皆が一様に浮かべているのは驚愕の色だ。
 鈴下も秀一もあまりのことに驚きを隠せない。
 ただひとりシエル国大佐だけが、彼らの様子を静かに見守っていた。

 約束の五日目。
 約した場所へと全ての者が集まった時、まるで見計らったかのようにそこは突如として光に包まれた。
 満足な灯りもなくまして夜中であるというのに、真昼のように照りつける鮮烈な光に誰もが驚き身構えた。
 けれどそこに現われた彼――光≠フ装束を纏った新一に、安堵するより先に驚愕させられた。


「以前俺が話したことを覚えてるだろうか」


 ぐるり、とその場にいる者たちを一瞥する。
 純白の正式な王の装束でさえ見劣りするような煌々とした蒼い瞳で見据えられ、背筋に言いようのない戦慄がはしった。
 封印を全て解いた新一の瞳は力のない人間にすらまるで蒼く輝いていると感じさせる不思議な光を秘めている。
 長い黒髪も額に嵌めたサークレットも以前とはまるで違う姿だというのに、その瞳の強さだけが彼が工藤新一だという絶対の証だった。


「俺は新王になれないと言った。その理由を今日教えるとも。…これが、理由だ」


 まるで言葉を忘れてしまったかのように誰も声を発することができない。
 新一は鈴下を見つめた。
 途端、彼女の背筋を走り抜けていく何か。
 それを知ってか知らずか、新一はふと表情を和らげて言った。


「俺はモヴェールの光≠フ王だ。もう工藤新一はいない。モヴェールになることを決めた」
「…ほんとに、王、なの?」


 漸く言葉を取り戻した鈴下が、疑うと言うよりは信じられないとでも言うように問う。
 新一は暫く考え込んだ後、両手を広げて前に差し出した。
 自然と視線が集まってくるのを確認し、全員にわかるように高く掲げて見せる。

 ただ軽く念じるだけ。
 それだけで、この世界に漂う原子は新一の意のままに集合しエネルギーを生み出すのだ。
 形成された物質を原子よりさらに細かなレベルまで分裂させ、新たな物質に組み直す。
 満ちる大気が振動し、掲げられた手が蒼く輝きだした。
 蒼く、赤く。
 煉獄の炎のように美しく苛烈な光。


「たとえばコレは…そうだな、軽く家が破壊できるほどのエネルギーを持ってる」


 と、赤い炎はやがて白くなり、弾のように凝縮されていた光の輪郭が朧気になった。
 ふわふわと今にも空気に溶け込んでしまいそうなほど柔らかい光となる。


「それからコレは、切断された組織を細胞レベルで結合できるだけのエネルギーを持ってる」


 幻想的なその光景に誰もが息を呑んだ。
 見せかけやいかさまでないことは己の体で感じていた。
 大気の中を揺れ動くエネルギーの振動、集められた光の苛烈さや暖かさ。
 それはまさに奇跡≠ニ呼ぶに相応しい力。
 けれど新一は不意に哀しげな微笑を浮かべて言うのだ。


「破壊は簡単だが治癒はその数倍難しい。破壊するためのエネルギーは凝結も早く確かな輪郭を成すが、治癒のエネルギーは凝結が難しくひどく曖昧な輪郭しか保てない」


 たった今見せたように。
 静かに呟いた新一の手の中からはすでに光は消えていたけれど、彼らの視線は暫く逸らされることはなかった。


「治癒エネルギーは草花や俺自身、他の生命体から僅かずつ集めて形成する。破壊と違って別の生命体にエネルギーを費やしてしまえば、そのエネルギーが還ることはない」


 この力は万能ではない。
 一歩間違えれば大変な惨事を招く。
 それは新一自身が痛いほど身にしみてわかっていることだ。
 けれど十八という年月を重ねた今はもうあの頃とは違う。
 あの頃の稚拙な理性しか保てなかったような自分ではないのだ。
 世の理を理解している。
 破壊の愚かしさ、生命の尊さをより深く理解している。
 この力が本当の意味で必要なものではないことも、だからこそ必要な時にしか使ってはならないということもよく理解しているつもりだった。
 だから……


「俺はこの戦が終われば二度とこの力を使わない。俺の意志でも、他の誰かの意志でも使わせない」
「…それは可能なのか?」
「無理矢理利用されるかも知れないわ」
「――…ここからは俺の提案だ」


 背後で静かに控えていたキッドが苦い表情を浮かべたが、この暗闇の中でそれに気付く者はいなかった。
 昨夜あれほどの本音をぶちまけた新一だとて、たとえ気付いていても見て見ぬ振りをしたに違いない。

