新一は現在、快斗の部屋のベッドに寝転がりながら快斗の帰りを待っていた。
 時刻はすでに深夜一時を回っている。
 けれど待っていたいから、こうして起きて待っているのだ。
 本部が何のために招集をかけたのか、その理由を正確に知らない新一には快斗の帰ってくる時間はわからない。
 今日中に帰ってくるのかも定かではなかった。


「マジで帰ってこなかったらシャレになんねーな」


 そんなことになれば明日の仕事にだって差し支えてくる。
 けれどいつまでだって待ってそうな自分に、新一は苦笑した。

 新一は今日、仕事以外の時間は全て訓練場で過ごした。
 すっきりしない気分を拭い去ろうと一日中剣を振り回していた。
 だがあんな太刀筋で上達するはずもない。
 つまり、今日一日を無駄に過ごしてしまったのだ。
 気分は相変わらず優れないけれど、或いは快斗ならこのもやもやを吹き飛ばしてくれるかも知れない。
 新一は寝転がったまま足をばたつかせ、今朝快斗が言っていた言葉を思い出した。


――大丈夫だよ?俺がいるんだから、戦争なんてうまく回避してみせるさ


 別に、と新一は思う。
 別に快斗がそんなことをしてくれる必要はないのだ。
 誰かが血を流さなければいけない世の中は確かに哀しいと思う。
 新一は戦を憎んでいるし、できることなら回避したいと思う。
 けれど、そのために快斗が血を流さなければならないのなら――戦争なんて回避できなくてもいい。


「は…いつの間にこんな汚ぇ奴になったんだよ、俺…」


 しかも質が悪いことに、そんな自分を新一は嫌いになれないのだ。
 それ程までに想える相手がいることを嬉しいとすら思う。
 もうすでにどこか壊れているのかも知れない。
 だが誰かを愛するということが得てしてそういうものだと、新一は知らない。

 そうして苦笑を浮かべかけた時、扉が開いた。


「――快斗!」


 勢いよく起きあがり、新一はやっと帰ってきた恋人に笑みを浮かべる。
 往復六時間もの移動行程を考えれば快斗はほぼ休む間もなく向こうを出てきたのだろう。
 快斗も嬉しげに笑い、きっちり着込んでいた軍服を緩めながら新一へと歩み寄った。


「ただいま、新一」


 歩み寄りベッドに腰掛けて、新一に覆い被さるように軽いキスを仕掛ける。
 新一は訝るように目を細めた。

 快斗は目を閉じている。
 いつものことだ。
 目を閉じ、幸せそうな顔で新一とのキスに酔いしれている。
 それもいつものことだ。
 けれどこれは――

 違う。


「快斗?お前、どうかしたのか?」


 快斗の感情は見えない何かにくるりと覆われていた。
 これはポーカーフェイスだった。
 こんな表情を快斗は新一にだけは向けてこない。
 少なくとも、恋人となってからは一度としてなかった。


「…新一には敵わないね。なんでもかんでも見抜いちゃうんだから…」


 快斗が困ったように苦笑した。
 いや、苦笑する顔≠作った。
 それに、新一はわけのわからない衝撃を受けた。


「…なんだってんだ」


 快斗の顔を両手で挟み、その目がよく見えるよう固定する。
 新一は怒っていた。
 嘘は吐かないと言ったその口で、その顔で、まるで騙すような真似が許せなかった。
 言わないのは構わない。
 ただ、造りあげた虚像で誤魔化されたくないだけ。


「俺にそんなニセモノ見せんじゃねぇよ」


 真摯な眼差しはどこまでも真実を追い求める者のそれ。
 けれど快斗は相変わらずの苦笑顔で新一をベッドへと押し倒した。
 そして、寒気がするほど冷たい声が囁く。


「見られたくないもんまで見ちまう目なら、隠してやろうか…?」


 新一は目を瞠った。
 快斗は笑っている。
 見たこともない顔で、新一の知らない顔で笑っている。
 それも伸びてきた手に視界を奪われ、布の向こうへと消えた。


「!…快斗っ!」
「なに、新一。暴れちゃダメだよ」
「やめろ!」
「こら。目が傷付くだろ。じっとしろって」
「や、だ…っ、快斗…!」


 新一は渾身の力で暴れるが快斗の体はびくともしなかった。
 それにまたしても言いようのない衝撃を受けた。

 快斗が自分より強いのはわかっていた。
 人より力があると言ってももともと線が細い新一が快斗に敵うはずもない。
 けれど頭脳プレイならばいい勝負をする自信があった。
 幾度となく剣を交わしてきたが、それほどに差を感じたことはなかった。
 それがどうだ。
 力で抑え付けられ、まるで赤子のように手も足も出せなくなってしまった。
 快斗は初めから新一相手に本気など出していなかったのだ。
 そう思うと悔しくて仕方がなかった。

 新一はぎりと口唇に歯を立てる。
 あまりの力に耐えきれず血が滲み出てくる。
 口内に広がる血の味に吐き気を感じながら、見えないはずの新一の視界は真っ赤に染まっていた。
 …怒りで。


