「皮肉なものだわ…」


 長く艶のある黒髪を悠然と掻き上げ、紅を統べる魔女がひっそりと囁いた。
 その声は誰もいない空間に吸い込まれ消えていく。
 上も下も右も左もないこの空間で、目の前に広がっている映像。
 その中には光≠ニ呼ばれ崇められる存在が、いっそ残酷なほど神々しく映っている。
 敬われ崇められ、けれどその存在が消えたとしても誰も気付くことはない。
 他でもない彼自身が、その道を選び歩もうとしているのだから。


「なぜ、神は光を創られたのかしら…」


 光在れ。
 嘗てこの世界を創造した神の言葉。
 光あるところに影はある。
 一枚の紙の表と裏のように、それらは決して切り離すことのできないものである。
 それなら、初めから光など創らなければいいのに。


「光の存在を知らなければ、闇は自らの存在を知ることもなく。まして光を求めることなどなかったはずなのに」


 彼はまさに光だ。
 この混沌とした暗闇に支配される戦乱の時代に生まれた希望の光。
 誰もが求め希うから、光は自らを光らせ続け、求める者たちを照らし続けなければならない。
 そして唯一にして絶対の光であるからこそ、焼き付くような昏い影が生じるのもまた世の摂理。


「皮肉な、ものだわ…」


 悠久の時を生きる魔女はこの先に続く未来を知っていた。
 強すぎる魔力を内包するあまり見たくもない未来だろうと見えてしまうのだ。
 けれど魔女がそれを口にしないのは、それがまた決して変えることのできないものだとも知っているから。
 未来を知った者は生きていけない。
 その先に絶望が待ち受けているというなら尚のこと。
 人とはなんとも脆い生き物であり、しかしだからこそこんなにも愛おしい。
 彼女は歴史の傍観者だ。
 慈しみと哀しみに満ちた漆黒の瞳にその全てを灼きつけることしかできない。
 今はただ、終焉へ向かう世界を生き抜こうと藻掻く愛しい者たちを見守るだけだった。










* * *


 世界が震え出す。
 それはまるで悲鳴のように、人々の心に哀しみを訴える。
 一歩を踏み出すたびに地が震え、泣き叫ぶ。
 けれど憎悪と欲望に支配された心にその悲鳴が届くことはなく、ぶつかり合う人々が更なる悲鳴を上げるだけ。


「大佐。オール国とフー国の先攻隊が視覚確認されました」


 国と国との国境線のように広大な砂漠の真ん中。
 テールへの道をふさぐようにしてヴェルトの軍隊は陣形を組んでいた。
 戦力は騎馬隊の一等兵を二分にし、続く後列に二等兵三等兵、それぞれの場所では的確な指示を出せるよう軍曹以上の者が四名ずつ先頭に立っている。
 そして最後尾を残りの一等兵、将校が守っている。

 全面戦争。

 その哀しい響きに誰もが胸を痛める中、快斗の心は決してその痛みを訴えることはなかった。
 まるで凍り付いたかのように、そう――
 あの瞬間から。


「では、開戦だと各々に宣告しろ」


 一片の迷いすら感じさせない硬質な声に応と返事を返し、兵士たちの士気を高めるために男は駆け出す。
 彼にもまた悲鳴は届かない。
 世界が、震えていた。










 ぎらぎらと容赦なく照りつける太陽は確実に人々の体力を奪っていく。
 砂漠に暮らし慣れている者ですらこの中に長時間いれば倒れてしまうだろう。
 けれど、条件は皆同じ。
 最後にこの戦いを左右するのは個々の意志の強さだ。
 そして彼の意志は、死を迎える瞬間まで途切れることはないのだ。


「怯むな、突き進め――!」


 後発部隊での出陣を、と強く請われ続けた快斗だったが、決して前線から退こうとはしなかった。
 誰よりも先頭に立って敵を斬りつけていく。
 それはかつて鬼才≠ニ呼ばれ、人々を感服させるとともに畏怖の念を抱かせたあの強さだ。
 愛馬に跨り剣を振るい突き進むその気迫だけで、その姿を目の当たりにした者を竦み上がらせる。

 戦争と言う名の殺し合いに、快斗は一抹の躊躇いすら抱いていなかった。
 この戦いは最早快斗にとって戦争であって戦争でない。
 命をかけた、命よりも大事だった者たちの復讐だ。


「大佐、大尉が討たれました…っ!」


 意気込み咆哮を上げる者、苦痛に悲鳴を上げる者。
 静寂など全く無縁のこの空間で喉が裂けんばかりの大声で指示を仰ごうとした部下に、快斗は容赦なく、振り向くこともせずに……


