「全くドジねー!聞き込み先に忘れ物だなんて!」
「もう勘弁してくださいよ、佐藤さん〜……」
自分より一歩前を歩きながら「情けない」を連呼する佐藤に、高木はすでに半泣き状態だ。
確かに自分でもドジだったと思う。
聞き込み調査中の店に車のキーを置いてきてしまうなんて。
警察手帳を取り出した時に引っかかって邪魔になったから側のテーブルに置いたのだが、自分でもまさか忘れてしまうとは思わなかったのだ。
それでも仮にも刑事が……と半ば真剣に落ち込み始めた高木に、佐藤は浮かんでくる苦笑を隠せないでいた。
「まあ店長も感じの良い方だったし、ちゃんと保管してくれてるわよ。」
「……はい。」
肩を落としながら高木は素直に頷く。
捜査にとても協力的で感じの良い方だと感じたのは高木も同じだった。
駅前の人通りの多い喫茶店で、平日は学生の姿も結構多い。
おかげで今回は通り魔が現われる現場となってしまったのだが。
「度々すみません。佐藤ですけど……」
喫茶店へと戻ってきたふたりは、カウンターで愉しげに客と話している店長へとそう声をかけようとして……
その店長と話していた少年を見て瞠目した。
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名探偵の恋愛事情 その5 だぶる名探偵編
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「「工藤君!」」
佐藤と高木の声が見事に重なった。
呼びかけらた当の本人は、吃驚眼でふたりの方へと向き直る。
「偶然ね、こんなところで。」
久しぶりに会った警視庁のアイドルこと、工藤新一。
最近はあまり目立った事件もなく、警察の影の努力によって市民の安全は確保されている。
まだ高校生である新一は難事件でもない限り彼らに呼び出しをされることはないので、久しぶりの再会となったのだが。
「あれ?工藤君、確か制服はブレザーじゃなかったっけ?」
目の前の少年の違和感に気付く。
吃驚顔の少年は、いつものブレザーではなく黒の学ランを着ていた。
更に言うならブラックコーヒー好きで有名な彼が、胃にキそうなチョコレートパフェなんてものを食べている。
「あの、刑事さん、この子は…」
人の良さそうな店長が慌てて何かを言おうとしたとき、背後から声がした。
「あれ?佐藤刑事に高木刑事じゃないですか。」
「「工藤君!?」」
振り返ったふたりは、あまりの驚きに再び見事に声を重ねたのだった。
「どうも。俺、黒羽快斗って言います。」
にっこりと愛想の良い笑顔を浮かべた少年に手を差し出され、佐藤と高木は交互に握手を交わした。
その隣で愉しげに笑っている新一を見て、改めてこの光景に驚きを覚える。
背丈も顔も、声ですらそっくりなふたり。
そのふたりが揃って似たような笑みを浮かべていれば、誰だって驚くだろう。
増して、全く血が繋がっていないというのならなおさらに。
「こちらこそ人違いしちゃってごめんなさいね。」
「それにしても……ほんとそっくりだね……」
改めて感嘆の声を上げる高木。
無事店長に車のキーを返してもらった高木と佐藤は今、4人並んで歩いていた。
「よく言われます。本人同士は似てるとは思えないんですけどね。」
「え!?そうなの!?」
「はい。だって新一より俺の方が背だって高いですし。」
と言っても新一は174、快斗は176というたった2センチの差だったが、彼らにしてみれば大きな問題である。
当然それに新一が黙っているはずもなく……
「何言ってんだ、たった2センチだろ。」
「2センチも違うんだよ。体重だって新一よりあるぜ、俺。」
「……俺だって昔よりは増えたぞ。」
「それでもまだ50ちょっとだろ?まだまだだね♪」
「…俺はスポーツ万能だ。」
「俺は音楽得意だぜ。」
「魚も食えねーくせにっ」
「レーズン食えないヤツに言われたくないねっ」
他愛もない言い合いだったはずがなんだか不穏な雰囲気になってきて、佐藤が慌てて仲裁に入る。
「ちょっと、ふたりともケンカしないでよっ(汗)」
まるで猫のように毛を逆立てたような新一が、佐藤の声にハッと口を噤む。
そして決まりの悪い顔ですみませんと謝り、続いて快斗も苦笑しながら謝った。
その様子を端で見ていた高木は、現場にいる時とは全く違った新一の様子にちょっと驚いていた。
現場にいる時の新一は声をかけるのも申し訳なく思えてしまうほど推理に集中していることが多い。