「噛んじゃダメだよ。新一を傷つけるのは、お前だって許さねーぜ…」


 覆われた視界では何も見えない。
 快斗の顔が、見えない。
 声だけではわからない。
 笑っているのか、怒っているのか、それとも――泣いているのか。
 覆い被さる体が微かに震えていることしか、わからない。


「何がしたいんだよ…」


 新一は深く呼吸すると、この理不尽な状態も甘んじて快斗を引き寄せた。
 吃驚したのか、快斗は新一の腕の中で固まっている。
 新一はそれ以上何を言うわけでもなくただ髪を梳いていると、やがて体と同じく震えた声が言った。


「なん、で…怒らないんだよ…っ」
「…怒らせたくてやってんのか?」
「こんな扱い、許せないだろ、新一っ」


 快斗の手が新一の背中に周り、息が止まるほどの強さで抱き締められる。
 新一は視界を覆っている布を取ろうかどうか躊躇って、結局そのままにした。


「快斗。布、取れって」
「イヤだ」


 腕の力が一層強くなる。


「こんな俺、見ないでよ…全部見抜かれちゃいそうで、今は新一の目が、…コワイ」


 吐息に混じって今にも消えてしまいそうな声は、これが快斗のものかと疑ってしまうほど弱々しかった。
 それはつまり、見抜かれると拙いことがあるということなのか。
 けれど新一は何も言うまいと口を噤んだ。
 言えないことなら言えるようになった時に言えばいいと、そう言ったのは新一だ。


「…何があったのか知らないけどな」


 新一は布を取り、そのまま真っ直ぐに快斗を睨み付けた。
 快斗のポーカーフェイスはどこかへ行ってしまい、今はなんだか悄然とした様子だ。
 けれどそれは作られていない、新一の大好きな快斗だった。
 新一は怖いと言われた目を瞑り、こつんと額を擦り寄せた。


「俺はどんなお前も受け止めるって言ったな?」
「…言った」
「なら、お前はそれを疑うんだな」
「そ、れは…!」
「俺の言葉が信用できないから、そんなこと…っ」


 その先の言葉は快斗の唇が奪った。
 噛みつくように仕掛けられたそれは遠慮など知らずに深く重なってくる。

 なんなんだ、と新一は思った。
 キスなんて幾度となく交わしたというのに、この眩暈はなんなのだ。
 強く。深く。
 目が眩むほど、思考が霞むほど――
 求められている。


「新一のことは誰より信じてる。お前の言葉を疑ったりしない」


 漸く解放された時、いつもと変わらない深い紫紺の瞳には惜しみない愛しさが滲んでいて、新一は安堵した。
 けれど。


「…信用できないのは、俺自身だ」
「え…?」


 快斗の体がすっと離れていく。
 この腕に確かに掴んでいたはずの温もりが遠ざかっていく。
 新一の手は無意識に快斗の体を追って伸ばされた。
 けれどその手は虚しく空気を掴んだだけで……


「離れよう」


 耳を、疑った。


「もう一緒にいられないよ」
「かいと…?」
「一緒にいたら新一を傷つけちまう」
「なに言って…」
「そんなの、許せないんだよね」


 誰よりお前を愛してる俺が、お前を傷つけるなんて。
 たとえば神が許しても、…新一が許しても。


「俺が俺を、許さない」


 振り向いた快斗の顔はこの上なく真剣で、まるで喉に貼り付いたかのように新一は何も言うことができなかった。


「憎んでくれて良い。だから――出ていけ」










 何日かぶりに足を踏み入れた自室。
 新一はベッドにごろりと横になって、混乱しきった頭を必死に整理しようとした。
 今朝までは普通だったはずの快斗が、本部から帰ってきたら違っていた。
 何があったのかは知らないし言うつもりもないのだろう。
 ただ――
 離れよう、と。


「俺を傷つける奴を許さねぇ、だと…?」


 何をばかなと、新一は低く嗤う。


「俺を誰より傷つけてんのは、お前じゃねぇか」


 だって、こんなにもこの心はぼろぼろだと言うのに。
 目に見える血は流れなくとも、確実に命の源は失われているのに。
 それすらもわからないなんて。

 新一はもう泣きたいのかどうなのかもわからなかった。
 ただ、ばかな男のばかな台詞に嗤いが迫り上がってくる。
 哀しいとは思う。
 けれど涙は流れなかった。
 泣かないと、いつからか決めていたから。
 泣いて良い場所はあの腕の中だけだと、決めていたから。


「泣かせてもくれねぇなんて、ひでぇ奴…」


 だけど、と新一は思う。
 快斗が相手にしたのは生憎とこの工藤新一なのだ。
 哀しみに耽って泣くだけの男じゃない。
 自力で立ち上がり、血なまぐさい道を――死神を背負う道を自ら選んだ男を甘く見るな。


「お前がそういうつもりなら、俺は意地でも大人しく従ってなんかやんねーぞ」


 この痛みは、まだ快斗を好きだから。
 泣かないのは、還る場所があそこだけだから。
 だから。
 俺は。


「意地でもお前を、奪ってやる」


 お前を傷つけるならたとえそれがお前自身でも、俺だって許さない。






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執着心めらめーらな新一さんを書きたくて。笑
新一さんのためとか言って、これじゃ逆効果だよ、快斗v
負けず嫌いですから、彼は。