Pandra Game - stage 2 - |
決して人ではないはずの生き物が、流暢な人語を話した。その、普通なら有り得ない事実に、新一は軽い混乱状態に陥った。 今やバケモノ鳥は、新一が岩を退けたために枷から解かれ、自由になっている。けれどバケモノ鳥は新一を襲わなかった。今の今まで追いかけ回していた獲物が無防備に立ち竦んでいるというのに。 やがて、やっとのことで平常心を取り戻した新一は、聞いても余り意味のなさそうなことを尋ねた。 「…なんで喋れるんだ?」 「なぜと聞かれても困る」 喋れるから、喋れるのだ。 何を聞くんだとでも言うように、鳥はぞんざいな態度で言い放つ。確かにその通りだと、新一も思った。自分だって「なぜ喋れるのか?」なんて聞かれたところで応えようがない。体の構造が多用な音を発しやすくできていて、言語という意思伝達手段に幼い頃から慣れ親しんできたから、とでも言うしかないだろう。 暫く考え込んで――結局、新一はあまり気にしないことにした。正確には、いちいち驚くことに疲れたと言うべきか。今日はもう何が起こったところで驚かないだろう。 「じゃあ、別の質問をしよう」 「何だ」 「なんで俺を追いかけ回したんだ? あんたの食料って人間なのか?」 鳥が新一を襲ってきた時の目は尋常ではなかった。捕食者が被捕食者を目にした時のそれとでも言えばいいのか、それとも…… 「違う。単に仇敵と間違えたのだ」 「仇敵ぃ?」 「そうだ。いくら我々でも、普段から人間を食すほど悪食ではない」 普段から、というニュアンスに新一は思わず顔を引きつらせた。つまり例外もあるということだ。その気になれば人間を食すこともできるのだろう。 「この森は特別な森でな。我々のような超獣が棲むのはこの森だけだ。安心していい」 「へぇ…やっぱりここは森なんだ?」 なんだか異様に適応力が強くなっている自分に新一は苦笑を零す。さすがに小学生になった経験がなければこうはいかなかっただろうが、それでも超獣≠ネんてものが棲息すると聞いて平然としていられるのは、やはり自分が凡人ではない証かも知れない。 「この森でその容姿は、気を付けた方がいいだろうな」 不意に鳥が深刻な声で意味深なことを呟く。どうにも聞き捨てならない言葉だ。 「どういう意味だ?」 「なんとも不思議な巡り合わせだ。初めて見受けたが、貴方の容姿がまさかそのようなものだとは思わなかった」 「は…? 何を言ってるんだ?」 話がかみ合わず、新一が更に詰め寄る。 バケモノ鳥の瞳にはすでに嫌悪の色はなく、逆に敬うような色が浮かんでいた。新一にはその突然の変化の理由も、彼の言うところの仇敵≠竍その容姿≠ニいう意味も分からなかった。こんな、どこにでも有り触れていそうな容姿にどんな意味があるというのか。 「私が貴方を襲ったのは、仇敵の姿と見違えたからだ。まるで鏡のようにそっくりだ」 「まじ…?」 「我々と彼は犬猿の仲でな。あの岩も、彼が施した罠だろう」 「それを俺がどかしたから別人だって気付いたとか?」 「まあ、そんなところだ」 それでは、都合よくあの岩が落ちてこず、新一が仇敵と間違われたままだったなら――自分は今頃殺されていたかも知れない、ということだ。 「冗談じゃねー! 俺は関係ねえ、ここがどこかも分かんねーんだぞ!」 全く以ていい迷惑である。新一はここがどこかも分からなければ、なぜ自分がここにいるのかも分からないのだ。まるで記憶喪失者のセオリーだが、生憎と新一にははっきりと自分が誰であるかという自覚がある。間違いましたで殺されるなど、全く冗談じゃなかった。 「俺、ここにいちゃ拙いだろ! いつ誰に殺されるか分かったもんじゃねえ…っ」 再びパニックに陥りかけた新を宥めるようにに、大丈夫だと鳥が言った。 「それについては私がなんとかしよう。貴方が女神だと知れば、誰も貴方を襲ったりはしない」 新一の眉がひそめられる。 今、なんだか理解しがたい単語が出たような気がした。 「…俺が、なんだって?」 