「まず最初に、これだけは肝に銘じて置いて」


 それまで終始浮かべていた意味深な笑みを引っ込め、鈴下はこれ以上ないほど冷たい瞳で全員を一瞥した。
 ある者は緊張に息を呑み、ある者は訝しげに眉をひそめ、ある者は愉しげに口角を吊り上げる。
 新一はシエルの白馬大佐の隣に座り腕を顔の前で組んだまま静かに彼女を見つめていた。


「ここに集められたからにはもう抜けることは許さない。絶対参加、そして秘密厳守。これが守れない者は今この場で殺すわ」


 ここには新一のように半ば強引に集められた者もいる。
 けれどその誰もがおそらく慧眼や狡猾と称される部類に数えられる者だからだろうか、或いはここに集められた目的の粗方を予想しているからなのか。
 鈴下の理不尽ともとれる物言いに誰ひとりとして文句を言う者はいなかった。


「そして、結託している間はここにいる者だけが私たちの仲間。それだけ、肝に銘じておきなさい」


 鈴下は一通りぐるりと視線を巡らせ、どこからも異議が上がらないのを確かめる。


「死にたい人はいないようね。では、説明に入るわ」


 ひとつひとつは弱々しい光であってもこれだけ多く集まれば室内はそこそこ明るい。
 鈴下を中心に、百余人の人々が輪を描くように各自好きな場所へと座り込んでいた。
 室内と言ってもここは少しも整備されていない、岩肌が丸出しのどちらかと言えば洞窟に近い造りになっている。
 こうした秘密の会合にはうってつけだ。


「秀一」
「あいよ」


 相変わらず煙草を銜えたまま秀一は呼ばれるままに立ち上がる。
 鈴下の横に並び同じように全員を一瞥すると、最後に新一と視線を合わせ意味ありげににやりと笑ってみせた。
 新一はただ目を細めただけだったけれど。


「この計画は俺とこの王女さんが共謀した。
 もうすぐ起ころうとしている戦で、我がフー国とオール国は手を組むことになった。そしてそれに乗じ、影で俺たちが手を組んだんだ。
 テールの奴にゃ耳の痛い話だろーが、そう悪くない話だぜ。表の同盟はテール侵略を目的としてるが、俺たちの目的は――」
「戦争回避と、国家統一」


 ざわっ、とざわめきが巻き起こる。
 新一の隣に座っていた白馬もあまりに大胆なその発想に目を見開いていた。

 国家統一。
 それは今まで一度として成し遂げられたことがない、人々の実現不可能な夢だった。
 元はひとつだった世界は五つの国に裂け、そこから更に特殊な能力を持つ者たちが森へと逃げ込んだ。
 人々は姿も感情も多くの共通点を持っていながら、互いに互いを牽制し合う血なまぐさい関係となった。
 それを再びひとつにすることは決して容易ではないだろう。
 そして今までそれを成し遂げられるだけの器を持つ者がいなかったのも事実。

 ――否。
 過去ただひとりだけいたのだが、国家統一を恐れ五国平和を唱えた彼を厭った者たちの手により殺されてしまったのだ。


「戦争回避っつっても簡単じゃねぇ。俺たちオールとフーだけでどうこうできるもんじゃねぇからな。事は世界規模、だからこそこうしてお前らが集められた」
「貴方たちには各国でそれぞれ重要な任務をこなしてもらうわ。全ては戦争回避のためにね」


 そのために集められた者たち。
 ここにいる彼らは下調べに下調べを重ねた上で集められているのだ。
 今までの実績、実力、人格、そして何より戦に対する心構え。
 ここにいる者のほとんどは戦を早く終わらせたいと願う者ばかりだ。
 言うなれば今は形ばかりとなりつつ五国平和を望む、最後の希望たちである。


「テールの連中は徹底的に護りを固めて、絶対に自ら攻撃するような真似をしないよう上官全てをこっち側に引きずり込め」
「全て…?そんな無茶な…」
「ああ?やるか、死ぬか。どうせ戦が始まりゃ山ほど死ぬんだ。今無茶せずにいつやるつもりだ?」
「…わかっ、た」


