月も星も見えない、静かな夜。

 それは突然やって来た。















Pirates of the Caribbean















 自室のベッドで横になっていた快斗はなぜか寝苦しい夜を過ごしていた。
 胸の奥がざわざわと落ち着きなく騒ぎ、頭は眠るどころか冴え渡っている。
 これは予感だと、快斗は直感する。
 昔からこの手の第六感には自信があった。

 無理に眠ろうとしていた体をベッドから起こし、素早く身なりを整える。
 そして自分で打った剣を手に取ると、ふと目に付いた机へと目を遣った。
 机の中には一枚の擦り切れた紙が丁寧に仕舞ってある。
 それは父からの唯一の手紙であり、同時に遺書であった。

 快斗は引き出しを開け手紙をゆっくりと取り上げると、暗闇の中でその文字を辿っていく。


『親愛なる息子、快斗へ。』


 父の人柄を現わしたような整った綺麗な文字に、快斗はスッと瞳を眇めた。
 その手紙には快斗の知らなかった……おそらく母も知らなかったであろう父の真実が綴られている。
 母である千影と結婚し、快斗が生まれて直ぐにこの地を飛び出したこと。
 そして海へと飛び出した三年前、ある船へと乗り込んだこと。
 その船が――海賊船であること。

 快斗は初め、自分の父親が海賊であることに戸惑いを隠せなかった。
 けれど手紙を読み進めていくうちに、彼が海賊になった理由が海賊行為をするためではないと知って、すぐにその戸惑いも消え去ってしまったのだ。
 父である盗一が海賊になった理由はある男に惚れたからなのだと言う。
 手紙の中にはその男の素晴らしいところ、そして船での生活の楽しみが細かく書かれていた。

 どこまでも自由と海を愛する男。
 流血を嫌い、およそ海賊らしくない男。
 戒律に縛られることを嫌う、好奇心に突き動かされるがままに世界中を見て回る男。
 その瞳はいつも楽しそうに輝き、信念を曲げることなく突き進むのだ、と。

 けれど、その長い船旅も終わりを告げることになったと、手紙の最後に書かれていた。
 ここからが遺書になっている。
 腹心の部下である一等航海士が財宝に目が眩んで反乱を起こすと言っているのだ。
 もちろん心底船長に惚れている盗一は反乱に加わる気はなく、殺されるのを覚悟で彼らに立ちはだかる、と。


『道楽な親ですまない。だが、これを私の遺書として、お前に頼みたいことがある。』


 丁寧な文字がここで途切れる。
 続くのは、焦っているような乱雑な文字だった。


『彼はきっとこの船を追い続けるだろう。だが彼の心は脆い。何より血を嫌う彼は、きっとあいつの傷付ける者全てを護ろうとするだろう。だから、もしお前が彼と出会うことがあるなら、彼を助けてやって欲しい。』


 なんとも勝手な言い分だと思う。
 けれど快斗は、見たこともないこの父親をなぜか信頼出来るような気がしていた。
 反乱に手を貸すような人ならそうは思わないだろうが、父もまた信念を曲げることなく……散っただろうから。


『彼の名・ま・え……』


 文字はそこで途切れている。
 おそらく書く時間がなかったのだろう。
 この手紙は鳥の足にくくりつけられ、ぼろぼろに擦り切れた状態で快斗のもとへと届いた。
 自身の命を削りながらもこの手紙を届けてくれた鳥は、快斗のもとへと来てすぐに死んでしまった。
 父の後を追ったのだろうと思えば、見たこともない彼のために涙が溢れた。


「なんとも勝手な道楽親父だよな。」


 呟かれた言葉は、けれど限りなく暖かくて。
 名前も知らない、身体的特徴すら書いていない相手をどう解ればいいのだと、肝心なところで抜けている父に苦笑を零す。
 書かれていたのは彼の人柄や偉業ばかりなのだ。
 これでは見つけようがない。
 だが、それでも快斗は父の遺志を継ぐつもりだった。
 世界へ、海へ出て、この男を捜すつもりだった。

 日々鍛錬を行っているのはそのためだ。
 幼くして母を亡くし、父については顔も知らない。
 子供に何も与えてくれなかった親に、けれど孝行をしてやるのも悪くないだろうと快斗は思うのだ。
 どうせここにいても一介の鍛治屋に過ぎず、下げるのも勿体ない頭を提督なんかに下げるくらいなら。
 先に予定のない自分が世界へ出ていくのも悪くない。

