「どういうことですか!」


 上官を目の前にして少しも怯むことなくそう怒鳴った快斗に、目暮総帥は微かに体を震え上がらせた。
 怯むどころか睨み付けてくる濃紺の瞳には怒りすら滲んでいる。
 その視線の鋭さになぜ怒鳴られているのかも忘れてしまいかけた総帥だが、気を取り直すと落ち着いた声で快斗に告げた。


「大佐。何をそんなに興奮してるんだ?」
「…質問に答えてくださいっ」


 快斗は形ばかりの拝跪の体を取ってはいるが、その眼差しが裏切っている。
 普通ならば不敬だと牢獄にでも送られてしまうところだが、如何せん軍はこの大佐を手放すことができない。
 本部を含めても最も実力者であるこの若者を失うことは軍にとって百害あって一利なしだ。
 目暮総帥は咳払いをして言った。


「工藤少佐ほどの実力者を前線に用いないと言うなら、本部の特攻部隊に組み込んだとしても何も不都合はないだろう?」


 確かにそれは尤もな言い分だと快斗だとてわかっている。
 けれど到底納得などできるはずがなかった。
 無言で唇を噛みしめる大佐の様子をどうとったのか、溜息を吐きながら総帥が続ける。


「それにこれは、彼本人からの要望でもあるんだよ」
「え…?」
「自分は前線に立って戦いたい、とね。だから本部に移ってもらった。今度の働きの如何によって今後の昇進も関わってくる」

 彼にも漸く昇進する気構えができてきたんじゃないかな。


 総帥のその台詞に、そんなことがあるはずがないと快斗は思った。
 新一が自ら昇進を望むはずがない。
 けれど、前線に立ちたがる理由には嫌と言うほど思い当たって。


(あいつが大人しくしてるはずないって、ちょっと考えればわかっただろ…!)


 まだ話を続けている総帥の言葉など欠片も耳に入らず、快斗はただ自分の不甲斐なさを責めていた。
 その時、室内にノックが響いた。


「佐藤大佐!」


 総帥が椅子を蹴立てて飛び起きる。
 入ってきたのは怪我を負って部下に支えられながら立っている佐藤大佐だった。
 傷口が発熱を引き起こし額にはうっすらと汗が滲んでいる。
 命にこそ別状はないが、その苦悶の表情からは相当のダメージだを負っているのが窺えた。


「大丈夫かね、その怪我は!」
「へ、平気です、目暮総帥…」


 おそらく戦場での無理が祟ったのだろう、今では支えなしでは歩くこともできない状態だ。
 けれど佐藤はどうしても自分の口から総帥に報告したかったのだ。
 彼が何と言おうと彼の身柄をオールへと引き渡してしまったのは自分の力不足以外のなにものでもないのだから。

 と、そこで漸く佐藤は室内にもうひとりいることに気が付いた。


「黒羽大佐!」
「…大丈夫ですか、佐藤大佐」


 ひどく義務的な声と固い表情を返され、佐藤は快斗がなぜここにいるのかを瞬時に悟った。
 おそらく、いや、間違いなく彼を追って快斗はここまで来たのだ。
 佐藤は瞬間、報告するのを躊躇した。
 快斗がまだここに留まっているということは新一がどうなったのか知らないのだ。
 知ってしまえばどうなるか…容易に想像できる気がする。
 けれど佐藤はひとつ呼吸を整えると。


「ご報告致します。オールの軍勢は退きました…工藤少佐の力で」
「そうか!」


 見るからに安堵の表情に変わる総帥と、新一の名前が出たことで僅かに目を瞠る快斗。
 快斗はつい先ほど本部に到着したばかりで、新一がオールとの抗争の鎮圧に出動していることを全く知らなかったのだ。
 着いたその足で総帥の下へとやって来たのだから。


「捕虜も、解放されました」
「ああ、ご苦労だった。それで少佐はどうしたんだ?」


 佐藤を支えるようにしてやって来たのは新一ではなく本部の大尉だ。
 総帥は少しばかり新一と面識があるが、こんな状態の彼女をひとり放って寄越したりするような人物ではなかったと記憶している。
 その彼がこの場に現われないことを不思議に思っての言葉だったのだが、途端に佐藤は表情を険しくした。
 常にない佐藤の渋面に、何事かがあったのだとその場にいた者はすぐに悟る。