 テールの兵士と思われる者の呟きに秀一は即座に切り返し、絶対服従を強いる。
 だが彼の言っていることはいちいち尤もだった。
 ここにいる者は初めから無茶を承知で、と言うよりむしろ無茶無謀をするために集められたようなものなのだから。
 鈴下と秀一は淡々と計画を説く。
 オールの動き、フーの動き、シエルの動き、そして……


「問題はヴェルトね。実力的に最も抜きんでたヴェルトの軍事力を抑えこむのは並の力じゃ無理だわ」
「正直、工藤少佐を引き込めたのは有り難い。だが何万って数の兵士とひとりじゃ話にならねぇからな」


 軍事国家であるヴェルトは確かに一筋縄ではいかないだろう。
 武器の精密さではオールの方が遙かに優れているとは言え、それを扱う軍人の実力がまず違う。
 顎に指を添えて考え込む二人に新一が静かに言った。 


「こちら側に引き込める人材は、いることはいる」
「…上層部?」
「あんたが相手をした大佐がいるだろう?彼女の実力はかなりのものだし、部下への信頼も厚い。人数はかなり裂けると思う」
「そう…数はなんとか稼げそうね」
「俺がもともと属していた十四支部の兵士たちも、声をかければこちらに引き込むことができる」
「あ、それでしたら七支部からも結構いけると思います!みんな気のいい奴らばっかりですから」


 南西の大門を護る七支部に属する中尉も話に乗ってきた。
 もともと、自ら戦場に立つことを忘れてしまった軍の上層部や政府機関にこそ腹黒い連中は多いが、一般市民や兵士はほとんどの者が五国平和を願っている。
 ただ、出世するために上層部に食い込もうと軍人になるような輩はそうとは言えないが。

 そして新一はふとある人物を思い浮かべ、心なし顔をしかめながらも口を開いた。
 上層部を操るにはこれ以上ないほど適した人材を新一はよく知っていた。


「上層部も数人は動かせる」
「あら、頼もしいわね」
「…ちょっと上に強い知り合いがいるんだ」


 あまり彼に頼ることはしたくないのだが、多くの人命がかかっていては情けないなどと言ってられない。
 使える力は貪欲に使わなければ戦を止めることなど到底できないのだから。


「おそらく、口説き落とせば総帥は引き込めるだろう」
「総帥か…良いね。ヴェルトもなんとかなりそうだな、王女さん」
「油断はできないわよ。全て仮定の話なんだから」


 窘めるように秀一に視線を流し、鈴下は静かに続ける。


「私たちがどんなに足掻こうと戦は起こる。でもそこで各自が俊敏かつ的確な行動を取れば、死傷者はぐんと減らせるはずだわ」
「俺たちの戦いは敵国ではなく自国の軍勢に剣を向けることだ。ただし、討ち取るのは腹黒い歴史を生み出そうとしてる奴らだけ」
「そして新しい王を掲げるのよ」

 平和を礎とした新国家を統一する、新王を。


 そのあまりに壮絶で絶大な計画に誰もが難しい顔をした。
 成功率は限りなく低い。
 気の遠くなるような年月を同じ夢を抱きながら、人間は過去の歴史に一度としてその夢を実現することに成功していないのだ。

 けれど、と同じように誰もが思う。
 どうせ何もしなくても時間が経てば戦は起こるのだ。
 人間の歴史とは言い換えれば血生臭い戦争の歴史だ。
 それならば、どうせ命を懸けるのなら、目先の勝利に安堵するよりその手で平和を掴み取るために限られたこの時間を有効に使いたい。

 そして新一は思った。
 自分がこの計画に加えられたのは或いは運命の導きなのかも知れない、と。

 今まで多くの命を踏みしだいてきた。
 何の犠牲もなくして望みが叶うなどと夢を見ることももうできない。
 それでも葬ってきた者たちに報いるための何かを成し遂げようと生き抜いてきた。
 目的も見えず、ただ我武者らに。
 そうして蓄えてきた力をもって、たとえ一時の夢だとしても、揺るぎない平和を勝ち取ること。
 それこそが自分に授けられた唯一最大の天命なのではないか。
 だから、どこからか聞こえだした「きっと成し遂げてみせる」という声に、新一も自然と賛同していた。

