「以上だ、解散」
いつも以上に硬質な素っ気ない声で快斗は早朝会議の終わりを宣言した。
その普段と違う様子に首を傾げつつも、会議に出席した将校連中は次々と椅子を立っていく。
それぞれがそれぞれの仕事に向かった。
今朝の議題は、快斗が本部に招集されて教えられた情報を伝え、それについての対策を立てることだった。
本部の元帥曰く……
「テール国王の退位に乗じ、オール国と隣国のフー国が手を結んだ。近々テールに攻め入るという情報が入っている。我々もうかうかしていられない」
他国が領土を広げようとしているのを指を銜えて見ているわけにはいかない、と。
軍事国家のヴェルトでも兵を挙げ、オールとフーが攻め入る前になんとかテールを落とすというのだ。
唯一平和主義を唱えるシエルのみが国の守りを固くして反対を唱えている。
五カ国しか存在しないこの世界で、四つの国が戦争を引き起こすというのだ。
戦は、止まない。
それを嘆く者、哀しむ者。
そして、利益を得るために乗じようとする者。
謀らずとも始まろうとしている戦争に、快斗は躊躇いなく飛び込もうとしている。
ばらばらと会議室を出ていく人の中で、新一は仮面の下で口唇を噛み締めながら怒りに耐えていた。
全員がこの部屋を出るのを椅子に座ってじっと待つ。
新一と同じように快斗も座ったままの状態だった。
「俺を含む将校の皆には、ほとんどが戦地に向かってもらうことになる」
ざわりと声が広がり一瞬にして静まりかえった。
その言葉の意味するところを悟り、覚悟を決めるかのような沈黙がおりた。
「兵は三等兵から一等兵まで、七割は戦場に引っ張り出す。残りの三割は、…工藤少佐と高木中尉と共に国の防衛にあたってもらう」
「な…!」
新一はがたっ、と椅子を蹴立てて立ち上がった。
皆の視線が集中する。
誰も思っていることは同じだった。
なぜ少佐を残すのか、と。
それは新一にしても同じで、なぜ自分が戦場から遠く離れたこの地に留まらなければならないのか、納得がいかなかった。
たとえ快斗には敵わずともこの支部では屈強な部類に入ると自負していた。
「大佐!なぜ俺がここに…」
「工藤少佐、質問なら後で受けよう。今は会議が優先だ」
「な…っ」
「後にしろ」
冷たい声が容赦なく両断する。
新一は怒りに戦慄きながらも席に着いた。
それからは一言も発さずたんたんと進んでいく会議にただ耳を傾け、血が滲むほどに手を握りしめ。
全ての者が退室すると、そこで漸く新一は言った。
「どういうつもりだ」
なけなしの理性を掻き集め、できる限り冷静な声を紡ぐ。
ともすれば怒鳴ってしまいそうなほどに新一は怒っていた。
「どうして俺がここに残るんだ」
「戦力を根こそぎ持っていくわけにはいかないからに決まってるだろう?」
「だったら、なぜ、それが俺なんだ」
仮面越しではあったが、それでも力の限りに新一は快斗を睨み付ける。
対する快斗はまるで知らぬ顔で視線を寄越そうともしない。
その表情は何も感じていないかのような無表情だった。
「俺は、弱くない。戦場には必要なはずだ」
「少佐の力は戦場よりもここに必要だ」
新一の肩がぴくりと揺れる。
工藤≠ナも新一≠ナもなく少佐≠ニ呼んだ快斗。
言外の拒絶が少しばかり胸に突き刺さる。
「将校を三人も四人も残すより、確実な戦力を二人だけ残した方が効率的だからだ」
相変わらずの冷たい声でそれだけ言うと、快斗はゆっくりと立ち上がった。
話は終わりだと背を向ける。
それに新一は急いで顔を上げ、後を追うように立ち上がった。
「快斗!」
名を呼んで、一歩踏み出して。
けれど立ち止まる。