「倒れた者は全て捨て置け!背を向けるな、お前もやられるぞっ」


 その言葉に、部下は驚きに顔を歪めた。

 第十四支部の最高指揮官である黒羽大佐は戦の前線に出ることは少なく、戦いに手を出すこともほとんどない。
 それでいて部下や民衆からこれほどの信頼を得られたのは、他のどの上官よりも彼が部下や民衆を大切にしていたからだ。
 将校から三等兵、果てはその親族まで全ての者の顔と名前を記憶する彼は、誰ひとりとして蔑ろにするようなことはしなかった。
 たとえ任務外のことだろうと困っている民衆がいれば、それがどんな幼子だろうと助ける。
 それが、黒羽大佐であった。
 その大佐が、捨て置け、とは。


「――貰ったァ!」


 彼の驚愕はほんの数瞬にも満たない。
 けれど戦場では刹那の油断ですら確実に死に繋がるのだ。

 背後から聞こえたその咆哮に彼は咄嗟に振り返ったが、時既に遅く。
 剣を構える暇もなく相手の剣が頭上から振り下ろされた。
 その瞬間、彼は死≠覚悟したのだが――


「馬鹿者、背を向けるなと言っただろう!」


 眼前には物言わぬ肉塊と化した男。
 剣はすんでの所でもうひとつの剣に弾かれ、彼は一命を取り留めたのだった。
 それからの軍人としての彼の行動は早かった。
 自分の無事を知ると状況を把握するよりも先に体勢を立て直し、すぐに応戦できるよう剣を構えなおす。
 素早く愛馬に跨りなおして漸く状況を見てみれば、先へ行ったはずの黒羽大佐が背後から自分を襲った敵の剣を退けてくれたのだった。


「捨て置くことができないなら初めから戦になど出てくるな!」


 黒羽大佐はそれだけを言い残すと、彼の反応も待たずに再び前へと突き進んでいく。
 おそらく大佐が助けてくれるのはこの一度きりだろう。
 けれど彼にはもう助けなど必要ではなかった。

 わかっているつもりでその実少しもわかっていなかった。
 戦場において人間らしくあるということは死を意味するも同意なのだ。
 血も、涙も、情けも、躊躇いも。
 人間らしさなど必要ない。
 必要なのは、感情のないただの殺戮人形。
 その哀々たる戦場に今まさに自分が立っているという事実に寒気を覚える。
 あの人好きのする顔で笑う大佐はその真実を知り、そのうえで兵士たちを叱咤しているのだ。
 どれほどの決意を胸にこの戦に臨んでいるのだろうか。
 哀しむ暇も情けをかける余裕もここにはないのだと今になって漸く悟る。
 これは諍いでも抗争でもない、戦争なのだ。
 それがどれほど哀しいことであり、どんなに人非人な行為であっても、戦が続く限り人の命は失われていく。
 たとえその先に望むものが平和であろうと、血を流して手に入れる術しか人間は知らない。

 覚悟をしなければならないのだ。
 突き進む覚悟を、突き進み戦を終わらせる覚悟を。
 戦を終わらせたその先に、踏みしだいた多くの命に報いるだけの平和を築く、覚悟をしなくてはいけないのだ。


「…退っけえぇぇ――!」


 意を決し、覚悟を決め、腹を括る。
 勝つために、終わらせるために。
 ひとつでも多くの命が奪われてしまう前に。
 そして、平和を築くために自ら戦場へと降り立った救世主に――黒羽大佐にどこまでもついて行こうと、彼は心に誓うのだった。





 一際速い駿馬に跨り、オール国の第一王女にして総督である鈴下は向かってくるヴェルト兵と応戦していた。
 五国最強と言われるだけありさすがにヴェルト兵の実力はなかなかのものだったが、それでも彼女の敵ではない。
 無謀にも突っ込んでくる兵士を剣の一振りで確実に沈めていく。
 女だてらに総督という地位を実力で手にした彼女の腕に叶う者はいないようだった。
 躊躇いなく剣を振り下ろす合間に素早く流した視線の先には、数えられるだけでもすでに百を超える兵士が倒れている。


(…現実は、こんなものよね)


 誰ひとり死ななければいい。
 その理想を捨てろとは言わないが、戦争という現実はそれほど甘くないのだ。
 理想だけで切り抜けていけるほど綺麗な世界ではない。

 それでも、鈴下は自分たちの計画に手応えを感じていた。
 兵士の目を見ればわかる。
 オールやフーの国王寄りの思想を持つ者には悟られないよう、けれど確かに視線で通じ合っている。
 事情を知る者、詳しくは知らないが話を聞いている者、流れる噂を信じたがっている者……
 鈴下はそんな者たちとは申し訳程度にしか剣を交えず、ただ時を待っていた。
 もうひとりの救世主が現われる瞬間を。