 だが隣で同じようにその計画に賛同してみせた白馬が、けれど、と切り出した。


「どうして王女である貴方が、今になってこの計画を?」


 それは確かに誰もが不思議に思うことだった。
 一国で立ち向かおうとしているヴェルトとは違い、二カ国が手を携えたオールは勝率が高い。
 その国の王女なのだから彼女がわざわざ危険な賭けに出ずとも服従という見せかけの平和は手に入れられたはずだ。
 五国平和を願う≠ネんて台詞は彼女に語らせるにはあまりに陳腐すぎる。


「あら、王女が平和を願っちゃいけない?」
「勿論そういうわけではありませんが、どうも貴方はそれだけの女性ではない気がします」


 格式張った白馬の答えに鈴下の隣で秀一が突然吹き出した。
 鈴下はハエでも見遣るように煩わしげに秀一を睨み付けるとばつの悪い表情をこちらへ向けた。
 終いには腹を抱えて笑い出した秀一はいい目してるね、ばれちまってるぜ王女さん、などとのたまっている。
 鈴下は豪勢な金髪を無造作に掻き上げながら苦虫をかみ潰したような顔で言った。


「まぁね、確かにそれだけじゃないんだけど」
「では?」
「…」
「いっ、言っちまいなよ、王女さん!」


 笑いに呼吸を詰まらせながらいつまでも笑い転げている秀一に遠慮のない蹴りを見舞うと、鈴下はしょうがないと言う感じで肩をすくめた。


「今度の戦、四カ国を巻き込むでしょ?それに勝利したらフーとシエルを潰して国家統一目論んでるのよ、お父様が」
「オール国王が…」
「で、私、あいつ嫌いなの。あんなのが国家統一なんて冗談じゃないわ。それにいい加減戦ばかりで辟易してたとこだから戦争を終わらせてやろうと思ったのよ」
「――は?」


 思わず眉を寄せ間抜けた声を上げた白馬に秀一は一層笑いを深めた。
 もちろん言うまでもなく白馬以外の者も呆然としている。
 唯一、王と王女の関係を知っているオールの兵士だけはなんだか複雑な顔をしていたが。


「要は大規模な親子げんかみたいなもんだな」


 漸く笑いを引っ込めることに成功した秀一は引き吊る腹をさすりながらそうのたまった。
 どうやらもう少しで痙攣を起こすところだったらしい。
 が、そこでまた別の者から疑問の声が上がった。


「よしんば戦争回避がうまくいったとして、誰を国王に持ってくるんです?」
「まさか鈴下王女、貴方がなると?」


 父親に反抗するがゆえの謀略とはそういうことなのか。
 けれど鈴下はその問いに苦笑しながら首を横に振った。


「それについてはまだ何とも言えないけど、私は御免だわ」


 誤解を招く言い方ではあったが、もともと鈴下には自国の王位を継ぐ気もなかったのだ。
 新王など冗談ではない。


「よかったら、誰か新王候補を推薦してくれないかしら?」
「つーかもともとここでお前らの意見を聞こうと思ってたんだよ」


 突然話を振られ、皆が皆思案に目を伏せる。
 同じように思案顔の新一だが、思い浮かべる人物はひとりだけだった。
 そう、新王にするならその人以外にはいないだろうと、誰もが頷く人をたったひとりだけ知っている。
 けれど同時にその人を新王にすることは戦争回避と同じぐらい、或いはそれ以上に難しいことだろうと思う。
 彼が――あのもどかしい程一途な男が、一度捨てた王位に素直に就くはずがない。

 暫くの間沈黙が続いたが、この場にいる誰ひとりとして国家統一を成し遂げるだけの実力を持つ者を思い浮かべられないでいた。
 そんな中、鈴下がぽつりと呟く。


「私は、状況が許すならこの人ってのはひとりしかいないわね…」


 隣を仰ぎ、あんたはどう、と視線だけで秀一に尋ねる。
 秀一はわざとらしく顎に手を当てながら低く唸り、それでもすでに心は決まっているのだろう、その顔は笑っていた。
 そうして先ほどと同じように意味深な視線を新一へと投げてくる。


「集めてみて思ったが、俺もひとりだね」
「もしかしなくても同じかしら?」
「だろ?」


 共犯者的な二人は顔を見合わせながらそんな会話を交わしている。
 もちろん周りはわからない顔をしていたが。


「今のところ、それを担えるとしたら貴方しかいないんじゃないかしら」
「なぁ――工藤少佐?」


 名指しされ新一は目を瞠った。
 聞き間違いかと耳を疑いたくとも二人の視線は不躾なぐらい新一だけを真っ直ぐ見つめている。
 まさか自分が指名されるとは少しも思っていなかった新一の衝撃は大きかった。


