君に吐いたのは、最初で最後の大きな嘘。




















Liar , Liar...





















「しんいち……」


 気付いたら、もう決して伸ばさないと決めていたはずの手を、伸ばしていた。
 伸ばしてしまえば、それまでの誓約など全てどこかへ飛んでしまい。
 ただ我武者らに、愛して止まないその人の体を、力一杯抱き締めていた。

 やっぱり、もう、離せない。


「……ぃ、と…っ」


 大好きな人の口から漏れた自分の名前に、快斗は一層力を込めた。

 本当はずっと知っていた。
 自分が消えてからも、彼がずっと引きずり続けていることを。
 ことある毎に、この場所へと足を運んでいることを。

 夜の風の吹きすさぶ時計台の上、一種神々しいまでの夜景を目の前にして、抱き合う。
 快斗は腕を新一の体へと絡め、その手に重ねるように新一も手を添えて、泣きながら頬を寄せ合った。
 伝う雫は風に晒され冷えていったけれど、熱くなった心が体を燃え上がらせる。
 そうして暫く、ふたりして声を上げて泣いていた。

 どれぐらいそうしていたのか、新一は背後にいる快斗に体を預けたまま、ようやく落ち着きを取り戻すことが出来た。
 ただ消えてしまわないようにと、まわされた腕をずっと掴んだままだったけれど。


「快斗。」


 はっきりと名前を呼ばれ、ぴくりと体が揺れた。
 彼には随分酷いことをしてしまったという自覚が、ある。
 偽りを許さない瞳を前に、吐かないと約していたはずの嘘を吐き。
 言葉で戒め、望まないと告げられたはずの現実に置き去りにし。
 死んだと思わせ、……ひどく、哀しませた。

 どんな断罪も受けようと、快斗はぎゅっと瞳を閉じて、次の言葉を待った。
 けれど。


「幻じゃないよな。」


 肩を微かに震わせながら、新一はそう言うのだ。


「消えたりしないよな。もう、居なくなったりしないよな…?」
「…しん…」

「でも、夢でも、良いから。…もう二度と、離れないでくれ…」


 快斗は左手で強く腰を抱き寄せたまま、右手で無理矢理新一の顔をこちらに向かせると、言葉を紡ぐ暇も与えずに口付けた。
 まるでそれは、飢えた獣のようで。
 生きるために必要だった半身を、漸く取り戻した、獣。
 快斗は噛みつくように自分のそれで新一の唇を塞ぐと、間をおかずに舌をねじ入れた。
 甘く誘う赤い舌を絡ませ、吐息も、声ですら、全てを求め奪い尽くしてゆく。
 角度を変えて深く深く貪れば、同じだけ新一も快斗に答えてくれた。

 熱い口内は、何度となく体で覚えた彼の体温そのもので。
 離れていた時間を飛び越えて、今、あの時のままのふたりがここに居る。

 ほんの少し心が満たされた頃、漸く快斗は新一の唇を解放した。
 息苦しさやら哀しみやらで涙の滲んだ目元を、そっと優しく唇で撫でるように辿っていく。
 いつの間にか背中にまわされていた新一の腕に幸せを感じながら、快斗は目を閉じていた。
 そうして、そっと包み込むように新一の顔に手を添える。


「新一……話、聞いてくれる…?」


 蒼い瞳に焦がれて、閉じていた瞳をゆっくりと開ける。
 新一が目を見開いた。
 その様子を静かに見届けて、それでも快斗は優しく微笑んだまま。


「俺はきっともう、どんなに頑張ってもお前を手放せない。新一を傷付けたくないと、思う。でも、やっぱりお前が居なきゃ駄目なんだ……」

 我侭で、ごめん。


 そう言って、コツンと、快斗は新一の首元に額を押付けるように体を預けた。
 新一は驚いて、けれどそれでも快斗を離したくなくて。


「…お前が、あんな嘘を吐いた理由……話せよ。」


 快斗の顔を上げさせると、その瞳に優しく口付けをおとす。
 途端、くしゃりと歪んだ快斗を見て、新一は思う。
 快斗もまた同じだけ……或いは自分以上に、苦しんでいたのだろう、と。


