『なんだ、貴様』


 漆黒の布を頭からすっぽり被りまるで顔を隠すように歩いていた者にアキヒコはそう声をかけた。
 いつものように体を鍛えるため朝から剣を振るっていたアキヒコの前を通りがかったのは、見るからに怪しい不審人物。
 強い繋がりを持つモヴェールたちは、子供から老人までその全ての名と顔を記憶している。
 それは人間の侵入を阻むためでもあるのだ。
 だから、こうして顔も見せずに通り抜けようとする怪しい人物はすぐによそ者だと気付く。
 が、布を纏ったその人物はアキヒコの呼びかけを無視して先へ進もうとした。
 当然アキヒコがそれを許すはずもなく、ぐいと男の肩を掴んで無理矢理引き留める。


『待て!貴様、人間か!』


 アキヒコは顔を覆っている布を奪おうとしたが、軽く身をひいて避けられてしまった。
 そして確信する。
 この森で素顔を晒せない者など人間しかいない。

 アキヒコは右手の指で輪を作ると唇に当てて高らかに指笛を鳴らした。
 それはモヴェールが非常時の連絡として使うものだった。
 この広い森の中でどこにいるかもわからない仲間を捜し回るのは効率的とは言い難く、古い方法ではあるがこれが最も効率的な連絡方法だった。
 それに、人間より鋭い五感を持つ彼らがそれを聞いて駆けつけるのは早い。
 すぐに駆けつけてきた仲間によって、布で顔を覆った人物は取り囲まれてしまった。










 退屈な話を半ば聞き流しながらコナンは欠伸を噛み殺した。
 それを目ざとく見つけたエリがもう何度目になるかわからない溜息をこぼす。


『またですか、コナン様』


 呆れた口調のエリに、けれどコナンはただ視線を流すだけ。
 それがまた彼女の溜息を誘うのだがそんなことはコナンの知ったことではなかった。
 とにかく、つまらない。
 つまらないから話も聞く気が起きないし、聞く気がないから話も長くなる。
 全くの悪循環だが、それを改善するにはコナンに我慢してもらう他なかった。


『つまらないのはわかりますけど、きちんと理解して頂かなければ貴方を正式な王として迎えることはできませんよ?』
『…って言われてもなぁ。そんなのはキッドに聞かせれば良いだろ』

 つまらなすぎて聞いているのも苦痛だ。


 机にぐったりと伏せてしまったコナンの近くで控えていたキッドが苦笑をもらした。
 そんなキッドをエリが恨めしげに睨む。

 コナンは今、モヴェールの王として彼らを導くためのあらゆる知識を学んでいる最中だ。
 ユキコが亡くなり優作と新一が人間としてヴェルトに住む道を選んだからには、王となれるのはコナンだけだ。
 だが十八年という長い年月を氷の中で過ごしてきたコナンの精神は実際の年齢よりいくらか幼い。
 当然王となるべく知識も教養もこれから身につけていかなければならない。
 けれど生まれたての赤ん坊がひとりで歩けないように、返還の氷≠ゥら解放されたばかりのコナンはまるで我侭な子供のようで、エリやキッドは何を言っても空回りばかりしている。


『コナン、確かに私は貴方の影武者…付き人のようなものですが、王となれるのは貴方だけです。王が腑抜けでは誰も従いませんよ』
『…言いたいことはわかってる。でも一日中これでは些か飽きるぞ』
『仕様のない…』


 くすくすと、コナンにはどこまでも甘いキッドが苦笑を深めた時、砦の扉がけたたましい悲鳴を上げた。
 誰かがどんどんと騒々しく扉を叩いているのだ。
 砦の扉は特殊な造りになっていて、外の騒音など聞こえないほど分厚いはずなのに、なぜか門の前で発せられる声は中までよく聞こえる。
 声の主は特攻部隊長を担うコゴロウのものだった。


『エリ様、王っ、至急お目通りを!』


 コゴロウの焦燥を滲ませた声音に、エリとキッドは瞬時に何か緊急事態が起きたのだと悟った。
 特攻部隊の頭である彼は焦ることの危険性をよく理解している。
 焦りは人を深みへ引きずり込み危険を生むからだ。
 頭がそんな者では部隊そのものが消滅しかねない。
 だから、それを理解しているコゴロウは滅多にこんな風に声を荒げたりはしないのだ。
 その彼が、こんなにも動揺している。