「なっ、ぜ、…俺が?」


 鈴下がくい、と愉しげに口角を吊り上げる。


「あら、自覚なし?それなら尚更楽しみね。自覚したらどうなるのかしら」
「…なに?」
「お前、気付いてるか?この場で俺らに臆せずに話してるのはお前だけだぜ?」

 他の奴らはみーんなビビッちまって、未だに声すら出せねー奴もいるってのに。

「文句なしのその度胸、文句なしの腕前。腕については私の保証つき、しかもまだまだ伸びるわよ。この戦の最中には私も抜くんじゃないかしら?」
「げぇ、なら俺も危ねぇな」


 すっかりその気になって勝手に話を進めていく二人に、新一含む周囲は唖然としていた。
 だが他の者が驚いている理由は新一とは別物だ。
 工藤少佐の噂は何度も耳にしたことはあるが、目の前のこの、最年少で体格も最も華奢である、いっそ貴族だと言われた方が納得してしまいそうな綺麗な顔立ちをした青年が、それほどまでの実力を備えているとは信じられなかった。


「状況を正確に把握し的確な行動に出れるのも利点よね。統率力も会話の心得もあるし…」
「不用意に動揺したりしねーのも利点だぜ。外交じゃ小心者はすぐに締め上げられる」
「後は文句なしのその慧眼ね」


 この蒼い瞳に見据えられただけでまるで全てを見透かされるような心地になる。
 事実、些細な動作ひとつでその明晰な頭脳はあらゆる真実を見抜いてしまうのだ。
 一を聞いて百も千も知るような慧眼。


「無理を言うな。俺は軍人だ。王じゃ、…ない」


 漸く言葉を取り戻した新一は当然だか首を横に振った。
 確かにモヴェールの中では光≠ニ敬われる王族ではあるけれど、新一は人間として生きる道を撰んだ。
 人間としての新一はただのひとりの軍人だ。


「まあすぐにとは言わないわ。それまでにもっと適した人材があれば遠慮なくそちらに乗り換えさせてもらうつもりよ」
「だがもし誰も現れなかった時のため、覚悟はしとけよ。この計画に巻き込まれたからには嫌だ待ったは通用しねぇ」


 重い鎖で繋いででも逃がさない。
 半ば脅迫のような台詞に、新一はそれ以上異議を申し立てることはできなかった。
 唇を噛み締めるながら俯く。

 本当は新王になるべき人物はいるのだ。
 彼以上に王に相応しい者など今は存在しない。
 優作ならば或いはと思えなくもないが、生憎彼にもその気はないだろう。
 王となるだけの力を持ちながら今まで何も事を起こさなかったのが何よりの証拠。

 けれど。
 王となれるのが彼だけだとわかっていても。
 シエルの大佐がいるこの場で彼の名前を言うわけにはいかない。
 まだ――言うわけには、いかない。





「新王に相応しい御方を、僕は知ってるんですが…」


 俯いている新一に白馬がそっと呟きを零した。


「大佐…?」
「ですが、その方は随分と前から行方を眩ましてしまっていて…僕にはどこにいるのか全くわからない」


 はたと気付く。
 この男は本部に属する大佐だ。
 本部とは王宮を警護する部署であり、よって王宮内のことについても詳しい。


「我らが偉大なる前国王…あの御方ならばきっと国家統一を成していたことでしょう。何より平和を愛された方ですから、国民の支持も絶大でした」


 王は不思議な魔法を使った。
 王はその魔法を手品と呼び、マジックと呼び、小さな感動をもたらすものだと言った。
 そしてそのマジックを生み出す王の手を、国民は親愛を込めてこう呼んでいた。
 平和を紡ぎ出す手≠ニ。


