「工藤少尉?」


 朝の陽光の降り注ぐ、一面が硝子張りの窓の前。
 落ち着いたダークブラウンのワークデスクには、書類の束が重ねられている。
 その前でゆったりと椅子に腰掛け、組んだ足の上で両手を合わせている青年は、微かに眉を寄せた。


「はい。本日付けで少尉に昇格される、工藤少尉です」


 青年のその、あまりに様になる姿に見とれていた高木中尉は、慌てて何度も首を縦に振った。
 何か思考するように視線を彷徨わせた青年。
 高木中尉は思いついたことを尋ねてみた。


「あの、黒羽大佐…お忘れでしたか?」
「いや、覚えてはいるんだが…資料を捨ててしまったようだ」


 そう言って苦笑した大佐に、中尉もつい苦笑してしまうのだった。





 ヴェルトでは、将校クラスに昇格の決まった者は各支部の最高責任者に挨拶に向かわなければならない。
 第14支部の責任者である快斗は、昇格の度に顔見せに来られるが……はっきり言って、興味など皆無だった。
 一方的な正義感を振り翳す者、自国の利益の為に他者を傷つけようとする者、戦争を憎み復讐を誓う者、軍人と言う立場を利用しようとする者。
 軍人なんてそんな者たちばかりだろうから、特にこの軍事国家のヴェルトでは。

 昇格の決まった者が挨拶に出向く前に事前資料が送られてくるが、例に漏れず快斗はろくに目も通さずに捨ててしまったのだった。
 特に目を通さずともどうせ直に会うのだから、問題ないかと苦笑で終わらせることが出来るのだが。


「工藤少尉には…上が圧力をかけてるらしくて正確な話じゃないんですが…噂があるんです」

 事前に何の知識もなしに会うと、良くないかも知れませんよ。


 高木中尉のやんわりとした窘めの科白に、快斗はなんだろうと耳を傾ける。
 …実は封を開けもせずに捨ててしまったため、資料に何が書かれていたのか全く知らないのだった。


「上が、なぜ圧力を?」
「余程工藤少尉という人を重宝しているようですよ」


 快斗はうんざりと眉を寄せた。
 どうやらその噂の少尉とやらは、権力を傘に着るような人物らしい、と。

 けれど続いた中尉の言葉に、快斗は更に眉を寄せた。


「その噂では、工藤少尉は軍人養成学校を卒業したばかり…つまり、七階級も飛び越えての入隊らしいんです」
「…そんなことが可能なのか?」
「勿論異例なことですけど、大佐のこともありますし…有り得ないことではないのでしょうね」


 快斗も、15歳にして異例の軍入隊を果たした天才児だ。
 17歳ですでに一支部を担う大佐の立場にまでのし上がった。
 当時は鬼才の持ち主とまで謳われたその腕は、未だに誰ひとりとして不満を囁く者もいない。


「上部に親族でもいるのか。…いずれにしても、随分と我侭なようだな」


 入隊直後ということなら、順当にいけばまだ17歳か18歳。
 そんな子供の、少尉に就きたいなどという我侭を受け入れなければならないほど、大物が身内に居るのだろう。

 けれど高木中尉は、それが……と首を傾げながら続けた。
 その様がなんとも言えず頼りなくて、快斗は思わず、自分より10歳近く年上の中尉に苦笑してしまう。


「それが…実は、我侭を言っているのは上部の方々らしいですよ」
「…上が?どういうことだ」
「あくまで噂ではありますが…先月、本部が随分慌ただしかった時期があったのを覚えてらっしゃいますか?」
「勿論だ。こっちにまで面倒事を持ち掛けられたからな」


 なにやら上部の者たちが次々と出掛けたり、大将や総督はもちろん、元帥クラスの者までしばしばその席を空けてしまったりと慌ただしかった。
 そのおかげで滞ってしまった事務やら雑務やらが、こちらにまでまわってきて。
 大して大きな戦などもなかったから良かったものの、職務怠慢だとぼやいていたのは記憶に新しい。


「その理由がどうやら、その少尉のところに通い詰めてたらしくて…」


 ……通い詰めぇ?