『…エリ、貴方はコナンについていて下さい』
『どうするつもりなの?』
『どうするにせよ、私ひとりの力があれば充分です』


 途端、人をくったようなシニカルな笑みを浮かべたキッドのまわりに冷たい空気が流れ込む。
 エリは納得し小さく頷いた。

 キッドは大した力≠持っていない。
 コナンは勿論エリほども持っていないが、その変わりのように武術には非常に長けていた。
 それはたとえ特攻部隊長や精鋭部隊長が束になってかかってこようがとても適わないとすでに証明済みである。
 さらに言うならキッドは特に大勢を相手にした闘いを得意とする。
 彼に任せていればまず危険はない。


『でも気を付けなさい』
『わかってますよ。コナンを頼みます』
『ええ』


 キッドはすぐさま部屋を飛び出し、入り組んだ道を真っ直ぐに扉へと向かって駆けだした。





『おそらく、ですか?』


 訝しげに眉をひそめたキッドにコゴロウは短く「はい」と答えた。
 キッドは今争いの起きている森の外れへと走りながらコゴロウから現状の説明を聞いていた。


『何でも布で顔を覆っているらしく、顔を見ることができません。装束も見たことのないものでして…』
『なるほど、人間かモヴェールかもわからないということですね』


 コゴロウのもとに転がり込んできたのは怪我を負ったひとりの男だった。
 打撲やかすり傷はあるものの致命傷はなく、彼は激痛を訴える体を引きずって特攻部隊長であるコゴロウのもとへ報告に来た。
 コゴロウは疲労困憊している彼をひとまず休ませ、特攻部隊を数人その地へ送り込んでからエリのもとへ報告に向かったのだった。


『その男も他の者も、誰ひとりとしてその不審人物に傷ひとつ負わせられなかったらしく…』
『相当な使い手なのですか?』
『私にはまだ判断しかねますが、キッド様をお連れした方が賢明かと思いまして』
『…その判断は悪くありませんよ。誰ひとり傷ひとつもとなると、相手も相当のはずですから』


 モヴェールは争いを好まない種族と言えど、決して弱いわけではない。
 最低限の自己防衛力は備えているし、中でも精鋭部隊や特攻部隊などの部隊に属する者はヴェルトの一等兵にも劣らない戦士だ。
 その彼らですら傷ひとつ付けることも適わないのならば、部隊長のコゴロウだとてどこまで通用するか……
 自分を呼びに来たのは正解だとキッドは思った。


(それより…コゴロウのもとへ来た男、怪我はあっても致命傷ではないとは…)


 話を聞いていて気になったこと。
 ひとりで大勢を相手にする戦闘の場合、一撃で確実に致命傷を負わせ相手を仕留めるのが定石だ。
 へたに手加減して何度も斬り合うような消耗戦ではあまりに分が悪すぎる。
 勿論キッドもそういう闘い方をしていた。
 たったひとりでモヴェールの領地に踏み込んできた人間の意図はまだわからない。
 けれど――
 大勢を相手に誰ひとり命を奪わず、かつ自身に傷ひとつ負わずに闘える実力の持主。
 そんなことをする人物はひとりしか思い当たらない。

 以前、モヴェールの小さな少女が誤ってヴェルトに入り込み人間の子供に殺されかけたとき、モヴェールの精鋭部隊がヴェルトに押し寄せたことがあった。
 へたをすればモヴェールと人間の大戦の引き金ともなりかねなかったそれを、たったひとりの軍人が阻止した。
 ヴェルトとモヴェールのどちらにもひとりの死者も出さず、少女は無事に両親のもとへ戻ってきた。
 少女に至っては治療まで施されていたのだ。
 彼らは少女の帰還に喜んだものの男の行動と言葉の意味が解せないと渋面を浮かべていた。
 それは、漆黒の軍服に身を包み漆黒の剣を振るう仮面の騎士……


(――新一、貴方なんですか…?)