 最初に動いたのは快斗だった。


「大佐!少佐はどうしたんだ!」


 怪我をしている彼女に掴みかかるような真似こそしなかったが、快斗はポーカーフェイスも忘れて佐藤に詰め寄った。


「く、黒羽大佐、どうしたんだ?」
「総帥は黙っていて下さい!大佐、教えてくれ、少佐は、少佐はどうし――っ」


 ぱんっ、乾いた音が響く。
 言いかけた言葉を奪ったのは佐藤の右手。
 暫くその場をしんとした沈黙が包みこんだ。


「落ち着きなさい、黒羽君」


 佐藤のはっきりとした声がその場の静寂を打ち破る。
 頬を強かに叩かれた快斗は暫く無言で佐藤を睨み付けていたが、やがて落ち着きを取り戻してきたのか、視線を逸らした。
 佐藤は鋭く快斗を見据えたままに言う。


「後で話があるから。この場は報告をさせて」
「…わかった。すまない、佐藤大佐」
「いいえ」


 短くそれだけ返し、佐藤は総帥に向き直ってきっぱりと告げた。


「少佐は、ヴェルトの捕虜全員の身柄と交換にオールの捕虜となりました」


 快斗の目が驚愕に見開かれる。
 絶望に染まった顔は青ざめてさえ見えた。


(新一が、何、だって…?)


 捕虜に捕られた、と。
 ヴェルトの全ての捕虜の代りに、囚われた。
 他国に捕虜として囚われた者がどんな扱いを受けるのか、それがわからない人ではない。
 それでも、彼は躊躇うことなく自ら捕虜へとなったのだろう。


(また、お前は、他人のために血を流すのか…!)


 他の人間なんてどうでも良い。
 ただ新一さえ無事なら、他の命なんてどうでも良いと思うほど――てる、のに……

 新一を失うかも知れない恐怖に快斗の心は急激に冷えていく。
 隠しきれない衝撃がありありと浮かぶ快斗の表情を痛いと思いながらも、佐藤はそれを視界の端に言葉を続けた。


「今回のことは私の力不足です。どんな処罰も受ける覚悟はできています。申し訳ありませんでした!」


 深々と頭を下げる佐藤に総帥は難しい顔をした。
 確かに工藤少佐を捕虜に取られたことはヴェルトにとってかなりの痛手だが、今佐藤に処罰を科してその多大なる力を失うわけにもいかない。
 これから起こる戦争には彼女の力は絶対に欠くことができないものだ。


「佐藤大佐。君の処罰については先送りにしたい。今は君の力を失うわけには行かないからな」
「…はい」
「今度の失態は先の戦で何とか挽回してもらおう。処罰についてはそれからだ。良いな?」
「わかりました」


 傷を押してもう一度深々と礼をすると佐藤は部屋を辞した。
 その際に、快斗に声をかけて。


「大佐、…来て、くれるかしら?」
「…ああ」


 快斗の顔が悔しげに歪んでいる。
 今この瞬間はきっと憎まれているだろう。
 彼の大事な存在をみすみす手放してしまった歯痒さは佐藤の中にも蟠りとなって残った。










「謝罪は省かせてもらうわ。それより、早く貴方に彼からの伝言を伝えたいから」


 佐藤と快斗は今、基地の外れに設けられている小さな休憩所で部屋の端と端という距離を保ちながら壁に凭れていた。
 怪我を心配する大尉には平気だからと言って帰ってもらった。
 新一からの伝言は快斗だけのものなのだから他の者に聞かせる気など毛頭ない。


「伝言、ですか…?」


 負の感情のちらつく瞳を床を見据えることで隠しながら快斗が呟く。


「ええ。詳しい事情は知らないけど、そのまま伝えるわ。
 俺を手放したことを悔やめば良い。絶対に、お前がどんなに止めようと俺は戦う=v


 すると快斗は弾かれたように顔を上げた。
 佐藤は謝罪の気持ちを込めてその顔を静かに見つめる。
 が、意外にも快斗の顔にはみるみる彩りが戻り始め、それに気付いた佐藤は怪訝そうに瞳を細めた。


