7月のデイリリー
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「黒羽――!」

 ばんっ、と扉が勢いよく開いた音とともに突然呼び掛けられ、快斗はゆっくり覚醒する間もなく飛び起きた。
 昨夜遅くまで起きていたせいか、いつもより瞼が重い。
 時計を見ればまだ七時前で、こんな朝早くから何を騒いでいるのかとベッドから起きあがった。
 どすどすと足音高く入ってきた人物は、いつも新一と連んでいる色黒の少年、服部平次。
 ふと何とはなしに隣を見れば、ルームメイトのベッドはいつの間にか空っぽだ。

「おまえ、同室のくせに工藤の具合が悪かったことにも気付かんかったんか!」

 と、怒鳴りながら胸ぐらを掴まれ、快斗は訝しげに眉を寄せた。

(あいつの具合?)

 快斗には何の話かさっぱりわからなかった。
 ここにいないということは新一は医務室にでも行っているのだろうか。
 けれど昨日の夜彼と話した時はいつもとまるで変わらない様子だった。
 それが朝になってみればこの騒ぎで、快斗の方こそ何が起きたのか聞きたいぐらいだ。

「やめときなって、平次」

 わけがわからず沈黙していると、平次に続いて入ってきた寮長、川嶋尚也が平次の腕を掴んで落ち着かせるように言った。

「せやかて、」
「それを言うなら、昨日一緒にいたのに気付けなかった俺たちも同罪でしょ」
「そんなんわかっとるけど…っ」

 悔しそうに唇を噛みしめながら平次が睨み付けてくる。
 けれどすぐに「すまん」と言って手を放した。
 普段なら問答無用で蹴りのひとつぐらい入れているところだが、今はそれよりも状況を知りたい。
 無言で見つめる快斗に尚也は困った顔をしながらも説明した。

「新一、ちょっと体弱くてね」

 ちょっととちゃうわ!と怒鳴る平次を尚也が視線ひとつで黙らせる。
 どうやら彼よりずっと小柄だが尚也の方が上手らしい。

「それで今朝、また発作起こしたみたいで、今主治医に迎えに来させたんだ」

 さすがの快斗もその話には目を瞠った。

「ごめんね。ルームメイトの黒羽君には言っとくべきだった」

 それだけ言うと尚也は威嚇し続ける平次を連れて部屋を後にした。
 彼らが通った扉を見遣り、快斗は複雑な表情を浮かべる。
 快斗は今の話がどうも信じられなかった。

 主治医の世話にならなければならないほど体が弱いと言うなら、いくらなんでも気付くはずだ。
 新一は確かに干渉を避けてきた相手だが、ルームメイトともなれば話は別。
 少なくとも行動の端々に出てくるだろう些細な違和感を見つけられないほど快斗は鈍くない。

 そして何より尚也の態度――
 あの日快斗に「覚悟しておけ」と言った彼なら、新一の発作に気付きもせず眠っていた自分を決して許さないだろう。

(…嘘くせえな)

 寮に入って一月あまり。
 互いに干渉を避けながら、それでも同じ空間で生活していれば相手のいろんな面が見えてくる。
 彼との共同生活で快斗が得た彼に関する特記事項は、工藤新一はどでかい猫かぶりである、というものだった。

 快斗はあまり学校に行っていないが、新一が特進クラスであることも学年首席であることも知っている。
 と言っても別に進んで聞き込んだわけではなく、クラス中で噂話をされれば嫌でも耳に入ってしまうのだ。
 頭がよく見目もよく、おまけに実家は帝都の中でも別格の大資本家。
 将来は間違いなく当主の名を継ぐだろうエリート。
 その上どういうわけか、彼らの中では工藤新一は穏やかで優しいフェミニストらしい。

 快斗が思わず「どこが」と顔をしかめてしまったのも無理はないだろう。
 なにせ快斗が知っている工藤新一と言えば、出会い頭に一本背負いをかましてくれたり、絡んできた不良を逆に泣かせてしまったりと、かなりめちゃくちゃな男だ。
 そんな男をエリートだのフェミニストだの、騙されているとも知らずに騒いでいる連中は余程目が悪い。

 けれどそれでも彼はまだ底知れない何かを――あの時見せた老練された瞳のような、快斗など思いも寄らない何かを隠しているような気がするのだ。

(…ま、何にせよ俺には関係ないか)

 寝不足気味のところを叩き起こされたのだ、そのまま起きるのも馬鹿馬鹿しい。
 昼ぐらいまでぐっすり眠って気が向いたなら学校へ行けばいい。
 そうして快斗はひとつ欠伸をすると、再びベッドに潜り込んだ。










