翔べない天使
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 サイレンが鳴り響く。
 消防車、救急車、そしてパトカー。
 燃えさかる炎に梯子を伸ばして水をぶち撒く消防士と、血を流し泣き叫ぶ人々を急ぎ運んでいく救命士。
 制服警官が騒がしい野次馬と報道陣を抑え込む中、漸く到着した一台のパトカーから降り立った目暮は目の前の惨劇に暫し言葉を忘れた。

「何という…!」

 崩れ落ちてくるコンクリートに気を付けながら瓦礫の撤去作業に当たっていた刑事のひとりが警部の姿に気付き、駆け寄ってくる。

「目暮警部!」
「佐藤君、状況は?」
「怪我人が複数、…残念ですが死者も数名。中の状況はまだ一切わかりません」
「高木はどうした」
「彼は落ちてきたコンクリートにぶつかりそうになった一般人を庇って腕に怪我を負ったので、向こうの救急車で手当を受けてます」
「そうか…」
「…警部、やはりこれは…」
「――ああ」

 会話の合間にも小さな爆発を繰り返しては崩れていく建物は、数時間前には人の群れで賑わっていたショッピングモールとは思えないほど悲惨な姿となっていた。
 土日と祝日を繋ぐ連休だったため、わざわざ遠くからここまで遠征していた人も多い。
 そこに起こった爆発事故ともなれば、先日のあの事件と結びつけてしまう佐藤の言葉も仕方ないだろう。
 かく言う目暮も一度ならず思ったことだ。

「焦って結論を出しても仕方ない。事件の方向も考慮の上で捜査を開始するぞ」
「はい!」

 瓦礫の撤去作業のために煤まみれになった姿で、それでも佐藤は頼もしく応えた。
 と、次の指示に移ろうとした目暮の携帯が唐突に鳴り響いた。
 その着信は、事件を介しての付き合いが多いためメモリに登録されている工藤新一からのものだった。
 あまりにタイミングの良すぎるそれに何か嫌な予感を感じつつも、自分と似たような面持ちの佐藤と目を合わせると、目暮は通話ボタンを押した。

「…目暮だ」
『工藤です。お忙しいところ申し訳ありません、警部』
「いや。どうかしたのか、工藤君?」
『それが――』

 数秒の沈黙の後、左手で額を抑えながら低く唸った目暮を見て、佐藤は「やっぱり」と溜息を吐くのだった。

「全く、君もつくづく事件に巻き込まれる男だな」
『ほんとに…僕もそう思います』

 受話器の向こうで苦笑を零す少年に、笑い事じゃないだろうと思いながらも目暮は何とか口に出すのを抑えた。
 少なくともその偶然とは思えない偶然のおかげで解決に至った事件が数え切れないほどあるだけに、刑事として不満を吐ける立場ではないのだ。
 今回も、建物が今にも崩れてしまいそうなために撤去作業がなかなか進まず、中の状況は全くわからなかったのだが――
 偶然にもそのショッピングモールの一角に設けられたシアターで映画を見ていたらしい新一が、電波が混線していて普通の携帯では繋がらなかったらしい館内から、なぜか衛星を経由して通話することが可能な端末を携帯電話に付けていたため、こうして中の状況を聞くことができたのだ。

『まだあちこちで爆発が起きているし、建物も脆くなってきているので、館内にいる者はひとまず安全な場所に移動してもらいました。階段も潰れてしまっているので動けませんし、若い女性が多いので下手に動くと危険です。
 怪我人は大勢いますが、特に命を落とすほど緊急な怪我を負った者はいません。ただ混乱状態に陥っているため、パニックが起きると少し厄介です』
「わかった。最速で救出作業は行ってるが、あまりはかどっていない。君は一般客がパニックを起こさないよう、何とか頼む」
『わかってますよ。それに僕にわかるのはここまでで、すみませんが他のフロアの様子はわかりません』
「いや、充分だ。…君がいてくれて助かる」

 こういった状況に陥った時、先頭に立ってくれる者がいるのといないのとでは人間の心理状態は天と地ほどにも違ってくる。
 新一はまだ高校生の子供ではあるが、テレビやニュースで騒がれるほど知れ渡った探偵であるし、警察が彼に頼りっきりだという報道も情けないが間違いではない。
 友人の息子でもある新一が危険な目に遭うことは心配の種でもあるのだけれど。