 新一は、快斗を新国家の新王として迎えるために自ら企てた計画を全て彼らに話した。
 まず、新一が正式なモヴェールの王であること。
 そして新一にはコナンという名の双子の弟がいること。
 それはキッドが証明できるし、何より新一はコナンとしてだがモヴェールの絶対の支持を得ている。
 それからシエルに渡り盟約を結んだこと。
 平和国家シエルの第一王位継承者黒羽快斗を新王とするなら、モヴェールの民は全て彼に忠誠を誓い、光≠フ王はその力をもって国家の繁栄を助ける、と。
 そしてシエルの兵士とモヴェールの民を引き連れた新一がその力で戦を止め、そこで快斗に忠誠を誓うのだ。
 すでに方々に散った仲間たちのおかげでこちら側の人間は随分と多いはずだ。
 光≠ェ忠誠を誓う平和国家の新王に跪く者は少なくない、否、それどころかかなりの数だろう。


「後は俺の力を使わずとも人間の手によって平和国家は創られるはずだ」
「…王子に拒否する余地はないと?」
「少々強引だが、これ以外に彼を頷かせる手はないだろう」
「それでも彼が拒否したら?」


 王位を捨てて国を飛び出してきた王子が果たしてそう簡単に頷いてくれるだろうか。
 その危惧は尤もだが、けれど新一は確信していた。
 快斗は絶対に断わらない――断れないだろう、と。


「…あいつは優しいから。切り捨ててきた国民のことだって、ほんとはいつも気に病んでた。だけど自分の信念を曲げないよう、いつだって必死だった」


 闇を見つめる凍るような冷たい眼差し。
 それでいて自分を見るときのあの暖かい眼差し。
 ふとした瞬間に見せた、今にも泣き出しそうなあの表情……

 彼は真っ直ぐ、自分の決めた心を曲げない。
 上に立つ者の義務として、自らの言動や行動には責任を持たなければならないとよくわかっているから。

 その彼に。
 その心を曲げさせてしまいかけたのは、他ならぬ自分。


――お前以外、必要じゃない


 その言葉を貰えたことは素直に嬉しく思った。
 けれど同時に、誰より大切な彼の信念を曲げる存在が自分だということに哀しくも思った。
 だからこそ、取り戻すと決めた存在から離れると決めたのだ。


「あいつは、あいつを必要とする者に必ず応えてくれる」


 快斗を求めた新一に応えてくれたように。


「そう。他ならぬ黒羽大佐の部下だった貴方がそう言うなら、きっと間違いはないのね」


 わかったと頷く鈴下に、最後にひとつだけ、と新一が続けた。


「最後にひとつだけ、ここにいる全員に頼みがある」


 不意に沈黙が降りる。
 穏やかな口調に潜む烈しい決意を感じたからだろうか、誰もが顔つきを改めた。


「この戦が終わればモヴェールの王はコナンがなり、俺の存在は闇に消す。誰も俺≠ェ存在したことを知らない。だから俺は自分をコナンと名乗ってる」


 コナンやキッドに頼んだのは、戦を止めるためにはモヴェールの王の称号と力が必要だから、戦が終わるまでの一時だけコナン≠ニ名乗ることを許して欲しいということ。
 そして人間の戦を止めるためにモヴェールを巻き込むことになる、と。
 もちろん快諾して貰えたわけではないが、それでも頷いてくれた彼ら。
 そんな彼らに迷惑が掛からないよう――


「この戦が終われば俺≠ニいう存在がいたことを忘れ、生涯秘密にして欲しい」


 自分でも驚くほど自然に笑みが浮かんだ。
 哀しみでも歓びでも嘲りでもなく。
 冷たくも暖かくも、決して優しくもないけれど。
 誰もが視線を奪われてしまうような、そんな感情のない笑みに彩られ、新一は言った。


「秘密を共有してくれるか」


 途端、おりていたはずの沈黙が拭われ騒々しくなる。
 集まった共犯者たちは次々に新一に駆け寄っては背中を叩いたり力強く抱き締めたり笑って頷いてくれる。
 不意になんだか目頭が熱くなるような気がしたけれど新一は苦笑を浮かべることでそれを追いやった。
 キッドも微かに笑っている。
 彼は一切の手出しをせず、そうすることで新一の背中を誰より強く押してくれた。
 新一は感謝の気持ちを込め、人混みにもみくちゃにされながらも泣き笑いのような顔を向けた。

 大丈夫。
 自分には秘密を共有してくれる仲間がこんなにも大勢いてくれる。
 たとえ存在自体が消えてしまおうと、誰も自分の名を口にすることがなくなろうと。
 ただひとり守りたい人のために馬鹿な選択をした男を覚えていてくれる人がいるなら、知らずとも笑ってくれる人がいるなら。
 ……彼が、笑っていてくれるなら。
 自分はそれで、孤独だけれど、彼が生きてさえいてくれるなら自分もまた生きてゆくことができる。
 だから、自分は大丈夫だ。
 何も問題ない。
 問題は、ないのだ。
 もしあるとすれば、それは――