「王女さん!」


 不意に聞き慣れた声で話しかけられ、鈴下は剣を振るいながら応えた。


「秀一!どうやらお互い、まだ無事なようね!」
「当たり前だろ、あんたや俺がやられちまったら誰が生き残れるってんだ!」


 そう言った秀一は煙草を銜えたままの応戦と、かなりの余裕だ。
 秀一の地位はフー国の大佐だが実力的にはそれ以上であり、昇格をしないのは単にもともと軍事に興味がないからだ。
 わざわざより面倒な立場になどなりたくない、というのが彼の本音である。
 この計画を企てたのもいい加減戦争を終結させて平穏でつまらない日々を過ごしたいから、という少々不純な動機からだった。
 けれど、秀一に手を抜くつもりは毛頭ない。


「俺ぁ生き残って隠居生活を満喫するんだ…こんなとこで死んでられっか!」
「…秀一らしいわね」


 くすりと、戦場には不釣り合いな笑みがこぼれる。
 鈴下は飛びかかってくるヴェルトの兵士を払いのけ、秀一と互いの背を預けるように大勢の敵と相対しながら場違いな会話を続けた。


「なんならその隠居生活、私も付き合わせてくれないかしらね」
「…一国の王女がそんなことで良いのか?」
「どうでも良いのよ。父の国を受け継ぐなんて冗談じゃないんだから」


 それに、これから私たちを治めるのは……
 それ以上は言葉にせず、二人はにやりと笑みを交わすとそれぞれの舞台へと向かう。


「付き合いたいなら付き合わせてやるぜ。あんたほどいい女もそういねぇ。だが、それも――」

 生き残れたらの話だけどな!


 それだけを言い残し、秀一は再び鈴下とは反対方向へと駆けていく。
 その後ろ姿を愉しげに眺めながら鈴下は笑う。


(新一。貴方ならきっとこの戦を止めてくれると、信じてるわ)


 そして自分もまた戦いの舞台へと戻っていった。





 その男を見つけた瞬間、快斗は無我夢中で駆け出していた。

 他のそれとは明らかに違う名馬に跨った軍人。
 年齢にそぐわぬ鍛えられた体。
 厳つい壮年の顔は威厳に満ち、口髭が更に彼を強面に見せる。
 重たい甲冑を着込み大振りの剣を携える様はまさに兵士を導く将校。
 その将校ですら従える彼は――オールの元帥だった。

 なんでこの人がと、快斗は思う。
 なんでこの、見るからに人を導くことに長けた誇り高き軍人が父を殺したのだろうか、と。

 けれど疑問が生じると同時に言いようのない怒りが沸き起こる。
 父を殺された怒り、そして、最も大切だった人の命を奪った国の元帥という事実が快斗の怒りを増長させているのだった。

 愛馬を叱咤し、限界よりもさらに速く駆け抜ける。
 仇に向かって振り上げられた剣が、容赦なく照りつける太陽の光をぎらりと反射した。
 その光に気付いたオール国元帥が振り返り、すんでのところで快斗剣をさすがの反射神経でくい止めた。
 キンッと耳をつんざく金属音が響き、両者の力がじりじりと拮抗する。


「…やるな」


 オール国元帥の低い声がそう告げる。
 この日のためにと日々剣の腕を磨いてきたはずの快斗は、けれどその言葉に少しも喜びを感じることはなかった。
 快斗の胸の内に渦巻くのは怒りと憎しみの感情ばかりだ。


「貴様、ヴェルトの将校か?」
「…大佐だ」


 じりじりと、押しつ押されつを繰り返す剣。


「名前を何と言う?」


 おそらく軍人としての彼の血が快斗の実力を瞬時に悟り、自分の相手として申し分ない者の名前を知りたいと思ったのだろう。
 けれど。
 快斗はその彼を、鼻で嗤った。


「…一度聞いたら死ぬまで忘れない名前だぜ」


 その何か含みある台詞に元帥はス…と瞳を眇めた。

 快斗は今黒い仮面で顔を覆っているため、元帥には快斗の顔の造形がわかっていない。
 その仮面とはもちろん新一が使っていたものだ。
 着ている軍服は快斗が愛用してきたものだが、その手に握る剣は――
 白と黒の混じる、細身の長剣。