振り向いた瞳は、凍えるほどに冷たい色を湛えていた。
今まで見たどんな色よりもそれは冷たく心蔵を抉るような色だった。
「仕事中だ。大佐と呼べ」
「…!」
「それにこれは大佐命令だ。違反は許されない。わかったら、少佐も仕事にかかれ」
言い放ち、快斗は新一の答えも待たずに扉を閉める。
ぱたんと虚しい音だけを残して会議室には誰もいなくなった。
いるのは、新一だけ。
「…ぃ、と…」
声が漏れる。
少し、震えた声だった。
それが許せずに新一は口唇を噛み締めると、震える手を握りしめそのまま拳を思い切り壁に打ち付けた。
だんっ、とけたたましい音が響く。
壁は少し凹んだようだった。
「…っくそ!」
鼻の奧がじんとして、目の奧が熱くなる。
新一は固く固く目を瞑ると、打ち付けた拳に額を押し付けながら掠れた声で吐き出すように言った。
「…だよ、っの野郎!」
どんなに注意しても、いつもいつも名前で呼んでいたくせに。
そのお前が俺に向かって、名前で呼ぶな、だと?
「ざけんじゃねーぞ、畜生!」
項垂れていた顔を上げる。
ぐっと力を入れて、零れそうになる熱を堪え、自分勝手なことばかり言ってくれる男の消えた扉を睨み付ける。
ふと見ると、手に滲んでいた血が壁に付着していた。
新一はその血を乱暴に拭う。
「上等じゃねぇか。大佐命令だと?…そんなもの!」
俺は、奪うと決めた。
勝手に腕の中から消えようとする男を、奪うと決めたんだ。
命令違反は許されない?大佐命令だと?
そんなものはくそくらえだ。
お前が、大佐の権威を以て俺から離れようというのなら。
俺はお前以上の権力を以て、とことんそれに逆らってやる。
後にした会議室から壁を殴るようなけたたましい音が聞こえ、快斗は急ぎ振り返った。
そのまま走り出したい体を、けれど、と押し留める。
そして悔しげに顔を歪めながらも前に向き直ると、快斗はゆっくりと歩き出した。
自分でも驚くほどの、あの冷たい声と冷たい表情。
こんな顔がまだできたのかと、以前と少しも変わっていなかった自分に快斗は自嘲した。
あんなにも長い間新一と共にいたというのに、その本質は少しも変わっていなかったのだ。
これでは救いようがないわけだ、と。
どこまでも昏い笑みが込み上げてくる。
仮面越しの新一の表情は何ひとつとして見えなかった。
それどころか視線すら向けていないのだから何もわからないはずだった。
けれど快斗には悔しげに顔を歪める新一も、怒りに肩を震わせる新一も、全部全部見えていた。
いつも誰より側近くで、そこに流れる空気だけで新一の感情を感じ取っていた快斗には全部全部見えていた。
名前を呼ぶなと言った瞬間の、今にも泣き出しそうだった新一。
ひどく心が痛かった。
けれどそれ以上に傷付いただろう新一を思えば、こんな痛みはなんでもなかった。
「どういうつもりか、だって?そんなの、お前を愛してるからに決まってんじゃん…」
快斗はひとり廊下を歩きながらぽつりとこぼす。
「お前をここに残すのは、怪我なんかさせたくないからだ」
まして死なせたりなど、できるはずがない。
だから、少なくとも自分が赴く場所よりは安全なここで民を守ってくれたら、と。
「憎んだって良いよ。嫌ったって、良い」
俺が、愛してるから。
お前の分まで、俺が、お前を愛してるから。
だから。
「絶対に行かせねぇ」
血を流すのは自分だけで充分だ。
心も体も、あの時に凍り付いてしまった自分だけで。
その瞳が、何より優しく暖かい色を浮かべていると――快斗は知らない。
* * *
「珍しいね。お前から呼び出しがかかるとは」
基地も街もすっかり眠りに落ちてしまった頃、月明かりすら届かない暗闇の中での秘密の逢瀬。