 だがもし彼だとして、なぜ今再びこんなところに来る必要があるのだろうか。
 そして、何のために剣を振るっているのか。
 思考に耽りかけたキッドの意識をコゴロウの声が引き戻す。


『キッド様、あそこ!』


 指を指すその向こうには砂塵が巻き起こっていた。
 森のはずれというだけあってそこは砂漠に近く、砂に寝食されかけているためその騒ぎの中心には砂が舞っていた。
 入り乱れるようにそれぞれの武器を振り翳す、見覚えのあるモヴェールの戦士たち。
 四肢を投げ出し地に伏している者も大勢いた。
 けれど命の危険を感じさせるような出血を起こしている者はひとりとしていない。
 そしてその中心では確かに見覚えのない人物がひとり、まるで舞うように剣を操っている。

 頭からすっぽりと布をかぶった視界の悪い状態でよくあんな動きができるものだと、キッドは思わず感心してしまった。
 手にしている獲物はどこにでもあるような普通の剣だ。
 特別武器が優れているわけではない。
 着ている服も確かに見たことのないものだが、それはただ加工されているからに過ぎない。
 もとはおそらくオールにあっただろう服だ。


『――止まれ!』


 キッドとともに騒ぎのすぐ近くまで駆け寄ったコゴロウが大声量で恫喝した。
 耳をつんざくような怒号に、その場にいた者の視線が一気に二人へと集まる。
 すると、特攻部隊長と王の砦を護る純白の戦士の姿に明らかな安堵の声があちこちから上がった。

 巻き上がっていた砂塵は徐々におさまり、漸く視界が戻ってくる。
 二十を越すモヴェールの戦士が地に伏している中、誰ひとりとして血を流す者も気を失っている者も、増して死んでいる者もいない。
 ただ疲労と痛みのために動けずに蹲っているだけだ。
 それを確認したコゴロウは眉を寄せながら改めて布で顔を覆っている不審人物を睨み付けた。

 目的が皆目わからない。
 この光景を見る限りこちらが一方的に攻撃したようにしか見えなかった。
 まるで向かってくるから仕方なくあしらったかのよう。
 必要以上の攻撃は全くと言っていいほどなく、おそらく意図して怪我を負わせまいと剣を振るったのだろう。
 だが、なぜこんなことをする必要があるのか。


『おまえは何者だ?いったい何の目的で…』


 戸惑うままにコゴロウが口を開くと、布で顔を覆った人物は剣を降ろしふと笑ったようだった。
 そしてどこか聞き覚えのある声が言う。


「コゴロウさん…あんたは相変わらず俺にその問いを投げかけるんだな。もう、三度目か…」


 キッドが目を瞠る。
 その隣でますます困惑した顔のコゴロウが言った。


『俺を知ってるのか…?』
「…それから、俺がこう応えるのも三度目だ」


 手にした剣を鞘へと仕舞い、服に付いた砂を払いながら彼はゆっくりと二人へ歩を進めた。
 途端、まだ動ける者が彼に剣を向けようとしたが、瞠目したままのキッドが手を翳してそれを制した。
 彼は特に気にした様子もなくコゴロウの目の前に立つ。


「人が人を殺したがる理由なんか知らねぇけど。人が人を助けるのに、わけなんていらないだろ?」

 殺したくないから、殺さないだけ。


 不意にそんな台詞が脳裏を過ぎり、コゴロウは聞き覚えのある声が誰のものであるのか理解した。
 台詞とともに脳裏に浮かび上がる彼≠ヘ――
 かつて血を吐きながら泣き叫んだ自分を小さな体で救ってくれた少年。


「砦へ行きたかったんだけど、道、覚えてなくてさ。お前が来てくんねーかと思ってたんだ、キッド」


 その言葉に、まだ立てる者もすでに立てずに座り込んでしまっている者も瞠目した。
 白の砦を護る戦士を呼び捨てにするなど、そんなことができるのは王≠セけなのだから。
 誇り高く、ただ王≠ノのみ従う戦士。
 王≠ノ仇成す者がいればたとえモヴェールだろうと容赦なく薙ぎ払う。
 そんなキッドに彼らは畏敬の念を持っていた。
 そのキッドを侮辱されたと思い、すぐ側にいた男が勢いよく剣を振り翳した。
 けれどその手は途中で動きを奪われ――否、動くことを忘れてしまった。

 その人の顔を覆っていた布が彼自身の手によって剥がされる。
 顕わになる、土埃で汚れた服ですら神々しい貴人の召し物に見えるほどの美貌。
 陶器のように透ける肌、陽光を弾く漆黒の艶髪、そして……

