7月のデイリリー
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「あれ、新一?」
「おー!帰っとったんかい、工藤!」

 午後六時、ようやく寮に戻ってきた尚也と平次は、人の部屋に堂々と上がり込んでいる少年を見つけるなり破顔して駆け寄った。
 尚也のパソコンを立ち上げ勝手に弄っているその少年の名は、工藤新一。

「よぉ、久しぶり」

 新一は二人の方を向き直りニッと微笑んだ。
 異国の血の混じる蒼い知的な瞳が、悪戯っぽくきらりと光る。
 高校男児にしてはやや華奢な印象を持たせるのに、それでも彼が頼りなく見えないのはその眼差しの強さのせいだろう。

 彼は、大富豪工藤家の御曹子だった。
 父親は僅か四十歳にして工藤グループの現会長を務め、母親は元人気ナンバーワンの大女優というサラブレッド。
 そんな絵に描いたようなお坊ちゃんの新一は、これまた絵に描いたように才も色も兼ね備えている、嫌味なくらいよくできた男だった。
 母親の美貌と父親の知性を色濃く受け継いだ容姿。
 東大生も真っ青という超難問試験で常に学年首席を誇る頭脳。
 当然のように特進クラスに所属する新一は、学校をまとめる学生会役員でもあった。

 帝都ではクラス委員の選出を挙手や推薦では行わない。
 まず、クラス内において最も成績がよかった者が学級委員に指定される。
 拒否権は一切ない。
 そしてその他の委員は学級委員の采配によって決定されるのだ。
 しかも各学年の首席三名、つまり特進クラスの学級委員は、学生会と呼ばれる生徒自治会の役員となる。
 その中で常に学年首席を誇ってきた新一は、強制的に学生会役員とされているのだった。
 ちなみに尚也や平次とは一年からの付き合いで、成績は次点が尚也、その後に平次が続くといった具合である。

「そろそろ帰ってくるのはわかってたけど、てっきり明日だと思ってたよ」

 尚也は学生鞄をベッドに放り、ブレザーを脱いでネクタイを緩めた。

「バーロ、ただの骨折だぜ?二ヶ月もかからなかったよ」

 新一は含みのある言葉で適当にはぐらかすけれど、それでも相手には正確に伝わったようで、尚也は楽しそうにクスクス笑った。
 何かを企んだような新一の双眸には鋭利な光が宿っている。

「それより工藤、川嶋のパソコンで何見とったん?」
「ああ、これは……って、そうだよ!」

 と、鋭利だった双眸が途端に和らいだかと思うと、新一は怒ったように眉を吊り上げながら尚也の胸ぐらを掴み上げた。

「尚也、あいつ誰だよ!」
「あいつって新一のルームメイト?」
「そう!あのムカツク野郎!」
「あららー、もう会っちゃったんだ?」
「まだ朝だってのに、あいつ普通に帰って来やがって…」
「ああ、Bクラスで騒ぎ起こしてさっさと帰っちゃったらしいね」
「ってか、なんでルームメイトなんか入れるんだよっ」

 喚く新一に、尚也はまるで頓着した様子もなく言った。

「新一君しか一人部屋じゃなかったんだから仕方ないでしょー?」

 新一はガックリと項垂れる。
 怒りがまるで空回りしている。
 もとい相手がこの男では仕方ないかと、新一は掴んでいた胸ぐらを放した。

「…まあそれで、あいつの資料でも入ってるかと思って弄ってたんだけど、どうしても見つかんなくて」
「ああ、まだパソコンには打ち込んでなかったからね。資料なら今持ってるよ。はいv」

 そう言って当然のように手渡された資料を受け取り、新一はハハッ、と乾いた笑みを零した。
 常日頃からこんなものを持ち歩いているようじゃ、自分も何を書かれているかわかったもんじゃない。
 けれど気心の知れた仲である彼に、今更何が知れたところで困ることもないのだが。

 新一は受け取った資料をぱらりと捲り、顔写真であの少年を特定すると、そこに書かれている情報に目を通した。
 忙しなく左から右へと動いていた視線が一カ所にきてぴたりと止まる。
 けれどそれも数秒で、一通り目を通した新一はファイルを閉じると尚也に渡しながら言った。

「あいつが黒羽快斗か」
「そう――IQ400の天才児、だよ」

 確か十年ほど前、マスコミが騒いでいた。
 その記憶を手繰るように新一は深く目を瞑った。

 今時天才少年なんてそんなに珍しくない。
 異常に暗算が得意だったり、異常に英語がペラペラだったり、色んな才能を持った子供がいる。
 だというのに、その中で黒羽快斗がやたらと注目された理由は、IQ――知能指数の異常なまでの高さゆえだった。