 これは快斗が鍛治屋に打ち直すよう命じて作らせたものだった。
 白は以前から使用してきた快斗の剣、そして、黒は新一が使っていた剣。
 ふたつを混ぜ、新たにひとつの剣として創り出されたもの。
 それが今の快斗の剣だった。

 もう逢うことも、まして触れることもできない最愛の人の意志を継ぐ剣と、快斗と一生を共にしてきた剣を重ね合わせた長剣を以て自分の信念を貫く。
 父や新一の命を奪った者たちをこの剣で葬ることが、快斗にとっての復讐だった。

 不意に、力の拮抗しあっていた剣ごと快斗が退いた。
 元帥から一歩の距離をとり、仮面へと手をかける。
 そして躊躇いもなく素早く取り払った。


「俺は黒羽快斗。ヴェルト国の大佐にして、復讐者だ!」


 憎悪の滲む瞳を隠そうともせず、快斗は元帥へと剣を振るう。
 それまでとは比べ物にならない速さで斬り込む剣が元帥の頬を薄皮一枚斬り払う。
 元帥は眉ひとつ動かさずただ快斗をじっと見据えていた。


「なるほど…君は盗一の息子というわけか」


 やがて、漸くその口を開いたかと思うと元帥は驚愕も嘲りも含まない穏やかな口調で快斗に言った。
 それが逆に快斗の頭に血を上らせる。

 一国の国王を、尊敬してやまなかった父王を、たかが元帥が呼び捨てるとは。
 死して尚侮辱された気になり快斗は元帥へと斬りかかったが、なぜか元帥は動こうとしなかった。
 剣が空を切り、ぎりぎりのところで元帥を避ける。
 そのままの姿勢で快斗は静かに問いかけた。


「なぜあんたは、国王を殺したんだ。なぜ、あんたのような…軍人が…っ」


 ヴェルトの本部に腰を据える、強欲で馬鹿な人間ならわかる。
 けれど彼は軍人であることを誇りとし、戦場で死ぬことを名誉とするような、自分の信条を貫ける人間だ。
 その彼が、どうしてシエル国の前国王であった父を殺したのか……
 すると彼は頑とした口調で言った。


「なぜ殺らなかった」
「…なに?」
「父の仇を前に、なぜ躊躇ったりする。本当に憎むなら、本当に父を愛するなら、躊躇わず、斬れ」


 元帥の尤もな言葉に快斗は触発されかけたけれど、すんでの所でそれを堪える。
 怒りにまかせて剣を振っていた快斗の瞳に理性的な色が戻り始めた。
 父を思えば怒りが込み上げるし、新一を思えば憎悪は増す一方だ。
 けれど同時に、どうしても理由を知りたいと思う自分もいる。


「俺は理由が知りたい。今知ってることが全ての真相だとはどうしても思えないんだ」


 剣を下ろすことはできないが戦う意志はないのだと視線で伝える。
 元帥は違わずに理解したけれど、渋面を浮かべて言った。


「…言えない」
「なぜっ?俺には知る権利があるはずだ!他の誰でもない、俺には…!」


 父親が殺された瞬間は今でも快斗の瞳に焼き付いている。
 異変に気付いた彼は当然のように快斗を匿うと、衛兵も呼ばずに自分ひとりで暗殺者と対峙した。
 その瞬間に快斗が見たのは、全てを悟ったような、運命を受け入れるかのような父親の表情。
 そして申し訳程度の反撃しかせず、信じられないほどあっさりと死んでしまった。
 その記憶が快斗の脳裏に一生消えない疑問として残っているのだ。
 けれど元帥は、目を伏せて首を横に振る。


「わかりなさい。これは盗一との誓いだ。それを破るわけにはいかない」
「…っ、あんたは父とどういう繋がりだ!」


 一度ならず二度までも国王を呼び捨てられ、快斗は唇を噛みしめる。


「――盗一は、私の無二の友人だ」


 その言葉に目を瞠った。
 嘘か真か、長い月日を自分を偽って生きてきた快斗だからこそわかる。
 その言葉が真実だと。

 剣先が鈍る。
 快斗は、もうこの剣をこの男に向けることはできないだろうと思った。

 戦に紛れ復讐を果たすことは簡単だろう。
 けれどそれでは何の解決にもならないのだ。
 父の死の真実は一生闇に葬られたまま。
 それでは本当の意味での復讐を終えられないし、それに……
 快斗はこの男を無条件に信じたいと感じていた。
 その理由はおそらく、この男の生き様に父の面影が重なるから。