 思わず心の中で情けない声をあげた快斗だったが、中尉はかまわず先を続ける。
 というより、気付いていない。
 彼の中で黒羽大佐という存在は、絶対の信頼を寄せられる上司である。
 鉄のポーカーフェイスの下でそんなことを考えているなど、予想できるはずもなかった。


「工藤少尉に、少尉として入隊するよう上部の方々が要請したらしいんです」
「…スカウトか」


 実際は少佐として入隊を薦められたのだが、噂の少尉がそれをあっさり断わったのを彼らは知らない。


「パーソナルデータは絶対機密ですから何とも言えませんが、どうも軍人学校時代から彼は監督の間でも有名だったようですよ」
「…軍の上部をも動かす、天才児、か。…面白い、覚えておこう」


 その噂の少尉が、本日午後、昇格の挨拶に現われるという。
 顔見せ前の予備知識としては、充分。

 どういう人物だか知らないけれど、人を見極めることについては自信があった。










* * *


 カツカツと、廊下を歩く2人分の足音が聞こえる。
 いよいよ件の少尉とのご対面か、と快斗は窓に向けていた椅子をくるりとまわして、ワークデスクに向き直った。

 片方はもう随分と聞き慣れた、自分を慕ってくれる中尉のもの。
 もう片方は……隙無く、寸分の狂いもない、軽快な足取り。


(さて、どんな人物かな)


 快斗は一度だけ口端をにっ、と吊り上げると、すぐさまいつものポーカーフェイスを張り付ける。
 “大佐”として何百人もの部下を従える、凄腕の軍人の。

 やがて扉の前で気配が止まると、コツコツと扉を叩く音がした。
 硬質な扉越しに高木中尉の、失礼致します、という言葉が聞こえた。
 快斗の許可が下りると、扉がゆっくりと開かれる。


「失礼致します、黒羽大佐。少尉をお連れしました」
「入って貰ってくれ、中尉」
「畏まりました。さぁ、工藤少尉、どうぞ」


 高木中尉が体をずらして、中にはいるよう促すと。
 扉の向こうから、黒い影が現われた。

 全身に纏った黒は、彼の高くもないが低くもないスラリとした細い体のラインをより強調している。
 黒のブーツに黒の軍服。
 胸元には銀糸で、灯籠のようなものが描かれている。
 何より異質なのは、顔を覆っている、黒の仮面。

 彼が入った瞬間、快斗は違和感を感じた。
 それは、彼の纏っている気配。
 まるで押し隠したような、抑え付けているような……けれど快斗の敏感な第六感はそれを鋭く察知していた。
 隣に立っている中尉はまるで気付いていないようだけれど。


「初めまして、黒羽大佐。本日付けで第14支部の少尉に配属されることになりました、工藤と申します」


 そう言って仮面に手を伸ばした工藤少尉を引き留めて、快斗は扉の横で待機している高木中尉に言った。


「中尉、悪いが席を外してくれるか」
「畏まりました。では工藤少尉、お戻りになるときに声をかけてください」


 中尉は快斗に向かって敬礼すると、直ぐさま部屋を出ていった。
 その様子を黙ってみていた少尉に快斗はソファに腰掛けるよう勧め、自らもその向かいに腰掛ける。
 快斗が腰掛けるのを待ってからソファに座した新一に、快斗がポーカーフェイスで告げた。


「その仮面。つけるには何か意味があるのだろう?普通に考えれば、顔を隠したい、と言う意味か」
「…ですが貴方に顔も見せずでは、不敬にあたりましょう」
「ああ、だから俺の前だけにすれば良い」

 さて、ではご尊顔を拝見しようか?


 楽しげに呟かれた科白に少尉は押し黙ったが、徐に仮面を両手で掴んだ。
 そのタイミングを見計らって。


「ああ、ついでに、無理に気配を抑える必要もないだろう」


 ぴくりと少尉の肩が揺れて、仮面にかけられた手が止まる。
 けれどすぐにその手が動き仮面が外れると……


「では、お言葉に甘えまして。改めて、宜しくお願い申し上げす――大佐」


 現われた、全てを見透かすような深い蒼。
 その蒼を縁取るようにして濃い影を落とす、長い睫毛。
 白い柔肌を擽るのは、絹糸のように揺れる黒髪。
 にっ、と吊り上げられた赤い唇。
 皮肉気に跳ねた形の良い眉。

 そして圧倒されるほどの、鮮烈な気配。


「ハ…随分な狸だな。成程、上部の連中が欲しがるわけだ」


 少尉の眉が嫌そうにしかめられた。
 快斗はそんな少尉の様子を、不思議そうに眺める。
 何が気に障ったのだろうかと思ったが…理由はすぐにわかった。


「…何方がそんなことを?」
「単なる噂だ。上部が若い少尉をスカウトしたという、な」
「…そのような噂が流れていると」
「噂と言っても我々将校たちの間での話だ。先月あたり、本部に無理な用事をいくつも頼まれて、何かあったんだろうとは思っていたことだしな」