二人が逢う時はいつも何かと問題がある時ばかりだ。
だからだろうか、新一はなかなか自分から彼を呼び出そうとはしなかった。
どちらも闇より昏い色を纏っていると言うのに、どちらも鮮烈な気配を放っている。
だが今は二人とも極限まで気配を断っていた。
「頼みがあるんだ」
「ふむ。それはまた一段と珍しい」
優作は黒縁眼鏡をくいと持ち上げ、にっ、と口端を吊り上げる。
その様子に新一は嫌そうに眉を寄せた。
「俺に、元帥からの出動要請をくれ」
元帥は将校を統率する軍の最高官だ。
その元帥から直々に命令が下れば、一介の大佐の命令など無に等しい。
快斗が大佐の権限を振りかざすというのならこちらはそれ以上の力を以て対抗するまでだ。
「今度の戦にお前も出るということかい?」
「そうだ。大佐から国に残るよう言われた。でも従うつもりはさらさらないから、元帥の言が欲しいんだ」
「なるほど」
何を考えているのか、僅かに目を眇めた優作を訝しげに眺めながら新一は優作の言葉を待つ。
新一は快斗と優作が本部で会ったことを知らなかった。
その時何を話したのかも、もちろん知る由もない。
「元帥程度で良いのかい?なんなら国王から命を下してもらっても良いが」
「戦に出れるんなら何だって構わない」
「それをダシに昇進の声がかかるとしても?」
「構わない」
一瞬の躊躇いもなく言い切った息子に優作は軽く苦笑する。
そうまでして新一が何をしたいのか、優作にはわかりすぎるほどわかっていた。
本当に自分がやりたいことを自分で選べと言ったのは優作だ。
その言葉を覆すつもりはない。
ただ、危険に関わるのはできるだけ避けて欲しいと思うのが親というものだ。
けれどそれでも新一がそうしたいと言うなら、優作に止めるつもりはなかった。
…少しばかりの寂しさもあったけれど。
「良いだろう、では総帥に話を通しておこう。確か総帥とは面識があったね?」
「ああ、一度だけ…断わりを入れた時に会ってる」
軍入隊直前、新一は少佐として入隊するよう勧められた。
だがそれを自分の実力ではなく優作の影響だと思っていた新一は二つ返事で断わってしまったため、わざわざ総帥が出向いてきたのだ。
軍の最高官がはたしてそれで良いのかと、あの時はさすがに呆れてしまった新一だ。
とは言え、たとえ出向いたのが国王であろうと新一は断わっていたのだろうが。
「新一」
用は終わったと踵を返した新一の背に優作の声がかかる。
まるで普段と変わらないのに、なぜか従わずにはいられない声だった。
新一は殊更ゆっくりとした動作で振り向く。
優作は変わらず笑っていた。
「お前は、それ程までに大佐が好きかい?」
ずきり、と胸が鳴った。
今思い出すには少しばかり胸の痛い人物だ。
けれど、自分がこんなことを言い出すのはその人を想うために他ならない。
たとえ軍にこの身を好きなように扱われても構わないと思うのは、快斗を想うがためだから。
答えはひとつ。
「…父さんが、母さんを愛したように」
そして新一は張りつめていた気を緩めてふと笑う。
どんなに拒まれても、一方通行だとしても、自分が彼に向ける想いはこの空よりも深く大きな愛情なのだ。
新一の言葉に少しだけ目を瞠った優作は、けれど次の瞬間には柔らかい苦笑に変えた。
「そうか…それは良いね、…とても」
今でもモヴェールの美しい光の王を愛している優作は嬉しげに寂しげに笑い、それから表情を改めて真摯な声で言った。
「お前に、どんな彼でも受け止める自信はあるか?」
「当たり前だ」
「その言葉に偽りは?」
「ない」
「彼が受け止められることを望んでなくても?」