 それからまた数日が過ぎた。
 発作だなんだと騒いでいた割りに新一はその日の夕方には寮に戻り、おそらく寮長あたりから聞いたのだろう、平次の一件については謝罪までされてしまった。
 と言っても相変わらずの仏頂面で「悪かったな」のひと言だけだったが。

 あれから快斗はそれとなく新一の様子を気に掛けている。
 また騒ぎになるのは御免だし、何より本当に体が弱いのかが気になった。
 けれど、確かに欠伸や溜息の回数は多いような気がするが、やはり尚也が言うように主治医がいなければならないほど体が弱いようには見えなかった。

 その日も新一はいつも通り食堂で夕食を済ませたあと、部屋に戻るとひと言「風呂借りるぜ」と告げて風呂場へ向かった。
 その顔色が若干悪いような気もしたが騒ぐほどのものでもないかと思った。
 けれど聞こえてきた騒音に、快斗は躊躇いながらも慌てて風呂場へと向かった。

 風呂はトイレと一緒になっていてホテルのような造りになっている。
 そのため中から鍵をかけられるようになっているのだが、ノブに手をかけると鍵は掛かっていなかった。
 きっといつも一声かけてから風呂に入るため、わざわざ鍵を掛ける必要がなかったのだろう。
 快斗が躊躇いがちに扉を開けると、風呂釜に寄りかかるように座り込んだ新一がいた。
 騒音の原因と思われるシャワーのノズルは手から離れ風呂釜の中に放り込まれている。
 新一がまだきっちりと服を着ていることから、おそらく湯を溜めようとした時に倒れでもしたに違いない。
 目を覆うように額を押さえていた新一は快斗に気付くと吃驚したように顔を強張らせた。

「…なにしてんだよ」

 どんくさいな、とでも言うように声をかければ、吃驚眼が仏頂面に変わる。

「…なんでもねえ」

 無愛想な声が強がりを言うが、風呂場の淡い光のせいばかりでなく先ほどよりも悪くなった顔色ではまるで説得力がなかった。
 快斗は無言で出しっぱなしになっていた湯を止めるとシャワーを元の位置に戻す。
 それから無理矢理新一の腕を取ると、ほとんど力任せに引き起こした。

「おい…?」
「そんな面でなんでもないなんて、子供だって信じねえよ」

 鏡見てみろ、という快斗の言葉に風呂場の鏡を見遣った新一は、眉間の皺をもう一本増やした。
 黙り込んだ新一を連れて快斗は部屋へと戻る。
 珍しく大人しい新一を怪訝に思いながらも、快斗は自分の引き出しから引っ張り出した体温計をベッドに座らせた新一に突き出した。

「またあの関西人に絡まれるのは御免だからな」
「…悪い」

 しぶしぶ受け取ったそれを脇に挟みながら、新一がぼそりと呟く。
 いやに素直な返答に快斗の方が当惑した。

「……体、そんな悪いのかよ」

 今まで必要最低限の会話しかしてこなかった自分が突然相手の体のことを聞くのも微妙だ。
 そして同じく干渉を避けてきた新一は嫌な顔をするかも知れない。
 けれど言おうか言うまいか逡巡して、快斗は結局尋ねた。

 すると意外にも新一は吃驚したように顔を上げ、何かを言おうとし、けれどその言葉を一度飲み込んでしまった。
 なんだ、と目を瞬かせる快斗に新一はしどろもどろに言う。

「そんな悪いわけじゃねえんだけど、その、たまに風邪とかこじらせちまうこともあるって言うか……あ、でも、今のは寝不足とかでちょっと眩暈起こしちまっただけだから、全然気にしなくていいんだけど…」

 彼にしては珍しくぐだぐだな説明に快斗が思わず顔をしかめる。
 すると新一は気まずそうに顔を伏せてしまった。

「とにかく、俺はたまに病院行ったりとかして学校休むけど、気にしなくていいから」

 そう釘を刺されてしまい、別段反論する気もなかった快斗は無言で了承した。
 計ってみれば新一は九度近くも熱があり、これでよく普通に振る舞っていたものだと逆に感心してしまった。
 とにかく今日はさっさと寝るように言って、本当はやりたいこともあったのだが、快斗はさっさと部屋の明りを消すと自分もすぐに目を瞑った。





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しどろもどろ言い訳する新一さんの姿なんて、有り得ないけどステキ!