花も嵐も踏み越えろ






 黒尽くめの男に扮したキッドは、敵の目を欺きつつ仕掛けた爆弾を絶妙なタイミングで爆破させ、転々と姿を変えながら施設の中を駆け回っていた。
 陽動ならキッドの仕事の時からお手の物だ。
 所詮は烏合の衆。自分やあの名探偵のように頭の切れる者がそうごろごろいるはずがない。
 だが。

(予想はしてたけど、ジンだけは誤魔化せねえか…)

 いや、ジンだけではない。
 キッドの記憶通りならもうひとり、一筋縄ではいかない切れ者がいる。
 ――ベルモット。
 かつてシャロン・ヴィンヤードとして初代怪盗キッドである黒羽盗一のもとで変装術を学んでいた彼女なら、同じく彼のもとで変装術を学んだキッドの変装を見破ってしまうだろう。
 彼女の姿が見えないと言うことは、陽動に掛かっていないと言うことだ。
 となれば、組織の要ともいうべき人物が少なくともふたり、新一の方へ向かうことになる。
 赤井に援護に向かって貰ったとは言え、それでも安心はできない。
 焦りから微かに舌打ちを漏らせば、インカムの向こうの女が言った。

「そんなに心配なら、貴方もB≠フもとへ行きなさい」
「…J=H」
「仕掛けは全て貴方がセットしてくれたから、後は私に任せて。それとも私じゃ信用できない?」

 もちろん、彼女も優秀なFBI捜査官だ。
 キッドは随分と余裕のなかった自分を省みてひとつ苦笑を漏らした。

「有り難う御座います、J=v















chapter 10-2 :

















 ベルモット――!

 豪奢なプラチナブロンドを靡かせながら目の前に現れたベルモットに、新一と赤井は揃って銃を突き付けた。
 しかし、銃を構えるこちらに反し、彼女は武器らしきものを手にしてもいない。どこかに援護がいるのかと素早く視線を走らせるが、室内に転がる男たちの他に人影はなかった。
 訝るこちらの視線をするりと受け流し、ベルモットは何の衒いもなく新一と赤井の間を通り抜ける。
 まるで攻撃する気はないのだと言わんばかりに諸手を挙げ、こちらから三メートルほど離れた場所でくるりと振り返った。

「…なんのつもりだ?」

 新一が警戒心を露わに声も低く問いかければ、彼女は挙げていた手を腰にあて、いつものからかうような笑みもなくこちらを見下ろした。
 次の動作に素早く対応できるよう、トリガーに掛けられた赤井の指先に力がこもるのを視界の端に捉える。

「貴方こそ、そのデータを持ち出してどうするつもり?」

 ベルモットがちらりと流した視線を目で追えば、まだ「15%」の数字と五分の一にも満たないパラメータが表示された画面がある。
 この数字が「100%」になるまで、どうにかしてこの場を切り抜けなければならない。
 新一は右のこめかみをひやりとした汗が伝うのを感じながらも軽く唇を嘗め、取り敢えずは会話による時間稼ぎを試みることにした。

「あんたは知ってるはずだ。俺と灰原がこの薬を飲んだことを」
「ええ、よく知ってるわ。そしてその薬が、どれほど愚かで馬鹿げたものであるかも」

 そう言ったベルモットの目の中には、まるで抑えきれない怒りが渦巻いているかのようだった。
 彼女が薬の研究に携わっていた哀に憎悪のような感情を抱えていることは知っていたが、何が彼女をそうさせるのか。
 あの薬で親しい肉親を亡くしたとは時期的に考えにくいし、彼女自身が投与されたと言うことも同様だ。
 ジョディの話によれば、彼女は新一や哀のように「若返った」のではなく、ただ「年を取っていない」だけなのだから。

 しかし、では、彼女はいったい何者なのか?

「その姿を取り戻したと言うことは、この薬がどういうものか、もう分かったでしょう?」

 ベルモットの言葉のひとつひとつが、新一に重くのし掛かる。
 もしかせずとも、新一が抱えるこの苦しみが分かるのは、この世で彼女ただひとりかも知れなかった。

「…そうだ。APTX4869に解毒剤はない。モニカは解毒剤を作ったんじゃなく、あの薬を完成させたんだ」

 そう、それはまるで神か悪魔の所業の如く――

「時の流れに逆らい、人の生命を凌駕するための妙薬を。」

 薬を服用してから初めて口にした事実に、新一は自分で打ちのめされるような気がした。
 そして初めて耳にした事実に、赤井の気配が僅かに揺らいだのが分かった。

 APTX4869とは、プログラム細胞死を誘導し、尚かつ細胞の増殖能力を高める薬だ。
 つまり、この薬は細胞の死と再生を人為的に繰り返すための薬なのだ。
 これにより、不要となった細胞やウィルスなどに侵された細胞も新しく生まれ変わる。
 そうして常に「現在の肉体」をDNAレベルで維持する。
 所謂、「不老」というものだ。
 新一が飲んだのは、そういう薬なのだ。
 つまり、新一は死ぬまで「十八歳の肉体」のままなのだ。
 その上、この薬の効果が恒久的に続けば、「寿命」というものは実質的になくなる。
 そうなれば「不老」の上に「不死」だ。
 …笑えもしない。

