それはあまりに突然の出来事だった。
まるで飛び込むようにして大佐室へと駆け込んできたのは、高木中尉。
丁度その時デスクに山積みにされた書類に目を通していた快斗は、その普段と違った中尉の形相に何事かがあったのだと悟った。
快斗は呼吸もままならないと言った様子の中尉を宥め、話を促す。
「た、大変、ですっ!大門に、モヴェールが…ッ」
「…なに?モヴェールが攻めてきたのか?」
「は、はい…っ理由はわかりませんが、とにかく騎馬隊が応戦しています!」
ですから、至急大佐にご報告にと…!
「わかった、すぐに行く。中尉はこのまま第二訓練場のE区に向かってくれ。工藤少佐がいるはずだから、呼び出すように」
「はっ、畏まりました!失礼致します!」
そう言って中尉は来たとき同様、飛び出すように大佐室を出て行く。
その背中を見送って、快斗は脱いでいた軍服を再び着込むと足早に大門へと向かった。
その光景を言葉にするなら、まさに惨劇だった。
何の予兆もなく突然攻めてきたモヴェールの戦士。
数にして十二人程度だが、かなりの精鋭を集めてきたのだろう、数で勝っているはずのヴェルトの騎馬兵はかなりの劣勢だった。
モヴェールが手にする武器はまちまちだが、その分彼らの特性に合うものを選んでいるのだろう。
それぞれがその武器を無駄なく使いこなしているようだった。
ヴェルトの兵士は切り捨てられ、呼吸もままならない者やすでに息をしていない者もいる。
黄色いはずの砂漠は多くの兵士が流す血で赤く染め上がり……
「そこの一等兵!現状は?」
快斗は最も身近にいた一等兵を呼び止めた。
「はっ?見てわからんのかいな!どぉ見たって俺らの劣勢や、こいつら突然攻めて来よってからに!」
「そうじゃない、被害状況を聞いている!」
そんなものは見たらわかる!
そう怒鳴った快斗に振り向いた一等兵は、今話していた相手が最高指揮官だと知り少々青ざめた。
背中を向けていたとは言え今のは暴言になってしまう。
が、躊躇ったのも一瞬のことで一等兵――服部はすぐさま説明に入った。
「あいつらは丁度見張りの交代時間に来たんで発見が遅れました!国内に侵入される前に発見したんですが、第一発見者の三等兵が早とちって斬りかかりよったんです!」
「つまり手を出したのはこちらが先と言うことか?」
そうです、という返事に快斗は激しく舌打ちした。
本来モヴェールは戦いを好まない種族なのだ。
それならば彼らは戦いに来たとは限らないではないか。
以前の諍いのようにモヴェールの子供を痛めつけただの、こちらが彼らに手を出しただのという報告は一切受けていない。
いくら戦いを好まないと言っても彼らも馬鹿ではないのだ。
仕掛けられれば防衛するのが普通なのだから。
「とにかく国内に被害はありませんが、何しろ突然だったもんで、こちらの兵の被害は大きいです。死傷者はおそらく十は超すかと…」
「そうか、わかった」
「いえ、ご無礼を致しました、申し訳ありません」
「構わない。お前も死なないよう、気張ってくれ」
「御意!」
服部は快斗に向かって一礼すると、にっと笑って剣を掲げてみせた。
そして短いかけ声と同時に馬を叩き、最前線へと向かって走り出した。
快斗はその背中を見送って、自分の跨る純白の毛並みの名馬を蹴立てる。
味方の軍勢をぐんぐんと追い抜いていくその俊足は見事としか言いようがなかった。
そしてその名馬を乗りこなす快斗は細身の白い剣をすらりと抜き払い、高らかに言い放った。
「ヴェルト兵、私も前線に立つ!動ける者の半数は負傷者を、残りは私の後援だ!」
突然の大佐の登場に、戦意を失いかけていたヴェルトの兵たちは再び戦意を奮い起こした。
大佐の声に兵士たちの咆哮が返る。
惨状とかしていた戦地に、地鳴りのような声が響き渡った。
絶対の信頼を得る十四支部の最高指揮官、黒羽大佐は、戦に出れば負けなしの誰もが認める最強の軍人だった。
第二訓練場、E区。
もともと三カ所に設けられた訓練場にはAからD区までしかないのだが、特別に第二訓練場にのみE区が存在する。
そこは決められた者しか出入りを許されない場所だ。
軍人学生時代からすでにかなり名前を知られてしまっていた新一のためにと優作が特別に作った。
優作が特別に…というあたりにひっかかりを覚える新一だが、実際自分の名が知れ渡っているのは認めるし、素顔が割れるのをあまり良しとしないので、こればかりは有り難く好意を受け取っている。