「は…そ、うか、…はは…っ」


 笑い出した快斗に佐藤は更に不審を募らせたが。


「ごめん、佐藤さん。まるで八つ当たりみたいな真似して…」
「それは…構わないわ。当然のことだから。けど、どうしたの?」
「あいつ…あいつらしくて、…安心した」


 快斗は片手で顔を覆い肩を震わせている。
 笑っていたはずが、今はなぜか泣いているように佐藤には見えた。
 覆っていた手を外せば少し赤くなった目が現れる。
 やはり彼は泣いていたのだと佐藤は瞳を細めた。


「絶対に俺と同じ戦地に立つ≠チてことは、あいつなりの遠回しな言葉だから。絶対に生きて還って俺と戦う≠チてことでしょ?」
「あ…」
「だから、遠回しに安心しろって言ってるみたいで、…単純だけど、安心した…」


 そう。
 現状はなにひとつ変わっていないし、安心できるはずもないのだけど。
 新一のたったそれだけの言葉を聞いただけで、凍えかけていた快斗の心はこんなにも暖められてしまうのだ。
 理不尽な怒りを八つ当たりのように佐藤に向けてしまう前にそれを聞くことができて心底良かったと快斗は思う。


「ほんとごめん、佐藤さん。俺、頑張れる…あいつが生きてるなら、頑張れる」

 あいつが生きてるなら、それだけで良いから。


 そう言った瞬間、快斗の瞳に昏い翳りが浮かぶ。
 佐藤はそれを見逃さなかった。
 不意に新一の言葉を思い出す。


あいつを、…きっと無茶するだろうから、快斗を頼みます


 その言葉の重みを漸く強く実感した。
 彼は無茶をしかねない、それはなぜか絶対のような気がした。
 まるで工藤新一という鎖がなければ今にも牙を剥き食らいつこうと息を潜める豹のよう。

 けれど佐藤は強く思う。


(大丈夫。きっと黒羽君はどうにか止めてみせるわ)


 だから、どうか、貴方もきっと無事で……










* * *


 薄暗い地下室を黙々と歩く。
 おそらく地下の牢獄にでも向かうのだろうという新一の予想は外れ、鈴下は衛兵の死角をつき隠し通路のようなものを進んでいた。
 そこはとても静かで、靴音も消しているため物音は何ひとつとして聞こえてこなかった。
 前を歩く鈴下の手にはたったひとつの光源が握られ、新一は黙ってその後に続く。

 やがて場所が拓けた。
 鈴下が持つ光源だけでは全てを照らし出すことは不可能で、そこがどういう場所なのか新一にはわからなかった。


「到着よ。…みんないるかしら?」


 鈴下の声に呼応するように、ぽっ、と辺りに灯りが灯っていく。
 その灯りに照らし出され次々と人間の姿が浮かび上がる。
 その数はおよそ百余り。
 こんな場所によくもこんなに人を集めたものだ。
 無言のうちに感心していた新一だが、現われた人のひとりが静かに口を開いたためそちらへ顔を向けた。


「王女さん、それが最後の人員か?」
「その呼び方はやめなさいって言ってるでしょ、秀一」


 はいはい、という感じに肩をすくめて見せたのは、黒の額当てを当てた長身痩躯の男。


「外交上、そのへんはきちっとしとかなきゃならんのでね」
「言葉遣いがなってなければ無意味よ。それに…」

 ここには外交なんてもの無用でしょう?


 ニッ、と不適に笑った彼女に秀一と呼ばれた男もまた同じように剣呑な笑みを返した。
 それから興味深そうに新入りを眺めると、それに触発されるかのように皆が皆新一へ視線を向けた。
 けれど新一は集まった視線に臆することなく鈴下をひたと見据えた。
 言外に説明しろ≠ニ促された鈴下は小さく頷くと新一の背を押して前に進め、その場にいる者に聞こえるよう涼やかに言い放った。


「彼が最後よ。これで準備は整うわ。待たせたわね」
「それで?その最後のひとりのご身分とやらは?」

 まさか王子なんて言わねーよなぁ?