「あんたたちの目的は何なんだ?まさか本気で不老不死を手に入れたかったのか?それを手に入れて何をする気だ?」
「さあ…ボスの考えてることは私には分からないわ」

 自分たちはただ、彼の命令に従い任務を遂行するだけ。
 そう言ってひょいと肩を竦めたベルモットは、「ただ、これだけは言えるでしょうね」と続けた。

「不老不死≠ネんて馬鹿げた妄想を切望する愚者はいくらでもいるわ。そしてそうした人間がいる限り、その影で苦しむ人間も後を絶たない。
 …貴方や、私のようにね」

 その言葉に、新一は確信した。
 隣でじっと耳を傾けていた赤井も同様だ。

 今までの彼女の言動や哀の言葉、そして手にした情報からある程度の推測は立てていた。
 だが、確証がなかった。
 彼女の真意がどこにあるのか、それが分からなかった。
 けれど。

「やはり――この薬はあんたの細胞をもとに創られたんだな」

 ベルモットは苦い笑みを返すことで肯定の意を示した。

 薬を飲んで「若返った」のではなく、ただ「年を取らない」彼女。
 では、なぜ年を取らないのか。
 APTX4869のような効果をもたらす別の何かが存在するのか、或いは組織や他の何かによって創り出されたのか。
 しかし、それならAPTX4869の制作過程に少なからず「サンプル」として関わってくるはずだ。
 何もないところから研究を重ねていくよりも、サンプルがあればそれを分析していく方がずっと現実的だろう。
 しかし両親から研究を受け継いだ哀も、モニカも、そんな「サンプル」はないと言っていた。
 それを聞き、新一はあるひとつの結論に至った。

 彼女の「不老」がAPTX4869の影響でもなく、他の何かによる影響でもないのならば、彼女こそがこの薬のモデルとなった「オリジナル」なのではないか、と。

「…そうよ。私の体は普通の人と違い、DNAに異常があるの」

 そもそも人間のDNAは二重螺旋構造をしており、人の寿命にはそのDNAの両端にある「テロメア」という構造が密接に関係している。
 テロメアは細胞が分裂する度に短くなり、それが短くなると細胞は増殖を止め、細胞老化と呼ばれる状態となる。
 そして人の老化にはこの細胞老化が深く関係しているのだ。
 つまり、テロメアの短縮を防ぐ「テロメアーゼ」と呼ばれる酵素を活性化させることにより、老化は防ぐことができる。
 しかし、普通の人間の体細胞において、このテロメアーゼは弱い活性しか持たない。
 ベルモットは、このテロメアーゼの活性が異常に強い体細胞を持っているのだ。

「自分の体の異常に気付いたのはもうずっと昔…。その頃には大女優シャロン・ヴィンヤードとしてテレビにも映っていたから、本格的な変装術を習うまでは何とかメイクで誤魔化してきたわ。
 …でも、組織の目は誤魔化せなかった」

 ベルモットが組織に入った経緯は、組織の構成員としてではなかった。
 「不老不死」の研究のモルモットとして、組織に拉致されたのだ。
 そして組織内におけるある程度の自由を得るために、彼女は自ら組織の構成員となり、幹部にまで成り上がった。

 彼女は誰より組織を、そしてあんな馬鹿げた薬を創り出そうとする研究者たちを憎んでいた。
 だからこそ彼女は、APTX4869の開発者であった哀にあれほど固執していたのだろう。

「私はずっと待っていたのよ。組織を潰すことのできる誰かが現れるのを」

 そして今、漸くその「誰か」が現れた。

「長い間待ち望んだ、私の愛しいシルバー・ブレット…」

 そう言って自分を見つめるベルモットに、新一はニッ、と口角を上げた。
 そう。
 確証がなかっただけで、これは既に予想された事態なのだ。
 予想外の事態ならまだしも、予想された事態への対処に、この名探偵が抜かるはずがない。

「たとえどんな事情があったにせよ、あんたが過去に犯した罪がなくなるわけじゃない。その罪を背負っていく覚悟があるか?」
「そんなもの、この名を与えられた時からとっくにできているわ」

 一瞬の躊躇いもなく言い切ったベルモットに、新一も頷く。
 そうして新一はこれからどう動くべきかの指示を出すべく、構えていた銃を静かに下ろした。





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かなりテキトウでイイカゲンです。信じちゃダメですよ(笑)