花も嵐も踏み越えろ






「おまえ、いつから知ってたんだ」

 とても事情を知らないとは思えない発言の数々を聞いてそう問いかけた新一に、快斗はあっさりきっぱりとこう答えた。

「最初から全部知ってたよ」















chapter 19-1 : 恋心

















 対組織戦に向けて本格的にプロジェクトが起動し始めた頃、まだコナンだった新一は極度の不眠症に陥ったことがあった。
 それは、灰原哀と同じく組織の科学者だった女性――ジュリア・オーウェン、モニカという名のコードネームで呼ばれていた彼女が組織から持ち出したAPTX4869に関する資料を見たことが原因だった。
 そこに書かれていた驚愕の事実。

 あの薬はそもそも毒薬でも、肉体を若返らせる薬でもなく、肉体の老化を恒久的に止めるための薬――不老不死を得るための薬として作られたものであること。
 哀の脱走後、モニカによって進められた研究の成果では、一時的にではあるがマウスによる臨床実験で一部の被験体に老化の停滞が認められたこと。
 そしてコナンと哀のDNAを採取した結果、実は全く成長や老化と呼ばれる活動が行われていなかったこと。

 それらの事実を受け、哀とモニカが導き出した結論は――

 不完全なAPTX4869を服用した結果、コナンと哀は肉体の若返りというイレギュラーな効果を得たものの、実際はそのイレギュラーな変化を経たことで本来の目的である「不老不死の肉体」へと偶発的に変化してしまった、と。

「申し訳ないけれど、一度変化した肉体を元に戻すための薬を作るには膨大な時間と大掛かりな設備、それに多くの人員が必要だわ。貴方が望むなら一から薬を作ることも厭わないけれど、私が生きている間に完成することはまずないでしょうね。
 でも、貴方を工藤新一に戻してあげることはできるかも知れない。志保ちゃんが既にいくつか試作品を作ってくれているみたいだし、それに私が進めた研究結果を加えてさらに試行錯誤を重ねれば、そう遠くない内に元の姿に戻ることはできるはずよ。
 ただしそれも、年を取らない不老不死の体として、だけれど……」

 それを聞いた時、流石にショックを隠せなかった。
 科学者として研究に携わっていた哀は或いは予想がついていたのか、新一ほど驚いている様子はなかったけれど。

 年を取らない。
 そう言われてもピンとくるものはなかった。
 若返りなんて有り得ないことを体験した新一でも、体験したからこそ実感があるのであって、年を取らなければ実際にどういう弊害が生じてくるのか、正直想像もつかなかった。
 よく言うように肉親や親しい友人に置いて行かれることを辛く感じるのかも知れない。
 年を取らない人間がひとつところにいては気味悪がられるだろうから、あちこちを点々と移動しなければならないかも知れない。
 或いは、時が経つにつれてひとつの戸籍を使い続けることもできなくなり、工藤新一という名さえ捨てなければならなくなるかも。
 第一、人はそんなに長く生き続けられるものなのか。
 肉体が滅びずとも精神が先に狂ってしまうのではないか。
 いや、そうなる前に自分ならむしろ自ら命を絶とうとするだろうか。
 ――この工藤新一が自殺?
 そんな馬鹿な。

 とてもじゃないが考えられない。
 それでいて考えずにはいられない。
 いつしか思考の渦に呑み込まれ、囚われて、眠れないまま幾夜を無駄に過ごしたことか。

 でも、それを誰かに告げようとは思わなかった。
 ただ守りたい一心でこれまで全てを秘密にしてきた蘭にはもちろんのこと、計り知れない危険の中、命を預けることだってできたキッドにさえも。
 話したところでどうにもならないのに、ただでさえお人好しの彼にこれ以上自分のことで重荷を背負わせたくなかったから。

 ――だと言うのに。

「最初から全部知ってた、だと……?」

 地を這うような声だった。
 だと言うのに快斗はなんの気負いもなく、あっけらかんと。

「当たり前だろ? この俺を誰だと思ってんだよ。世紀の大怪盗……はもう廃業しちまったけど、他でもねーお前の相棒だぜ?」

 それは暗に情報を盗み出したと言いたいのだろうか。
 新一の目がますます据わる。

「それに……ほっとけるわけねーだろ。だってお前、ほっといたら絶対なんにも言わねーし。言わずに……そのままいなくなる気だったくせに」
「快斗、おまえ……」

 傷ついた声でそんなことを言う快斗に、いつまでも怒りは持続しなかった。
 快斗を傷つけてしまうだろうとは思っていた、それでもこんな薄情な探偵のことなどいつかは忘れて自分の道を進んでくれるだろうと思っていた。
 それなのに。

「新一は分かってないんだ。なんにも言わずにいなくなっても、俺なら黙って納得してくれるなんて思ってた? なにをおいてもお前のことを捜しに行くとは思わなかったの? それこそ、死ぬまで見つからなかったとしても、俺は絶対に諦めたりしない。ぶっ倒れて死ぬその瞬間まで、体が動く限り新一を捜すよ」

 真っ直ぐに見つめてくる眼差しの強さに思わず息を呑む。
 痛いほど真剣な思い、それを疑うことなどできるはずがない。
 快斗は本気だった。
 本気で死ぬまで新一を捜し続けるつもりだったのだろう。
 あのまま何も言わずに快斗の元を去っていたなら。

「普通の生活に戻れるって、昨日、そう言ったね。それってなに、怪盗を廃業して、これで気兼ねなくマジシャンの道に進めるとか、そういうこと? それとも普通に大学に進学して、そこで可愛い彼女でも見つけて結婚して、子供作って、幸せな家庭でも築いて。それが新一の言う俺の幸せ?」
「それは……分かんねーけど。それもひとつの幸せの形なのは確かだろ」
「――全っ然、違うよ」

 力一杯否定され、新一は戸惑った。
 確かに幸せの形なんて人それぞれで、それを押しつけようなどとは思わないけれど。
 マジシャンになることでも家庭を築くことでもない快斗の幸せとは、ではいったいなんなのか。

「新一といることだよ」
「……へ?」

「新一といるだけで、俺は世界で一番幸せになれるんだ」

 思いもしなかったことを言われ、新一は目を見開いた。
 なぜか鼓動が早い。
 いや、それどころかなんだか顔まで熱い。
 もしかしなくても色々なところが色々と拙いことになっている気がする。

「血反吐を吐くような戦いの中でも、新一がいるなら俺は世界で一番幸せだし、華やかな歓声の中でも、新一がいないなら世界で一番不幸だ」

 もうやめろ、それ以上喋るなと、早くなっていく鼓動が悲鳴を上げる。
 けれど実際は言葉をかける余裕なんてまるでなくて。

 そしてとうとう、逃れられない楔を打ち付けられる。



「分かってるか――愛してるって言ってるんだ、新一、お前を」



 未だ恋も知らない心に。

 愛を、捧げられた。





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