「そしてその前国王のひとり息子であられる王子。その方もまた素晴らしい方でした。父王と同じように国民を愛し、そして何より父王を敬愛しておられた」


 だからでしょうねと、白馬は儚げに笑う。
 苦しみと悲しみを内包するその心に痛いほど共感できて――泣きそうに顔を歪めながら新一は白馬の話を聞いていた。


「王子が失踪したのは父王が亡くなられてすぐでした。もともとシエルでは王族は成人し戴冠するまで身分を隠して市民に混じって育てられるため、国民たちは王子の存在を知りません。ですから誰ひとり王子の存在を知る者はいないのですが――」


 世話係をしていた付き人と王子の兄のように共に育った白馬だけは王子のことをよく知っていた。
 父王のようにマジックを見せては喜ばせてくれた。
 喜ぶ自分たちを見ては嬉しそうに目を輝かせて笑っていた。
 幼いながらにしっかりと王子としての意識を持ち、国政についても意欲的に学んでいた。
 子供とは思えない速さで知識を吸収していく頭脳、そして秀でた運動能力。
 まさしく王となる運命のもとに生まれてきたのだと国王も王妃も付き人である寺井もそして自分も信じていた。
 きっと父王を凌ぐ国王になるだろう、と。


「王子が生きておられるなら、あの方以上に新王に相応しい方はいないでしょう」


 それに新一は頷きを返すことしかできない。
 自分などには考えも及ばない彼の深い悲しみが、彼を良く知る者の言葉から伝わってくる。
 愛していただろう父親を殺された苦しみ。
 それは、記憶にも残せないほど幼い頃に母を亡くした自分とは比べ物にもならない。
 未熟だった彼の幼く純粋な心をどれほど引き裂いただろう。

 そして歯車は狂ってしまった。

 復讐を誓い、王位も国民も母国すら捨てて国を飛び出し、真相を探るため勝手もわからぬ他国へと潜り込み、そして――
 自分を愛してくれた人。


(…快斗)


 今、お前は、何をしている…?





 同じ頃、同じように。
 誰もいない場所に佇み、今は暗くなってしまった空を仰ぎ快斗は愛する人を想う。

 美しい蒼い瞳。
 空を連想させる深い蒼。
 かつて己の育ってきた国の名を、その瞳に宿す人。

 シエルとは空を指す言葉。
 鮮やかに透き通った、美しい空色。


(…新一)


 どうか、彼が無事で有りますように。










* * *


 誰もいない書斎で紅茶を片手に静かに時を過ごす。
 世界は目まぐるしく巡っているが、ここだけはまるでその時を忘れたかのようだ。

 実際、この空間は普通の世界から切り離されていた。
 遠い地同士ををつなぎ合わせるため紅≠統べる魔女が創り出した異空間。
 現在の紅を統べる魔女はまだ若い女性――といっても実際は長い時を経てきた大魔女であるが。

 彼女の名は紅子。
 光の加減でときたま赤く見える黒髪は長くゆったりと背に流れ、そこからのぞく細い首は白く美しい。
 少しきつい印象をもたせる切れ長の瞳に笑みを浮かべれば、これ以上ないほど妖艶な魔女の微笑となる。
 紅子は鮮やかな朱を引いた唇にカップを運びながら同じようにゆったりと椅子に腰掛ける人物に声をかけた。


「それでは、彼は無事王女と接触を果たせたのですね」
「ええ、おかげで巧くいきましたよ」
「ふふ…お役に立てて嬉しいですわ」


 こくりと一口飲み下しにっこりと微笑みかける。
 向かいに腰掛けた彼、優作もまたにこやかな笑みを返して見せた。


「それにしても、貴方が王女と接触したいと言ってきた時には驚きましたわ」


 魔女がぱちりと指を鳴らす。
 何もなかった空間に突如として現われた球体にひとりの青年が映し出される。


「私の透視がなくても貴方にはまるで全てが見えているかのよう…」
「私のは透視などではなく、慧眼と言うんですよ。…国の動きを長年見守ってきたからこそわかるんです」
「そうですわね」


 映し出された青年は丁度今、顔を覆い隠していた仮面を自ら取り払おうとしている時だった。
 顕わになった白い肌、漆黒の髪。
 そして青空を思わせる、深い蒼……


「それで魔女殿、キッドの様子は如何かな?」


 優作の瞳に剣呑な色が浮かぶ。
 魔女はそれをさらりと流すと、微笑んだままに告げた。


「今は安定しておりますわ。一時は危険でしたけれど、もう大丈夫でしょう。彼が目覚めたからにはキッドの存在も安定してくれるはずですわ」


 ふっ、と優作が笑む。


「それを聞いて安心しました。彼と本体は恐らく終局寸前に接触するはずですから、その時に消滅されてはコナンを哀しませてしまうからね」
「どこまでも深い愛を注がれる方ですわね、本当に…」
「少し過ぎると仰りたいでしょう?けど、全ては息子たちのためだけですから」

