花も嵐も踏み越えろ






 ――見つけた。
 その石を目にした瞬間、それこそが快斗がずっと探し求めていた宝石であることを確信した。

『…信じて頂けたでしょうか?』
『Oui, mademoiselle』















chapter 14-1 : ねじれた感情

















 その日、快斗はいつものように時計台前の広場で路上パフォーマンスを行っていた。
 まだ始めたばかりの頃は、観客と言えば広場で遊んでいる子供たちがメインだったのだが、人が人を呼び、いつの間にかわざわざ快斗のマジックを見に足を運んでくれる大人たちの姿が多くなっている。
 その中に、ひとり異質な空気を持った外国人の老紳士が混じっていることに快斗は始めから気付いていた。
 純粋にマジックを楽しみにしている客とは違い、男の目は快斗そのものを興味の対象としている節がある。
 けれど男の放つ気配は快斗が常に警戒している類のものではなかったため、ひとまず目の前のギャラリーを満足させるべく、今日も最高のショーを披露して見せた。



『素晴らしい腕をお持ちですね』

 ショーが終わり、ファンと名乗る女の子たちから花やら差し入れやらを受け取っていた快斗のもとに、ショーの間中終始無言で見物していた老紳士が歩み寄ってきた。
 見た目を裏切らぬ英語での会話に、快斗の周りにいた女の子たちが遠慮するように去っていく。

『…有り難う御座います。残念ながら、最後まで貴方を驚かすことはできなかったようですが』

 言外にこちらもそちらを気に掛けていたのだと告げれば、男は慌てたように頭を下げた。

『これはとんだ失礼を…! 驚きよりも懐かしさが勝っておりましたもので、つい…』
『懐かしい?』

 自分の記憶の中に存在しない初対面の相手に首を傾げれば、男は胸ポケットから一枚の紙を取りだし、それを手渡しながら言った。

『まるでお父上のマジックを見ている心地でした。宜しければ、一度こちらをお訪ね下さい。赤い涙≠ノついて貴方様にお話したいことがあると、主が申しております』

 その台詞に、快斗は自分の心がざわめき立つのが分かった。
 ――赤い涙=B
 そんな単語は、快斗が探し求めているものを知らなければ到底口に上ることのないものだ。

 快斗の変化にも気付かず、男は頭を下げると踵を返してしまった。
 たとえ僅かであったとしても殺気を抱く相手を前にこんなにも簡単に背を向ける男が組織の関係者だとは思えない。
 だが、彼はパンドラのことを知っていた。父のことも。

(罠か、それとも本物か…?)

 迷ったのも一瞬で、快斗はすぐに思考を切り替えた。
 罠でも何でも、確かめずにおくわけにはいかない。
 これが真にパンドラの情報なら万々歳だし、たとえ罠でもその時は容赦なく叩き潰すまでだった。



* * *



 男から渡された紙に記されていたのは新宿にある高級ホテル、それも最高級スイートルームだった。
 怪盗家業のために稼いだ金を表立って使うことのできない一高校生男児には、一生足を踏み入れることはないだろう場所である。

 マジシャンの黒羽快斗として招待された快斗は、高級ホテルのスイートルームを訪れるのに恥ずかしくない程度の正装で、扉をノックした。
 既にフロントに頼んで来訪は告げてあったため、程なくして扉が開いた。

『よくぞお越し下さいました、黒羽様。奥で主がお待ちです』

 昼間の老紳士に相変わらずの低姿勢で招き入れられ、快斗は気を張りつめながらも部屋の中へ足を踏み入れた。
 天高く月が昇った今、正面に張られた硝子の向こうには東京の目映い夜景が広がっている。
 それを見た者なら誰もが感嘆の溜息を漏らすだろう光景を前に、けれど夜景など見慣れた快斗は特に感動した様子もなく、奥で待つ「主」様のもとへと向かった。

 革張りのベージュのソファに腰かけていたのは、ソバージュがかった柔らかそうなブロンドが美しい、透き通るような白い肌をした美女だった。
 すっと背筋を伸ばした姿、膝の上で重ねられた両手は、上流階級らしい気品に満ちている。どこから見ても文句なしの良家の子女だ。
 まだ二十代にしか見えない彼女が老紳士の言う「主」なのだろう、彼は彼女の脇に控えるようにひっそりと立った。

『今宵はお招き頂き有り難う御座います、マドモアゼル・モンティジョ』

 そう言って快斗はどこからともなく取り出したユリの花束を彼女へ渡した――流暢なフランス語で。
 彼女は僅かに瞠目した後、薔薇色の唇に花のような笑みを浮かべると、フランスの国花とも言われるユリの花束を受け取った。