容疑者を集めて推理を披露する時は特に、有無を言わせないだけのプレッシャーを持っている。
まさに“平成のシャーロック・ホームズ”の名を持つだけ在り、その姿は高校生とは思えない迫力があるのだが……
今はまるきりただの高校生にしか見えなかった。
「佐藤さん。なんだか工藤君、子供っぽく見えません?」
高木は佐藤だけに聞こえるようにこっそりと耳打ちする。
佐藤は愉しげに笑いながら、ええ、と頷いた。
「現場にいる時の彼は大人を相手にしてるんだから当たり前だけど、今は年相応って感じね。」
「ですよね。あんな工藤君を見たの初めてですよ。」
いつもはひたすら格好いい人が今は何だか可愛くすら見える。
それほどまでに新一と親しく付き合っている快斗を見て、そうだ、と佐藤はひらめいた。
「ね、ね、高木君!彼なら工藤君の恋人、知ってるんじゃないかしら?」
さきほどとは打って変わってキラキラしている佐藤に(笑)、高木はひくりと笑顔を引きつらせた。
最近、新一が警視庁に出入りしていないこともあって落ち着きつつあった“名探偵の恋人”への興味が、どうやら再燃焼してしまったらしい。
けれどそれを快斗に問いただそうとする前に、どこかから悲鳴が上がった。
「何!?」
「女性の悲鳴!?」
ふたりの刑事が表情を引き締めたところへ、再び女性の叫び声が聞こえてきた。
「誰か!!通り魔よ、そいつを捕まえてぇ!!」
途端に駆け出した刑事ふたりに続き、同じく探偵の顔へと変わった新一も走り出す。
その後ろ姿を愛しげに見つめながら、快斗も新一を追うのだった。
* * *
現場はすぐ近く。
通りを一本行ったところで、人垣が出来ているせいもあり被害にあった女性はすぐにわかった。
「高木君は被害者を保護して!私は犯人を追うわ!」
「わかりました!」
すぐさま人混みを掻き分けて被害者のもとへと駆け寄る高木を残して、佐藤と新一は犯人の追跡に向かった。
幸い現場が近かったせいもあり、犯人と思しき人物の後ろ姿を捉えることが出来た。
黒のニット帽を目深に被りカーキ色のTシャツにベージュのズボンを履いた、やや背の高い痩躯の男。
「佐藤さん!」
前方を走っていた佐藤に追いついた新一が、同じように走りながら声をかけた。
そこで漸く新一もついてきていたのだと気付いた佐藤。
瞠目している彼女に構わず新一は続けた。
「これ、例の連続通り魔事件ですよね?」
「ええ。前の3件の時に使われた凶器は全部一致しているわ。刃渡り10センチ程度の、ナイフか何か…現場も近いし、おそらく同一犯のはずよ。」
それを聞いた新一は微かに目を眇めた。
「随分目立ちたがりな犯人ですね。」
すでに追跡に気付いている犯人は、ふたりの追跡者から必死に逃げている。
それでも女性ながらに警部補である佐藤と超高校級と謳われた脚力を持つ新一は、確実に犯人を追いつめていた。
以前に起きた3件、そして今回も全て人通りの多い場所・時間帯を狙って犯行が行われている。
それでもなお捕まえることが出来なかったのだが。
「警察に挑戦でもしてるのかしらね……止まりなさい!!」
通り抜けた道の先が工事中のビルの前へと抜けてしまい、犯人はいよいよ追いつめられた。
行き先を失い、腹を括ったのかこちらへと突っ込んできた犯人の腕を捉え、佐藤がすかさず投げ飛ばした。
どんっ、という痛々しい音とともに犯人は背中から地面に倒れる。
佐藤は犯人の片手をねじり上げると背中に乗しかかり、身動きを取れないようにして言った。
「連続通り魔事件の現行犯で逮捕する!」
が、手錠をかけようとして僅かに佐藤の力が緩んだのを男は見逃さなかった。
一気に力を込めて佐藤を振り払う。
よろけて数歩下がった佐藤に向かって、犯人がナイフを振り翳した。
すかさず新一が佐藤の体を男から庇うようにぐいと引き寄せ……
振り翳したナイフを男が新一めがけて、投げた。
「――工藤君!!」
離れているとは言えこの近距離。
ナイフは確実に新一に命中するだろうと思われたが……
ナイフは途中でその動きを止めた。
「……危ないなぁ。」
数瞬後、なんとも緊張感を破るような声が響いた。
いつのまに現われたのか、それはつい先ほどまで新一とともにいた快斗の声で。
快斗は放り投げられたナイフを、いとも容易く空中で受け止めて見せたのだった。
ナイフは人差し指と中指の間にほんの数ミリの感覚をおいて掴まれている。