 そうして大事そうにその手紙を机へと戻そうとした時……


 突然響いた轟音は、寝静まる人々を呼び起こし震撼させたのだった。










* * *


「海賊だぁ――!!」


 カァンカァン、と非常事態を告げる警鐘が鳴り響くが、そんなものが鳴らなくとも誰もが危険を感じ飛び起きていた。
 ドォンという音に続き地に響く轟音。
 それの示すところは、大砲が撃ち込まれているのだと幼子ですら気付くだろう。

 深夜だというのも忘れてしまったかのように、制服をびしりと着込んだ兵士がわらわらと飛び出してくる。
 そこには白馬提督と阿笠総督の姿もあった。


「提督!これを見て下さい!」


 ひとりの兵士に差し出された望遠鏡を覗けば、そこには船が浮かび上がった。
 闇に溶け込むかのようにうっそりと佇む船からは、絶え間なく砲撃が打ち込まれている。
 けれど驚くのはそこではない。
 その船が掲げている旗に、誰もが驚いているのだ。


「黒い…髑髏…」


 黒地の布に髑髏マークの旗を掲げるのが海賊の常だ。
 けれど髑髏自体が黒く描かれた旗が指し示すのは……噂に名高い、ブラックパール号である。


「実在したのか…あの、悪魔の船は…」
「如何致しましょう!?」
「とにかく応戦です!人々を安全な場所へと避難させながら、我々は応戦するのです!」


 安全な場所などあるのか、と言いたいところをぐっと堪えて、兵士は駆け出していく。
 ブラックパール号には幾つもの曰くがあった。
 黒い髑髏を掲げる船は、呪われた財宝に手をかけ船員全てが呪いに掛かっている、と。
 彼らはその呪いを解くため至る所で海賊行為を行い、皆殺しにしているのだという。


「総督、貴方もすぐに非難して下さい。」
「し、しかし…」
「これは命令です。お嬢さんを連れて、安全な場所へ。」
「……解った。」


 有無を言わせない白馬の言葉に、阿笠は仕方ないと頷いた。
 実際志保のことも気になっていたのだから、有りがたいと言えば有り難い。


「提督!奴ら、岸へ上陸し始めてます!」
「よし、半数は剣で応戦だ!相手は海賊、容赦は無用だ、行くぞ!」


 白馬の命令に直ぐさま剣を持って飛び出していく兵士。
 その誰もが、流れているもうひとつの噂を信じてはいなかった。

 ブラックバール号は呪われている。
 その呪いとは……船員全てが死ぬことを許されない、不死身の体だと言うこと。

 下方から上がる悲鳴、怒号、雄叫び。
 すでにこちらの被害は相当なものだろう。
 下唇をぐっと噛み締めると、白馬は自身も剣を手にして駆け出した。










 寺井を叩き起こし、裏へまわって逃げるよう告げると、快斗は直ぐさま家を飛び出した。
 手にしたままだった手紙に気付くとそれをぐいと懐にしまい込み、海へと向かって走りだす。
 漸く海岸へとたどり着いた時、そこではすでに戦いが繰り広げられていた。

 倒れ血を流している兵士に比べ、倒れている海賊の姿はどこにもない。
 明らかにこちらの劣勢だ。
 快斗は兵士ではなかったが、それでも剣を引き抜くと素早く海賊へと斬りかかった。

 もしかしたらこの海賊の中に父の言っている男がいるかも知れない。
 けれど快斗の振るう剣に迷いはなかった。
 港を襲い人を傷付けるような男に力を貸す気など、快斗には毛頭ないからだ。

 血を流し叫び声を上げて倒れていくのを見向きもせずに、遠慮のない剣捌きで海賊達を次々と切り捨てていく。
 その時不意に聞こえてきた声に、快斗は慌てて振り向いた。


「船長が言ってたのはあの屋敷か?」
「そうだ、俺たちの目的はあの屋敷だ。」
「なるほど…確かにあそこなら、アレもありそうだな。」


 卑小な笑い声を上げる男達のその声に驚き、快斗は直ぐさま踵を返すと屋敷へと向かって駆けだした。

 あの屋敷はこの港町の象徴である。
 そしてそこには……総督である阿笠とその娘の志保が、いるのだ。
 やつらの目的が屋敷だと言うならそこにいる志保が危険だった。










 そこでは既に、ふたりの男と志保が対峙していた。
 ガタイの良い見るからに屈強そうな男と、凍るようなグレーの瞳が印象的な、大きな帽子を頭に被った痩躯の男。
 対する志保は薄いベージュの寝間着姿ではあったが、ふたりに対峙する瞳は少しも臆してはいなかった。
 扉の前に立ちはだかるように仁王立ちして、彼らへと問いただす。