 厄介なこの心のみだ。










* * *


「装備は整ってるんだろうな?」
「はい、他国との流通が滞ってるわりには上々です」
「大佐が頼まれていた剣は?」
「すでに用意できています」


 慌ただしくも着実に整っていく戦への備えと、司令塔に絶え間なく響き渡る将校たちの声。
 戦はもうまさに目前というところまで迫っていた。
 けれど人々の胸の中には不安と共に希望が生まれている。

 ひっそりと、けれどまことしやかに囁かれている噂。
 ――このヴェルトには救世主がいる。

 彼は戦を勝利に導くのでもなく、不老の力を与えてくれるのでもない。
 戦を、終わらせてくれるのだ。
 それは勝利を願うよりももっとずっと強く人々の心の中に根付いている願いだった。
 長きに渡る争いに疲れ切っている人々の心は、何よりも強く平和を願っていた。





「高木中尉、本部の佐藤大佐から連絡が入ってます」
「あ、どうも有り難う!」


 高木が駆け足で司令塔を後にする。
 自室でその連絡を受けるのだ。
 もともと婚約者同士である彼らの会話はいつも自室の電話を使ってされていたため、何も不思議なことはない。
 中尉の私室に辿り着いた高木はいそいそと電話を取り上げると、婚約者に対してというよりは上司に対する表情で言った。


「大佐、高木です」
『急に悪かったわ。もう戦争目前だから、どうしても現状を聞いておきたくて』


 もとより佐藤の話に予想をつけていた高木は「わかってます」と短く応えた。


「大丈夫ですよ。救世主がいるらしいですから、このヴェルトには」
『――ええ、そうね』


 その噂は佐藤が流したものだった。
 意志を同じくする者たちの手によって噂は瞬く間に国土全域に広まった。
 そしてこの十四支部では高木が広めたのだった。
 さすがに名前を流すわけにはいかないので、救世主≠ニいう曖昧でありながら人々の心を激しく揺さぶる称号を掲げた。
 それは創られた称号ではあったが、佐藤の知る彼ら≠ヘまさしく救世主と呼ぶに相応しいだろう。
 効果は抜群で、着実に平和思想の同士が集まってきている。
 その数は戦争賛成派など到底足元にも及ばない数だった。

 ふと、思いついたように高木が言う。


「あの、佐藤さん…」
『なに?』
「彼、思ったより大丈夫そうですよ」
『…ばかね、やせ我慢に決まってるでしょ』


 高木が言っているのは快斗のことだ。
 確かに以前のように愛想の良い笑顔は消えてしまったが、それも戦が直前まで迫っていることを考えれば誰も訝しがる者はいない。
 だが、高木は快斗と新一の関係を知らないのだ。
 さすがの佐藤もそれを言うのは躊躇われたから教えていない。
 だから、平気そうに見えてしまうのだろう。


『何か変わったことをしたり、頼まれたりしなかった?』
「変わったことですか?」


 うーん、と高木が考え込む。
 考え込まなければ思いつかないほど、快斗はいつも通りに振る舞っていた。


「あ、そういえば新しい剣を鍛治屋に頼んでました」
『…新しい剣?』


 佐藤の知る限り快斗はこの五年の間ずっとあの白い細身の剣を使ってきた。
 実際は十年以上、快斗が国を飛び出した時から共に生きてきた剣だった。
 その剣を、なぜ、今にして新しくするのか。


『剣の象徴するものと言えば――やっぱり復讐≠ゥしら…』


 自分で呟いた言葉が妙に胸に突き刺さる気がして佐藤はぎゅっと目を瞑った。

 快斗は新一が生きていることを知らない。
 何度も知らせたいとは思ったが、その度に彼らのためだと自分を戒めてきた。

 けれど。
 本当にそれが彼らのためなのだろうか?
 ただ平和を望む者たちのため、平和国家の新王として掲げるために、血を吐くほどに愛した者を永遠に失うことが本当に彼らのためになるというのか。


『高木君。今まで通り黒羽君のこと、気にかけてやってね。絶対にギリギリなはずだから』
「…はい、わかりました」


 それを最後に切れた通話に、遠く離れた地で佐藤は祈る。
 哀れな歴史の救世主たちの心が少しでも傷付かないように。






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第四章、終了です。
第五章はいよいよ完結編となりますので…ただ戦争シーンは…軽くなりそうでコワイなぁ;;
終結の形はネタバレになるから言えませんが、ご期待に添えるよう頑張ります!