翔べない天使
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「これで本当に偶然だって言うんだもんなぁ…」

 通話を切った途端、背後から盛大な溜息とともにそんな台詞がもれる。
 振り返れば、暢気に後頭部で手を組んで座席にふんぞり返った快斗が、何だか情けない顔でこちらを見ていた。

「…俺の事件体質はよく知ってるだろ」
「そりゃ存分に承知の上だけどね」

 思わず眉間に皺を寄せた新一を快斗は苦笑混じりに引き寄せる。

「全部ひっくるめた新一を選んだんだし」
「…ばーろ」

 距離を取ってるとは言え、同じ館内には爆発騒ぎで怯えきった一般人が大勢いるのだ。
 そんな中で甘い睦言を囁き合ってる暇はないだろうと、新一はそっと快斗を押し返す。
 けれど、稀代のマジシャンはできすぎたほどにできた男だった。

「わかってるよ。爆弾見つけに行くんだろ?」
「ああ、だから快斗は…」
「はいはい、あいつらの面倒は任せろって。新一ほどじゃねーけど、俺だって少しは名の売れたマジシャンだぜ?」

 心理操作はお手の物、度胸だって超一級。
 そう言って笑う快斗はかつて新一が惚れた怪盗そのもので、たとえどれほど時が流れようと、快斗が快斗であることに変わりはないのだと感じさせられた。
 それはある意味で快斗の罪は一生消えることがないのだと言う哀しさを孕んでいるけれど、己の意志で選んだ道に泣き言は吐かない自分たちだからこそ、その事実を背負いながらも笑うことを忘れないでいられるのだ。
 だから、自分のことをよくわかってくれる頼もしい相方に新一も笑みを向けるだけ。

「少しは名の売れた、だって?おまえほど有名な男、そうそういねーよ」

 新進気鋭の若手マジシャン。
 快斗は今や、学業と恋人との時間の合間を縫って世界を飛び回る売れっ子マジシャンなのだ。
 まだ十八歳という若さが話題を呼ぶのも事実だが、快斗に言わせれば若さも実力の内。
 自分にある全てを使って人々の心を魅了する、それが黒羽快斗だ。
 そして、知る人ぞ知る裏の顔、怪盗キッド。
 キッドは快斗の生み出したものではないけれど、偽物と暴かれることなくその名を受け継いでみせた実力はさすがとしか言いようがない。
 その男が「少しは名の売れた」などと、謙遜も甚だしいと笑う新一は、すでに探偵の顔へと変わっていた。
 そんな新一の手を恭しく取り、不意に気障な怪盗の仮面を被った快斗はまるで劇中の台詞のように囁く。

「貴方の側を離れなければならないのは心苦しいのですが、騎士とは主に忠実なもの。一時この手を離してしまう無礼をお許し下さい」
「ヤダね。許して欲しけりゃ、神にでも祈るんだな」

 くく、と喉の奥で笑う新一はひどく楽しげで、この我侭な恋人に向ける快斗の表情もどこまでも柔らかいのだった。

「気を付けて」
「ああ。後は頼む」

 立ち上がり、照明の消えた館内を真っ直ぐ歩いていく新一を見送る。
 戯言のように誤魔化していたけれど、新一の側を離れたくないというのは本音だった。
 新一は優秀な探偵だ。
 けれど、どんな理屈も通用しないのが感情というものだ。
 たとえ新一がどんなに優秀な探偵であったとしても、彼が大事であればあるほど不安も大きくなる。
 それが今回のように爆弾事件に巻き込まれたなどという危機的状況であるなら尚更だ。

「ま、騎士は精々主の命に従いますか」

 ここで一般客にパニックを起こされれば新一も危険に晒されることになる。
 新一が爆弾を見つけて解体するまで、どうにか彼らを宥めておこうと快斗も自分の使命を果たすべく向かった。





 爆発が起きてからすぐ、状況確認のために見に来た非常階段に新一は再び戻っていた。
 おそらく退路を断つためだろう、爆弾がピンポイントで仕掛けられていたために非常階段はまるで使えそうにない。
 壁が瓦礫になって積もっているところもあれば、階段の跡形もなく底が抜けてしまっているところもある。
 爆発による火災はところどころで起きているものの、火の勢いが強くないことだけが救いだろう。

 次に爆風で砕かれた、全面硝子張りだった壁際へと近寄る。
 四階建てという比較的低い建物ではあるが、それでも人間が飛び降りて助かる見込みは限りなく低い。
 或いはヘリを近づけての救助活動も可能かも知れないが、先ほどからあちこちで誘爆が起きている現状から見てヘリを近づけるのは危険だ。
 いざとなったらかつて幼馴染みの毛利蘭がやったように、腰に命綱を巻いてのバンジージャンプでもするしかないだろう。

「…何十人って人間がいるんじゃ、それも難しいか」

 次に、新一はエレベーターへと向かった。
 こういった非常時に機械制御のものを使うのは非常に危険だが、地上へと続く道があるなら全て考慮に入れて考える。
 閉じられた扉を無理矢理こじ開けようとするが、なかなかにしぶとい。
 僅かな隙間に指を押し込んで力を入れてみてもびくともしなかった。
 そう簡単に開いては危険なのだから仕方ないが、こういう非常時には困りものだ。

「くそっ。快斗なら簡単に開けやがるんだろうなっ」

 背丈も体つきも、顔すら似たり寄ったりの自分たちだけれど、やはり得手不得手はそれぞれある。
 快斗は新一のように筋道立てた推理などは得意ではないけれど、頭で考えるよりずっと器用にその場その場を切り抜けることができる。
 新一だとてピッキングやハッキングが苦手と言うわけではないが――どちらかと言うとかなり得意分野なのだが――こと力業に関してだけは苦手だった。
 体力がないのではなく、単に力が弱いのだ。
 弱いと言うよりは人並みと言った方が正しいのだが、探偵業なんてものをやっているとやはり力のなさは目立ってしまう。
 けれどだからと言っていつも快斗に頼るわけにもいかないし、頼りたくもない。
 新一は微妙なところで快斗に対抗心を抱いていた。

 何とか自分の力だけでこじ開けようと、何か棒状のものを探してみる。
 すると、数メートル先の壁から突き破るように飛び出した、丁度良さそうな鉄筋があった。
 新一はそれを手に持って扉の前まで戻ると、遠慮容赦なく打ち込み、てこの原理でぎりぎりと扉を押し開け始めた。
 僅かに開いた隙間に足を突っ込み、全体を使って力を入れる。
 すると、徐々に扉は動き、やがて真っ暗な空洞がぽっかりと現れた。

「やった…」

 しかも都合良く、エレベーターの本体は下に降りている。
 この本体が上にあると爆発によって落ちてくる危険性もあるが、下にあればひとまずその危険だけはない。
 少しも安全とは言えないが何とか脱出経路は確保できそうだ。

 新一は取り敢えず脱出経路を考えることをやめ、爆弾の捜索にあたった。



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