 少尉は短く、ふ…と息を吐くと、次に顔を上げた瞬間にはすでに無表情になっていた。
 鮮烈なまでにその存在を誇示していた気配も、今は形を潜めている。

 この、見事なまでに気配ですら転換させる、才能。
 …計り知れないと、快斗は思った。


「不敬を承知で申し上げますが」
「なんだ?」


 無表情の仮面を被った顔とは裏腹に、瞳だけが蒼く輝く。
 その光に魅せられそうな自分をどこかに感じながら、尋ね返すと。


「私の前でその話は二度としないで下さい」


 にこやかに微笑みながら、笑っていない瞳でそう告げた。
 快斗は、この激しい感情はどこから来るものだろうと思った。

 …スカウトされるほどなのだから、余程の力の持ち主なのだろうと思う。
 何せ元帥クラスですら動いてしまうのだ。
 そして普通、スカウトとはかなり名誉なことだ。
 力を認められ、更に地位まで与えられるのだから。

 けれど彼の口調は、まるで喜んではいない。
 …それどころか、聞くのも嫌だとばかりに笑ってみせる。

 そんなことを考えながら、ふと、らしくない自分に気付いた。


(…俺、こいつに興味持ったってことか?)


 挨拶などいつもは適当に流して、サラナラだ。
 次の日から顔を合わせることになっているのだ、長くひきとめる理由もない。
 それなのに、彼に限ってわざわざ中尉を追い返してまで中に留め。
 更には彼がどういう人物なのだろうかと考えたりしている。

 けれど快斗は、なぜと尋ねようとはせず。
 苦笑で思考を振り払うと、改めて少尉と向き直った。


「良いだろう。別にその程度は不敬とも思わない」
「有り難う御座います」


 少尉は座ったまま目を伏せ、視線だけで礼をすると、徐に立ち上がった。


「私はこれで失礼します。…明日から、宜しくお願い致します」


 そう言って踵を返しかけた少尉に、快斗はふと思いついたことをくちにした。


「そうだ、少尉。一度俺と手合わせ願えないか?」
「…何故です」


 怪訝な視線を寄越しながらそれでも振り向いた少尉。
 快斗はそれへ、にっと口角を持ち上げ、不適に笑ってみせる。
 不審の色が一層濃くなる瞳を楽しげに眺めながら。


「ただの興味だ。おそらく相当腕が立つと見受けるが、違うか?」
「…お答えしかねます」
「なら、俺が判断する。後で付き合え、少尉」

 答えないなら、付き合え。


 例え自分の腕に自信を持っていても、最高責任者を相手に堂々と腕が立つなどとのたまう者はいないだろう。
 まして相手は、この14支部だけでなく本部を入れても指折りの剣術師と謳われる男。
 鬼才と言われ、前指揮官である少将をたった一撃で打ち負かした黒羽大佐に。

 少尉は煩わしげに、微かに眉をひそめたが…やはり大佐に逆らうわけにもいかず。


「畏まりました」


 その返事に満足げに快斗は頷いた。

 今まで多くの者たちと剣を交えてきたが、その誰も全く相手にならなかったのだ。
 快斗の攻撃に翻弄され、一太刀としてまともに喰らわせることも出来ず、自ら負けを宣告する者ばかり。
 同等に戦えとまでは言わないが、もう少しねばって欲しいところである。

 その自分が、久々に本気になれるかも知れない相手。
 随分と細腰なところを見ると大したこともないかも知れないが…それでも本部の上層部を動かすだけの力はあるはず。

 愉しげに笑う快斗に敬礼し、少尉は扉に手をかけ…


「言い忘れてましたが、大佐。私の訓練場は第二のE区ですので、お間違えのないようお願いします」
「E区?D区までしかないはずだが?」
「…特別区です。私はそこでの訓練しか許されてませんので」


 それは一体、どういう意味か。
 興味があったが、敢えて快斗は聞こうとはせずに、頷いて。


「わかった、それではE区とやらに後で向かおう」
「では、後ほど」


 パタンと扉が閉められた。
 その扉に視線をやって、快斗は机に戻るとどっかりと腰掛ける。

 外を見れば、青々とした快晴。
 けれど、そんなものよりももっとずっと綺麗な色を見つけてしまったと思う。

 何もかも見透かすような、奥の深い蒼。
 どこまでも硬質な宝石のように、けれどひどく脆そうな。


「…楽しみじゃないか」


 遠い遠い、ここより遙か離れた地にある国を思い出させる、蒼い瞳。
 4年経った今も、そこから見る空を鮮明に思い出せる。
 空と一緒に思い出すのは、大好きな人の笑顔。

 脳裏に浮かぶ、空色の国。






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peachさまリクエストの、空色の国番外編。
ご要望の多かった二人の出逢い編ということで…い、一話で終わらなかった。死。
ごめんなさい、もうちょっと続きます。出来るだけ早めに続きを書きますので…!(←っていうか本編書け/笑)
こんなところでこっそり快斗に伏線。