「ごめん…!話す、から、…だから……」


 その先は言葉にならなかったけれど。
 言いたいことがなんなのかは、痛いほどによくわかっていて。
 そしてそれを、不思議なほどすんなりと受け入れていた。


「良いよ。お前がいれば良い。だから、ちゃんと、俺も引きずり落とせ。」


 ふたりの瞳からは、また、涙が溢れ出して。
 その雫はどこまでも透明で綺麗なのに。
 天には月が輝いていて。



 その輝きを反射する快斗の瞳には、禍々しいほどの赤が灯っていた。




















* * *


 体中に出来ているはずの傷の痛みなど、ほとんど感じてはいなかった。
 作戦はほぼ完遂出来ているし、今のところ致命的なミスはない。
 思うことはひとつ。


“家に帰ろうぜ”


 そう言った彼の声を思い出して、爆弾を仕掛ける手をそのままに、キッドはそっと微笑んだ。
 粘土状のものにグッ、と配線を押し込めると、分厚い柱の影に隠れて手にしたリモコンのボタンを押す。
 途端に広がったオレンジ色の閃光。
 それに続くように爆音が響き渡った。

 威力もタイミングも全て計算通りだ。
 それは当然、何せ自分と彼が作ったのだから。
 全てに置いてぬかりはない。
 プラスチック爆弾で強引にこじ開けた扉の奧には、広い研究室があった。
 数台のパソコン、大量の試験管に保冷器機、マウスなどの動物実験に使われていたらしい手術台、などなど。
 よくもまぁ、こんな都会のまっただ中の地下に、こんな巨大な施設を造ったものだと感心してしまう。
 もちろん、少しも誉める気など有りはしないが。

 事前にハッキングして入手していたこの建物の見取り図と、実際に訪れて見たものをふまえて、キッドは要所に素早く爆弾を仕掛けていく。
 どんなに緻密に設計されていても、どこを潰せばより破壊出来るのか、キッドの優秀な頭脳には全てが叩き込まれていた。
 仕掛けられるのは、先ほどのプラスチック爆弾とは別の、時限式爆弾。
 だが、いくら時限式と言っても油断は出来ない。
 いつ邪魔が入るともわからないこの状況で、ひとつが爆発すれば連動して爆発するよう配線を弄ってある。
 確実にこの場を、崩壊させるために。

 そうしてキッドは、9個の爆弾を仕掛け終えた。
 残るはあと4つという……その時だった。

 人間の傲が生み出した、禍の灰の女神を、見つけたのは。


(…あれは……?)


 円筒形のガラスに護られた、赤い塊。
 固形物と言うには不自然で、液体とも違う、ゼリー状のそれは、なぜかキッドの意識を釘付けた。
 そのガラスは何かの実験器具のようだったが、生憎どう使っていた物か想像も付かない。
 ただ、近づけば近づくほどに、その塊が禍々しいものであることがわかった。
 何の確証もないただの直感ではあったが……確信していた。


「時をねじ曲げ、永遠をもたらす……」


 禍の石、パンドラ。

 キッドは引き寄せられるように、そのガラスに向かって発砲した。
 トランプ銃も器具を取り外し別の器具をつければ、立派な拳銃となるのだ。
 そこそこに厚みのあるガラスだが、防弾というわけでもないのか、いとも簡単に砕け散る。
 顕わになった赤い塊を、キッドは凝視した。

 おそらく、パンドラではない。
 これを宝石と呼ぶには無理があるし、何よりそのもの自体が赤く光っている。
 パンドラはその内部に取り込んだ別の何かが、赤い光を放つのだから。
 そう、だから。
 これはおそらく……造られたもの。
 けれどこの禍々しさは、すでに人智を越えていた。



 その昏い輝きに気を取られていたせいか、キッドは背後に人が近づく気配に、少しばかり気付くのが遅れた。
 すぐさま手に銃を握りなおすが、入り口に立った男がキッドへと銃を構えるのが数コンマばかり早い。


