予定されていた事務や会議を早急に終わらせ、快斗は現在第二訓練場へと向かっている。

 14支部には三つの訓練場があるが、第二訓練場は司令塔から最も離れた位置に建っていた。
 更に、指定されたのは存在しないはずのE区。
 まるで隠れるようにして存在する、訓練場。

 それだけでも快斗の興味をそそるには充分だった。

 出会ったばかりの、自分とそう年の変わらない少年。
 本部に席を構えている上部をも動かすほどの、異才の持ち主。

 おそらくは実力があるからこその待遇なのだろうが、あの細腕のどこにそんな力があると言うのか。
 脆弱ではないが決して屈強だとは言えない体で、どう戦うのか。

 人知れず、悪戯な笑みを浮かべる快斗だった。










 第二訓練場に着いたが、快斗はなかなかE区を見つけられずにいた。
 もともとないはずのものなのだから、表示などがされているはずもないのだが。

 あまりに見つからないので、担がれたのかと疑いだした頃。
 どこからともなく扉の開く音が響き、徐にそちらを振り向いた。


「お待ちしておりました。…迷われましたか?」
「…壁、じゃないのか」


 背後に立っていたのは、相変わらずの黒装束の細身の男。
 今は仮面までしっかりつけているため、あの鮮烈なまでに心に入り込む蒼は見えない。

 少尉が立っているのは、先ほどまでは壁だとばかり思っていた場所だ。
 どういう仕掛けなのかわからないが、とにかくそこに通路がおかれている。
 快斗はますます眉を寄せた。

 この支部の最高責任者でありながら、こんなものの存在はまるで知らなかった。
 自分に知られることなく、こんなものを造り上げることは不可能なはずだ。
 …或いは、最高責任者すら凌ぐ権力者の命によるものでない限りは。


「聞いても良いか」
「…何でしょう」
「なぜここでの訓練しか赦されない?」


 少尉に促されながら扉を潜り、他の区と違いない造りになっている内部に足を踏み入れる。

 …これほどの空間を極秘に造り上げるのに、どれほどの工作がされたのか。
 物珍しげにあたりを眺めながら、快斗はずっと考えていた疑問を口にしたのだが。


「…お答えしかねます」


 またかとばかりに顔をしかめる。


「不敬にあたると言ってもか」
「はい」


 誰が聞いていたわけでもなく、大して気にしたわけでもないから、不敬などとは少しも思わないのだが。
 少尉の口を割らせる理由として持ち出した権威でさえ、彼には大した効果はないようだ。


「では質問を変える。なぜ、言えない?」


 この区を造ったのが誰かを尋ねても、最初の質問に繋がるだろうそれにおそらく答えることはない。
 だから快斗は敢えてそう尋ねたのだ。

 けれど少尉は、


「私はまだ貴方がどのような方が判断しかねます。会ったばかりの方に、個人の情報をあれこれと教えなければならない理由が理解できませんから」


 …本当に不敬なやつだ、と快斗は心中でごちる。
 ここまでくればいっそ面白い。
 大佐と言うだけでへりくだるような連中には飽き飽きしているのだ。
 こういう反応は、新鮮で愉しい。

 快斗は、大佐の仮面を捨てた。
 にっと口端を持ち上げ、それまでとは打って変わった気配が身を包む。
 絶対の信頼を得る最高指揮官ではなく、ひとりの軍人としての青年の顔。

 鮮やかなまでの気配の変化に感化されたのか、少尉の気配も微妙に変化した。
 …警戒している。

 快斗は腰に下げた白い細身の剣を、すらりと鞘から抜き放つ。
 天井の蛍光灯を受けて、白い光を眩く弾いた。


「まあ良いや、話をしに来たわけじゃねーし?」

 手合わせ願えるんだろ?


 快斗の豹変振りに警戒しつつも、少尉もまた腰に下げていた剣を構えた。
 刀身の黒光りする、長剣。
 銀細工の施された柄を見るあたり、武器もなかなかのものを持っているようだ。

 快斗が満足げに笑う。


「なんなら、少尉。不敬ついでに敬語も改めたらどうだ?お前、俺のこと欠片も尊敬なんかしてねーだろ?」


 くつくつと笑いながら、少尉の額へとぴたりと剣を構える。
 仮面越しで表情は見えないが、しかめっ面でもしてるんじゃないか、と思った。

 或いは彼のこの仮面は、上司に対する不敬を悟られないための隠れ蓑かも知れない、などという下らないことを考えて。
 けれど、昼間のあの鮮烈な気配を全開にした少尉は。


「いいえ。私は私が認めない者には礼儀を通す主義ですので」


 つまり、遠回しに、まだ快斗のことを認めていない、と。
 彼の用いる敬語とは尊敬の意ではなく、単に己の内へと踏み込ませないための儀礼でしかないのだ。

 それならば…と快斗は思う。
 それならば、なにがなんでも認めさせてやろうじゃないか、と。
 こいつの中に俺という存在を、深く刻みつけてやろう。


「…始めよう」


 悪戯な笑みを浮かべたまま、快斗は少尉へと斬りかかった。










 キィン、と金属の弾ける音が、幾度も幾度も響き渡る。
 何もない空間では、その音がやけに響いている。
 両者とも激しい動きをしていると言うのに、足音はごくごく微かな音でしかなかった。
 すでに数十分は剣を振るい続けているが、まだどちらも呼吸は乱れていない。