 所詮は親馬鹿ですね。


 二人以外には誰も存在しない空間に、くすくすと笑いが木霊した。










* * *


 新一は迷っていた。

 平和国家に掲げられる新王として黒羽快斗の名を出すべきか出さないべきか。
 いずれ世界戦争に突入すればその前線に立つ大佐の名前など知れ渡ってしまうだろう。
 そうなれば快斗の存在を知っているシエルの者にはその大佐が王子であることなどすぐにばれてしまうに違いない。
 今ここで名前を出さなくとも結果は同じだ。
 それならば、新王として最も相応しい彼の名前を出すのが当然だろう。

 けれど同時に、快斗がそれを受け入れるとは思えなかった。
 時期国王の座を棄ててまで選んだ復讐の道を、いっそ一途なまでに貫いてきたその意志を、こんな半端なままで諦めることなど彼は絶対にできやしない。
 ――だけど。


(駄目だ…だってアイツは、この戦で死ぬつもりだから…!)


 それだけはどうしても阻止したかった。
 たとえ彼がもう新一を必要としなくとも、新一こそが彼なしでは駄目なのだ。
 快斗がいなければ戦う意味はなく、平和にも意味はなく。
 生きる意味すら、ない。

 結局、新一には自分が望むことしかできないけれど。
 たとえ恨まれたとしても、憎まれたとしても、それでも良いから。
 生きてさえいてくれれば、それだけでもう他には何も望まないから。

 だから。


「…第十四支部の、最高指揮官を知ってるか」


 静かな声で、新一は中央に立つ鈴下と秀一に言った。
 しんと静まりかえる室内にその声は不思議と木霊して、再び誰もが新一へと視線を向けた。
 集まる視線を感じないわけではないが、それらを全て無視して新一は続けた。


「おそらく本部を含めても彼の実力に適う者はいないだろう。…俺よりも、ずっと強い」


 ざわりと広がるざわめき。
 伝説の少尉として一時騒がれた黒衣の騎士とはここにいる工藤新一のことだ。
 噂でしか聞いたことはないが、自分たちの上官として尊敬している鈴下や秀一にもその実力は認められている。
 その彼よりも、更に強い人物。

 快斗は支部の最高指揮官であったため戦の前線に出ることはほとんどなかった。
 戦場に立てばどうしても視野は狭くなる。
 全ての兵士の動きを視野に捉え敏速かつ的確な指示を出すためにはどうしても前線から退かなければならない。
 だから戦場には戦場の司令塔が必要となる。
 快斗からの指示を受け、現場に立って臨機応変に兵士を導く司令塔。
 それが、伝説とまで言われた工藤少尉。
 つまり剣を振るう役はいつも新一だったため、快斗の噂は国内より外にはあまり広まっていないのだ。


「その十四支部の指揮官が、なに?」


 ざわめきを一喝し、鈴下はすかさず切り返す。
 秀一の目にも僅かに窺うような色がちらついた。
 新一は暫く沈黙し、やがて諦めたように溜息を吐きながら言った。


「その指揮官を、俺は推薦する」


 立ち上がり、中央に佇む二人のもとへゆっくりと歩きながら。


「剣術は最高級、度胸も統率力も俺以上。なんたって十七歳で大佐だ。十九になった今は総督にって声も上がってる。指揮も的確、奇抜で天才的なあいつの知能指数は俺たちとはケタ違いだ」


 彼は鈴下と秀一にあげられた新一の利点を全て凌駕する。
 その上さらに最高の持ち札がまだ別にあるのだ。


「俺にはあんたたちに何を言われようとどうしても新王になれない理由がある。だがあいつは――平和を望む新国家の新王として掲げるには、あいつほど相応しい者もないだろう」


 果たしてその人物とは誰なのか、誰もが息を殺し新一の声に耳を傾けている。
 たとえヴェルト国にいて彼を知る者でも、その最高の持ち札が何かを知る者はいない。
 新一は鈴下と秀一を真っ向から見据え、そして最後に白馬大佐にちらりと視線を投げて。