「動くな、怪盗キッド!」


 キッドは男に背を向けたまま、全身を目にして相手の動向を探る。


「まだ動ける方がいたとはね……」
「五月蠅い!良いか、ソレには触るんじゃねぇ!」


 それ、とは言うまでもなくこの塊のことだろう。
 男の言葉を聞いて、キッドは背中越しに口端を持ち上げる。
 どうやら相手は対して利口ではないようだ、と。
 自ら弱点を晒すような言動を、そうとも解らずに口にしてしまうような単細胞。


「おや。では、触ったらどうなると言うのです…?」


 その言葉が早いか、動くのが早いか。
 キッドは赤い塊を奪うように掴み取ると、瞬時に駆け出した。

 常に危険の中にいるとあって、この白い戦闘服の舌には防弾チョッキを着込んでいる。
 もちろん、それは新一も同じだ。
 足を狙われれば痛いが、それでもどうにか逃げ切る自信があった。

 けれど何故か、キッドの足はまるで石になったかのように動かなくなってしまったのだ。
 その瞬間を外さず、撃ち込まれた銃弾。
 運が悪いことに、それはキッドの首を穿った。
 ……深く。


「…っつ、く…っ」


 同時に相手に撃ち込んだ弾は、狙いを外さず射られていた。
 一瞬にして深い眠りへと強制的につかされた男は、為す術もなく床に崩れ落ちる。
 穿たれた首を圧迫しながら、キッドもまたその場に力無く膝をつく。


「や、べぇ……マジかよ、こんな……」


 いくら圧迫しても、首の動脈を切断されたらしく、溢れるように血が吹き出ていく。
 赤い赤い、鮮血。


「し、しん…いち…っ」


 あと、ほんの少しだったのに。
 残りの爆弾を仕掛け、脱出経路を彼と走りながらスイッチを押せば、それで全ては終わりだったのに。
 ……こんなものに、気を取られたせいで!

 握っていた塊を、キッドは忌々しげに睨み付ける。
 すでに瞼にも力が入らず、目は閉じかけていた。
 固体でも液体でもないそれは、握れば握るだけ形を変えるが、けれどすぐに元へと戻ってしまう。
 首から溢れる血がその塊へと滴り、一層赤みを増したようだった。

 キッドは膝を立てていることも出来なくなり、まるでスローモーションのように床に伏していく。
 抵抗は無意味だとわかりながらも、歯を食いしばって立ち上がろうとすることを止められなかった。

 待っているのだ、彼が。
 約束したのだ、彼と。
 一緒に帰ろうと。死ぬときは一緒だと。
 自分が死ねば彼は間違いなく死を選ぶだろう。
 それを嬉しく思う狂った自分と、一緒に帰りたかったと悔やむ自分と。

 けれど抵抗も虚しく、キッドはとうとう倒れてしまった。
 やがて目を開けていることも出来なくなり、視界が暗く狭くなっていき……










 その瞬間、世界は赤く染まり上がった。










 ドクン、とひとつ脈を打つ。

 弱まり、消えかけていたはずのそれが、ドクンドクンと力強い音を刻む。
 抜けてしまったはずの力も、だんだんと戻ってくる。
 まず指がぴくりと動き、やがて手が動くようになった。
 確かめるように床を手で辿りながら、思いきって力を込め、立ち上がる。
 ボロ人形のように倒れたはずの体が、嘘のように軽く動いた。


「なに…?どうなってんの…?」


 わけがわからず茫然とする。
 赤いと感じたはずの世界は、今は通常通りの色を取り戻している。
 入り口の近くには男が倒れているし、衣装も床も自らの血で赤黒く染め上がっている。
 わけもわからず首の傷へと手をやって、キッドは愕然とした。


「な、い……傷が、ない…!?」


 穴と言っても過言ではない傷が、跡形もなく消えている。
 そうして気付いた。
 見下ろした自分の体は血まみれではあったが、あったはずの傷がことごとく消えていることに。

 二度目の衝撃は、それからすぐだった。


「………なに、これ。」


 割れたガラスに映る、自分の姿。
 何も変わったところはない。
 ただひとつを除いて。


「何なんだよ、この目は…!!?」










 赤い赤い、どこまでも禍々しい赤が、自分の瞳に宿っていたのだ。










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次回、快斗が嘘を吐いたワケ。
予想出来るような展開で申し訳ない…;
ふたりが一緒なら、生きても死んでも幸せ。
それがモットーです。