 知能指数は測定する時の体調や出題される問題によって変動するため、正確な数値を断定することは難しい。
 けれど、大体上限として定められている数値は160が限度だ。
 幼い子供には200を超える知能指数を示す者もいるが、それも年齢とともに一定値に減少していく。
 そのため一定値を超す数値は161以上と認定されるため、彼のIQの正確な数値はわからない。

 だが、当時七、八歳の快斗が出した測定結果は、IQ200の子供の軽く倍はあったらしい。
 そのため、彼はIQ400の天才児と騒がれたのだ。

 年齢とともに一定値へと下降してゆくはずの数値が、今なお400のままだとは到底思えない。
 けれど、それが理由で彼が一般の枠からはみ出てしまったことは明確だった。

「自然、彼を見る周囲の目は敬遠しちゃったんだろうね。それが嫌で登校拒否になったんじゃないかな」
「せやけど出席日数が一年の三分の一て、これでよぉ進級できたな」
「母親に悪いと思ったんじゃない?定期試験だけは受けてるよ。結果は、計ったように赤点ギリギリだけど」
「はー。せっかくええ頭持っとんのに、勿体ないなぁ」

 いつも僅差で尚也に負けている平次は心底不思議そうな顔で、わからんわからんと連呼している。
 けれど、新一には彼の気持ちが何となくわかる気がした。

「…あいつ、俺がいなくなるまで寮には戻らないらしいぜ」
「えー?新一、初日から転校生虐めたのー?」
「バーロ!ルームメイトがいるなんて最悪、とかほざいて、あいつが勝手に出てったんだよ!」

 その時の不愉快さを思い出したのか、端正な顔が面白いほど崩れた。
 子供のように口をへの時に曲げ眉間と鼻に皺を寄せた工藤新一なんて、なかなか拝めるものではない。

「二、三日放っておいたら帰ってくる…」
「と、思うか?」
「……思わないね」

 いつも笑顔の絶えない尚也の表情が微妙に歪んだ。
 怒っているようにも心配しているようにも見える。
 けれど、新一も平次も知っていた。
 この表情はそんな優しいものではなく、ただ単に……

「面倒くさいなあ」

 それが理由だった。

「おかしいな。新一とだったら巧くいくと思ったのに」
「巧くいくわけないだろ」
「え、だって何となく似てるじゃん、新一と黒羽君」
「はあ?どこが似てるって?」
「馬鹿で鈍くて不器用なとこv」

 新一の周囲の温度が下がる。
 それに気付いているのかいないのか、尚也は相も変わらず笑顔を浮かべている。
 身の危険を察知した平次は我関せずとばかりに三歩ほど後退した。
 けれど、気の短い新一が実力行使に出ようとした瞬間、

「俺、蘭ちゃんより強いよ?」

 尚也のそのひと言で新一は見事に動きを封じられてしまった。
 ちなみに蘭ちゃんとは新一の同い年の従兄弟で、空手の都大会女子優勝者、毛利蘭のことである。
 その彼女より強いという尚也は、同じく空手の全国大会男子優勝者であった。

 身長158センチという彼だが、ブレザーを着ても違和感がないのは腕や腹の筋肉のせいで体格がしっかりして見えるからだろう。
 そのため、174センチはあるはずの新一の方が尚也より華奢に見えるのだ。
 言葉に詰まった新一が恨めしそうに尚也を睨む。
 けれど尚也は怯むどころか、楽しそうに笑顔でトドメをさした。

「黒羽君を寮に連れ戻すまで、新一も帰って来ちゃ駄目だからねv」





 鬼。悪魔。いじめっ子。変態。サド。
 川嶋尚也の代名詞を頭の中でいくつも挙げ連ねながら、新一はもうすっかり日の暮れた街中を歩いていた。

 都会から少し離れた場所に寮は建てられているが、電車で十分も行けば景色も随分と明るくなる。
 カラオケ、ゲームセンター、パチンコに映画館に飲食店。
 もう少し行けばキャバクラやホストクラブなど、風俗店がずらりと並んでいる。
 その中で、新一はゲームセンターを虱潰しに渡り歩いていた。

 転校してきたばかりで地元に知り合いのいない彼が一人で時間を潰すには、ゲームセンターが一番入りやすいだろう。
 一人でカラオケ、というのも微妙だ。
 暇そうな誰かを誘って、という手もありだが、少々対人嫌悪症の気がある彼がそうするとは思い難い。
 パチンコは論外(というか喧しいので自分が入りたくない)。
 映画館や飲食店の線も捨てがたいが、何時間も居座れば店員に嫌な顔をされてしまう。
 とすれば、何時間いても誰にも迷惑をかけず、尚かつ時間を潰すのに最適な場所はゲームセンターである。

