災厄は、いつだって突然降りかかる。





「緊急招集?」


 着慣れた軍服に袖を通す快斗に、ベッドに寝転んだ新一は眉を寄せながら尋ねた。
 快斗はこちらに背を向けながら服を着ている。
 黒のタンクトップの合間からのぞく幾筋もの赤い傷に、新一は気恥ずかしさを覚えた。

 二人で仲睦まじく眠っていたところ、唐突にベルが鳴ったのはつい先刻。
 大佐室のベルは滅多に鳴らされることはないのだが、夜勤で基地にいた一等兵が急の連絡を持ってきたのだ。
 全く気にしていない様子の快斗に反し、新一は慌てて布団の中へと隠れた。
 一等兵は扉の前で報告して帰ったため問題なかったのだが、おかげで二人してこんな夜中に目が覚めてしまった。


「各支部の指揮官は早急に本部に集まれってさ」
「ふぅん…なんかあったのか」


 新一が含みのある呟きをもらす。
 快斗は器用な指先でボタンを止めながら苦笑を返した。

 新一は少佐という高地位だが指揮官ではない。
 本部に招集をかけられたのは各支部の指揮官であるから、出席できるのは快斗だけだ。
 が、だからと言って気にならないわけがない。
 戦争や争いには人一倍敏感な新一だ。


「多分、ここんとこ他国の動きが不穏だからさー」


 身なりを整えた快斗が寝転ぶ新一の隣に腰掛ける。
 黒い前髪をそっと横に梳いて、あらわれた額に羽のような口付けをおとした。


「…起こるかも、戦争」
「…やっぱりか」


 目を閉じていた新一がそっと瞳を開ける。
 真っ直ぐに快斗を射抜く蒼い瞳の中には微かな激情がちらついている。


「どこにでもいやがるな…争いを仕掛けたがる馬鹿は」


 今では五国和平など唱える国はない。
 残された僅かな資源を相手をどう欺いて己のものにしようかと企む者ばかり。
 同じ人間でこれなのだ、まして種族の違うモヴェールとの和平などないも同然だった。


「大方、テールの国王が病で退位したのを機に攻め入ろうって奴でも出てきたんじゃねぇ?」


 シーツを巻き付けただけの格好で新一は立ち上がった。
 合間からのぞく肌は白く、そこには昨夜快斗がつけた赤い所有印が散っている。
 快斗の目が自然と新一を追った。

 まだ明け方前の四時過ぎだと言うのに、新一は自らも軍服を纏っていく。
 だが、緊急招集のため問答無用で出掛けなければならない快斗と違い新一に起きなければならない理由はないはずだ。


「新一、どーしたの?」


 訝る快斗に新一は気のない返事を返し、さっさと帯剣まで済ませてしまった。
 完璧にいつもの格好である。


「なんか腹立つから訓練場行って剣振り回してくる」


 仏頂面でそう言った新一に快斗は苦笑し、背後からぎゅっと抱き締めた。


「大丈夫だよ?俺がいるんだから、戦争なんてうまく回避してみせるさ」
「…お前が言うとシャレにならねーな」


 新一は困ったような笑みを向け、背を預けたまま快斗と自分の頬をくっつけた。
 そうして快斗も剣を手に取ると二人は出掛けるにはまだ早い廊下を歩きだした。










 ヴェルトの国土は広い。
 シエルに次ぐ第二の国土面積を持っている。
 国の中心には王都があり、王都の中心には王宮がある。
 王宮には国王の他に国政を行う国の要人も住んでおり、王宮に隣接するように建てられたヴェルト軍本部が二十四時間体勢で警護していた。

 本部には元帥を筆頭に、一般に上≠ニ称される高地位を持つ軍人が腰を据えている。
 王都を守る彼らは精鋭ばかりだ。
 だが王宮には過去数年の間にも罪人が幾度となく入り込んでいる。
 平和条約を結んだその年から、ヴェルト国王は幾度となく侵入者にその命を狙われている。
 平和とは名ばかりだ。
 そしてそれらの暗殺者から命を守るため、常に国王の身辺警護についている軍人が二名。
 どちらも総督という高い地位であり、また腕も確かだった。

 国土全土は十五区域に分けられており、各区域には零の本部から十四までの支部が存在する。
 北東、北西、南東、南西にそれぞれ設置された大門には特に精鋭の軍隊が配備された。
 中でも北東の黒羽大佐、北西の佐藤大佐の実力は群を抜く。
 実際快斗は本部から昇進の声を何度もかけられ、軍人の名誉職、国王警護の総督の地位ですら約束しようと言われていたが、快斗はなぜかそれを頑なに拒んでいた。





「黒羽大佐!」


 声と共にぽんと肩を叩かれ、馴染みのある気配に快斗は笑って振り返った。


「仕事離れた時ぐらい黒羽で良いよ、佐藤さん」
「そう?じゃ、キミをクンづけで呼べる人なんてそうそういないんだし、呼ばせてもらおうかな」


 朗らかに笑う佐藤につられて快斗も笑う。
 本部に来てまでこうして気軽に話せるのは彼女ぐらいのものだった。
 後の昇進の機会ばかりを伺う陰険組とは全く付き合うつもりのない快斗だ。
 快斗と佐藤もかなり狡猾な面を持ち合わせているがあくまでそれは戦地でのみ、プライベートにまで持ち込む気は毛頭ない。

 一杯どう?と差し出されたコップを有り難く受け取って、快斗は久々に佐藤との会話を楽しんでいた。


「そういや黒羽君、まーた昇進の声かけられてたでしょ」
「聞いてたの?どーせなら蹴りぐらい入れてくれたら良かったのに、あのタヌキ親父に」


 タヌキ親父ねぇ!とけらけら笑う佐藤に快斗は本気で恨めしそうな目を向けた。
 大将を相手にタヌキ親父とは不敬極まりないが、二人にとってはどうでもいいことだ。
 腐りきった今の軍に捧げる忠誠心など生憎持ち合わせていない。