誰かと共に稽古をつけるならまだしも、ただ自分の力を磨くための訓練に他人は邪魔なだけだった。
ここに出入りできるのは快斗と服部、志保、それから父親である優作。
それ以外の者は出入りを固く禁じられているが、そもそもその存在自体知る者はいなかった。
「…服部の奴、遅ぇ…」
あまり時間に正確というわけでもないが、いくらなんでもこの時間は遅すぎる。
いつもこの時間には服部とトレーニングをすることになっていたのだが、一向に姿を現わさない服部にいい加減新一は痺れを切らし、仕方がないと自ら探しに行くことにした。
服部が無駄に約束を破ったりする男ではないと一番わかっているのは新一だ。
その彼が来ないと言うことは何かあったのかも知れない。
立ち入りを禁じられている訓練区なだけあってこの辺りにはあまり人通りがなく、そのため何かあってもすぐに情報が入ってこないのが難点だった。
新一は流れた汗をタオルで拭い、大雑把に髪を掻き上げる。
それからタンクトップの上に黒の軍服を羽織り、仮面を被ってトレーニング場を出た。
と、鍵を閉めて外へ出た途端、なにやら慌てふためいた様子の高木中尉が視界に入ってきた。
基本的に将校クラスの者の訓練場は第一と決まっているので、彼をここで見かけることなどまずない。
その彼がここにいると言うことは……
「高木中尉、何かあったんですか?」
「あっ、工藤少佐!良かったぁー!」
中尉は今にも泣きそうな顔で駆け寄ってくる。
新一は軽く苦笑した。
すでに中尉と少佐――新一の方が階級的には上の立場となってしまったのだが、だからと言って周りから急に態度を改められたりするのは遠慮したい新一は、彼のこの性格をとても気に入ってたりする。
仮面のためおそらくわからないだろうが、新一はにっこり笑うと柔らかい声で用件を聞いた。
「俺を捜してたんですか?」
「そうなんだよ。大佐にE区まで少佐を捜しに行けって言われたんだけど、E区がどこかわからなくてどうしようかと思ってたんだ…」
「すみません、特別区なもので。わかりにくかったでしょう」
見つけたことに安心してすっかり本題を忘れかけた中尉だったが、すぐさま用件を思い出して姿勢を正した。
「そうだ、少佐、すぐに来て欲しいんだ!実はモヴェールが攻めてきて、今大門が酷いことになってるんだよ!」
「…モヴェールですか」
予想が当たったな、と新一は思った。
服部がここに来れなかったのはおそらくその戦いに出ているということだ。
更に自分にも呼び出しがかかったということは……
「大佐も前線に出てるんだけど、やっぱり少佐の力も必要だから。すぐ来てくれるかい?」
「勿論です!」
快斗が前線に。
ということは、モヴェールもかなりの精鋭だということだろう。
快斗は余程のことがなければ自ら戦いに出たりしない。
それは、最高指揮官が戦いに出向きその他の重要な指揮などに支障があってはならないからだ。
その快斗が戦っている。
「――急ぎます、高木中尉!」
言うなり、大門で戦っているだろう快斗や服部たちのもとへと新一は全力で駆け出した。
「…っ、くぅ…」
ガツン、と重い剣の一振りを細身の剣で受け、快斗は低く呻いた。
…強い。
おそらくこの戦士たちのなかで、一番。
様子からして、相手の男も快斗にかなり手を焼いているようだ。
快斗は今、馬から降り地に足をつけた状態で戦っていた。
別に変な余裕を見せたわけでも新一を真似たわけでもなく、相手がこの男だったからそうせざるを得なかったのだ。
かなり重たい一撃を放ってくるこの男を相手に、馬に跨ったままではバランスが悪い。
最初の一撃でそう悟った瞬間から快斗は馬を降りていた。
「貴方を頭と見受けるが、違うか?」
『…そう、だっ!』
会話の合間にも激しい攻防が繰り広げられる。
弾き合う剣からは今にも火花が散りそうだ。
少しでも気を抜けば容赦なく斬り捨てられるだろう、ギリギリの状況。
「俺はここの最高指揮官、黒羽と言う。貴方は?」
『特攻部隊長、コゴロウだっ』
「どう言った用件で、ここに来られた?」
『我らが光≠取り戻すため!』
コゴロウと名乗った男の剣を払い、その反動に身を翻しながら快斗は足払いをかける。
だが予想されていたのか、一歩後退することで難なくよけられ、新たな一撃が振り下ろされ……
危うい攻防を繰り返しながら快斗は男の言葉を反芻していた。
(…光?光ってなんだ?)