「この屋敷に何か用でも?」
「うるせぇ、邪魔をするな、小娘が!」


 ガタイの良い男が志保へと掴みかかろうとしたが、それを帽子の男が寸でで止める。


「まあそう騒ぐな、ウォッカ。どうにも威勢のいいガキじゃねぇか。」
「…すみません。」


 大人しく従うウォッカと呼ばれた男を、志保はふんと鼻で嗤う。
 初めからこんな男など眼中にないのだ。
 用があるのは、もうひとり。


「貴方が船長ね。」
「ほぅ…なぜそう思う?」
「その帽子よ。随分立派じゃない?はっきり言って似合ってないけど。」


 志保の言葉にまたもキレかけたウォッカだが、それも船長らしき男に止められる。


「それで?俺が船長だが、それが何か?」
「パーレイよ。」
「……」

「パーレイしましょう?船長さん。」


 そう言って志保は悠然と微笑む。
 男ふたりはこんな子供がその言葉を知っていることに、少なからず驚いていた。

 それは海賊の掟。
 “パーレイ”の権利を持つ者には、迂闊に手を出すことが出来ないのだ。


「…それで?お前の要求とこちらのメリットはなんだ?」
「私の要求は、この港町を襲っている海賊達の退去よ。今すぐ海賊行為を止め、港を出て、二度とここへと戻ってこないこと。」


 男が顎でその先を続けろと促す。


「貴方はこの屋敷で何かを見つけたいんでしょう?私の要求を呑むなら、こんな屋敷、建物ごとくれてあげるわよ。」


 阿笠が聞いたら飛び上がりそうな台詞だが、如何せん志保にはどうでも良い屋敷である。
 飾ってある骨董品にも興味がなければごろごろしている宝石にも興味がない。
 馬小屋でだって人間は生きていけるのだ、こんな豪邸にわざわざ住まなくとも志保は全く構わなかった。

 けれど男は、にぃと口端を持ち上げると。


「残念だが交渉決裂だ。」
「え…っ」
「ここに俺たちの求めてるものがあるとは限らねぇし、あるかないかも解らねぇんじゃ交渉のしようがない。そうだろ?」


 途端、勝ち誇ったように笑うウォッカが腹立たしくて、志保は小さく舌打ちした。
 ふたりの男は懐からゆっくりと剣を抜き払うと、それをぴたりと志保に向けて構える。
 直後、振り上げられた剣がそのまま自分に襲いかかってくると思い目をぎゅっと瞑った志保だが……


「志保ちゃん!!!」


 聞こえた声に目を開けた。
 見れば、剣を片手に快斗がこちらへと走ってくる。
 けれど到底間に合わないと、快斗へ苦笑を向けた志保は、次の瞬間転がっていた。
 志保が佇んでいた場所へと振り下ろされた剣は、誰も居ない虚空を切り裂き地面へと突き刺さる。
 ふたりの男はゆっくりと、志保の転がった方へと視線を向けた。


「…貴様。」


 船長らしき男が忌々しげに瞳を眇める。
 志保を片手に支え窮地から救ったのは、男たちよりずっと小柄な青年だった。
 青年は志保を丁寧に起きあがらせるとゆっくりと海賊へと向き直る。
 そして真っ直ぐに睨み付けたまま言った。


「…よぉ、ジン。」


 ジンと呼ばれた男がふんと鼻を鳴らす。
 少し遅れながら志保のもとへと駆けつけた快斗を横目でチラと見ると、青年はふたりから距離を置くように海賊たちへと近寄った。


「てめぇ、ここで何してやがる。」
「決まってるだろ?…あんたと、決着を付けに。」
「は、決着なんざとうに付いてんじゃねぇか。」


 お前にはもう仲間のひとりもいやしないだろう?
 そう笑ったジンと呼ばれた男に、けれど青年はにっと笑みを返す。


「いや違うな。俺とあんたの決着はまだついてねぇぜ?俺とあんたが生きてる限りな。」


 その様子を志保を背に庇いながら見ていた快斗は、なぜか直感していた。
 名前も知らない、なんの特徴も知らされていない。
 彼の人柄や偉業しか聞いていない。
 けれど。
 この男が、そうなのだ、と。

 父を惚れさせ、自由を愛した、海賊の船長。


「決着を付けよう……ジン!」


 青年が剣を抜き払う。
 俊敏な動作で斬りかかった剣を、ジンの剣が危うく受け止めた。
 キリキリと押し合う剣が悲鳴を上げ、やがてどちらともなく飛び退いた。

 青年のスラリとした体が真っ直ぐにジンに向けられる。
 およそ剣を握るには似つかわしくない細腰で、彼より一回りは大きい男を相手に全く引けを取らない剣技を魅せる。
 月明かりもない暗闇では顔の造作はあまり分らないが、それでも端整な顔立ちであることが分った。
 動くたびに足下の砂が舞い上がり、けれど揺るぎない腕はなかなか決着を付けない。

