている今は、どっちもどっちといったところだが。
気づけばすっかり注目を浴びていた服部はさっさと会計を済ませると(と言っても新一の分はきっちり黒羽が払っていったようで、自分が飲み食いした分の料金で済んだ)、逃げるように店を後にした。よく顔の売れた男が三人、人目も憚らずあんな遣り取りをしていたのだ。明日には耳聡い週刊誌あたりが紙面を騒ぎ立てているかも知れない。しかし単に気が回らなかっただけの服部と違って、黒羽は確実に気づいていながらの故意だろう。つまり、なんと噂されようが痛くも痒くもない、ということだ。気の毒なのは新一だが、それもあの口の上手い男だどうにかするだろう。
「ま、君子は危うきに近寄らず、やな。お邪魔虫はとっとと退散しよか」
今夜の宿を無くした服部だが、馬に蹴られるよりは宿泊代を取られた方がマシだと、上機嫌で流れているタクシーを拾った。
それにしても、ひとつだけ気になることと言えば。
「なーんやアイツ、あの口調といい気配といい、誰かを思い出すんやけど、誰やったっけな?」
服部はひとり、首を傾げていた。
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