長く豊かな金髪を惜しげもなく額当ての隙間からなびかせ、均整の取れた身体には銀の甲冑をつけている。
その手には不釣り合いなほど大振りな刀剣。
その前には、腹部に傷を負って蹲る佐藤大佐の姿があった。
「佐藤大佐、大丈夫ですか!」
血を流す彼女に大尉は慌てて駆け寄ろうとする。
と、鈴下が緩慢な動作でこちらを振り向いた。
駆け寄ろうとする大尉には目もくれずに、彼女の視線はただ新一へと据えられる。
その口元がほんの僅か持ち上げられたのを新一は見逃さなかった。
(…なんだ?)
警戒を強めながらも不用意に近づこうとする大尉を押し留める。
「大尉、貴方が慌てていてはいけない」
「しょ、少佐…っ」
「戦える人員は少ない。効果的に動かなければこちらは全滅だ」
それでも狼狽える大尉にきつい眼差しを向ければ、気配で伝わったのか彼は落ち着きを取り戻そうと小さく頷いた。
数度呼吸をして気持ちを調える彼を見守り、新一は改めて鈴下へと視線を戻す。
彼女が従えている兵士は十余人。
現在のこちらの戦える人員はその倍はあったが、彼女の実力を考えれば遠く及ばない。
佐藤大佐ですら全く歯が立たない相手なのだから。
「俺はヴェルトの本部に属する工藤だ。オールの鈴下総督と見受けるが?」
「ええそうよ。初めまして、黒衣の騎士さん」
艶やかな朱を差した唇をにっと持ち上げ、鈴下は艶然と微笑んでみせる。
およそ戦場には似つかわしくない麗人だ。
王女という身分でこれほどの美貌があればいくらでも王宮で贅沢な暮らしができるだろうに、何を好んで彼女はこんな血なまぐさい戦場へと足を踏み入れるのか。
新一にその理由を知る術はないが、ただ視線を交わしたその瞬間から彼女がただ者ではないことはわかった。
「何が目的で仕掛けてくる?」
新一は警戒しながらも佐藤大佐の怪我の度合いを確認する。
この位置からでは正確な視診は無理だが、それでも急を要するほど酷い状態とも思えなかった。
出血こそ多いが命に別状はない。
それが余計に鈴下の目的を曖昧にする。
鈴下は意味ありげな笑みを口元に浮かべ、細い指を顎に当てながら愉しげに言った。
「そうね…教えてあげても良いけど――」
くすりとひとつ笑みをこぼし、逆の手に握られていた剣をすっと新一へ向ける。
それの意図するところを違わず受け取った新一もまた、腰に携えていた黒剣を鞘から抜き払う。
「手合わせ願うわ」
途端、互いの剣がまるで吸い寄せられるようにがちりと組み合った。
たったの一太刀。
だがその一太刀で、新一は自分と彼女の力の差を理解した。
剣の筋が良いと言うことは己の力量を正確に理解すると同時に、相手の力量をも瞬時に計れることである。
太刀の速さ、身のこなし、踏み込みの正確さ、振り下ろした剣の重み。
加えて新一同様の頭脳と体の機敏さを生かした隙のない戦い方。
その上彼女の場合、快斗のように力のある攻撃もできる。
明らかに新一の方が不利だった。
それでも新一はそういった焦りや苦痛を全て仮面の下に押し隠し、鈴下と打ち合っている。
打ち合いながら、彼女の目的を図ろうとしている。
何故か理由もなくこんな行動に出るような者とは思えなかった。
「まだ余裕がありそうね?」
戦いの最中に考え事とは。
「…言うほど余裕がないことぐらい、わかってるだろう?」
「あら、案外素直なのね」
キンと耳に煩い金属音をひとつ、二人は僅かに後退して互いの距離を取る。
愉しげに歪んだ彼女の唇が音のない言葉を紡いだ。