新一の瞳が揺らぐ。
そうだ。
拒まれると言うことはそういうことなのだ。
けれど、それでも、自分は。
「…俺は、俺が決めたことしかできない。嘘を吐くことができない。逃げることも、できない」
いつだって後ろを省みない生き方をしてきた。
いつだってその時その時の精一杯だった。
そんな生き方しか知らなくて、できなくて、後ろを見て哀しむ暇があるなら前を見て突き進んできた。
たぶんそれはこの先も変わらないだろう。
自分の望むものを掴むために全力で走っていく。
そして今、自分が望んでいるのは――
「俺は、あいつと、一緒にいたい…!」
そうだった。
身勝手なのは新一の方だった。
快斗ははっきりと拒絶したのに、それでもしがみつこうとしてるのは新一の我侭だ。
新一のためだと言った快斗。
傷つけたくないと言った快斗。
…一緒にいられないと言った、快斗。
本当はよくわかっていた。
快斗の言うことすること、全部が全部、馬鹿らしいぐらいに自分のためなのだと。
それでも離れたくないと思うのは新一の我侭だ。
快斗が血を流すなら新一も、傷付くなら同じだけ、死ぬなら同じ時に。
そう思うのは、新一の、我侭なのだ。
「なら、絶対に離してはいけない」
いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げれば、優作は笑っていた。
「お前が自分ためにその道を選びたいと言うなら、安心したよ」
「どういう意味だ…?」
「大佐のために過去を受け止めてあげたいと言うなら、それはただの偽善だ。人間なんて所詮自分勝手な生き物だろう?誰だって自分の本当に望むことしかできないんだ。だから、たとえ大佐がそれを望まなくても、お前が彼の側にいたいんだとわかって安心したんだよ」
嘗て、大戦の最中、逃げまどう人々の中で。
自分のためにも逃げてくれというユキコに促されるまま、優作は逃げてきてしまった。
……本当は、決して逃げたくなどなかったのに。
たとえ新一もろとも死んでしまおうと、ユキコを置いて行きたくなどなかったのに。
その思いは今も優作の中に後悔として蟠り続けている。
そんな思いを息子や、息子を愛してると態度で明言した青年に繰り返して欲しくなかった。
けれど彼らは優作が思う以上に強く互いを想っていた。
それゆえに遠回りをしようとも、互いに相手のことを何より大事にし、そうしたい自分の心を大事にしている。
だから。
「たとえ彼に嫌われようと、愛し続ける覚悟があるかい?」
「…ある」
新一は睨み付けるように真っ向から優作を見つめ返した。
嘗ての妻のそれとよく似た、揺るぎない意志に満ちた瞳。
きっと大丈夫だ、何の根拠もなくそう思わせるほど、その瞳は強い力を孕んでいた。
「なら、彼の過去についてお前に話す」
「!」
「聞きなさい。そして、無事、戦から還っておいで」
有無を言わせない無言のプレッシャーに、新一は咄嗟に答えられなかった。
新一は快斗が話し出すのを待つと約束した。
勝手に知ってしまった自分を快斗は許さないかも知れない。
けれど。
たとえ嫌われようと、自分だけは変わらずお前を愛するから、と。
もう新一に迷いはなかった。
「わかった。あいつのこと、教えてくれ」
謀らずしも快斗と同じ思いを抱きながら、新一ははっきりと頷く。
長い夜が始まろうとしていた。
BACK
TOP
NEXT
優作が出張る…(笑)。
平次と志保の存在、どっかいっちゃったしなぁ…。そのうち出るのか??
第四章はさらに痛いです。
ラストだけはばっちり決まってるんだけど、ラストはもひとつ痛いからなぁ。
ごめんね、快斗。。