 角膜を通して脳を灼く、蒼玉の瞳。


『…ヒカ、リ…』


 静寂に包まれたその場にコゴロウの声はやけに響いた。
 それに感化されたかのようにそれまで声もなく固まっていた者たちが口々に言う。


『光≠フ王?』
『そんな…!』
『光≠ェまだいらしたなんて…っ』


 ざわざわと波紋のように広がる声に、同じく咄嗟に動けなかったキッドは信じられないと彼――新一を睨み付けた。


『あ、なたはっ、何を考えてるんです!』
『キッド様…?』
『この場で顔を晒すとはどういうつもりです、新一!』


 不思議そうに見つめるコゴロウを無視し、キッドは新一に掴みかかる。


『貴方は人間として暮らすと決めたんではないんですか!コナンは今、王となるための準備中です。そんな時にこんな…』
「――工藤新一は死んだ」


 憤る感情を隠しもせずに睨み付けるキッドから視線を逸らさず、新一ははっきり告げた。
 キッドの目が再び見開かれる。


「十八年前は人間とモヴェールとの大戦だったけど…今度は、五国が大戦を引き起こす」
『っ、なん、ですって…?』
「俺はどうしてもこの戦を止めたい。どうしても――死なせたくない奴がいるんだ」


 たとえばそれが快斗の誓いを邪魔する形になってしまったとしても。
 快斗を失わないために、戦争を止めるために。


「俺は人間であることを棄てた。工藤少佐は、死んだんだ」


 新一の言葉にその場にいた者が皆瞠目した。
 工藤少佐≠ノは聞き覚えがあった。
 兵士の質がいい軍事国家モヴェールで凄腕の剣士と噂される、先の抗争でモヴェールの戦士を一刀に伏した男。


『貴方が、黒衣の騎士だったのですか…?』
「…もう彼はいない。オールの捕虜となり、戦死した」
『だが…六年前のあの少年は貴方だったのでしょう?』


 そう言った小五郎に新一はふっと苦笑を浮かべる。


「言っただろ?あんたには同じ問いを三度も投げかけられた、ってさ」


 なぜ助けたりするのかと聞かれた時も、自分は同じように応えたはず。
 誰も死ななきゃ良いと思って何が悪いんだ、と。


「キッド。お前とコナンに頼みがあるんだ」


 新一はキッドの方へ向き直ると真っ直ぐに見つめながら言った。
 何かはわからないけれどその瞳の中に何か覚悟の色が見え、キッドは難しい顔のまま静かに頷いた。


『砦へ、案内します』










 新一は今、もう顔を隠すことなくキッドとコゴロウに続き森を抜けている。
 以前ここを通った時はキッドに顔を隠すよう言われていたため道を覚えることができなかった。
 けれど今はその全てを脳裏に焼き付けようと慎重に歩く。
 やがて砦へ着き、まだ何かを聞きたそうにしているコゴロウと別れた二人は砦の中へと入った。


『新一!』


 重い扉が人外の力によって閉められたところでコナンが奥の方から駆け寄ってきた。
 キッドを模しているのか、纏った純白の衣装はコナンに馴染みもうすっかりとモヴェールらしくなっていた。
 コナンは名前を呼ぶなり新一に抱きつき、久々の再会を喜んでくれる。


『遠視≠ナ見たらお前がいるから吃驚したんだ!久しぶりだな、元気だったか?』


 まるでくるくる表情の変わる小動物のように笑うコナンにかつての昏い翳りはなく、新一はこっそり安堵した。
 おそらくキッドやエリのおかげでもあるのだろう。
 この我侭な弟の歓迎に張りつめていた新一の心も幾分和らげられた。


「久しぶり。お前も元気そうで良かったよ」
『そーなんだ、元気は元気なんだけど勉強ばっかで嫌んなるぜ!』
「なんだコナン、勉強は嫌いか?」


 大っ嫌いに決まってんだろ!と膨れるコナンに苦笑していると、未だ固い表情のままのキッドがコナンを新一から引き離した。
 背後から突然ぐいと引かれ力任せに引き離されたコナンは当然のように文句を言ったが……