聞き返さなければよかったと、後に新一は激しく後悔するのだが、時すでに遅く。 「女神≠襲う者は、この森にはいないと言ったんだ」 前言を撤回し、新一は三度驚かされたのだった。 * * * 「…破られた?」 黒の塗料のようなもので描かれた紋様。その紋様が描かれているひび割れた岩を見て、快斗は低く呟いた。 この岩に力を施し罠を仕掛けたのは、他でもない快斗だった。この森の至る所に仕掛けられた罠に超獣が掛かると自動的に力が発動し、同時にそれは快斗へと知らされる。そうしてこの場へとやって来た快斗だったが、そこはすでにもぬけの殻だった。 「俺より強い力を持つ奴がいるのか?」 今まで一度としてこの罠を破られたことはない。一度仕留めた超獣は絶対に逃げられない、そういう罠を張ってきたのだから。だというのに今度に限って破られている罠に、快斗は困惑した。 辺りを見回してみるが、激しく抵抗したり暴れたりした形跡は見あたらない。死の瀬戸際に発揮された底力でもないとすれば、快斗の力などものともしないほどに強い力を持った者がいるのだろうか。 けれどそこで、快斗はある異変に気付いて驚愕した。 「靴跡だあっ?」 有り得ないその痕跡に、快斗が思わず奇声を上げる。そこにあったのは、獣のものでは有り得ない足跡、それも靴跡だった。 ここが森の出口付近ならば分かる。付近に超獣は現われないし、だからこそ森に生える植物や果実などを取りに入る人間もいる。 が、ここは森の中心とまでは言わないが、出口とは遠くかけ離れた場所なのだ。そう易々と普通の人間が入ってこられる場所ではない。その証拠に、道と呼べるような道が全く存在しないのだ。まだここへ来て実際には二週間ほどしか経っていないが、それぐらいの知識は身につけている。 「…てことは、こいつが破ったってことか?」 今まで一度も超獣には破られていない罠が破られているということは、そう考えた方が自然だ。 けれど、ここで次に浮かんでくる疑問は、その人物が誰か、ということだった。もともとここに棲む者なのか、それとも自分と同じく彼女≠ノ呼ばれた者なのか。 (…後者、だな) はっきりとはしないが、肉眼で判別できるほどにはくっきりと残された靴跡。ここに住む人は靴よりも素足を好むし、この跡を残しただろう靴がこちらで作られたものだと考えるには、快斗の知っている造りとあまりに似すぎていた。つまり、彼女≠ノ呼ばれてここへ連れてこられた者、ということだ。 快斗はたったひとつのその痕跡から自分なりに人物像を作りあげた。探偵のような推理力ではなく、優れた観察眼とそのずば抜けた知能指数があって初めてできることである。 (体重は俺より軽いな。だとすると、身長は一六〇代半ば…。道には慣れてねーな、歩調がぎこちない。が、足腰はしっかりしてる。バランスがいい。まだ来て二日と経ってないはずだ。特別岩に苦戦した形跡はない。力は随分と強いらしいな) 快斗の言う力≠ニは、肉体・筋力的なものではなく、人智を越えた超常の力のことである。俗に言う超能力だとか魔法だとか、そういった類のものだ。ここ≠ノ存在する者は力≠ェ使えるようになる。かく言う快斗も、始めてここに来た時に、彼女≠ノ力を与えられたのだが。 と、快斗があれこれと思考に耽っていると、後方からガサガサと足音が聞こえてきた。この森に慣れた超獣の動きと言うよりは、草木を掻き分けながらぎこちなく進んできている。すぐさま、この靴跡の主だろうと見当をつけ、快斗は近くの茂みに飛び込んだ。こちらは随分と慣れたもので、草の葉ひとつ揺らさなかった。 じっと目を凝らし、近づいてくる音に神経を集中させる。相手は不慣れと言えども、快斗の予想では自分の力を上回る力を持つ者だ。その人物がどういう理由で彼女≠ノ呼ばれたのか分からない以上、僅かな油断も命取りになる。 そうして野生生物の如く研ぎ澄まされた感覚で気配を窺っていた快斗だったが。 「…っと、あぶねー」 「め、名探偵っ?」 「へ?」 なんとも緊張感のない声をあげながら姿を現わした探偵に、思わず奇声を上げていた。 