その声が耳に届くことはなかったが、すかさず新一は読唇した。
――悪くない
新一は目を細めながら構えていた剣をすっと下ろした。
その様子をまるで予想していたかのように鈴下は愉しげに見守っている。
「…もう良いだろ?要求を聞かせてくれないか」
改めて仕掛けてくる様子のない鈴下に新一は静かに声をかけた。
その声は周りで繰り広げられている戦いにともすれば掻き消されてしまいそうだったが、鈴下は違うことなく聞き取った。
そして口元に笑みを浮かべたまま自らも構えていた剣を鞘に収めてしまった。
「頭も悪くないわ、余計気に入った」
そう言って鈴下は従えていた数人の部下たちに退くように合図を送った。
それを境に先ほどまでの喧騒が嘘のように周囲が静かになっていく。
この場を支配しているのは鈴下だった。
凛とした声が空気を切ってその場に響き渡る。
「オールの要求はひとつ。少佐、貴方の身柄と交換に捕虜を解放してあげるわ」
悪い話じゃないでしょう、と口角を持ち上げた鈴下がひたと視線を向けてくる。
半ば予想していた内容に新一だけが動揺することなく佇んでいた。
一番に声を張り上げたのは、怪我をして前線から退くことを余儀なくされた佐藤大佐だ。
大尉に応急処置を施されただけの体で尚も剣を握っている彼女の気力は大したものである。
「少佐をっ?冗談、そんな要求呑めないわ!」
「冗談なんかじゃないわよ」
「…ッ、なぜ、工藤少佐なの!」
よりによって、なぜ、彼なのか。
佐藤が軍内部で唯一買っている人物が黒羽快斗だ。
その彼の部下であり、恋人であり、噂と違わぬずば抜けた剣術を有する、工藤少佐。
新一をこの場へ引きずり出してしまったのは自分の力不足だと佐藤は思っていた。
自分にもっと力があればわざわざ本部の少佐が呼ばれることはなかったのに、と。
公私を混同させてしまうようだが、黒羽大佐にとっても国にとっても要人である工藤少佐をみすみす敵の手の内に落とすなど、絶対にあってはならないことだった。
けれど鈴下は涼しげな笑みを浮かべたままさらりと言うのだ。
「彼が貴方たちの中で最も強いから、とでも言えば良いかしら?」
「…!」
「貴方や貴方の部下では手応えがなさ過ぎだわ」
佐藤が切られた腹部を手で押さえながら悔しげに顔を歪める。
それまでただ無言で傍聴していた新一は、そこで漸く口を開いた。
「良いだろう。捕虜と交換なら、呑もう」
「な…、少佐!」
「大丈夫ですよ。おそらく殺されることはないでしょう、…直ぐには」
「けどっ」
「それに、捕虜と交換だと言うのだからそう悪い条件じゃないですよ。…俺ひとりで済むなら」
そう、おそらく鈴下には何か目的がある。
これがそのために起こした騒動だというなら、要求された新一がすぐに殺されるようなことはないだろう。
…目的が完遂された場合はわからないが。
それでも捕虜と交換であればそう悪い条件ではないのだ。
一支部を担う大佐やそれより上位の者ならまだしも、新一の位はあくまで少佐。
まだ代わりが利く。
それに新一は欠片もこの状況に絶望などしていなかった。
快斗と共に戦いぬくという大事な誓いがあるのだからこんなところで死ぬわけにはいかない。
けれど佐藤はそれでもまだ食い下がろうと掠れた声で叫ぶ。
「けど…、だけど!黒羽大佐はどうなるの…?」
新一は佐藤を凝視した。
仮面に隠れているため見えはしないが、その目は大きく見開かれていた。
(大佐は知っている…?)