 一通りの状況説明が済み、それではそろそろ現場の指揮に戻ろうかと言う時、パトカーに同乗していた千葉が不意に慌てた足取りで駆け寄ってきた。

「警部、大変です、目暮警部!」
「どうした」

 携帯片手に走ってきたかと思うと、

「犯人から犯行声明が届いたそうです!」

 その言葉に目暮は新一と通話中だと言うことも忘れ、千葉の話に聞き入った。

「今の爆発のおよそ三倍の爆弾を最上階に取り付けたようで、先日逮捕した連続爆弾魔の杉浦を釈放しないと、中の客ごと吹っ飛ばすと…」
「…っ三倍だと!?」

 最初の爆発だけでこの状態なのだ。
 この状態でその三倍の爆弾を爆破されれば、この建物など全壊してしまうではないか。
 先日逮捕した杉浦は彼の証言でも現場の証拠からも単独犯だと思われていたけれど、実際は共犯者が存在したのか。

「千葉、急いで白鳥に連絡して、杉浦に共犯者がいないのか吐かせるよう連絡しろ!」
「はい!」
「佐藤と高木は犯行声明からの犯人の割り出し、それから瓦礫の撤去作業に今の三倍の人員を用意するぞ!」
「はい!」

 一気に慌ただしくなる現場で、目暮の耳にふと小さな声が届く。

『――まだ爆弾があるんですね』

 この喧騒の中では掻き消されてしまいそうなそれに気付いたのは奇跡だろうか。
 未だ通話が続いていたことに気付くと、目暮は慌てて言い繕うけれど……

「く、工藤君、変な気は起こすな!爆弾のことは我々に任せて、」
『警部。シアターは最上階にあるんですよ』

 その言葉を最後に、向こうから通話を切られてしまった。
 そう言えばこのショッピングモールの最上階は全てシアターとなっている。
 つまり、新一が映画を見ていたというならもちろんその最上階にいるわけで。

「頼むから無茶はせんでくれよ…!」

 大事な友人の、大事なひとり息子。
 そうでなくても普段から世話になりっぱなしの敏腕探偵。
 何より、まだ高校生のほんの子供なのだ。

 それに……

「…黒羽君が知ったら何と言うだろう」

 先日、取り調べ直後に倒れた新一を迎えに来たのは、彼と同居しているという少年だった。
 不思議なことにどこか新一と似た顔をしていて、一瞬親戚かと思った目暮の思考でも読んだかのようなタイミングで「赤の他人ですよ」と笑った彼。
 けれど、少しも笑ってない目でこちらをじっと見つめながら言った少年のひと言を、多分目暮は一生忘れないだろう。

「こいつを犠牲に助けられた命なんか俺には虫ほどにも価値がないってこと、よく覚えてて」

 新一はよく氷のように冷たい目をしていると逮捕された者たちに蔑まれることがある。
 けれど新一を氷の目と表すなら、彼はまるで液体窒素のような目をしていた。
 見つめられればたちまちに凍らされ、硝子のように粉々に砕かれてしまう。
 そう錯覚してしまうほど、冷えた目をしていた。

 快斗がただの同居人でないことなど、鈍感だと言われる高木にだってわかるだろう。
 けれど、目暮は快斗について詮索することはやめた。
 復帰した新一が目暮のもとを訪れて最初に言ったことが、

「快斗のやつが生意気なこと言ったみたいですけど、俺が殴っておきましたから許してやって下さい」

 その日、新一を迎えに来た快斗の左頬には本当にガーゼが貼られていて、仏頂面をしながらも目暮に頭を下げた。
 その時、思ったのだ。

 彼は危険だが、誰より安全だ。

 工藤新一という存在の傍らに在り続ける限り、快斗はどんな人畜無害な人間よりも安全だ。
 けれどもしも新一に危険が迫り、万が一にも命を落としたりなどすれば……

「…考えるだけで怖いな」

 目暮は小さく頭を振ると、指揮に戻るべきパトカーに乗り込んだ。
 また一台発車する救急車を見遣り、無線を手に取る。

 彼はまだ、その黒羽快斗も最上階にいるのだと知らなかった。



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