取り戻すというのだから、それはおそらくもともと彼らが持っていたモノということだ。
そしてそれは現在この国にあるらしい。
語意的に考えれば、あちらの意志に関せずこちらに来てしまったといったところか。
「光とはなんだ?この国にそれがあるのか?」
『ここにある!お前らは我らから、一度ならず二度までも光を奪った!』
「…奪っただと?」
コゴロウの形相からしても、彼らにとって光≠ニはかなり大事にされているのだろう。
しかも過去に一度奪われている。
けれど。
(この国にそんな大層なモンねぇぞ?物資で言えばシエルやオールの方がここよりずっと豊富だ)
シエルは自然に恵まれた、この地上に残された最後のオアシスと呼ばれる国だ。
そしてオールは金に恵まれ、人々の生活が最も潤っている国だ。
ヴェルトはシエルほど緑は多くないし、オールのように金の巡りも良くない。
軍事力が最も高いとは言われているが、それだけだ。
モヴェールが精鋭ばかりを十二人も集めて乗り込んで来なければならないほど、重宝されているものは聞いたことがなかった。
「この国にそんなモノはない!」
だから、その結論に至る他なかった。
…光≠ェ人であると、知らなかったから。
『嘘をつくな!俺も一度この目で見てるんだ、ないはずがない!』
コゴロウが激昂し、重い剣を力の限りに振り下ろす。
快斗は咄嗟の判断に遅れ、その一撃をモロに胸に喰らい……
「――呆けてんじゃねぇ、馬鹿野郎!」
喰らう直前、目の前に滑り込んだ影によって剣は受け止められた。
…否、堪えきれずに吹き飛んだが。
「し、んいち…」
黒の長剣を右手に持ち左手で支え、振り下ろされた一撃をがっしりと受け止めたはずが、新一は快斗を背中に道連れにしてその場に倒れ込んだ。
と言っても、二人とも転んだ拍子に片手を着いてすでに体勢を整えていた。
「油断のできる相手かそうじゃない相手か、そんなもんは良くわかってんだろ!」
新一は長剣をす…と構えなおし、自分より十センチ近く背の高い相手を睨み付ける。
思考に意識を奪われかけていた快斗もまた、新一の叱責によってすっかり意識を取り戻すと、コゴロウに向けて剣を構えた。
コゴロウは、突然現われた全身黒ずくめの小柄な男に瞠目した。
『そう、か…お前だな?アキヒコやユウキを退けたという男は…』
「アンタの言うアキヒコやユウキが誰か知らねぇからわかンねぇよ」
『ひとりも殺さずに還したそうじゃないか』
すると、新一が威嚇するように殺気を放つ。
「――殺して欲しかったとでも、言うつもりか」
たとえ敵であっても。
長い歴史の中で争い続けてきたとしても。
理不尽な理由で殺してしまうことなどできるわけがない。
身内を助けたいと乗り込んできた彼らを、どうして斬り殺すことなどできるだろう。
『お前の目的はなんだ?なぜ、助けたりする?』
けれどコゴロウはそんな新一の感情など知ろうともせず、ただ己の疑問をぶつけるように続けた。
無言のまま佇む新一に不穏な空気を読みとった快斗が間を割るように声を投げる。
「少佐、ここはもう良い!後は俺が引き受けるから、退け!」
けれど二人は納得しなかった。
快斗を意識の外に、コゴロウが続ける。
『素直に助かったと喜ぶには、我らと人間との間には深い憎悪が有りすぎる』
「少佐!」
退け――!
快斗が新一の前に手を翳しても、新一は一向に動こうとしなかった。
おそらく睨み付けるようにコゴロウを見ているに違いない。
まとっている殺気が少しも薄れていないのがその証拠だ。
たとえ敵であっても、命というものの重みを知っていれば、それを奪うことがどんなに傲慢な行為であるか。
それがわからないほど新一は馬鹿な男ではない。
…わかりすぎてしまうから、傷付かずにいられない、魂なのに。
(そんな狡猾な思考を持つ者の疑問を、新一にぶつけないでくれ…!)
吐き捨てるように快斗が心中にそう叫んだとき、不意に新一の気配が穏やかになった。
殺気も怒気も孕んでいないそれは、熱くも冷たくもなく、まるで凪のようで……
「――わけなんているのかよ?」
戦いはまだ続いているし、砂埃は高く舞い上がっているのに。
まるでここだけが別空間のようだった。
「人が人を助ける理由に、論理的な思考は存在しねーだろ…」
こんな戦争ばかりの世の中じゃ、嫌でも死≠ネんてものはつきまとってくる。
必死に生きようとしてる命を、生きたいと願う命を。
助けたいと思う気持ちに、理由なんて存在しないのだ。
「しんいち…」
あまりに彼らしいその言葉に、快斗の口元には知らず笑みがこぼれていた。
「大佐!俺は残りを引き受けるから、後は任せる!」
「オッケ!」
「…くたばんなよ?」
「そっちこそ!」
ニッ、と笑みを交わして二手に分かれる。
慌てて新一を追おうとするコゴロウの前に飛び出して、快斗はその動きを止めた。
「貴方の相手は俺だっ」
『…くっ!』
遠慮も容赦もない一振りで牽制し、思考を無理矢理こちらへと向けさせる。
コゴロウはかわしきれず、脇腹に小さな傷を負った。
それは小さな傷だったけれど、風向きが確実にこちらへと向けられた気がした。
…のに。
「ぅ、あ、ぁぁああ――っ!」
新一の叫び声に、快斗は知らずと駆け出していた。
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展開がハヤイ…?
まぁ、サクサク進めていこうと思いますんで。
コナン35巻より台詞抜粋。良いよね、この台詞…vv
新一さんがなにやらまた災難で終わってます。
急げ、快斗!笑