「やーよ、会ったらあたしも言われちゃうじゃない」
「佐藤さんもお声かかってんの…」


 快斗は嫌そうにはぁ、と溜息を吐く。
 確かに佐藤の実力は大したものだが、おそらくあのタヌキ親父は…


「あたしの場合は正式な昇進じゃないだろうからね。絶対にお断りよ」


 口元だけで笑いながら怒りを称えた瞳を向けてくる佐藤。
 彼女は、よくわかっていた。

 ただでさえ女は少ない。
 その上佐藤は人目を惹く容姿を持っている。
 そうなれば昇進を理由に…などという頭の沸いた上司というのはどうしてもいるものだ。


「それじゃあ尚更蹴りの一発ぐらい、ってね」
「あっ。そーよね、そーすりゃ良かったんだわ!オシイことしちゃったなぁ…」


 本気で悔しがる佐藤に快斗はにやりと笑った。


「佐藤さんには決まった相手がいるってのにね」
「そうよ。あいつ、なっかなか昇進しないんだから!しっかりしごいてやってね、黒羽君v」


 人の好い馴染みの顔を思い浮かべ、快斗は苦笑を噛み殺す。
 軍人としての素質は充分あるが如何せん世渡りが下手なのだ、彼は。
 その上美人の婚約者なんてものがいれば、上の連中には余計面白くないのだろう。


「高木中尉と同支部じゃないのは残念だね」
「うーん。実はあたしはそうでもないんだけどね。辛いもんなのかな?」


 恋愛よりも仕事を重視する佐藤は根っからの軍人なのである。
 婚約者の命でもかかっていればまた別問題だが。
 けれど、と快斗は思う。


「俺は無理だよ」
「え?」
「俺は、好きな人と五日も離れていられなかった」


 耐えきれなかったあの時のことを思い出す。
 耐えきれず、迎えに行こうと飛び出す直前で彼は帰ってきた。
 無事な姿を見て、快斗は体が震えるほどに安堵したものだ。


「へぇ…いるの?好きな人」
「いるよ」
「あら、即答!その人、きっと大勢から嫉妬されるわね」


 なんたって黒羽大佐≠フ支持率は半端じゃない。
 けれど快斗は困ったように笑いながら言った。


「どちらかと言えば俺の方が嫉妬されそうだね。あいつの人気も半端じゃないから」
「なになに、相当美人なわけっ?」


 佐藤は身を乗り出して快斗に詰め寄る。
 なにやら興味津々だ。
 快斗は苦笑して、それから大事な彼の姿を思い浮かべた。
 その時浮かんだ笑顔に、佐藤は束の間視線を奪われる。
 快斗のこんな表情は――彼が入隊した四年前からの付き合いだが、見たことがなかった。


「美人は美人だけど、そう言ったらきっと蹴られるだろうな。それに、あいつはどっちかって言うと格好いいんだ」


 佐藤はその言葉に首を傾げた。
 確かに女性を形容するのに格好いいという形容詞を使うこともあるが、それはあまり一般的ではない。
 困惑する佐藤に快斗はひとこと。


「俺の恋人、工藤少佐だから」


 驚愕の事実に瞠目した佐藤に、快斗は声を上げて笑った。


「工藤って、…あの、黒衣の?」
「うんv」
「…ほんとに?」
「もちろんv」


 何だか語尾にハートが散ってる気がして、佐藤は快斗の言うことが真実なのだと理解した。
 なんせいつもクールでとぼけた顔ですら計算されたこの男が、緩みまくった顔に至極幸福そうな笑顔を浮かべているのだ。


「工藤少佐って何歳なの?」
「俺よりいっこ下」
「へえ、やっぱり随分若いんだ」


 快斗と言い工藤少佐と言い、若いのに随分な実力だ。


「ていうか工藤少佐、美人なんだ」
「格好いいし美人だし可愛いし」
「…惚気?」
「そv」


 これはもう話にならないと、佐藤は早々に話を切り上げることにした。
 この緩みきった顔を大佐崇拝者の方々に見せてやりたいものだ。


「ご馳走様だわ、ほんと。黒羽君の嬉しそうな顔ったらないわね。工藤君の素顔ってのにも興味あるけど、馬に蹴られるのはごめんだし、そろそろ退散するわ」
「あいつを知るのは俺だけで充分だよ」
「――そうそう。言伝があるのよ、タヌキ親父から」
「大将から?」


 さらりと口から砂でも吐けそうな台詞を宣った快斗に当てられながらも、佐藤は当初の目的をかろうじて思い出す。
 他愛のない話をしたかったのも本当だが、大将からの言伝を言い付かっていたのだ。


「資料室の過去データ引っ張り出しといてくれってさ。データ処理得意でしょ、黒羽大佐」


 そう言うことかと快斗は肩をすくめる。
 佐藤もデータ処理は得意だが、快斗の異常なまでの暗記力と解析力には及ばない。
 以前本部に来た際に任された雑務を、さっさと帰りたいがために異様な速さでこなしてしまったのが災いしたらしい。

 面倒事を押し付けられた気分で快斗は佐藤と別れた。
 渡されたキーを持って資料室へと向かう。



 そこで奇しくも、望んでいた――できるなら今は知りたくなかった、快斗が四年間求め続けていた資料を目にすることになるとも知らずに。






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なんとなんと、佐藤と高木は婚約者です!笑
良かったね、高木刑事。あ、中尉か。笑
次回は最強の彼が登場です。
快斗には…三章はちょっと痛い話です。