「…あなたの名前を知りたい」


 快斗はそう返すのが精一杯だった。
 何度同じ質問を投げかけたところで快斗の望む答えは返ってこないだろう。
 今はただ、他国にありながら父王の無二の親友だったというこの男のことを、もっとよく知りたいと思っていた。

 元帥は応えるのを躊躇っているのか、暫くの沈黙が降りる。
 けれど、彼は仕方ないというように溜息を吐いて。


「…小田切、だ」
「小田切、元帥…」


 その名前を忘れないよう、快斗は詠唱する。


「私の名前を知ってどうするつもりだ」
「ただ知りたかっただけです。…今更知ったところで、俺の知りたい真実には辿り着けないかも知れませんけど」
「…君が知っているのもまた真実だ」


 盗一が暗殺されたのは事実であり、暗殺依頼をしたのが小田切であるのも事実である。
 たとえそこに目に見えない思惑があったとしても、それが真実であることに違いはないのだ。


「私はこの誓いを墓まで持っていく。それが私の義務だ。だから、君は君の復讐を遂げると良い」


 小田切元帥はそう言うと、構えていた剣を鞘へと収めた。
 初めから覚悟はあったのだと、それに足掻く気はないのだとでも言うように。
 けれど、快斗にはもう彼を殺す気はなかった。
 真っ直ぐ向ける視線に迷いの色はない。


「俺はあなたを殺しません」
「!」
「復讐≠ヘ何の解決にもならないことに、今頃になって気付いた」
「何を…っ!盗一を暗殺したのは私も同然なんだぞ!」
「父を殺した奴を憎みましたよ。本気で、俺の一生を左右するほどに。でも俺は、ずっと知りたかったんだ」


 真相を暴いてやろうと思った。
 けれど、本当に知りたかったのは――


「父が最期に笑った理由…。死ぬ間際に笑った理由を、その笑みを向けた相手を、知りたかった」


 小田切が目を瞠るのを快斗はじっと見つめていた。

 盗一が死んだその場にいたのは快斗と、父を殺した暗殺者の二人だけだ。
 その暗殺者も死んでしまった今、その時のことを知るのは快斗だけだった。
 快斗は一度としてその時のことを口にしたことはない。
 父の暗殺されたその場にいたことすら誰にも教えなかった。
 だから快斗だけが知っている。
 盗一は自分が死ぬその瞬間に、確かに笑ったのだ。
 あの瞬間に彼が何を思い、妻と子、多くの彼を慕う国民を残して死んでいったのか。
 それは盗一にしかわからないことだが、小田切と話すことで何かを見つけることはできるかも知れない。
 快斗は皆に愛され皆を愛した偉大な父を確かに尊敬していたが、国政に忙しかった彼と過ごせる時間は少なく、父のことをあまり知らなかった。
 だからこそ、自分よりも彼との時間を多く共有してきただろう小田切と話をしてみたいと思ったのだ。


「俺はあなたと話がしたいんです。父について何も語ってくれなくて良い。ただ、父の友人だったあなたと話がしたいんです」
「快斗君…」


 小田切は、自分が思っていたよりもずっと逞しい大人に成長していた朋友の息子に小さく嘆息した。
 いつか快斗が自分を殺しに来るだろうと思っていた。
 否、或いは自分こそがそれを望んでいたのかも知れない。
 たとえどんな理由があったとしても、盗一を殺すよう仕向けたのは他ならぬ小田切自身であったから。
 けれど快斗はそんな小田切の予想を裏切った。
 復讐に囚われるよりも真実を知りたいのだ、と。
 そして気付いた。
 復讐という言葉に支配されていたのは、他でもない小田切自身だったのだ。


「…盗一のことを、君に話そう」
「!」
「それを知る権利が君にはある。そして私には、それを話す義務があるのだろう」


 快斗のため、そして盗一のため。
 決して赦されることではなくても、そうすることで彼らに償うことができるなら。
 …長年自分を戒め続けてきた呪縛を解けと、あの懐かしい朋友に言われているような気がした。

 そして小田切の口元に漸く笑みが戻りかけたとき――



 世界が、蒼く染まった。






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第五章のスタートです。
この32話はとにかく戦争のシーンを入れなければならなくて、無知な私にはうまく表現することが出来ませんでした。
こんな軽くねーよ!とか思われても、そこは稚拙なクロキの駄文ということで大目に見てやってくださいませ(>_<)

このお話ではなぜかベルモットと秀一さんは恋仲です(笑)隠居生活をふたりで…ってことは、結婚!?みたいな。
そして次回はいよいよ快斗と新一のご対面ですよー!