 …この仮面の中身は、本当にあの少年か。

 最初に抱いた感想はそんなものだった。
 決して派手ではない動きだが、その分無駄が少なく、計算されたものに基づく隙のない動き。
 反動やこちらの攻撃をうまく利用して、最も効果的な攻撃を仕掛けてくる。
 更に言うなら、こんな細腕のどこにそんな力があるのかと言うほどに重たい一撃だ。

 白い剣が風を斬る合間に、快斗は少尉へと話しかける。


「誰から剣術を教わった?」
「自己流です」
「自己流か…その割りには結構良い腕だな」
「恐縮です。しかし――」


 一瞬の隙を見逃さず、ぐっと一気に踏み込む。
 黒い刀剣が翻り、一歩退いた快斗の頬のあたりを危うく過ぎった。
 風圧で快斗の髪が揺れる。


「あまり余裕を晒していると、遠慮なく斬りますよ」


 その一撃を切っ掛けに、怒濤の攻撃を繰り出してくる。
 振り翳す剣戟の合間に繰り出される蹴りは、見事なものだ。
 剣は勿論、この蹴りを喰らったなら、間違いなく地に伏されているだろう。
 身軽な体が成せる技。

 確かに余裕は見せていられないなと、眼前でガキッとかち合った剣に意識を集中させながら快斗は思った。
 今までに手練れと呼ばれるあらゆる者と剣を交えてきたが、ここまで確かな手応えを感じたのは初めてだ。


「…なら、遠慮なくやらせて貰うぜ?」


 交差した剣が喉元まで迫った時、快斗は引きつけていた剣を一気にはじき飛ばした。
 衝撃に耐えきれず倒れ込むように後退する少尉。
 どれだけ無駄のない的確な動きをしたとしても、同じだけの能力を備えた快斗の、少尉より鍛えられた体には適わない。

 よろけた体を片手で支えすぐさま起きあがったが――快斗の剣が目前に迫る。


「…ク…ッ」


 苦しげに漏れた声に、快斗は満足げに瞳を眇める。

 この少尉は噂に違わず、かなり腕が良い。
 おそらくこの支部内で最も強いとも言えるだろう。

 けれど、15歳という若さでありながら軍入隊を果たさせた鬼才である快斗には、適わないのだ。
 本部の者に誰ひとりとして異議を唱えさせなかった実力は、本物だ。
 快斗はその鬼才がゆえに、他国に驚異とも言える戦力を渡すわけに行かず、入隊を歓迎されたと言っても過言ではない。

 少尉は崩れた体勢のまま、それでも何とか剣を剣でなぎ払う。
 けれど、片手で体を支え続けるには快斗の攻撃は重すぎた。

 キィン、と一際高い金属音が響き。
 少尉の手にしていた黒の刀剣ははじき飛ばされ、少尉の手から離れてしまった。
 そのままの勢いで、床に背を着けるような形で倒れる。
 快斗の白い剣が少尉の首の真横に深々と突き刺さり、喉元にピタリと押し当てられた。

 数十分に渡った動きが、ぴたりと止まる。


「どうだ?これでもまだ、俺を認めない?」
「…」
「大佐としての実力ぐらいなら、認めてくれても良いんじゃない?」

 俺は、強いだろう?


 覆い被さるようにして真上から見下ろしてくる快斗に、少尉は強張っていた体の力を抜く。
 ふぅ…と短く息を吐いて、剣がなくなって空いた右手を徐に持ち上げると、それまで顔を覆っていた仮面を外した。

 急に視界に飛び込んできた吸い込まれるような蒼を、快斗は無意識に見つめた。
 白い頬は微かに上気し、赤みが差している。
 けれどその程度で、他には大した疲労も見えなかった。
 細身の割りには随分な体力である。

 蒼い瞳を逸らさずに、少尉の赤い唇が動いた。


「…貴方の実力は認めますよ。…正直、負けたのは初めてです」


 微かに。
 誰にもわからない程微かに、少尉の瞳に苦笑の色が浮かんだ。
 けれどその瞳をただじっと見つめていた快斗には、それがわかってしまった。

 …初めて見た、感情のこもった表情。

 最初は、ただただ冷たい、無表情な男だと思った。
 けれど不思議なことに、ほんの微かに瞳に苦笑を滲ませただけで、ぐっと暖かみのある表情に見えた。
 蒼い目も、白い肌も、赤い唇も、黒い髪も。
 たまらなく綺麗だ、と。