が、吃驚したのはお互い様でも、第二者の存在に気付いていた者と気付いていなかった者の差はでかい。 「怪盗キッドっ?」 と、探偵が声を上げた時には、快斗はすでに臨戦態勢に入っていた。 そう。快斗は怪盗キッドの姿をしていた。何を考えたのか、ここへ来た時に彼女≠ェこの姿にしてくれたのだ。快斗にとってもキッドの衣装は戦闘服≠フ意味合いが強かったため、それはそれで構わなかったのだが。 何の因果か、こんなところに来てまで天敵である探偵と対峙しなければならないなんて。疑問は尽きないが、とにかく、あの靴跡の主がこの探偵だと言うのなら納得できた。自分と同等の光を持つ彼の力が強かったとしても疑問はない。 「あの石退けたのあんただろ、名探偵?」 「…そうだけど」 「ふぅん…何でここにいるのか知らねーけど、俺の邪魔をするなら容赦しねーぜ!」 そう言った直後に、怪盗がシルクの手袋をはめた手を翳す。なんとも動きにくそうないつもの見慣れたタキシード姿は相変わらずだが、そこだけがいつもと違っていた。翳された怪盗の手には、あの岩に描かれていたものと同じ紋様が描かれているのだ。 なんの根拠もなく、直感で「ヤバイ」と感じた新一だったが。 「…う、わ…!」 小さな声だけを残して、その体は軽く五メートルほど吹き飛ばされていた。ふわり、と周りの大気が動いたかと思うと、気付いた時には背中を強かに木にぶつけていたのだ。 新一は小さく呻いて、ずるずると背を木に擦りながら地面に沈んでいく。 はっきり言って、新一には何が起こったのか分からなかった。目が醒めてからは分からないことオンンパレードだったが、いったい何がどう作用して吹き飛ばされたのか。相手は手を翳しただけで、突風が吹いたわけでも何かが飛んできたわけでもないというのに。 「いってー…」 ズキズキする背中と頭。どうやら背中と同時に後頭部も強くぶつけていたようで、新一は軽い脳震盪を起こしていた。なんとか起きあがろうとするが、それも叶わない。仕方なくそのままの体勢でいると、急に視界が暗くなった。 「おい、大丈夫かよっ。なんで対抗しないんだ?」 影の正体はどうやら怪盗で、自分で起こした事態に慌てているようだった。 「んなもん知るかよ…むかつく…」 「頭っ、頭だな! ぶつけたんだな? なんかちょっと目つきヤバイぜ、名探偵…」 快斗が慌てるのも当然で、どこか遠くを見つめている新一の双眸は据わっていた。痛みのせいで思考のおぼつかない新一は、ムカツクだのウゼーだのと文句を垂れている。 「てゆーか、なんでてめーがここにいるんだよ…」 「…それはこっちが聞きたいんですけど…」 「わけわかんねーマジックつかいやがるし…」 呂律の怪しい新一の瞼が落ちていく。 が、快斗は急に表情を引き締めた。 「…マジックだと?」 「おめーのとくいわざだろぉ」 「名探偵。力≠ェ使えるんじゃないのか?」 「チカラぁ? なんのハナシだ…」 「――おまえ、何でここにいるんだ」 快斗は新一の肩を掴み、起きあがらせる。新一が迷惑そうに睨み付けたが、快斗は素知らぬ振りだ。それよりも、力≠熬mらない探偵がなぜここにいるのか、なぜ知らないのに使えるのか、それとも力∴ネ外の何かがあるのか。それを知らなければならないと、快斗は新一を問い詰めるのだが。 「…ああ、ちくしょ、仇敵ってお前のことかよ…」 「!」 それだけ言うと、新一は意識を手放してしまった。がっくりと力なく項垂れ、肩を掴んでいた快斗に体重を預けている。すっかり意識のなくなった新一の手の先には、快斗が右目につけていた片眼鏡が握られていた。そこには、まるで鏡に映したかのようにそっくりな姿をした二人がいた。 素顔を見られたのだ。そう気付いたが、相手はすでに夢の中だ。しかも、そうさせてしまったのは快斗自身である。 「…どうしろっての?」 こんな、異世界で。天敵であるはずの気を失った探偵と二人。 彼が目を覚ますまで、彼の身をどうにか守らなければならないらしい現状に、快斗は堪らず頭を抱えた。 |