「彼の名は黒羽快斗。
 五国平和を唯一唱え続けてきた平和国家シエルの正当な王位継承者、第一王子にして時期国王だ」



 白馬が驚愕に瞠目するのを目の端に捉える。
 誰もが驚愕し、声ひとつ上げることもままならない状態。
 その中で新一はひっそりと、けれど何よりも強くひとつの覚悟を決めた。
 快斗の命を救うため、ひいては自分のために下した、自分の生涯においておそらく最大の決断。
 快斗を新王として迎えるには、もうこの道しか残されていないから……


「そ…れほどの人物がいるなら、それ以上相応しい人もいないわね」
「…ああ、確かに」


 平和≠基盤に立ち上げようとしている新国家。
 その新王に、平和主義を唯一貫き通してきたシエルの時期国王を据えると言うなら、平和を願う者の中から不平が上がるはずもない。

 新一は二人にしっかりと頷いて見せ、ついで白馬へと視線を巡らせた。
 相変わらず目を瞠ったまま自分を凝視している彼に一度瞼を伏せ、それから真っ直ぐに見つめて言った。


「すぐにお話しできなくてすまない。だが彼を新王に迎えることは難しいと思った。だから…考える時間が欲しかった」


 だが、今なお難しいことに変わりはない。
 復讐を胸に自国を飛び出した彼に新王となる意志があるはずがない。
 増してこの戦で死を決意してる彼に、どうして王になれなどと言えるだろう。


「なぜ難しいと?」
「…彼が、ヴェルトにいるからです。一国の王子が身分を詐称し、他国に入り込んでいることはあまり良いこととは言えない」


 確かに、と頷く鈴下を余所に、漸く落ち着きを取り戻してきたらしい白馬が掠れた声で言った。


「王子は…生きておいで、なんですね…?」
「ああ」
「ヴェルトの大佐だと…?」
「十四支部を任せられている」
「…、元気で、おられるんですね…っ」


 安堵と歓びの混じる顔がくしゃりと歪む。
 八歳の時にシエルを飛び出した快斗の安否はそれから一切不明とされてきたのだ。
 十一年というあまりに長すぎる歳月を彼らがどんな気持ちで過ごしてきたのか。
 新一に知ることはできないがわかるような気がした。

 たったの五日すら耐えきれず、帰ってきた自分を全身全霊で求めてくれた快斗。
 不安に押し潰されそうだった感情を痛いほど躯に心に刻み込まれた。
 おそらく今の自分も、快斗の生死がわからなければ同じだけ、否、それ以上に辛い思いをするに違いない。


「彼は支部で元気にやってる。心配いらない」


 その言葉に白馬は漸く笑みを取り戻した。


「ですが、どうして王子はヴェルトにいるのでしょう?」


 それは誰もが疑問だったのだろう、再び無言の視線が新一へと集まる。
 新一は僅かに躊躇い、そして当たり障りのない答えを返した。


「…シエル前国王の死因をご存知だろうか」
「はい――…暗殺、でした」


 微かに耳に届くはっと息を呑む声。
 国家間の均衡を考慮し、シエルは王の死因を公にしていなかった。
 暗殺などと騒ぎになれば王を慕う国民たちが闇雲に他国へと攻め入ったかも知れない。
 今まで伏せられていた真実に鈴下も秀一も、皆が皆瞠目していた。


「では、その現場にあいつがいたこともご存知か?」
「!」


 白馬の目がこれ以上ないほどに大きく見開かれるのを見て、彼もそれは知らなかったのだろうと新一は目を伏せた。

 そう。
 前シエル国王、盗一は、息子のいる目の前で暗殺されたのだ。
 寸前で暗殺者の存在に気付いた王により快斗の身は隠されたが、幼い瞳は父王の殺される現場をしっかりと目に焼き付けていた。
 その後すぐに駆けつけた衛兵によって侵入した暗殺者は捕えられたが、誰の差し金かを吐く前に自害してしまった。