 そう思うと、止められない衝動が起こった。


「…なら、敬語はやめろ」


 この男に、他人行儀でいられたくない。
 快斗は心底、そう感じていた。


「認めるなら、儀礼なんて必要ないんだろ?」


 快斗は未だ少尉の体に覆い被さったまま、喉元に押し当てた刀剣も退けないままだ。
 自分の喉元に微かに剣が食い込んでいたが、少尉もまた気にはしなかった。
 紫色の瞳が、少尉の視線を絡め取る。


「…わかった」


 その答え以外は受け入れないと言った様子の快斗に、少尉は小さく吐息した。
 押し当てられた剣を両手で退けながら、体を起こした少尉に、快斗はじっと視線を据えたまま言う。


「黒羽快斗」
「…は?」
「俺の名前。黒羽快斗。覚えて?」


 それはつまり、名前で呼べと言うことだろうか。
 仮にも最高指揮官にそれは拙いのではないかと、少尉は頭を抱えたくなった。
 自分の返事を真剣に待っている快斗にやや眉を寄せながら。


「流石にそれは拙いだろう、大佐」
「工藤には名前で良いよ」
「いや、だから…」

「良いんだ」


 まるで子供の我侭のような言いように、少尉は半ば呆れつつも諦めるのだった。


「わかった。工藤新一、今日から黒羽の直属の少尉だ。宜しく」
「宜しく、工藤」


 快斗は手を差し出して、新一の体を起こしてやる。
 新一も素直にその手を取って体を起こすと、弾き飛ばされた剣を鞘へとおさめた。
 快斗も自分の剣を鞘におさめる。
 そして徐に口を開くと、言った。


「たまに、ここに来ても良い?」
「…将校連中の訓練場は第一だろ」
「だって訓練には実践が一番だろ?俺と張れる奴、工藤以外にいないし」
「…俺も、負けたんだけど」


 ちょっと唇を尖らせながら拗ねたようにそう言った新一を、快斗はなんだか可愛らしいとさえ思った。

 他人行儀な仮面を外してしまえば、ここまで人が変わってくるものなのか。
 それはある意味、少なからず自分には気を許して貰えている、と言うことに他ならない。


「工藤はまだまだ伸びるよ。自己流でそこまで強くなったんだから、後は実践だよ。自分より強い相手との、ね」


 快斗自身、常に自分より上手の者とばかり手合わせしてきたのだから、ここまで伸びたのだ。
 ただ、この支部の大佐という地位におさまるようになってからは、自分より上手の者はさっぱりいなくなってしまったのだが。


「…そう言うことなら」


 渋々という感じだったが了承を得て、快斗は嬉しげに笑う。

 …今、快斗は新一にひどく関心を惹かれていた。
 この男のことを、もっとたくさん知りたいと思っていた。
 あらゆることにおいて謎の多い彼について、もっともっと知りたい。
 それには、接点は多ければ多いほどに良い。

 ふと、新一の喉から血が流れているのに気がついた。
 白い喉元から、赤い血の滴が滴っている。
 その血は、新一の喉の白さと細さを強調しているようだった。


「工藤、血…」
「ん?ああ、ほんとだ」
「ごめん、強く当てすぎた…」


 見ている方が痛々しい喉元を指で拭って、手に着いた血を眺めながらのんびり呟く。
 新一はまるで自分の傷に頓着していない様子だ。


「ある程度の傷なら手当てできるから、来いよ」


 仮面をしているからには素顔を晒したくない理由があるはずだ。
 傷のカ所からして仮面をつけたままでは治療できないと思い、そう提案して快斗に、けれど新一は首を横に振る。


「この程度の傷、舐めときゃ治る。おめーの世話にはなんねーよ」


 小綺麗な顔に不釣り合いな、棘のある台詞を吐いて。
 悪戯に歪めた口元で、愉しげに笑いながら横目で睨み付けてくれる。


(…簡単には踏み込ませない、と言うことか)


 快斗も愉しげに笑った。
 部屋を出ていく新一の背中を黙って見送り、自分も訓練場を後にする。



 まるで、難攻不落の要塞のようだと思う。
 そしてそれを愉しんでいる自分を可笑しく思う。

 …けれど、悪くはなかった。

 遠い異国に広がる、懐かしい空のような蒼い瞳に惹かれたのは、必然。
 そしてそれを欲するのもまた、必然。



 郷愁が恋想に変わるまでは、後僅か。






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黒羽大佐は(当たり前だけど)新一より強いです。なんたって最高指揮官だしね。やっぱ強くなくちゃ。
新一が快斗に敬語を使わないのはこんな理由でした(笑)
peachさま、リクエスト有り難う御座いましたvv