 黙って傍観しているしかなかった快斗と志保の耳に、小さな悲鳴が聞こえてきたのと、青年の剣が飛んだのは同時だった。


「ひっ…!」
「バーロ、出てくんじゃねぇ!危ないから隠れてろ!!」


 その声は、屋敷の扉から顔を覗かせた召使いの女のものだった。
 気付いたウォッカが彼女へ飛びかかろうとしたのを、青年の剣が止めたのだ。
 ウォッカの腹には深々と剣が突き刺さり地面に伏している。
 傍観しているだけの自分たちが全く気付かなかったというのに、闘っているはずの青年がいち早く気付いたのだ。

 けれど続いた呻き声に、ふたりはハッと我に返る。


「あ、ぅ…っ」
「闘ってる最中に自ら剣を手放すとは、随分余裕じゃねぇか、新一?」
「うる、せぇ!」
「ふん?まだまだ余裕らしいな。」
「…、あぁぁぁぁ…!」


 青年の脇腹に深々と突き刺さるのは、ジンの剣。
 突き刺したままぐっと剣に力を込められ、新一と呼ばれた青年が呻く。


「お優しい船長さまは、弱点が解りやすくて良いぜ、全く。」


 腹を刺されたはずのウォッカが立ち上がる。
 いてて…と呟きながら、まるで何事もなかったかのように新一の剣を腹から抜いた。
 そうして、空を覆っていたはずの雲が空け、月明かりが差し込めて……


「俺たちを殺せねぇってことはとっくに知ってるはずだろう?」


 昏く笑う月光に映し出されたジンの目には、赤い光が灯っていた。
 快斗と志保が息を呑む。

 死なない体。
 呪われた財宝に手をつけた海賊は、永遠の呪いをかけられたのだ。
 どんなに食べても飢えを癒せず、どんなに呑んでも乾きを癒せず。
 生きながらに業火にあぶられ続けているような拷問。

 けれどそんなこと、新一はとうに知っていた。
 何度となく彼の船を追い、その度に何度となく戦いを挑んできたのだから。
 けれど、それでも、止められないのは。


「うるせぇっ!盗一を殺したお前を、俺は絶対に許さねぇ!」


 血を滴らせながら叫く新一の声に、弾かれるように快斗は顔を上げた。
 彼の口から出た名前は間違いなく自分の父親の名前。
 やはり彼がそうなのだ。

 けれど次の瞬間、快斗は動きを忘れた。


「…!?…んぅ、っ…」


 壁に剣ごと新一を串刺したまま、ジンがその唇を自らのそれで塞いでいた。
 血が溢れるのも構わないとばかりに新一は暴れるが、その口付けを振り払うことは出来ず。
 ようやくジンが離れた時、快斗はその首へと剣を突きつけていた。


「…なんだ、貴様は。」
「別に気にしなくて良いぜ?ただあんたに憎悪を燃やしてるしがない鍛治屋の養子さ。」


 死なない体だからだろう、余裕の態度のジンに、けれど快斗もまるで冗談のように肩をすくめてみせる。
 それに驚いたのは新一だった。


「盗一!?」
「え!?」
「あんた、盗一じゃ…っ」


 目を見開く新一に快斗は苦い顔を向けた。


「やだなぁ、俺ってそんなに親父とそっくりなの?」


 じゃあ随分親父も男前だったんだ、などと宣っている快斗に、けれど新一が口角を吊り上げた。
 今度はジンが瞠目している。


「残念だったな、ジン。あんたにもう逃げ道はねぇよ。」
「…ちぃ。」
「さっさとこの港を出るんだ。でなきゃ、呪いがもっと強まっちまうぜ?」


 ジンは忌々しげに新一と快斗を一瞥すると、そのままウォッカを引き連れて踵を返す。


「いい気になるんじゃねぇぞ、新一。次にまた現われやがったらこの程度では済まないと、そう思え。」
「ご託は良いからさっさと消えろ…」


 ふん、と鼻で嗤うと、ふたりはさっさとこの場を後にした。
 やがて轟音や悲鳴も消え、港に再び静けさが戻ってくる。

 そこには剣で突き刺されたまま白い顔をした新一と、慌てて彼に治療をしようとする快斗と志保の姿があった。





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……ごめんなさい。
このお話は盗新ベースの快新でジン新でもあります。
要は新一さん総受け!
嫌悪される方はこれ以上は読まない方が…ほら、あくまで裏っつーことで、ね!
許してーん(←死)