受け止めた当の本人ときたら、片手はポケットに突っ込んだままというなんともぞんざいな態度だ。
快斗はナイフを片手に犯人に顔を向け……にこりと微笑んでみせる。
呆けていたのも一瞬で、佐藤は新一の背後から飛び出すとすぐさま男へと掴みかかり両手に手錠をはめた。
男も快斗の行動が信じられなかったらしく、瞠目している間に佐藤に取り押さえられてしまった。
「新一、大丈夫か?」
「……快斗。」
「全く無茶するよなぁ。志保ちゃんもまたすっげー怒るぜ。」
「快斗。」
新一に強く名前を呼ばれ快斗は口を閉じる。
笑みから不機嫌な顔に変わった快斗の手をとると、新一はふぅと短く息を吐いた。
「俺はどこも怪我してねぇから、凶器を壊すんじゃねぇ。」
血管が強く浮き出るほどに強くナイフを握りしめていた快斗。
新一はその手からそっとナイフを奪い取って。
「お前こそ怪我してんじゃねーだろーな。」
怒った快斗の顔を覗き込む。
快斗は子供みたいに唇を尖らせた。
「……してない。」
「そっか。良かった。」
「ちっとも良くねぇよ。無茶はするなっていつも、」
「サンキュ。」
手に取った快斗の手へ、新一が軽く口付ける。
新一を守ってくれた手だ。
それから、快斗が怪我をしていないことに改めて新一は安堵した。
そのときに浮かんだ笑みを見て、快斗は何も言えなくなってしまう。
決して意識しているわけではなく無意識に見せてくれるそんな無防備な笑みが、すごくすごく愛しいから。
すぐさま佐藤のもとへと駆けて行ってしまった“名探偵”に、快斗は苦笑するのだった。
* * *
被害者の女性は高木の呼んだ救急車によって運ばれ、入院することになった。
決して軽傷ではないが命に関わるほどでもないらしい。
犯人の男性も佐藤の呼んだパトカーで警視庁に護送され、連続通り魔事件は現行犯逮捕というかたちで終わりを迎えた。
前の3件についても犯人が自供している。
「ほんとに有り難う、工藤君。」
「いえ、勝手な真似してすみません。」
危ない真似を、と現場へとやってきた目暮警部には開口一番に怒られてしまった新一である。
佐藤にお礼を言われても苦笑を返すことしか出来なかった。
念のためにと救護班に手を見てもらっている快斗の後ろ姿を見て、それにしてもと佐藤が呟く。
「黒羽君、すごかったわね。飛んでくるナイフを素手で受け止めちゃうなんて。」
素直に感嘆する佐藤に新一は首を振る。
その顔はなぜか怒っていて、佐藤は首を傾げた。
「確かにすごいかも知れませんけど……二度とあんなバカな真似されたくないです。」
「バカな真似…?」
「あいつ、あれでもマジシャンなんです。手はマジシャンの命なのに……」
「…それで工藤君、黒羽君に手を見て貰うよう言ったのね。」
ひとり納得したような佐藤に、新一は曖昧な笑みを浮かべた。
別に“手はマジシャンの命だから”快斗の行動を怒っているわけではない。
確かにそれもあるが……単純に、快斗に怪我をさせたくないだけだ。
同じコトを快斗も思っていると知っているから、新一はただ「ちゃんと手を見てもらえ」としか快斗に言えなかっただけ。
と、診察が終わったのか、特に何も処置されていない快斗が駆け寄ってくる。
「新一、警部さんが呼んでるぜ!なんだかまだご立腹みたいだからしぼられて来いよ♪」
「げ…まじかよ…」
苦い顔で去っていく新一の後ろ姿に「頑張れ♪」と声をかけると、快斗がくるりと佐藤に向き直った。
「佐藤さんも怪我がなかったみたいで良かったです。」
「ええ、こっちこそ有り難う、黒羽君。」
「いえ。出来るからこそやったことですから。……でも。」
快斗の表情が一変する。
先ほどまでの愛想笑いが消えると、驚くほど冷たい気配とともに不適に笑って見せた。
「新一に何かあったら、俺はたとえあなた方でも許しませんから。」
それに佐藤が頷くと、快斗は先ほどと変わらない笑顔を浮かべた。
「あんな失態二度と晒さないわ。」
「お願いします。」
まるで笑っていない紫紺の瞳。
言いたいことだけを言って新一のもとへと向かう快斗を見つめ、佐藤はぽつりと呟いた。
「……彼、ただ者じゃないわね。」
じっとりと汗の浮かぶ手をぎゅっと握りしめる。
視線ひとつ、笑顔ひとつがまるで新一と同等のプレッシャーをかけてきた。
やはりただ者ではない新一とともにいる彼もまたただ者ではないのだと、佐藤は思った。
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