 揶揄するような口調の秀一を仮面ごしに睨み据え、それまで黙っていた新一はそこで漸く口を開いた。


「ヴェルト国本部の少佐だ」
「あら、この黒装束に黒の長剣でわかって欲しいわね」


 薄暗い部屋の中ではすぐにそうと判断できなかったのだが、鈴下の言葉に全員が僅かに目を見開く。


「へぇ…ヴェルトの黒衣の騎士、工藤少佐か」
「ふふ。噂通りの、いえ、噂以上に申し分のない人物よ」
「なるほど、良い人材を巻き込むね、王女さんよ。だが仮面なんて胡散臭いモンは追っ払おうじゃねぇか、工藤少佐?」


 秀一が手にした灯火に葉巻を押付け煙草を吸いながら言う。
 いちいち態度が癪に触る男だが、おそらく剣の腕は相当なものだろうと新一は思った。
 とは言え、ここに集まった者たちの目的が何かは判断しかねるが確かに顔を隠したままというのもどうかと、新一はそっと仮面へと手を伸ばした。
 誰も知らないとされる、工藤少佐の素顔。
 自然と周囲はしんと静まりかえり、何百という目が食い入るように見つめる中、新一は少しも臆することなくその仮面を取り払った。
 息を呑む気配がそこここから上がる。


「…改めて、工藤新一だ」


 挑むような眼差しで揺るぎない蒼い瞳がぐるりと全員を見渡す。
 仮面を取り払うとともに押し殺していた気配すらも鮮やかな色彩を取り戻し、いっそ気付かなかったのが不思議なくらい激しく彼らの魂を揺さぶった。
 あの鈴下ですら、その美貌と有り得ない若さに微かに目を瞠る。
 その視線の理由をどうとったのか、新一は煩わしげに眉を寄せながら言った。


「…確かに俺はこんなガキだし形も細いが、あんたたちに劣らない実力を持ってると自負してる」


 それにまず反応を返したのは秀一だ。
 噴き出すようにいきなり笑い出したかと思うと腹を抱えながら手を差し出してくる。
 新一は憮然としながらも出された手を握った。


「あは…ッ、あんた最高だね!俺はフー国の大佐、赤井秀一だ、宜しく」


 すげー天然もいるもんだ、などと言いながら笑い続ける秀一に新一はしかめっ面を返すしかない。
 それから微笑を浮かべた鈴下が同じように身分を明かしてみせた。


「改めて、鈴下よ。オールの第一王女にして総督でもあるわ。…そして、この計画の発案者」
「計画?」
「詳しい説明はちゃんとするわよ。あなたもこの計画に巻き込んだんだから」

 でも自己紹介が先ね。

「ただ、これだけ先に言っとこうかしら?…私たちは世界を手玉に取ってやろうと、集ったのよ」


 そんな穏やかではない台詞を、鈴下は不適な笑みとともに告げる。
 途端、彼女の周りを包む空気が下がったような気がしたが、すぐさま別の者の紹介で払拭された。

 聞けば、この場には五カ国の者が色々と集まっているらしいのだ。
 もちろんヴェルトからも十人余り集まっている。
 新一と顔を合わせることはまずないだろう力のある本部の一等兵や南西の大門の中尉など、階級も様々だ。
 或いは軍人ではない者もいるが、その実力はおそらく皆引けを取らない。

 そして最後のひとりが新一へと歩み寄り、手を差し出して言った。


「初めまして、工藤少佐。お噂はかねがね」
「…初めまして」
「僕はシエルの本部直属の大佐――白馬探と言います」


 宜しくお願いしますと言った彼は、妙に紳士然とした男だった。






BACK TOP NEXT

漸く出た、白馬!でも白馬より秀一の方がオイシイ位置どりなのはなぜだろう…。
佐藤さんには快斗を引っぱたいてもらっちゃいました;;
ごめん、だって、好きだったら必至になっちゃうよね。と。増して彼らには危険=死だから。
ていうか怪しい集団だなぁ。