 それからの快斗は父王を殺した者を探し出すために人生の全てを捧げてきた。
 それまで平和と愛を疑うことなく生きてきた子供が、何も持たずにただ己の身ひとつで剣術を磨きながら各国を旅し、偽りの仮面を被っては国の要所に潜り込み何か資料がないかと探し求め。
 そして何の因果か、漸く忘れかけていた愛情を取り戻した頃、快斗はヴェルトでその資料を見つけてしまった。


「あいつは父王の殺害依頼をした人物を捜していた。そのために国を出た。そして、ヴェルトにまでやって来た」


 頑なに昇進を断わり十四支部に拘り続けたのは、他でもない十四支部が最もシエルに近い大門であり交流の盛んな場所だったから。
 だが資料はそこにはなく本部にあった。
 それの意味することは今はまだわからないけれど。


「なぜ貴方はそんなに事情に詳しいのかしら?」


 ショックを隠しきれない白馬をよそに鈴下が新一に尋ねる。
 新一は僅かに視線を揺らした。

 これらは全て優作から聞いたことだった。
 いずれ話すからそれまで待って欲しいと言った快斗との約束を破ってまで手にした情報。
 けれどまだ、ここでそれを言うわけにはいかない。
 新一の頭の中で目まぐるしく構築されている計画の中で、優作の名前を今出すことはあまり良い策ではないから。


「それは言えない」
「言えないだぁ?」
「正確にはまだ′セえない。いずれ話す」
「それはどういう意味かしら?」


 鈴下がずいと一歩踏み出してくる。
 わざと意識して殺気を込めた鋭い視線を向けてくるが、新一はそれをさらりと受け流した。


「あいつを新王にするには一筋縄じゃ無理だ。俺に任せて欲しい。きっとうまく運ぶ。だがそれにはまず、行かなきゃならない場所があるんだ」
「行かなきゃならない場所?」
「ああ。だから、また数日後にここに全員を集めてもらいたい」


 その時にこの計画の全てを話すから。


「――良いわ。…五日後。五日後に、再び集まりましょう」
「おい王女さん、良いのかよ?」
「仕方ないわ。シエルの王子を新王に迎えるためには、彼に頼るしかなさそうじゃない?」
「確かにそりゃそうなんだが…」


 煙草を銜えたまま頭を掻きむしる秀一に新一はふっと笑ってみせる。


「大丈夫。五日後には驚くような計画を披露する。その時には、俺が新王になれない理由もわかるだろう」


 その、あまりに邪気のない笑みに秀一は毒気を抜かれてしまった。
 伝説だの何だのと騒がれる男がこんな少年だと言うのも驚きだが、こんなにあどけなく笑うことにも驚かされる。
 まるで戦争の悲惨さなど知らないような目で、それでもその瞳は逸らされることなく真っ直ぐ現実を見つめている。
 いくらなんでも簡単に新一の話を鵜呑みにするのは危険なのではないかと思った秀一だったが、なんだか疑うこと自体が馬鹿らしくなってしまった。
 どこまでも真意しか写さない瞳を前に疑心暗鬼になっても時間の無駄というもの。


「…わかった、オッケー、俺の負けだ。お前に任すよ」


 苦笑しながら降参だとばかりに手を挙げて、秀一は大人しく引き下がった。
 そんな彼の苦笑の理由がわかった鈴下も楽しげに笑い、それからぐるりと見渡して言った。


「それじゃあ、現段階で話しておけることはこれだけよ。五日後にまた集合をかけるから、その時は宜しく頼むわ」


 表向き捕虜として拘束されたのは新一だけだっため、各自はこのまま解散することになった。
 戦を控えているオールにとってヴェルトの人間は本来目前の敵であるため、こういう形をとるしかなかったのだ。


「じゃあ、工藤少佐は捕虜解放するから――」
「それは困る」


 言いかけた鈴下を新一が遮る。
 不思議そうに首を傾げる鈴下に新一は静かに、けれど確かにこう言った。


「あんたには、俺を殺してもらいたい」






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今回は説明的話(おもしろくねー/死)。
……意味、わかりましたでしょうか?
鈴下たちの目的が、戦争回避と国家統一、ということさえわかってもらえればまぁ良いんですが。
漸く快斗の過去が明らかに。ていうか解りやすい(笑)
大した謎もなくてごめんなさい;;

どこにでも神出鬼没な優作パパは、実は赤魔女にタクってもらってたんですねー!
どこでもドアなみ?笑