 新一は六件目のゲームセンターに足を踏み入れた。
 パチンコ同様、喧しくて鬱陶しい場所だ。
 どちらかと言うと一人きりの静かな空間を好む新一には耐え難い。
 それでも店内をゆっくりと見て回りながら、見覚えのある顔がないかを探した。

 一階のプリクラスペースは飛ばし、二階のUFOキャッチャーや音ゲー、カーレースなどを覗き、三階の格ゲーやテトリスなどのテレビゲームを一台一台見て回る。
 それでもあの小憎たらしい顔は見つからない。
 ゲームセンターが密集して並んでいるためそう遠い距離を歩いたわけではないが、六件もゲーセン巡りなどしていたら新一でなくとも嫌になるだろう。
 新一はうんざりしながら出口に向かった。

 確かこの界隈だけでも十一件はゲームセンターがある。
 まだあと五件も回らなければいけないのかと思うと憂鬱になった。
 階段を一階へと下りながら、はあ、と新一は溜息を吐く。
 すると、

「なあ、あんたお金持ってる?」

 通路を塞ぐようにずらりと横に並んだ、五、六人の男。
 皆似たような髪の色に、耳や鼻や口にピアスをいくつも付けている。
 夜だというのにかけているサングラスのため人相ははっきりしないが、新一とあまり年の変わらない、高校生ほどの少年たちだ。

 非常にわかりやすい。
 わかりやすすぎる。

 新一はもう一度溜息を吐き、促されるまま彼らについて店を出た。





 柱の側に置いてある両替機と観葉植物の背に隠れていた快斗は、影からひょっこりと顔を覗かせた。

「危ねー、見つかるとこだった…」

 ファーストフードで適当に食事を済まし、時間潰しに入ったゲーセン。
 財布の残値も気にせずゲームに没頭していた快斗は、百円玉が切れたため両替に立った。
 その時、ふと階段を上ってきた客を見て、快斗は思わず反射的に柱の影に隠れてしまった。

 それは今朝会ったばかりの少年だった。
 玄関で寝転けていた上、寝ぼけて人を投げ飛ばしてくれた変な男。

 まさか自分を捜しに来たわけでもないだろう。
 そう思った快斗は、けれど少年がゲームもせずに人の顔を覗いて歩いている様子から、そのまさかだと言うことに気付いた。
 そう言えば寮の門限は十時だと言っていた。
 時計を見れば十時を軽く三十分は超えている。
 彼は門限破りのルームメイトをわざわざ連れ戻しにでも来たのだろう。
 けれど素直に連れ戻されてやる気など快斗には毛頭なく、少年が消えるまで柱の影に隠れていたのだった。

 彼は漸く諦めたように溜息を吐きながら階下へと降りていく。
 その様子を影から眺めていた快斗は、店から出ようとした彼が六人の男に絡まれている現場まで目撃してしまった。
 いかにも遊んでそうな非行少年たち。
 彼らに連れられて店を出ていく少年。

「どんくせー」

 あんな見るからに遊び慣れてなさそうな奴がこんな夜遅くにゲーセンなんかをうろうろするから、ああいう馬鹿な連中にカモにされてしまうのだ。
 ああいう社会に溶け込めない連中は秀才面したエリート連中が大嫌いなのだから。
 その上彼のあのナリだ。
 薄い胸、細い手足、華奢な体。
 どこを取っても家で本でも読んでいる方がお似合いである。

 快斗はふんっと鼻を鳴らすと踵を返した。
 恐喝現場を目撃したからと言って、何もわざわざ自分が助けてやる義理はない。
 それに一度調べた店なら見つかる可能性も少ない。
 快斗はポケットの百円玉をひとつ取り出し、再びゲームにでも没頭しようと思ったのだ、が。

(――…くそっ)

 気になって気になって、まるでゲームどころではなかった。
 彼が連れ出されてからあまり時間も経っていないし、そう遠くへは行っていないはず。
 快斗は途中でゲームを放り出すと慌てて階段を駆け下りた。

 たかがルームメイトだ。
 たまたま、何十人何百人といる生徒の中で、たまたま同じ部屋になってしまっただけの相手だ。
 いくら寮則とは言え、たった二言三言話しただけの相手など放っておけばいいのだ。
 言い訳なんていくらでもできる。
 探したけど見つからなかったとでも、朝まで探していたと偽って知人の家に泊まることだってできる。
 なのに彼は、こんな時間まで馬鹿みたいに自分を捜しているのだ。
 たとえ義務だとしても、少しだけ、ほんのちょっとだけ……

「うわあああ!」

 ガタガタッ、と何かが倒れるような音に続いて悲鳴が聞こえ、快斗は弾かれるように物音がした方向へと向かった。
 肉と肉のぶつかりあう音、そして低い呻き声。
 おそらく乱闘にでもなったのだろう、快斗は急ぎその場へと走り込んで――
 硬直してしまった。