『さすがは盗一様の御子息、いえ、我がフランスが生んだ怪盗紳士でいらっしゃいますね』
『フランス訛りの英語を話す従者を持つスイートルームの宿泊者となれば、かなり限られますからね。失礼ながら、一通り調べさせて頂きました』

 男の話す英語は完璧な発音だったが、他人の声色からイントネーションに至るまで見事に模写してしまう快斗だからこそ、その微妙な差異に気付くことができた。
 男がフランス人、或いはフランス語を日常的に使う人物なら、その彼の主たる人物もまたフランス語圏の人間である可能性が高い。
 後は近頃日本に入国したフランス人、それも高級ホテルのスイートルームに泊まるような人物を割り出せばいい。
 航空会社の乗客名簿に該当者がいなかったことから、自家用ジェットの可能性に切り替えて調べたところ、すぐにヒットした。
 ――古くから続くフランスの名門貴族のご令嬢、マリー・アンヌ・ド・モンティジョ。
 その彼女が秘密裏に来日し、快斗に接触してきた目的は何なのか。
 少し調べた程度では、相手に会う前の予備知識程度の情報しか手にすることができなかった。

『僕に話したいことというのはどのようなお話ですか?』

 単刀直入に本題を切り出した快斗は、マリー・アンヌのほっそりとした右手に促され、彼女の向かいに腰かけた。

『その前に、私について知って頂きたいことがあります。貴方も気になっておられることかと思いますが、私と盗一様との関係についてです』

 それに快斗は静かに頷きを返した。
 彼女が盗一と出会ったのは、彼女がまだ五歳の頃のことだった。
 当時まだ駆け出しのマジシャンだった盗一は、アルバイトで日銭を稼ぎながらパリの郊外で路上パフォーマンスを行っていた。
 無名の、それも東洋人のマジシャンの噂は密やかに、けれど確実に広まっていた。

 そんな時に、彼女の父モンティジョ伯爵と盗一は知り合った。
 考古学の権威として世に知られていた伯爵は、たまたまパリで開かれた学会に出席した帰り、盗一の路上パフォ−マンスを目にした。
 そして一目で彼のマジックとその人柄に惚れ込んでしまった伯爵は、自身が若い頃にマジックを囓っていたこともあり、ぜひ後継人にならせてくれと申し出た。
 盗一はあまりに突然のことにその場は返事を保留にして貰ったのだが、その後の熱心なアプローチに負けて、結局厚意に甘えさせて貰うことになったのだ。
 そうして盗一がパリに滞在中は伯爵の家に世話になることになった。

『それから二年もしない内に、盗一様はプロマジシャンとして華々しくデビューされました。それでも相変わらずパリにいらっしゃる時は家に泊まって下さいましたし、私もよく遊んで頂きました』

 ありがちな話だが、父親以外で身近にいた初めての異性として、盗一はマリー・アンヌにとって憧憬とも言うべき初恋の人であった。
 伯爵は当然そんな彼女の幼い恋心に気付いていたけれど、何も言わずに温かく見守ってくれた。
 早くに母を亡くし、父子二人きりの生活だったけれど、時折訪れる盗一といつしか彼に連れ添うようにして現れた素敵な女性とともに、彼女は幸せな毎日を送っていた。

『ですが、そんな私たちをある悲劇が襲いました』

 彼女の家は、古くはフランス王家に連なる由緒ある血統だった。
 そのため、代々受け継がれてきた家宝と呼ぶべき逸品が数々残されていた。
 その中のひとつ、世にビッグジュエルと呼ばれる大粒の宝石が狙われ、――悲劇が起きた。
 宝石を狙った賊に襲われ、危うく命を落としかけたマリー・アンヌを庇い、伯爵が殺されたのだ。
 家宝こそ盗られはしなかったが、彼女はそれよりもずっと尊いものを、唯一の肉親であった父を奪われたのだった。

『私は、父を殺した賊を憎みました。この先の自分の人生、その全てを擲ってでも、父を殺した賊を殺してやりたい。そう思いました』

 けれど、伯爵の訃報を聞いて妻とともにすぐに駆けつけた盗一が彼女を踏み止まらせてくれた。

『憎しみで憎しみを消すことはできない。それでも父の死に報いたいのなら、決して血を流さない方法で報いればいい。そうすれば、君を誰より愛していた父上が悲しむこともないはずだから、と』

 彼女の悔しさを否定せず、尚かつ道を踏み外しかけていた彼女を優しく諭してくれた。
 父を悲しませたくない。
 けれど、父を奪った者たちは許せない。
 ずたずたに傷付けられた未熟な心で必死に足掻くマリー・アンヌに手を差し伸べてくれたのは、やはり盗一だった。

 ――この日、平成の世に再びアルセーヌ・ルパンが生まれた。





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