この場で快斗の名前を出すということはそういうことではないか。
快斗が軍で唯一一目置く人物が佐藤大佐だ。
その彼女に快斗が新一とのことを話していたとしても別におかしくはない。
新一は驚くと同時に丁度良いとばかりに決心した。
くるりと鈴下へと振り返る。
「要求は呑む。ただ、少し時間をくれるか」
「構わないわ。でも目の届く範囲にしてね」
「わかってる」
鈴下に了承を得ると新一は傷を押さえながら剣で体を支えている佐藤にゆっくり歩み寄った。
佐藤は悔しげに唇を噛みしめながら顔を背けている。
「ご存知、なんですね」
「…そうよ!彼、すごく嬉しそうに、貴方のこと話してたわ…!」
だから、だからこそ弱い無力な自分が悔しくてたまらないのだ。
少佐を引き留めるだけの力は今の佐藤にはない。
佐藤の言葉に新一は思わず震えてしまいそうになる唇を引き結んだ。
その話は今の新一には辛いだけだ。
けれど顔を背けていた佐藤がそんな新一の様子に気付くことはない。
「佐藤大佐。…お願いがあります」
「…なに?」
背けていた顔を緩慢な動作で上げると、新一が被っていた仮面をくいと僅かに持ち上げた。
知る者の少ない素顔を、佐藤にだけわかるようにと陽光の下に晒す。
それはその人の人格、実力を認めているという新一なりの礼儀だ。
佐藤が驚きに息を呑むのが手に取るようにわかった。
「黒羽大佐に――快斗に、伝言を頼めますか」
「…なん、て?」
束の間、新一の瞳の中に哀しみに満ちた色が滲む。
間近で仰いでいた佐藤はその感情に気付いたが、すぐにその色は失われ不適な笑みへと変わっていた。
気付けば新一の纏う気配も鮮やかなほどに変わっている。
そして、不適な笑みを浮かべたままに言うのだ。
「俺を手放したことを悔やめば良い。絶対に、お前がどんなに止めようと俺は戦う、と」
「え…?手放したって…」
素直に疑問を口にする佐藤には答えずに新一は続ける。
「それから、これは貴方に」
「私に?」
「はい。お願いしたいことがあります。唯一彼を叱れるだろう、貴方に」
あまりに真摯な眼差しに聞いている佐藤にも緊張が伝わってくる。
「あいつを、…きっと無茶するだろうから、快斗を頼みます」
有りっ丈の誠意を込めて新一は深く頭を下げた。
側で引き止めることができない自分に変わって、無茶をしかねない快斗をなんとか止めてもらいたかった。
自分にできないことを人に頼むなんてひどく痴がましいとは思うが、隣で快斗を守ることのできない新一にはこうすることしかできないのだ。
すると、事情を知らないはずの佐藤はそれでも頼もしく笑って見せた。
「よくわからないけどね。頼まれてあげるわ」
「…有り難う御座います」
「その代わり!」
上げていた仮面をぐいと無理矢理抑え付けられ、新一は僅かに動揺する。
佐藤は真っ直ぐ見つめてきた透き通るような綺麗な蒼が隠れてしまったのを少し寂しく思った。
「絶対に生きて還ってきなさい。…工藤少佐なら、このくらいどうにでも切り抜けられるんでしょ?」
意地の悪い笑みを浮かべる佐藤に苦笑しながらも新一は力強く頷く。
彼女とはあまり付き合いのない新一だが、快斗が彼女を好いていた理由がなんとなくわかるような気がした。
「勿論、必ず還ってきますから…それまでは、頼みます」
「ええ」
短く視線を交わし、新一は踵を返す。
佐藤も後ろ髪を引かれながらも踵を返した。
遠目に様子を見守っていた兵士たちに向かって上官の顔に戻って指示を出す。
「速やかに負傷者を運んで!それから、捕虜の受け入れ態勢を!」
「案外短かったのね。もう良いのかしら?」
「構わない。それより、捕虜解放は絶対だな?」
「安心して、嘘は吐かないわ」
いまいち掴み所のない鈴下に新一はひたと視線を据える。
自分より少し背の高い彼女を自然見上げる形になるのだが、撤退を始めた兵士たちを見て嘘がないことを確かめると、新一は彼女の横に並んで歩き出した。
逃げる意志がないとわかっているからなのか、拘束具の類をつけようとする気配はない。
新一は遠くに佐藤大佐の声を聞きながら、無駄とわかりながらも未だ見極められずにいる彼女の目的について問いかけた。
「目的は何だ」
「ふふ…なんだと思う?」
愉しげな様子が癪に障ると眉を寄せつつ、新一は己の考えを言った。
「大佐の傷、出血は酷いが大したものじゃなかった。明らかに殺しを目的とした傷ではない」
「…それで?」