『貴方の頼みがなんなのか今すぐ教えて下さい』
『あ、そうそう、俺も気になってたんだ』


 好戦的なキッドとは対照的にコナンは純粋な興味を向けてくる。
 それは新一のことを双子の兄弟と信頼しているからこそなのだが、キッドは一向に緊張を解こうとしなかった。
 普段あまり見ることのないキッドの様子に戸惑っているのはエリただひとり。
 新一は警戒心を顕わに自分を睨むキッドに苦笑した。
 その顔は泣きたくなるほど彼≠ニ酷似している。
 だからこその苦笑だったが今はそれすらも引き金になりかねないらしく、片眉を器用に吊り上げられ新一は苦笑を引っ込めた。


「コナン。キッド。それからエリさんも、…聞いて欲しい」


 視線が集まる。
 新一は少しだけ心苦しく思いながら先を続けた。


「俺は、工藤新一は死んだ。今ここにいる俺はもう人間じゃない。だから…モヴェールに俺を迎え入れて欲しい」


 遠視をしていたなら工藤新一≠葬ったことをコナンも知っているだろうが、新一は敢えて繰り返す。
 これから彼らに頼もうとしていることは彼らにとってリスクの高すぎる頼み事だ。
 今の平穏な生活を手放してまで手にしたいメリットはない。
 それでも、引くことはできないのだ。
 ここから漸く一歩が踏み出せるのだから。
 この一歩を新一は確実に踏み出さなければならなかった。
 たとえ歩もうとしているこの道が、苦痛しか与えない道だとしても。

 人々は戦争の歴史を歩みながら常に血を流し続け、束の間の平和にしがみつくように生きてきた。
 戦争は起こる。
 そしてそれはまるで海にたゆたう波のように、平和もまた訪れる。

 元来、新一は殺生を好まない。
 好まないどころか大嫌いだ。
 そんな新一がなぜ軍人になったかと言えば、それは戦争を終結させるためだった。
 気が遠くなるほど延々と続けられてきた戦争を自分の力で終わらせられるとは到底思わない。
 けれど、張りぼてではない本物の平和を掴むための一歩を踏み出すことはできるはずだ。

 人間として生きる道を選んだ時からモヴェールの光の王であるシンイチは消えた。
 そして工藤新一≠ニいう存在理由を棄てた今、自分≠ニいうもののなくなった新一には還る場所がない。
 人でありながらモヴェールの血を濃く受け継ぐ自分を受け入れてくれた人たちから、新一は自ら離れてしまったのだ。

 唯一と決めた自分の居場所。
 優しく、ときに烈しく、沈みそうになる自分を何度も救いあげてくれたあの暖かい腕。
 弱音を吐くのも本音を晒すのもあの腕の中だけだと決めていた。
 死と隣り合わせの生活の中で、胸に染み渡る彼のあの笑顔が生きている≠ニ感じさせてくれた。
 彼は自分を内からも外からも暖め、生かしてくれた。
 それなのに、その彼からこんなにも遠く隔たられた場所へと新一は自ら足を踏み入れようとしているのだ。
 覚悟は生半可なものではない。
 新一にとって人間として生きること≠ヘ快斗の側にいること≠セ。
 それ以上でも以下でもない、そのものなのだ。

 けれど戦争は始まった。
 何万もの人々の怒りがうねりとなって押し寄せればもう誰にもとめられない。
 一度始まれば途中で止まることができないのが戦争だ。
 結果がどうあれ勝者も敗者もかけがえのないものを多く失い、得るものは偽りの安息だけ。
 それでも人は止まることができない。
 だから。
 止まれないなら、止めるしかないのだ。
 他でもない自分の力を持って。
 その危険の真っ只中にいるのが誰より死なせたくない人だというなら、その人を救う道がひとつしかないというなら。
 新一は喜んで人である自分≠棄てる。
 快斗の側でなければ新一に生きる意味はない。
 けれど、快斗がいなければ新一は存在すらできないだろう。

 たとえば、自分が紛れもないモヴェールの光≠ナあり、自分の中に最強の力が眠っているのなら。
 その力で戦を止められるというのなら。
 哀しみの内に血を流し枯れゆくよりも、大好きな人を生かすため、強固な壁に隔たれることを喜んで受け入れるのだ。
 だから、渇いた喉に唾を飲み込んで。


「人間の戦に、俺と共に巻き込まれてくれないか」


 自分が光≠セと言うのなら、その有りっ丈の光をもってこの闇を拭い去ってやる。






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新一さんの目的は次回に持ち越し。
次は志保ちゃんを出せるかなー?
コナンはまだ王さまじゃありません。我侭っ子になってしまったので…キッドも苦労してるね。笑