「一応俺、病み上がりの怪我人ってことになってんだよ。問題になるとお互い面倒だろ?だからここはひとつ、階段から落ちましたってことにしとかねえ?」
「わっ、わかったわかった、わかりました…!こいつらみんな階段から落ちましたっ!」
「サンキュー、助かるよ♪」
「わかったから、もう許して…っ」

 浜に打ち上げられたアレの如く口から泡を吹いて横たわっている五人の少年、腹を押さえて蹲りながら血と涙で顔をぐしゃぐしゃにしている少年、そして――
 衣服は乱れているものの一人涼しい顔で両手をポケットに突っ込みながら少年を見下ろしている、ルームメイト。
 快斗に気付いていないのか、彼は心底ホッとしたように顔を綻ばせている。

 まさに目が点状態だ。
 快斗は開いた口を塞ぐ術もなく呆然とその光景を眺めていた。
 するとその内に彼はこちらに気付き、一瞬のうちにそうと見てわかるほど顔面蒼白になった。
 六人の気絶した少年たちが蹲る中、彼と快斗との間に微妙な沈黙が降りる。
 どちらも何を言っていいのかわからず、気まずい沈黙ばかりが過ぎて。

 二人が漸く寮に戻ったのは、十二時を少し過ぎた頃だった。










 寮生のほとんどが寝静まった頃、新一と快斗は二年寮長川嶋尚也の部屋に呼び出された。

「外泊するなら見つからないようにしてって、言ったよね?」

 仲良く並んで正座している新一と快斗に、尚也はにっこりと笑いながら言った。
 顔は笑っているものの、その笑みにも声にも態度にも棘がある。
 珍しくこめかみあたりに青筋が立って見えるのは、多分監督不行届とでも三年寮長あたりに嫌味を言われたからだろう。
 尚也と同室の平次は眠そうにベッドに腰掛けて傍観を決め込んでいる。

「まあ、ルームメイトが帰ってくるって前もって教えてなかった俺も悪いんだけど」

 並んで座ってはいるものの、快斗も新一もさっきから視線を合わそうともしない。
 余程第一印象が悪かったのか、二人とも、とにかく言いたいことだけさっさと言って終わらせてくれ、と言った態度だ。
 尚也は面倒くさそうに溜息を吐いた。

 と、正座していた新一の肩が微かに揺れた。
 隣に座っている快斗もベッドに腰掛けている平次も気付いていない。
 けれど目ざとく見つけた尚也が笑みを引っ込めて新一を見遣れば、ばつが悪そうに唇を引き結んだ顔が返ってきた。
 それに尚也は苦笑を返し、

「新一はもう寝ておいで。後は寮長の仕事だからね」
「…」
「なに、運んで欲しいの?」
「バーロっ、んなわけあるか!」

 からかわれたことに怒ったのか、新一は立ち上がるとどすどすと足音荒く自室へと帰って行った。
 それを快斗が横目で見遣り、不満そうに顔をしかめた。

「なんであいつだけ、って顔してるね」

 クスクスと尚也が笑う。
 その笑いに引き戻されて視線を再び尚也へ戻した時、快斗は僅かに目を細めた。
 相変わらず掴みどころのない笑みを浮かべているけれど、その目の奥には剣呑な光が浮かんでいた。

「新一は意地っ張りだから俺にも君にも言わないけどね。ほんとはもうフラフラなんだよ。普通だったら倒れてる。それでも、そんな体だっていうのに君を捜しに行った。そこんとこ、君はちゃんとわかってる?」

 落ち着いた声が余計に怖い。
 傍観していた平次は、組んだ手に嫌な汗が滲むのを感じていた。

 だと言うのに、快斗はまるで怯む様子もなく言うのだ。

「俺には関係ないね」

 二人の視線がぶつかる。
 どちらも退こうとせず、ただ沈黙だけが続く。
 やがて先に折れたのは尚也の方だった。

「仕方ないなあ。君も彼と同じタイプだったのを忘れてたよ」

 わけのわからないことを言う尚也に快斗が怪訝そうな視線を向ける。

「今回は大目に見て罰則だけで済ますけど、君も子供じゃないんだから、ルームメイトが帰ってきたぐらいで家出しないでよね」
「…見つかんないようにすりゃいいんだろ」
「まあ、そういうことだけど……」

 尚也はそこで一旦言葉を切ると、すっぽり心を覆う見事なまでの笑顔で言った。

「新一に何かあるようなら、覚悟しといてね」





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オリキャラの川嶋尚也くんは動かしやすくて書きやすい…。
このお話の新一さんは何さま俺さま新一さまですので!