「殺しを目的とせず、危険とわかりながら長時間の戦いを仕掛けたのはなぜか。支部とは言えここは大門だから応援がくるのは必至だ。長引けば確実にあんたたちの不利になっただろう」
隣を歩く鈴下は相変わらずの笑みのまま、視線で先を話せと促している。
彼女の表情からは何も読みとることはできないがおそらく新一の推理は見当はずれではないのだろう。
「そうまでして成し遂げたい何か。俺に手合わせを願いあっさりと退いたところから見て、そこそこ実力のある、もっと言えばあんたの眼鏡に適う誰かを探していた」
それが、たまたま俺だった。
「だがそれはあくまで間接的な目的に過ぎない。俺を捕え、何をしたいのか。問題はそこだ。軍事的に優位になるはずの捕虜を解放するんだ、余程の目的があるんだろう?」
言い終えて鈴下を見遣れば、初めの時のように細い指を顎に当てて笑みを深くする。
彼女はそのままちらりと横目で新一に視線を投げた。
「やっぱり貴方で正解ね。悪くない≠ナは失礼だわ、申し分ない≠ノ訂正しなきゃね」
「…何の話だ?」
「貴方のその推測は実に的を射てる。その奧の目的の存在すら理解してるなら、話が早いわ」
新一の目がすぅと眇められる。
「そんなに尖らなくても、目的ならちゃんと話してあげるわ。ただ、ここではなくて…」
――皆の居る場所で。
それだけ言うと鈴下は部下たちに指示を出し始めてしまった。
必然的に黙るほかなくなった新一は、捕虜解放の準備に部下たちを走らせる彼女の隣を歩きながら先ほどの言葉を反芻した。
鈴下の人選≠ナ自分が選ばれたらしいこと。
そして同じように選ばれた者が他にも、皆≠ニ言うからには複数いるだろうこと。
選んだ者にその目的をさせるのか、それとも目的のために使うのか。
それに――なぜこのタイミングで行動を起こすのか。
シエルを除く四カ国による戦はもう間近に迫っている。
手を携えたオールとフー、そしてそれに対抗するように立ちはだかるヴェルト、それらを迎え撃つテール。
フーと組んでヴェルトを牽制しなければならないオールは今、少しの人員も欠くことのできない状態だ。
それをなぜ、今この時に行動を起こすのか。
気紛れな王女の我侭ともとれるが、そうではないと新一は感じていた。
彼女は決して頭が悪くない。
むしろ狡猾と称される類だ。
その鈴下が戦争を目前にしたこの時期に無意味な気紛れを起こすとは思えない。
そうなれば、おそらくこの騒動は今度の戦に関係してくるはずだ。
それが彼女ひとりの考えによるものなのか軍に及ぶのか、或いは国家を巻き込むほどものなのかはまだわからない。
けれど。
(どちらにしても今度の戦に関わることなら、少しでも情報が多いに越したことはない)
生き抜くために、大事なものを亡くさないためには、少しでも多くの情報があれば良い。
何も新一は考えなしに捕虜になることを申し出たわけではなかった。
捕虜となった兵士たちは勿論気掛かりではあったが、今の新一には何よりも彼――快斗のことが先決なのだ。
「…何だか貴方には説明はいらないんじゃないかって気になるわね」
不意に掛けられた声に思考深く沈んでいた意識を浮上させられた。
隣を歩く鈴下が苦笑する気配が伝わってくる。
「その慧眼でどこまで見抜いているのかしら?」
くすくす笑う声にむっとして新一は突慳貪に言い返した。
「…それでも一通りの説明はしてもらう」
「勿論、するつもりよ」
新一は考えるときの癖で顎に持っていっていた手を下ろし、彼女に向き直る。
「何にしても、あんたがひどく頭の切れる人物だってことだけは確かだ」
それを受けた鈴下も愉しげに言葉を返した。
「良い眼をしてるわ」
これから始まる戦いのうねりを見極める慧眼の者。
だからこそ欲しい人材だ。
なぜなら――世界を、手玉に取ろうとしているのだから。
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…戦争なんて微塵も理解出来てない青二才が軍服に目が眩んで書き出した話なので……
どうにも支離滅裂ですが、許してください。戦争の現状とか、よくわかってないです。
ただ、これは快新を前提にした山谷を書きたかった話ですので。。
ベルモット大活躍。
何気に管理人のお切り入りキャラなので、彼女にはオイシイ役がまわってしまうvv
結局間に合わない快斗には、新一さんからの伝言でv
佐藤大佐もオイシイ役?